レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

Gledileg jol 2016 暗きに座す人への光

2016-12-24 05:00:00 | 日記
まずは Merry Christmas! ですね。こちらではGledileg jol!です。きちんと発音するとグレージィレーグ·ヨウルとなるのですが、そう言うのは初心者?で、「グレリヨル」とくずれた発音が普通の挨拶となっています。

クリスマスは、もちろんキリストの誕生を祝う祭りで本来的に宗教的な意味を持っています。もっともその時代から祝われていた冬至の祭りにも関連してこの日が選ばれたようですから、その意味では文化的な要素も始まりから含まれていたとも言えます。

現代ではクリスマスは宗教的な意味を離れた文化的な祭りとしても浸透しています。別に悪い意味ではなくて日本のクリスマスなどはその典型的なものと思います。(もちろん日本のキリスト教徒の人のクリスマスはそれには当てはまりませんが)

アイスランドではクリスマスは宗教的な意味を失ってはいませんが、それなりに文化としても発展してきました。ここではクリスマスは家族が一堂に会する祭りなのですが、そこからごちそうを食べる、プレゼントを交換する、家をきれいに掃除し飾り付けをする、等々のしきたりが定着してきました。

その一方で、アイスランドの社会の中に「ヨウラ·クヴィージィ」というものにかかる人が一定の割合で出現してきてしまいました。これはクリスマス·ブルーとも言うべきもので、要するにクリスマスの故に気分が悪くなる、心配になる、落ち込む、というような現象です。

これについては以前にも書いたことがあると記憶していますが、その時は「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」というストレスからこのヨウラ·クヴィージィが生まれてきた、と説明したのではないかと思います。

それは別に間違いではないのですが、どうやらヨウラ·クヴィージィは直接そういうストレスからくるものだけではなく、単に「クリスマスに近着いた」というだけで不安や気分の低下をもたらすもののようです。

これ、単なる思い過ごしというようなものではなく、深刻なウツや不安に駆られて、病院に行かなければならなくなってしまうような人がかなりいるのです。

また、ヨウラ·クヴィージィとまではいかなくとも、家族の団欒を持てない環境にある人が、「普段よりも孤独感を感じる」と話すことはしばしばあります。実は家族のない移民の人たちにはかなり共通する感情なのです。




ヒャットラ教会


今年のクリスマスというか −アドヴェントからなのですが− に限って言うと、私自身も世間的な感覚での「クリスマスムード」はまったく持てないでいました。

私は「Seekers 難民の人たちとの祈りの集い」というグループを牧師としてお世話してきています。全員が毎週集まれるわけではなく、各回十人から十五人くらいが集まる小さな会です。

もう一年半以上やっていますので、名簿上は七十人以上の数になります。そのうち三分の一はすでに強制送還されています。送還されてはいても、私たちはいまだにメンバーとして覚え、祈ります。

さらに他の三分の一くらいは在留許可を得ることができて働いています。残りの三分の一くらいが、現在難民申請中でその結果を待っている最中なわけです。

そして先の十一月中旬あたりから、この申請中の人たちが次々と「最終的拒否」の回答を与えられてしまったのです。現時点でSeekersの中の九人が送還を待っています。

私としては、実際的な支援も含めて関わってきていますので、もちろん最後の最後まで法にかなう仕方でサポートは続けます。しかし、正直言ってこれはかなり精神的にしんどいプロセスです。

会の参加者は「クライアント」ではなく、家族のような存在です。人間として結びつきができている人が送還されるというのは、それなりにこちらの心も削られる思いなのです。

中のひとり、とりわけ教会での活動に積極的な青年が一週間前の月曜に強制送還されることになってしまい、「なんとか救済を」ということで相当な労力を費やすこととなりました。

ありがたいことに教会のビショップも相当頑張って内務省と交渉してくれましたし、一緒に大統領とも会談しました。

さて、このレベルになると私のような一介の町の牧師には見えてこない部分があり、送還直前の日曜の晩になって青年の送還は「とりあえず延期」となったのです。歓迎すべきドタキャンでした。

