レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

Black Firday とマイ Sunshine Thursday

2018-11-25 03:00:00 | 日記
十一月最後の週に入りましたが、レイキャビクでは静かな週末となりました。静かと言っても天候の話しで、気温はゼロ度くらいなのですが、風がなく穏やかな日和です。

天候以外ではそれほど静かだったわけではないようで、おとといの金曜日は「ブラックフライデー」とかの広告が出まくっていました。あちこちのお店でかなりの値引きでのセールとなったようです。

ここ数年間、このBlack Friday -アイスランド語ではSvartur fostudagur となりますが- という言葉が表に出てきていました。今年はこの「セール」に参加するお店の数が過去最高になったそうで、さもありなん、と思わせる宣伝の有様でした。




二大新聞の表紙の「表紙」は「黒キン」の広告


この「黒キン」、もともとは案の定アメリカのものだそうです。株式の大暴落でブラックマンデーとかがあったから、それをもじって作ったのだろう、と思ったのですが、Wikiとかで調べてみると、1952年くらいからあるそうで、アメリカでは意外に長い歴史を持つものであるようです。

感謝祭に続く金曜日、十一月の第四金曜日をセール用のBlack Fidayとしたのですが、これは次にやってくるアドヴェントから本格化する「クリスマス商戦」への橋渡しとして設けられたものらしいです。この辺は受け売りなので、間違っていたらゴメンなさい。

こちらではいくつかのお店は、金曜日だけではなく、週末を通じてセールをしているようで、お店ではきっと騒がしい週末なのでしょう。私には縁がありませんが。私はユニクロのオンラインでお金を使いすぎてしまいオケラです。

と思っていたら、娘が「明日の月曜日も『サイバーマンデー』でセールだから、欲しいものがあったらチェックしたほうがいいよ」何?Cyber Monday?? それは聞いたことがないぞ。

これもWiki仕込みですが、このCyber Mondayもアメリカ生まれで、感謝祭の週末明けの月曜日をセールの日と決めたようです。こちらはずっと新しく2005年から。「黒キン」だけでは宣伝費の元が取れないから、月曜まで「延長」したのでは?と疑います。

でも「サイバー」って何じゃい?と思いますよね。そしたらこれはOnline shoppingと関係があるようです。ネットで買わせようという魂胆か?だったら私はもうユニクロで餌食になっています。

巷ではそういう「マネーウィークエンド」ですが、教会では今日の日曜日は暦上一年の最後の日曜日。「終末 – キリストの再臨」という教会に昔からある考えと引っ掛けて「王なるキリストの日」とも呼ばれる日曜日です。

そして来週からは新年となり、クリスマスへの準備となるアドヴェントに入ります。今年は十二月に入ってからになりますね。

私はおとといの金曜日に休みを取り、家の掃除をしてアドヴェント用の飾り付けを済ませてしまいました。これを済ませておくと、アドヴェントに向かう心も準備された気がして、何となく落ち着いてくるので、毎年早い時期に済ませてしまう癖がついてきました。

庶民に属する私にとって、お金の話しはストレスの元ですが、人の優しさを伝えてくれるような体験に触れることや、他者を傷つけることない良い成功談等は、逆にストレスを軽減してくれる心の柔軟剤のようになってくれます。

この間の木曜日にも、本当に小さいけれども、心が和む体験をしました。思いがけない形で出てきたのですが、その分、嬉しく思える度合いが増した感じがしました。




我が古アパートの居間 アドヴェント準備完了


先の木曜日は、昼からびっちりと教会の「洗礼準備のクラス」が組まれていました。びっちり、といっても三回だけなのですが、それでも結構やりがいがあるのです。参加者は、計八人で、全員壮年の男性で難民申請者。七人がイランからの人。ひとりがトルコ内のクルド領からでした。

英語が十分ではない人がいるので、いずれの会も仲間が通訳するか、通訳用に他の人が来てくれます。といっても、皆「難民=Seekers」仲間です。

クラスは一回目が昼前の十一時半から、一時間半を予定していました。参加者はクルド人の人。言葉の問題があるので、トルコ語ができるイラン人 が通訳で来てくれていました。

