レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

信じるー?信じなーい?クレジット・カード

2012-09-25 05:00:00 | 日記
昨日、日本の食材や食品の確保に関連してネットでの購買について触れました。で、ある良い知人がもうすぐアイスランドへ来るので、必要なものがあったら送りますよ、と大変親切な申し出をしてくれました。m(_ _)m 

ではお言葉に甘えて、と思い日本国内でのネット販売のサイトをブラウサしていて気がつきました。「楽天で外国発行のカードが使える!」ようになっている。何年か前にトライした時は「外国発行のカードは受け付けません」ということで煮え湯を飲まされていました。

(でもこのチェンジは大きいです。送料はかかるけど、元の商品の値段がヨーロッパからの買い付けと比べらものにならないくらい安い)

私の知る範囲では、そういうポリシーのサイト/ショップは、今でも他にもたくさんあると思います。それだけ事故というか詐欺が多いのだそうです。でもそれは詐欺をする輩を取り締まる方法を改良すべきことで、善良な外国住まい人を巻き込まないで欲しい、と思っていました。

ある時、アメリカのスポーツ用品店からTシャツかなんか買おうと思った時、メイルで「カードのコピーをファックスしてもらわないと注文を受けられない」と言われました。某イギリスのホテルに娘が泊まった時にも代金をカードで引き落とすようにしたのですが、同じことを言われました。カードのコピーをファックスなんて論外ですので、Tシャツはキャンセルしましたし、ホテルの方はカードの発行元の連絡先を紹介して、そちらに照会するように頼んで(ほとんど喧嘩でしたが)済みました。

こうなってくると、クレジット・カードは携帯者の信用の証なんかではなくて、カード自体を信じられるか、信じられないかという問題になって来ている気がします。

アイスランドはカードの普及率というか使用率がものすごく高いようです。数字は忘れましたが、スーパーでもどこでも現金払いをしている人を見るのは珍しいと言えます。実際に私自身、財布に入っている現金は4.000クローネ(3000円足らず)だけです。日常生活で現金払いは車のパーキングくらいのものです(それだって携帯からできるようになっているらしいのですが、やり方を学ぶのが面倒くさいので放置してあります)。

山のふもとの本当に小さな屋台のようなカフェでもカードでOKですし、飛行機の中でのショッピングとかは現金だとむしろイヤな顔をされますね。

日本に帰る度に思うのは、日本人はまだ現金主義だなということ。少なくとも日常生活の買い物のレベルではカードよりも現金の方が主力でしょう。どういうところから違いが出てくるのでしょうか?アイスランドは小さなコミュニティでどこへも逃げも隠れもできないから詐欺の可能性が少ないのでしょうか?日本ならどこかにトンズラされたら終わりですもんね。

どなたか日本人のカード敬遠の理由を知っていたら教えてくださいませ。m(_ _)m

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ビミョウ

2012-09-24 05:00:00 | 日記
前にも書きましたが、アイスランドには企業派遣の邦人の方々は、短期派遣の方々を別すると在住していません。そのため邦人数も少なく、よって日本食専門店というものも-食べるところも、食材を購入するところも-限られています。負のスパイラルです。スシ・バーは増えてきていますが。

ですから基本的な食材、たとえばダシの類や調味料は自前で確保する必要があります。醤油やみそ、のりなどはここでも購入できるのですが、普通の邦人の台所をまかなうほどの食材には遠く及びません。

いつも日本へ帰るチャンスがある場合には、いろいろな食品類を買い込んで別途郵便で送ります。六月に帰省した際にはカップ・ラーメンだけで一箱送りました(カップ・ラーメンは食材とは呼ばないでしょうが)。セブンイレブンで、セブンイレブン銘柄のカップそば、同じく中華そば、日清のベイシックなカップ・ヌードル、そしてマルちゃんの焼きそば弁当を各十ヶずつ買い込みました。「何かのイベントですか?」「いえ、外国暮らしです。日本のカップ・ラーメン、美味しいですよ」「そうですか、ありがとうございます」
別にお店の人がお礼を言う筋合いはないと思ったけど。

日本郵便のゆーパックの特大の箱に上下を互い違いに組み合わせると、計40ヶのカップ達は見事に収まりました。これをSAL便で送ります。カップ達は40ヶで五千円いっていませんでしたが、郵便代はSAL便でも8.000円ちょっとかかりました。送料が内容物より高いというのは、ザンネンな気持ちがするのですが、仕方ありません。

この40ヶのストックはかなりの安心感を与えてくれます。しかし、私は貪欲、というか貧乏性でもっと欲しくなるのです。そしてもっと安心したいのです。

アイスランドできちんとした日本の食材を買おうと思ったら、イギリスやドイツからネット購入するのが現実的な手段です。今、「手頃な手段」と書きそうになり改めました。「手頃」とは言えない。これはまた機会を改めて書きます。