で、ようやくこの一週間ですよ、私自身が多少ホッとしてクリスマスのプレゼントとかを考えられるようになったのは。カーステもようやくクリスマスの曲に変えました。

今年のアドヴェントはずっとそんな感じのしんどい日々でした。ですが、逆に -というかだからこそなのですが- アドヴェントの間じゅう、クリスマスの根底にある意味、キリストの誕生を待ち望みそれを祝う、ということにしがみつくことができました。

「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」(ルカ福音書1:78-79)




教会の子供たちの聖劇でのBaby Jesus


「クリスマスはパーティーを楽しめる人たちだけのものではない。それは第一に『暗きに座す者を照らす光』でることを心に留め、待ち望み、感謝しよう」と、手を替え品を替え?何度も何度もこのことを祈りの会で繰り返しました。

でも、そのことはSeekersの難民申請者の人たちだけに限られるものではありません。アイスランドで ヨウラ·クヴィージィに悩む人もそこには入りますし、日本や、あるいは世界のどこかで深刻な悩みの中にある人たちについても当てはまることです。

大層な話しと思われるでしょうが、神は偉大なのです。昨今「神は偉大なり」が、自爆テロのスローガンのようなイメージを与えてしまっていることには本当に辟易させられます。

神の偉大さは、そのような絶叫や暴力によって現せられるものではありません。神の偉大さは、厩の飼い葉桶の中で眠る、小さな赤ちゃんに現れているのです。それは静かで柔和なものです。柔和な愛の恵みなのです。

クリスマスのキャロルも素敵ですが、静けさの中に神の恵みを聴こうとしてみるのはどうでしょうか?決して損にはならないと思いますよ。
Gledileg jol!
 
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今年アイスランド人は何をGoogleしたか?

2016-12-18 05:00:00 | 日記
選挙があったのは十月の末でしたので、すでに一ヶ月半が過ぎています。ですが、いまだ新政権は発足していません。形も見えていません。その間、前政権が「実務処理内閣」として肩代わりしているわけです。

が、これだけ長い間これで済んでしまっていると、新政権なんか要らないのではないか?とさえ思えてきてしまいます。もしかしたら、やり直し選挙、なんていうことも実際の可能性として出てきたようです。

でも今回は政治ではありません。

今年もあと二週間を残すのみとなり、2016年を総括したり振り返ったりする特集がメディアのあちこちで見られるのは、アイスランドでも日本でも同じことかと思います。

先の木曜日のフリェッタブラージズ紙に、特集というほどではありませんが、今年アイスランドでどんな言葉が最も検索されたかを紹介する記事が出ていましたので、そこから少しご紹介してみたいと思います。

記事では「2016年、これらをアイスランド人は検索した」と題されていますが、観光スポットやレストランもかなり含まれているので、おそらく観光客も含めて「アイスランドで」検索した、というのが本当ではないかと考えます。

資料の出元はご多分に漏れずGooogleです。以前こちらのGoogle関連に勤めていた友人が言っていましたが「誰が何を検索したかまで全部分かる」そうです。コワッ!

記事では検索で「人気のあった言葉」と「検索数がアップした言葉」のふたつの測り方で紹介していますが、「人気のあった言葉」(つまり頻繁さの高い言葉)はIcelandとかRetaurantとか漠然としたジャンル言葉が多いので面白くありません。

「検索数がアップした言葉」の方が「時の言葉」性が高いのでそちらを見てみたいと思います。

まず年間を通して時の言葉率が高かったのはPiratarでこれは「海賊」という名前の政党です。年間を通して高い支持率を保ったのですが、特に選挙前の十月には非常な頻度で検索されています。

四月から六月にかけての断然の時の言葉はGudni Th. Johannessonでこれは新大統領です。選挙戦の間によく検索されたということですね。

十一月にはトランプ一家のメンバーが頻繁に検索されています。トランプ氏本人はもちろんですが、奥さんや娘さんの名前なども時の言葉となっていたようです。

その他にはWintrisとかBruneggというような言葉が一時期、時の言葉となっています。Wintrisはグンロイグル前首相夫妻が持っていたオフショア会社で、パナマ文書関連です。

Bruneggは「茶色の卵」の意味ですが、その名の通り茶色い卵を生産販売していた会社なのですが、鶏の衛生管理がとてもずさんであったことが表明かし問題となりました。