ところが、当のクルド人のケスマンさんは遅刻。三十分くらい遅れてやってきました。日本人のような時間厳守は、他の国の人には通用しないのが普通ですので、ここはゆとり。慣れています。

やってきたケスマンさん、「Sorry」を繰り返しながら、「今までアイスランド語のクラスにいて、終わってすぐに駆けつけてきました」なんだ、それなら始めからそう言えばいいのに、と思いながらクラス開始。

まったくの一回目だったので、トルコ語かクルド語で聖書を読んだことがあるかどうか尋ねました。すると、「トルコ語も、クルド語も、話せるけど読み書きはできないよ」

そう言うと、持ってきていたアイスランド語の教科書を見せてくれました。「This is my first time to be at school!」学校というものに、これまでの人生で一度も行ったことがなかったのだそうです。ちなみに彼は今、四十二歳。

読み書きのできない人、学校に行ったことのない人というには、私の仕事で接する人の中には、「よくいる」とは言いませんが、それほど稀でもありません。

それでも「OK、ではそういうものとしてプログラムを考えないと... 」と考え始めていると、ケスマンさん、アイスランド語の教科書の始めを開いて「アー、ベー、セー... 」と指差し、口にしながら私の方をチラリ。「初めて、文字の読み方と書き方を習いました」と言うと、破顔一笑。「いい気分だよ!」




アイスランド語のテキストの中身は?こんな


アイスランド語のクラスの後では、皆が大体同じことを言います。「難しい」「やたらにめんどうくさい」「時間がかかるー」等々。

そういう多数派に対してのケスマンさん。本当に他に何のわだかまりもないところから出てきたような、彼の大きな「にっこり」に、私の方がびっくりさせられ、また嬉しく思いました。

四十二歳で初めて参加した授業を楽しみ、生まれて初めて「読むこと」「書くこと」を習ったことを、照れも当惑もなく、そのまんま喜びとしたものに接するのは、こちらの方も初めてでした。

人間誰しも「当たり前」の状況を持っていますし、「常識」を抱えています。それがなかったら、それはそれで困ったことです。それに誰しも「自分の常識が、どこでも通じるものではない」ことも心得ているものでしょう。

それでも「常識」が、思わぬところで破綻し、オロオロさせられることも、おそらく誰でも経験したことがあると想像します。

今回の私の体験も、そういうことの中の一つだったのですが、普段とちょっと違っていたのは、それがなんとも優しく心に浸みてくる体験だったことです。こういう風に常識が覆されるのなら、文句はないなあ。

そういう嬉しさのお裾分け?をもらった木曜日でした。だったらなんでしょうか?「サンシャインサーズデー」?「ブルースカイサーズデー」?
いや、ケスマンさんにあやかって「ビッグスマイルサーズデー」としましょう! 

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末端の男の「隠し金」

2018-11-18 03:00:00 | 日記
十一月も中旬となり、レイキャビクでは朝晩の暗さがいよいよ冬のものになってきました。おととい金曜日の日の出が9:59、日の入りが16:26でした。気象局のサイトにはわざわざMyrkur「闇」という欄もあり、これは暗くなる時間を指しているのだろうと思います。金曜日は17:26に「暗く」なりました。

その反面、気温の方は持ち直していて、週末は8~10度くらいの暖か目の日となっています。そのかわり雨ですが… 雨降りだと気温が上がるのは日本と同じですよね。




今月初めには自宅近辺でも積雪


もうあと二週間でクリスマス前の「アドヴェント」に入ります。今年は少し遅めで十二月に入ってからになります。街もクリスマス用の飾り付けを始めていますが、私の感覚ではいつもより遅いです。

一時期、十月半ばくらいからクリスマスの品が店に並ぶことがあったのですが、今年はそれがないようにも思われます。なにかしら速さを競うのを「自粛」する取り決めが商店街であったのかもしれません。

教会も忙しさが増してくるコーナーにさしかかっています。私のところもです。ですが私のところは、アドヴェント近し、の故の忙しさではなく、例によって難民関係の故での忙しさです。