で、ドイツはデュッセルドルフに支店があるOCS DUS コンビニサービス(Overseas Courier Service Japan Store)の案内を見ていたら、日清のハンガリー工場で作っているカップ・ヌードルが、それほど高い値段でなく陳列されているのに気がつきました。

早速注文。チキン味を16ヶとカップ焼きそばを8ヶ(8ヶが注文の単位)。送料込みで64ユーロ、ですから6400円くらい?一ヶあたり267円。高くはなりますね。これは仕方がないです。自分で送った40ヶ軍団にしても一ヶ当たりにして均すと320円くらいになってますから。

届いたのを早速試食してみました。麺の感触と味付け。

これがビミョーに違います。

麺の感触は焼きそばの方。味付けは日本と同じでしたが、どこか麺が落ちる気がする。カップ・ヌードルの方は逆に麺は同じなのですが、味付けが薄い。チキンテイストとなってますが。

大体サッポロ一番でも出前一丁でも、海外生産バージョンはビーフ味、チキン味、シュリンプ味等、海外向けの味付けにされてしまうことが多いようです。ハンガリー人はきっと薄味が好きなんでしょうね。その周りの国も含めて。

まあ、海外生活というのはどっかで妥協しなくては成り立たないようです。日本の皆さん、カップ日本のカップ・ラーメンは美味しいですよ。羨ましい!


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WeZard

2012-09-23 05:00:00 | 日記
私がアイスランドへ移ったのは1992年の4月でした。その当時の日本とアイスランドの間のコミュニケイション手段というのは、今からは想像もできないくらい貧弱なものでした。即対応できる手段は国際電話のみ、と言ってもよかったでしょう。

もちろんこれは昔を現代と比較する時の常であって、その当時電話がきれいに繫がるというだけでも、ハガキが一ヶ月かかって着くという時代に比べたら大したものだったわけですが。

ともかく日本の事情を伺うには親が送ってくれる一月遅れの新聞や「ニュース ・ステーション」のビデオを通してだけでした。(あと律儀な友人に頼んで「ボクシング ・マガジン」も送ってもらってましたが。) 

もちろん、そうした時間差を経て得られる情報の細切れだけでは、日本で何が起っているのかをつぶさに把握するには十分ではありませんでした。で、何が起ったかというと、私は浦島太郎になったのです。政治など全てに関してではありませんが、スポーツ、芸能、音楽の大部分に関しての1992年4月以降2002年くらいまでの十年余りは、私の中には存在しません。

だから最近になって、ちょっと懐メロ的なのりの番組を見ていて出演者が「ああ、これ流行った!流行った!」とか言っているのにはついていけません。プロ野球の主要選手や優勝チームに関しても、その期間は白紙状態です。その期間のことが話題になる度に「むかし、むかし、うらしまは... ♬」と聞こえてきそうです。

別に知らないですんでしまえばそれだけのことなのですが、まれに「ああ、これを知らなかったのか...」と嘆くこともあります。

その代表例がZardです。

Zardのデビューは1991年ですので、少しは被っているはずなのですが私は離日前はZardを知りませんでした。で、93年の「負けないで」以降Zardはどんどん人気が高まっていくわけですが、私がZardを知ったきっかけは何と坂井泉さんが突然亡くなられた時だったのです。

亡くなられたニュースをきっかけにして、私は「ああ、こんなに素敵な歌手とチームが、こんなに良い音楽を創っていたのか」ということを知りました。遅きに失しましたが、それ以来Zardファンになりました。今でも車の中ではZardはメジャーな音楽となっています。

たまにZardをもちろん知っている(若い)邦人の方をお乗せすることがありますが、一様に「Zardのファンなんですか?」と尋ねます。「ええ、ファンなんですけども...ただ...」と私は同じ説明を繰り返します。

できれば亡くなる前からファンになりたかったですね。というか、亡くならないでいて欲しかったです。Zard坂井泉さん、素晴らしいです。

We All Zard Family.  (黙祷)
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場に合った音楽

2012-09-22 05:00:00 | 日記
最近ではヘッドフォンをつけて電車に乗っている人(アイスランドには電車はありませんが)、歩いている人、ジョギングをしている人など日常的な光景ですね。私自身は音楽を聴かないわけではありませんが、常に音楽なしではすまされない、というほどでもありません。ですからヘッドフォンをつけながら街を歩くということはしたことがありません。(大体、周囲の音が聞こえないで歩いて怖くないのかな?)