以上の言葉がいつ時の言葉化したかを示すグラフ


さて、以上の言葉は当たり前のものばかりで、面白くありません。今度はジャンル別にどのようなものが時の言葉となったかを見てみましょう。

食べ物ではUgly Pizzaという言葉が挙がっています。ピザ屋さんなのですが、私は知りませんでした。オースラリアとかでも同じ名前のピザ屋があるようですが、世界的チェーン?すみません、いかにワタシが時代についていっていないかです。(^-^;

あとはSausage Party。そういうタイトルの映画もあったようですが、ここではドミノピザのメニューの中のひとつです。これも映画にあやかったのかも。日本のドミノのメニューも覗いてみましたが、特にこのメニューは内容ですね。こっちで勝手に考えたのかな?

エンタメ関係では、まずAlon Can。これも全然知らなーい! 調べたら1999年生まれのヒップポップシンガーで、今アイスランドで売り出している最中のようです。

次にStranger Thingsというアメリカのテレビのシリーズドラマ。これもまったく知りませんでした。子供が神隠しになってしまうというミステリーホラー系のお話しのようです。子供のお母さん役がウィノナ·ライダー。「ニューヨークの秋」でリチャード·ギアの相手役をつとめたかわいい女優さんですが、もう四十代半ばなそうな...

それからPokemon Go。言わずもがな。こちらでも流行ってますよ〜。教会はすべからずバトル場として設定されているようです。

残念ながらPIKO TAROさんは入っていませんでした。

スポーツ関係は圧倒的にEuro 2016とかEM2016。夏のサッカー欧州選手権でのアイスランドの活躍がありましたからね。これも納得です。

というわけで、はっきり言ってなんのビックリもありませんでした。ニュースの話題になったトピックの関連事項が、そのまま時の言葉になっているだけのことです。まあ、当たり前か?

ビックリしたのは、むしろ、あらためてワタシが時代についていていないことを知らされたことでした。

ちなみに、ワタシが今年最もGoogleしたのはどんな関連かなあ?と考えてみると、おそらく和洋を問わず女優さんの名前ではないかと思います。ネットでドラマとか見ていて、ちょっと魅力的な女優さんが出てくると「誰だ?」とかならずGoogleします。

日本の女優さんとか、そうしなければもうわからないですからね。アメリカのテレビでも、気になって調べてみると違う番組出ていた時にすでに検索していた、なんていうことがよくあってこれはこれで面白いものです。やっぱり気に入るタイプというものはあるものですねエ。(*^^*)


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抗議の街、レイキャビク?

2016-12-11 05:00:00 | 日記
レイキャビクは相変わらず師走とは思えない暖かさです。まあ多少冷えてきて二度、三度ということもありますが、その間に六度、七度の日が挟まっている、というような具合です。

街の東北の方向にエイシャという癒し系の山があるのですが、西街の我が古アパートの窓から見るとまったく白いところがありません。この時期は雪で真っ白なのが普通なのですが...変な感じ。

さて、今回は抗議集会、あるいは何かを求めてアピールする集会について書いてみます。皆さんは、何かそのような集会に参加されたことはあるでしょうか?

最近の韓国では「百五十万人参加で大統領へプロテスト」とかニュースでやっていましたよね。日本でも東北大震災以降、原発再開や安保を巡って大きな抗議集会があったのをネットの新聞で見たように覚えています。相当数が集まっているのに「メディアが事実を伝えようとしない」という批判も耳にしました。

私は日本での大規模集会に参加した経験はありません。大学生の頃、少し政治に関わっていたこともあるので「北方領土の返還」や「インドシナ難民受け入れ」などの抗議やアピールに参加したことがありますが、それらはどちらかというと小さな集会で五十人も集まっていなかったと思います。

アイスランドでは大きなものから小さなものまで、抗議集会やアピール集会はかなり頻繁にあります。特に2008年秋の経済恐慌以来、その数はぐっと増えたように思われます。主張しないといけないんです、ここでは。

つい最近を振り返っても、四月の首相辞任を求める集会や、十月の労働条件の男女平等を求める集会など、ずいぶんと人が集まっていました。これらについてはブログでも書きましたので、よかったら目を通してみてください。

注)今、アイスランド人は怒っています!