ところで「忙しさにというのにはふた通りある」というのが私の持論です。エラそうでスミマセン。ふた通りというのは、ひとつは物理的にすべきことの量が多いこと。

そしてもうひとつは心奪われると言うか、時間を取られる考え事がある場合です。その場合、そういう事項そのものはそれほどたくさんではないかもしれません、数としては。

今現在の私の忙しさは、どちらかというと後者の方です。考えなくてはならない事項があるのですが、それがどうもスッキリクッキリ解決することのない類のものなのです。何かというと「お金」。

私は移民の人たちのケアをする牧師なのですが、教会の中の「社会部」とか「奉仕部」(例えばです。そういう部局は実際にはありません)とかいう「組織」には入っていません。故に、一般の部局が活動の基礎にするような「予算」もないのです。

その一方で、普通の教区牧師のように、ある一教区に在籍しているわけでもありません。ですから教区の教会が活動の基礎にしているような「予算」もないのです。

これは私だけではなく、他の特別職の牧師さんたち、例えば障害者の人たちに専門で関わっている牧師さんや、受刑者とその家族の人たちのための牧師さん等も同様の状況にあります。

では、活動資金はどうするのか?というと、毎年、教会本部の基金からの支援金を申請し、それをもとに予算を組むわけです。予算を組むといっても、事実はそれほど大げさなものではなく、出費をその支援金額内で収めるというだけのことですが。

私の場合、活動資金として申請する額は、過去数年はわずか六、七十万クローネでした。日本円でもそのまま六、七十万円相当。来年度は成長分を見込んで少し上乗せしましたが、それでも百二十万くらいのものです。礼拝(ミサ)の時のオルガニストへの謝礼が出費のメインです。

教会の基金というのは複数あるのですが、例えば教会堂の維持管理のための基金などは、やはり額が大きくなり、「何千万」が基本単位になります。それに比べたら、私の予算なのまさしく「小銭」の域なのです。




四十歳の二十周年記念に古巣のヒャットラ教会から頂いたお花


ですが、私のポジションの場合、このわずかな予算とは別の「隠し金」があります。それは -勝手に「難民基金」と呼んでいますが- 難民の人たちが「今夜泊まるとこがない」「バスに乗るお金がない」「弁護士費用が足りない」等々の緊急事態に対応するためのお金なのです。

これがなぜ「隠し金」かというと、もともとこの基金は教会の予算から出たきたものではなく、引退して田舎の農場を売り払い、フロリダへ移住した老夫婦が「困っている人のために使って」と差し出してくれた百万クローネだったからなのです。

このお金は非常に役に立つもので、かの老夫婦には心より感謝しています。説明するのはちょっと難しいのですが、例えば「誰かが野宿をするのを防ぐための宿代」とかいうのは、正規のルートで得ようとしてもなかなか承諾が得られるものではなく、仮に得られるとしても複雑な事務手続きを経ることになり、今夜の用に間に合わないのです。

そういう点を回避できるこの隠し金は、私にとっては「伝家の宝刀」的な価値を持ち始めています。

ところがです。百万クローネは今日(こんにち)ではそれほどの巨額ではありません。三年も経てば残りわずかになってしまいます。何とかしなくては。というわけで、私自身毎月一万クローナを自分の給料から献金していますし、日本からの旅行者の方の結婚式等で得る「臨時収入」もこちらへ回すようにしています。

それでなんとかバランスを保てていたのですが、ここのところ「弁護士費用」「バス代」「緊急食費」等々が重なってきたため、台所が火の車的な状況になってしまっているのでした。

先週末には、アフガン難民の女性(といってもやっと二十歳で、まだ女の子)と話しをしました。とにかく大変な体験をしてここまでたどりついていたのですが、心のケアを専門家に相談する必要がある、と別の難民アドバイザーから言われていました。だのにそのためのお金がない。ということで、そのための費用として16.000クローナを教会が出せるか、出せないか、を決めなくてはなりませんでした。