そんな私でも毎日必ず音楽に接する場所があります。車です。日本でも同じでしょうが運転中に音楽を好む人と、ラジオを聞くのを好む人と二種類のタイプがあるようですね。私はラジオは聞きません。アイスランド語なので理解しようと聞き入ってしまって運転がおろそかになるのが心配だからです。(この間東京でDVDを見ながら運転してる人がいたけど、あれは危ないんじゃないの?こちらはリムジンバスに乗っていたので上からよく見えたんだけど。)

以前は軽いジャズなどが定番でした。すぐに影響を受ける性質なので、スプリングスティーンのようなロックはたとえ好きでも運転中は聴きません。Born to Runは危ないです。

そんな折り、こちらに立ち寄った漁業関係の日本の方のレンタカーに乗せてもらうことがあったのですが、ド演歌を聴いていらっしゃいました。レイキャビクの街をド演歌で走る。非常に奇妙な感覚を覚えました。

私たち、映画やTVなどで知らぬうちに「その場にふさわしいBGM」というものがインプットされてしまっているのでしょうか?画面を見ていなくても、BGMを聞けば大体どういう場面か想像がつきますものね。

この「刷り込み」感覚に気がついて以来、今まで聞かなかったジャンルのものを車で聴くようにしたことがあります。きれいなフィヨルド沿いを裕次郎を聴きながら(ファンです。特に浅丘ルリ子とのデュエットの「夕陽の丘」)、緑の郊外を竹内まりあ(これはマッチしてますね)、街中を長山洋子を聴きながら、のように。

もともと演歌は好きなんですよね。特に運転中はあのテンポは「安全運転の素」だと確信しています。ところどころ一緒にうなれば発散もできるし。

それ以来、演歌からは多少後退しましたが、今はほぼ毎日J-ポップ系を聴きながら運転しています。一青窈、柴咲コウ、嵐、西野カナ、Zard、そして矢沢の永ちゃん。もはや日本のポップなくしてレイキャビクの街をドライブすることは考えられません。
場に合った音楽は自分で見つけるもんですね。No more 刷り込み!
コメント (2)
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トラベル・ミステリー

2012-09-21 05:00:00 | 日記
「旅の友」の話しをもう少し。

長いフライトの機内で見られる映画がその時の当たり外れがあるのに対して、iPodの音楽や本なら自分のお気に入りを必ず確保できますね。

私はiPodにはそれほど執着がないので、ミステリー本を2、3冊携行して行きます。映画では吹き替え版を見るように、こちらも日本語のもです。お気に入りの作品群は幾つかあるのですが、やはりフライトには十津川警部シリーズです。

以前はミステリー一冊と専門的な本二冊、のような組み合わせだったのですが、いつしかそのようなギラギラ感は消えてしまい、今はどっぷりトラベル・ミステリー三昧です。十津川警部のいいところは簡単に読めてどんどん先へ進めることです。

西村京太郎さんは言わずと知れた売れっ子作家ですが、著作の数は今年の春の時点で500冊、単行本の累計発行部数は二億部を越えるそうです。しかも著作の90%以上は50歳を過ぎてからのものだそうですから、私も54歳くらいで落ち着いてしまってはだめですね。自戒。m(_ _)m

ところで、西村さんの作品は初め雑誌の連載の形で出されることが多いようです。そのため、単行本の形でまとまって読む時に気になることがあります。章が変わるたびに、それまでのあら筋をたどるような描写が出てくるのです。それが二回、三回と繰り返されると思わず「分かってるよ!」という気分になりますが、そういうところをいちいち書き直す手間はかけられないのでしょうね。

時々ですが、話しの始めの設定と終わりの方での設定が変わってしまったりして。始めの方では「傷害事件を起こしたが不起訴猶予ですんだ元警察官」だったのがいつも間にか「傷害事件で二年服役していた」ことになってたりすることがあります。あまり沢山書いてるからさすがの西村先生でも混同してしまうのかしら?

この間読んだのはもっと鮮やかな物忘れでした。題名は言いませんが、冒頭ある青年が女性と出会い恋仲になります。ところが三ヶ月して女性が突然失踪。青年が女性の詳しいことを調べると、本名も生い立ちも以前女性が青年に伝えたこととは違うことが明らかになってきます。青年はそれでも女性が恋しく、残された一枚の写真を手がかりにさらに行方を追っていきます....

と、いうわけでお定まりのパターンながら引き込まれていってしまう展開です。話しは十津川警部が調べていた殺人事件と交錯し、ある街でのお祭りが焦点になっていきます。何か街ぐるみの陰謀が進んでいるような。そしてその陰謀はやがて十津川警部や青年の活躍によって明らかにされます。

ところがです。冒頭の女性がなぜ失踪したか、なぜ青年に嘘をついていたのかは全く何の説明もないままなのです。きっと事件が意外な方向に盛り上がっていって、忘れられてしまったのでしょうか?想像ですけど。

って、あら探しのようなことを書いてしまいましたが、十津川シリーズ大好きです。めぼしい事件は大分買ってしまってみかん箱ふたつに納まっています。残りはごく初期のレトロな作品か、あまり書店に出ていないレアな作品か、という域に近づいてきてしまいました。

西村先生、今年で82歳と聞いていますが、ますます元気でこれからも十津川警部を活躍させてくださいますよう。



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