「女性は休みの日」



大きな集会というのは、それだけ大事なことに関する性質のものなのでしょうが、参加する側から言わしてもらうと「参加しやすい」集会です。大勢いますから、自分は「大多数の中のひとり」以上ではないわけですから。たとえ、その集会の意図に真っ向から反対する人がいたとしても、その反論は「みんなで受ければコワクない」ですね。

これに対して小規模、三十人から百人程度の集まりですと「ああ、アイツ参加してる」というのが端から見えてしまいますし、ニュースの写真の対象になったりもします。自分が本当にその集会の主張に同意していないと、参加が難しくなったりします。




12月3日 国会(アルシンキ)前での難民の権利主張の集会


自分が強くその主張を持って集会に参加する場合は、参加するだけではダメで、集会を盛り上げなくてはなりません。盛り上げるというのは引っ張るという意味です。横断幕を掲げて先頭を歩いたり、時には自らハンドマイクを手にして呼びかけたりしなくてなくてなりません。

私がこちらで参加している集会は、ほとんどが難民の保護や移民の権利の主張を呼びかけるものなので、私自身が参加者よりもよりオルガナイザーに近いことがしばしばです。当然前に立ち、ハンドマイクを手にすることも何度もありました。

集会を計画する時は、事前に警察へ届け出をするのが普通なのですが、多くの場合警察官数名が待機して、悶着が起こるのに警戒をします。集会の性格によってはこの待機の警察官が敵のように見えたり、ありがたく思えたりするわけですが、その意味では警察官というのは可哀想な役割の気もしますね。

アイスランドでも、移民や難民の存在に反対する人はある程度存在します。そのような人が大声をあげて私たちの集会に入ってくることも稀にはありましたが、幸い暴力沙汰は私はこれまで体験したことはありません。まあ、これからもないことを願いますが。

私の考えでは、抗議集会などで一番やっかいなものは、反対の主張を持つ人々ではありません。それよりも嫌なのは「目立ちたいからやってるんだろ」という非難です。メディアに取り上げられることもありますからね。

確かに、中には自己セールスのために難民問題や移民問題を取り上げる人もいますが、そういう人はむしろ、問題に恒常的に取り組んでいる人たちから疎んじられ淘汰されていくようです。

集会を引っ張るために「目立つポジション」を取らなければならないことはよくあります。しかし、それとは逆のこともあります。

去年の春くらいだと思いますが、難民申請者の強制送還に反対するためのアピールがありました。市内を一キロ半ほど行進する計画で、Facebookでも「Going」が五十人くらいの小さな集会のはずでした。

ところが当日、ストームが襲いものすごい荒天。「こりゃあ、行くの嫌だなあ」とスキップしようと思いました。ですが「いやいや、こういう天気で参加者は少ないだろう。だから行かねば」と一念発起して出かけました。

案の定、参加者は予定よりずっと少なく二十人程度でした。でも逆に「二十人も集まった」ということの方に変な喜びを感じたのを覚えています。

というわけで、今回言いたかったことはこれです。「面倒なところで人を支えるようにしないと、何も育たないよ」エラそうに聞こえる?心配しないでください。自分に言ってるんです。(^-^;


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サッポロの冬、レイキャビクの冬

2016-12-04 05:00:00 | 日記
十日あまりの短い札幌滞在を終えてレイキャビクに戻ってきました。出発したのは十一月の中旬だったわけですが、相当暖かい気候の中での旅立ちとなっていました。

実はこの十月から十一月にかけてのこちらの気候は「異常気象」で、十月は平均気温が7,8度もあり、過去十年間の平均3度を大きく上回りました。これは1915年以来の暖かさだったそうです。

統計上にはっきりと現れているわけなのですが、この暖かさは「実体験」上もっとはっきりと感じられていましたね。

大体レイキャビクの十月というのはかなりトリッキーな月で、気温がマイナスの日が一週間続いたり、ドカ雪が降ったりということが常であったような気が私はしています。

それがこの十月は、下旬にいたってもまだジャケットの下は半袖シャツ。車のタイヤをスパイクタイヤに替えたものの、雪のない路面をただ削って走っている良心の呵責みたいなものに取り憑かれる始末でした。