ジリ貧になってくると、16.000という額は深刻な額なのです。

でも、世の中を見渡してみると「16.000クローネなんて、そう大した額ではない」というのも事実です。ガソリン、一回満タンにしたら7.000かかりますからね。レストランで外食一回したって、ふたりで15~6000くらいはかかるでしょう。




ハウテイグス教会での「難民の人たちとする祈りの集い」


テレビやネット、新聞等での広告を見ても、16.000クローネ前後の額はごく「当たり前」のものとして飛び回っています。人ごとではなくて、自分もそうなのです。この間ユニクロでダウンのロングコートを買いましたが、それが17.900円。正直言って「安い」と思いましたよ、ダウン製品にしては。質もいいし。

それくらい嬉しく使える額なのですが、それが「難民女性が専門家に心のケアをしてもらう」ということになると、急に重く、しんどい額になってしまうのです。「しんどい額」というのは私が出し渋っているということではなくて、「それ用の予算の中から出すには、楽な額ではない」という意味です。

お金の価値は均等ではないし、お金の分配もフェアではない、と感じざるを得ません。公平に考えて、私がユニクロのダウンを求めた必要性よりは、このアフガン女性が専門の精神ケアを求める必要性の方がずっと高いと思います。

結局、16.000クローナは出すことにしましたが、その分の補充を考えないといけません。次が来る前に...

と、いうようなことを考えていて、このところ忙しくなっているのが私の現状です。スケールの大きさ(小ささ)というか、扱う額の小ささというか、ワタシはやはり末端の生き物だと感じさせられます。

まあ、逆にそういう末端だから感じることのできる喜びとか、見ることのできる美しさというものもあるのだろうと思います。例えば、あのアフガン女性が微笑むことができる日が来た時とか。

ウーン、札束よりはそっちの方がいいかな?ワタシは...
やはり末端で生きる生き物ようです。


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四十歳の二十周年記念日

2018-11-11 03:00:00 | 日記
やれやれ、ついに六十の歳に達しました。

毎年十二月の初めに、在アイスランド日本大使館の主催で天皇陛下のお誕生日を祝う祝賀会が持たれます。立食形式で、日本酒やお寿司なども振舞われます。ここ数年はずっと失礼していたのを、昨年は久しぶりに顔を出してみました。

その際、日本大使の北川さんが挨拶を述べられました。北川大使は別に景子さんのお父様ではありません。ですが石坂浩二然としたところのある温厚なジェントルマンで、キャリアではないので?官僚臭くなく親しみが持てます。

その挨拶の中で「還暦を迎えましたが、還暦というのは一周回って元へ戻ってくるということだそうで...」というようなことを言っておられました。その時点で私も「還暦候補生」だったので、聞き耳が立ったのでした。




このような風船も歳別に売っています
Myndin er ur Partyvorur.is


還暦といえば「赤いハンカチ」(おお、裕次郎!)、じゃなくて「赤いチャンチャンコ」。やたらのそのイメージだけが強いのですが、何を意味しているのでしょうか?

「暦が一巡したことで『もう一度生まれたときに戻る』と仮想したお祝い事が行われます。古来、日本では赤い色は『魔除けの色』と考えられ、赤ちゃんの産着(うぶぎ)には赤色が使われていました。そのため、還暦になったときもう一度赤いものを身につけるという風習になったわけです」

というのが、高島屋のギフトコーナーにある説明です。便利な世の中ですね。必ずどこかに答えてくれる人がいる! とにかく、爺さん婆さんはチャンチャンコが良く似合う。ということではないようです。

それでも個人的には「還暦」というよりは「四十歳の二十周年記念」という方が気に入っていますが。

日本では、誕生日祝いというのは子どもなどがまだ小さいうちか、あるいは逆に、まあ還暦はそう高齢ではないですが、喜寿(76歳)、米寿(87歳)等、高齢になってからお祝いをするのが普通だろうと思います。

お祝いをする、というのは本人と家族が祝杯を挙げるということではなく、誕生祝いを周囲を巻き込んで持つ、という意味です。

その点、アイスランドでは事情が異なります。実際、誕生日というのは、アイスランドと日本で文化的、社会的な意味が異なるものの代表選手だろうと日頃から考えています。

こちらでは、生まれ落ちた赤ちゃんから、ずーーーーと、人生最後の誕生日まで、人々はせっせとみずからの誕生日祝いを演出します。「みずからの」というのは、アイスランドでは誕生祝いとは「当人が祝いを用意して、日頃からの厚情を周囲に感謝する」という性質のもので、周囲が進んでお祝いするものではないからです。

ですから、職場などでもAfmaelisbarn(afmaeli=誕生日、barn=子供で、誕生日の子供)が、みずから持参したケーキ等を皆に配って食べてもらう、というのが普通です。

誰にでも、毎年必ずやってくる誕生日ですが(2月29日生まれの人はどうするのかは訊いたことありませんが)、特に四十、五十、六十等の区切りになる誕生日はStorafmaeli(大きな誕生日)と呼ばれ、人によってはかなり盛大なパーティーを催したりします。





今から十五年前の誕生日記事 若い?


以前十年の間、居候をしていたネス教会。当時ふたりの六十歳前後の男性牧師さんがいました。主任牧師のOさんは2009年に六十歳になりました。その際Oさんは「六十の誕生日だから、日曜日の礼拝に来てくれ」みたいな感じで呼びかけ、礼拝後のお茶の時間を自分の誕生パーティーみたいな感じにしていました。

私は礼拝の手伝いをボランティアでしていたのですが、「公私混同も甚だしい」と不快に思ったものです。Oさんは、まあそういう感じの見栄っ張りの牧師さんでしたね。今はノルウェーで働いています。

ネス教会にいたもうひとりの牧師さん、Sさんはそれから四年後の2013年に六十歳になりました。こちらは、教会の集会棟を会場とはしましたが、あくまでプライベートな集い。それでも百五十人くらいのゲストを呼び、相当大きな祝いの会にはなってはいました。その時もそこにいたのですが、義務の時間が終わるとさっさと退散いたしました。

で、お分かりと思いますが、私はあまりパーティーが好きではありません。絶対嫌!というわけでみなく、結構楽しく過ごすこともあります。例外なく、話しの合手になってくれる素敵な女性がいる時ですが、それはそうそう毎回巡ってくる幸運ではありません。

私は性格的に、自分が話すよりも話を聞くことの方が好きなタイプで(意外に思われましょうが、牧師にとって必要な第一の条件です)、そういうタイプはあまりパーティー向きではないように思えます。

というわけで、六十の誕生日を迎えても当然パーティーとかはしませんでした。娘と食事に行ったのと、親しくしてくれている邦人の方が後日食事に誘ってくれているのをお受けしているだけです。

もちろん何もなくてはつまらないので、何がしかのことはしようと思ったのですが、それが以前から何度も書いているダイエットと筋トレです。概ねうまくいきました。六十だからといって「年寄り」でくくられるのは嫌ですからね。お腹が平らだと、多少プロテストにも喝が入ります。

付録でついてきた楽しみもあります。新聞です。誕生日祝いが文化の一部になっているアイスランドでは、新聞等も誕生日祝いの人たちを取り上げます。フリェッタブラージズ紙が私の「還暦」に注目してくれ、短いインタビューを記事を写真と共に掲載してくれました。




今回、私の四十歳の二十周年記念を扱ってくれた新聞


実はワタシ、結構この「誕生日のお祝い記事」では人気があり、過去にもフリェッタブバージズ紙で、2003年(45歳)、04年、ちょっと小さ記事で05年、一年飛んで2007年、そして五十歳の2008年と、五年間で四回載せてもらったことがあります。ちょっとしつこいですよね。

よほど11月8日はニュースがなかったのでしょう。それにその頃はまだまだ「ガイコクジン」で目立つ人は少なかったのでしょう。幸いに、今では相当変わってきたと言えると思います。

今回、十年ぶりに誕生日のインタビューを申し込まれて、意外と嬉しかったというか「ああ、まだ完全に忘れられてはいないんだ」という安心感?って、そういうのがまさしく「過ぎてしまった人」の感想ではないか!? やばいです!!