時折寒くなることもありましたが、基本的には十一月の上旬も十月の延長でした。暖かい、穏やかな秋でした。

そんな中で札幌へ向かいました。その札幌では昨年よりも十八日も早く十一月の六日にササラ電車が初走行していました。ササラ電車とは札幌市内の市電のために除雪をする、竹箒のようなものがついた車両です。

札幌では着々と冬支度を進めていたようで、私が札幌に着いた夜には気温が二度、十一月中旬らしい空気で暖冬のレイキャビクから来ていて変にホッとさせられました。

それでも滞在していた一週間あまりはかなり暖かい日々でした。最後の方で今年最初の「真冬日」(気温が一日中氷点下の日)もありましたし、それなりに寒かったのですが、一応在アイスランド二十五年目の私としては、そんなに驚くようなことはなく、まあ「常識の範囲」で納まっていました。




大通り公園のイルミネーション 綺麗です


以前一度書いたことがあると思うのですが、私の印象では札幌の冬とレイキャビクの冬はとても似通っています。気温も雪の降る量も。多分、札幌の方が少し寒いし、雪も多いでしょう。風はレイキャビクの方がはるかに強いです。それでも大体のところは同じようなものだと言っていいと思います。

で、こうして冬への身体的かつ精神的?準備をむしろ札幌で整えて、レイキャビクに帰ってきました。あいかわらず暖冬ムードです。実は私が留守をしてる間に吹雪いて、一面雪景色になった、と聞いていたのですが「全部もう溶けちゃった」と帰りのタクシーの運ちゃん。

(スミマセン。告白しますが、今回は空港から自宅への帰路、タクシーを予約していました。贅沢なので滅多にしないのですが、成田−ケフラビク間の長旅と、普通より九時間長い特別な一日で、それも終わりに近い夜十一時前の着陸ということでお疲れでしたので)

夜中に自宅に着いたのですが、私のタチとして帰ってすぐにスーツケースなどできるかぎり片付けてしまいます。そんなこんなで眠ったのは明け方近くで、当然昼まで眠りました。

そしてその翌日の朝です。

目が覚めるとまだ真っ暗だったので「まだ五時か六時だな。ラッキー! もう少し寝よう」と思いながら時計を見ると、なんと九時!! 

そうなのです。いなかった二週間弱の間に、暗い冬が到着していたのでした。そうだよなあ、もう十二月になるなだから... 当たり前の話しなのでした。

レイキャビクと札幌は似たような気候、と書きましたが、ひとつだけ歴然とした差があります。札幌では毎朝八時にはお日様がもう昇っているのです。明るい冬なのです。

札幌滞在中はわりと早起きで六時、七時には目を覚ましていましたので、そのあたりの空の白み方がインプットされていました。それをレイキャビクようにアジャストするのをすっかり忘れていました。

これはなかなか理解していただけないことだろうと思いますが、暗い中で起きだすのは結構辛いことです。もちろん、日本でも朝ものすごく早くから働きに出る方は大勢いらっしゃいますし、その方々も同様の条件だろうと思いますが。日本の人は偉いから慣れちゃうのかな?

そしてその日の午後。昼下がりの太陽もすでにパワーを四割程度失っているのに気付きました。あ〜、これもアイスランドの冬です。元気のない太陽を見ると、余計ガクンとしてしまいます。




これも大通り公園 このマリモ状の灯り、相当好きです


しかし、よくしたもので、ちょうどこの時期からアドヴェント。アドヴェントの灯りの飾り付けがすでに街を彩っています。

私も自宅はアドヴェント〜クリスマス用の灯りと飾りを日本へ行く前に、すでにフルコースで準備しておきました。遠慮なくスイッチオンして、暗い冬に対抗していきます。

ああ、そういえば札幌の大通り公園のイルミネーションも綺麗でしたねー。札幌へお出かけの予定のある方は是非エンジョイしてください。今はクリスマス市場も始まっていますね。あれも、いい!! 


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