とは言いながら、やはりこれからの十年(すべての条件がうまく整って、という条件で)が、仕事をできる最後の十年であることは確かです。ということはそれなりに、しっかりと目標を立てて、どのようにして仕事を終えるか、ということは絶対に視野に入れておかねばなりません。

それを思うと、「あと十年しかないのか」ということが、非常に具体的に迫ってくるのですよ。何にプライオリティーを与えて、何を「できれば」という副菜に下げておくか。これはこれで、結構考えるのが楽しくなるトピックです。

そういうことですので、とにかくおかげさまで還暦を迎えることができました。それで何かがすぐ変わるということはありません。このしょうもないブログも、まだまだ続けていくつもりです。

内容的に見て「どうしても六十のオトコの書いたものとは思えん」という方もいらっしゃいましょう。でも、それだけのオトコが書いているものなのです。急にその事実が変わろうものでもありませんので、そこはそのままにして、毎日をありがたく、大切にしていきたいと思います。

ブログを通してのお付き合いに感謝いたします。皆様も良い誕生日を迎えられますよう。


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聖人と凡人と死者の祭り

2018-11-04 03:00:00 | 日記
十一月となりました。レイキャビクでは、今年は冬が順調に近づいているようで、気温も朝方は零度近くまで下がっています。先週の水曜日には、短い時間でしたが雪も降りました。「雪だ」と思う感じの雪。

加えて「冬近し」を告げるのは朝の暗さです。レイキャビクでは、十一月始めでは日の出が大体九時半前後です。八時とかですとまだ暗い闇の中です。当然だんだんと朝起きるのが難しくなってきています。

さて今日の日曜日は、日本の多くの教会で「全聖徒の主日礼拝」と呼ばれる礼拝(マス)が持たれていることと思います。簡単に言うと、亡くなった方々のことを特に追悼して記念する礼拝です。

教会によって、その仕方にはもちろん差がありますが、聖卓(教会堂の一番奥にあたる聖壇と呼ばれる場所にあるテーブル)の上に、亡くなった方の遺影を並べて礼拝をする、というのが一般的ではないかと思います。




諸聖人の日
Myndin er ur Saintthomasmore.org


この「全聖徒の主日礼拝」の元にあるのが「全聖徒の日」と呼ばれる日で、これは11月1日に定められています。念のため「全聖徒」であって、「全生徒」ではありませんからね。学校の生徒集会ではありません。

大きな教会等では、教会暦が定める通り11月1日に「全聖徒礼拝」を持つでしょうが、十一月の最初の日曜日にまで「持ち越し」ているところの方が多いものと想像します。

日本の社会環境では、どうしても平日の暦の行事は近い日曜日に移動して守ることが多くなりますが、これはいたしかたないところです。

「全聖徒の日」ですが、もともとはカトリック教会の祭日であった「諸聖人の日」に依っています。「諸聖人の日」が「全聖徒の日」とは異なる点は、この場合の「諸聖人」というのはカトリック教会によって「聖人」として列福された人たちのことであり、一般の人ではない点です。

「聖人」というのは、生前よほど信仰厚い生涯を送り、人々に良い感化を与え、奇跡なども起こしたことがある人のことで、カトリック教会がきちんと審査して定める人のことです。言うまでもありませんが、私などはまったく縁がございません。

そのような方たちを記念し祝福にあずかろう、というのがもともとの「諸聖人の日でありました。そのかわり?と言っては語弊があるかもしれませんが、翌日の11月2日が「全死者の日」とか「全魂の日」とか呼ばれるものとして定められ、こちらはすべての凡人をも含むものとなったようです。

このような「聖人」や「殉教者」を称え偲ぶ機会は、教会史のわりと古い時期からあったようなのですが、始めは十一月ではなく、五月に持たれていたとのことです。

それが八世紀になり、時の教皇グレゴリスス3世が11月1日に再設定し、現在まで続いています。

その間、十六世紀にマルチン・ルターをはじめとする宗教改革者たちが現れ、プロテスタント教会が生まれました。プロテスタント教会では、それまでのカトリック教会で行われていたり、教えられていたりしたことでも、聖書に基づく原則から外れているとみなしたものを正していきました。

「聖人」に関する様々な教えもその中のひとつで、プロテスタント教会ではカトリック教会の「聖人」というものから一歩距離をとり始めました。

そしてしだいに「聖人」という概念そのものが希薄になり、いつしか「諸聖人の日」も一般の人を含む「全聖徒の日」に変化したわけです。この場合の「全聖徒」とは、キリストに対する信仰を持って世を去ったすべての人々を指します。

アイスランドの国民教会は、現在ではプロテスタントですが、もともとはカトリックでした。ですから、こちらでの教会暦にはいまだに11月1日の「諸聖人の日」とその翌日の「全魂の日」Allra salna messa という言葉が残っています。

ただ、私が理解する範囲では、教会行事としては「全聖徒の日」に集約されて守られています。




007Spectore 冒頭の死者の祭り
Myndin er ur Bondsuites.com


さて、この「全聖徒の日」、英語ではSolemnity of All Saints と言うのだそうですが、他にもAll Hollows とかHollowmas とか呼ばれるのだそうです。この辺はWikipediaの受け売りです。

そしてアイルランド(アイスランドではなく)などでは、「全聖徒の日」あるいは昔は「諸聖人の日」の「前夜祭」が10月31日の夜に催されたのだそうです。後にアメリカ大陸へ移住したアイルランド人はこの習慣を新転地でも持ち続けた。それがさらに後になって、今のようなHolloween ハロウィーンになったようです。

また、別の筋によると、植民地時代に多くのスペイン人が中南米大陸へ渡りました。彼らも宗教的にはカトリックでしたので、この「諸聖人の日」にまつわる行事や習慣をそれらの地に持ち込みました。

で、これらの多くの地に、今でも「死者の日」と呼ばれる行事が同じ時期に持たれているのだそうです。とくにメキシコの「死者の日」は有名ですよね。期間も同じ11月1日、2日、そして10月31日は前夜祭だとか。

この「死者の日」は陽気なお祭りだそうで、町中が「ドクロ装束」をまとって、パレードしたり踊ったりするのだそうです。この間の007の映画「Spectre」の冒頭のシーンがこの「死者の日」のお祭りでした。観ましたか?

ハロウィーンはもう終わってしまいましたから、ちょっと遅いのですが、アイスランドでもここ数年間、アメリカ的なハロウィーンが「多少」持たれ始めているようです。

私が好きなテレビの範囲に限っても「CSI NY」「Criminal minds」「Blue bloods」などで必ずハロウィーンが出てきますからね。観ている人たちが興味を持つのは当然でしょう。

ただ、アイスランドのハロウィーンは、一部の商業関係者が「一生懸命」人々を勧誘し、根付かせようとしているものであるようです。私の私見ですですけどね。大きな西洋カボチャも大量に売ってたし。でもなんでハロウィーンはカボチャなでしょうか?調べ損ねました...

とにかく、家の中ならまだしも、通りを仮装して歩くには少し寒いでしょうね、ここでは。




昨年ヒャットラ教会でのハロウィン礼拝準備


根付かせるのは難しいような気もしますが、アイスランドですからね。なんとか観光客を呼び込む新しい目玉になるようにと、あの手この手で「アイスランド的ハロウィーン」を創り上げるかもしれません。

そうですね。そういうところで傍観していないで、積極的に参加、牽引していくべきなだよな、教会も。もともと教会の行事が関係しているものなんだし、遠慮することはないと思います。

正しい方向へ引っ張れば、死や死者と生きている人たちとの関係を考えるための良い機会にさえなるでしょう。

最後になりますが、渋谷のハロウィーンの様子をニュースで見ました。まあ、大騒ぎだったようで、楽しいものなんでしょうが、あの終わった後のゴミはいただけませんね。「日本はきれいな国で、通りにゴミは落ちていない」という「神話」が外国にはあるのです。

「神話」は神話としても、「ゴミはゴミ箱に」を大切にされますよう。


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