レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

アドベント来たり!

2012-11-30 05:00:00 | 日記
月並みな物言いですが、とんでもない速さで月日は流れ明日(12月1日)の晩からはアドベントに入ります。アドベントというのは日本では馴染みがない言葉でしょうが「待降節」といいキリスト教会の暦の中で、クリスマス前の準備の期間、約一ヶ月間を指します。

クリスマスの準備と言っても、飾り付けやプレゼントの買い込みのことではなく、精神的なものを中心にして自らを顧みる期間ということで、事実この期間はアイスランドでは「ヨーラファスタ(クリスマス前の断食)」とも呼ばれていて、この時期肉類を食することを避ける方々もいらっしゃいます。そうして霊も心もつつましく、きれいにして降誕日(クリスマス)を迎える...はずなのですが。

ご多分に漏れず、教会の公式教義と人々の実際生活での感覚にはズレがあります。こちらの人々の実感覚では「ヨーラストレス」ということがよく言われます。クリスマス前のストレスということです。何もかもお正月前に片付けなければ、という日本の年の瀬ストレスに似ているものがあります。

ただこちらのヨーラストレスには、例えば子供たちに「良い」贈り物をしなくていけない、家族が揃う会食を準備しなくてはいけない(クリスマスには家族が揃って食事をするという風習があります)、あっちのパーティーに顔を出し、こっちの招待にも応じなくては、というような贈答品や社交の分野にも関わっています。

簡単に言ってしまうと「クリスマスなんだから、こうしなくてはいけないんだ」という脅迫観念めいたものに取り憑かれてしまうことが「ヨーラストレス」の正体であるようです。

ばかばかしい、と小馬鹿にできる人にとっては問題ないのでしょうが、取り憑かれてしまう人にとってはマジでしんどいもののようです。実際に「クリスマス不安」という一種の神経症に診断される人もあるくらいですから。

キリスト教の基本から言えばクリスマスは神の恵みの深淵かつ発露であって、人がいかように準備をしようが大勢には影響ないよ、と言いたいところですが、多くの神経症とか共通するところがあって「ものごとをまじめに考えるタイプ」の人ほどこのヨーラストレスに感染してしまうというのが厄介な点です。

ちなみに私は11月の中旬には家を掃除してクリスマス用の飾り付けをしてしまいました。さすがにまだデコレーションの灯りに点灯はしていませんが、スタンバイOKです。こういう風に時期を無視したり、自分の都合を優先してものごとをアレンジしたりできる輩は、このヨーラストレスにも感染しません。

ヨーラストレスは、発端はもちろん世の商業主義が「これがなければクリスマスは始まらない」「これが足りなかったら寂しいクリスマスでしょ?」というイメージで世間を丸め込んできたことにありましょう。

その反面で、いかに教会が「それでは真のクリスマスの意味は何か?」と言うことの教育普及を怠ってきたか、ということの証左でもあります。反省。
って、私のような門前の小坊主が反省しても、これまた大勢には影響ないな...

アイスランドのクリスマスにはいろいろとユニークで変わった伝統習慣もあります。おいおいご紹介していきたいと思います。

日本でもクリスマスのイルミネーションが目に鮮やか時期でしょうね。それはそれでいいですよねー。一年に三日でいいから若い頃にタイムスリップしたいものです。

なんていうと、さぞかし色があったように聞こえるでしょうが、むしろもっと寂しかったかな....?? (*^^*)



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アイスランド人の名前 番外編

2012-11-28 05:00:00 | 日記
アイスランド人の名前に関する流儀や伝統をひとしきりお伝えしました。少しだけ後から思いついたことがあるので番外編で付け足しておきますね。

アイスランド人の自分たちの名前へのこだわりはお分かりいただけたと思うのですが、時には「やり過ぎ?」と感じさせられることもあります。

例えば有名な映画の登場人物の名前等も-特に子供達が見るようなもの-アイスランド式に変えられることがよくあります。「スターウォーズ」シリーズは決して子供用の映画というわけではないと思うのですが、こちらではルーク・スカイウォ-カーは「ロイエ・ゲイムゲンギットゥル」、レイア姫はリルヤ姫です。

ルークの名字「ゲイムゲンギットゥル」はSkywalkerのアイスランド語訳なのですが、これを人名とするのはいかにも無理がある。「ルーク」なんて「ルーカス」というちゃんとしたアイスランド名バージョンがあるのに、何でLogi(これは一般的な名前)?「レイア」の替わり「リルヤ」も超ありふれた名前です。

さすがにこの変更には大人たちはついていきません。子供たちも英語のテレビには慣れてますから、どこまで浸透したことやら。外国人(外星人?)の名前なんだからそこまで意固地にならなくても良いのに、と感じました。

ただ、これは1990年代前半のことでしたので、今はどうなっているのかな?自分の子供が大きくなってしまうと、幼児界にも疎くなってしまいます。

同じ頃遭遇したもうひとつのエピソードです。

1970年代から90年代始めにかけて、アイスランドは200人余りのベトナム難民を受け入れました。

*200人という数はそれほど大きくはないかもしれませんが、それでも受け入れたという点に関しては日本は心して考えるべきですよ。同じ時期、はるかに大きな国である日本が距離的にもはるかに近いインドシナ半島からどれだけの難民を受け入れたことか。

で、難民の定住促進に責任を負ったのがアイスランド赤十字なのですが、時の(90年代さえ)基本定住政策は「一方的同化政策」(Assimilation)で、「相互統合」(Integlation)ではありませんでした。これは90年代という時期で考えるならば,相当遅れた考えだったと言っていいと思います。

「言葉や文化の全く違うところからやってくるベトナム人は、どうやって早くアイスランド社会に馴染めるだろうか?そうだ!名前をアイスランド式に変えよう」と、いうことで、ベトナム難民の人たちは、アイスランド人の名前の中から気に入ったものを自分で選ぶように言われたのです。

かくして、ベトナムからやってきた「テイトゥル」「ハルドール」や「カトリーン」が誕生しました。

その意図はともかくとして、人のアイデンティティを一方的に無視したこのやり方は、やはりそれなりの結果しか残せなかったようです。ベトナム難民受け入れの大きな失敗は、彼らがアイスランド語を自分のものにし得なかったこと、と陰では公然と言われています。公にはそのような反省はなされていないようです。

失敗の理由はきちんと追求して、反省していかねばならなかったはずです。責任が誰にあるかはまた別問題です。うやむやにされてしまった感は残りますが、「さあさあ、自分の名前は捨てて。アイスランドの名前を取って」という態度にその一因があったのは明らかだと考えています。


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アイスランド人の名前 その4

2012-11-26 05:00:00 | 日記
しつこくもう一回、アイスランド人の名前についてです。前回はアイスランドでは赤ちゃんに付ける名前を政府が認める人名リストから選ばねばならない、ということを書きましたが、そこにリストアップされている名前の中でも、やはり人気があるものとないものがあります。

2011年度の統計ですが、新しく名付けに用いられた名前のナンバー1は、男の子の場合はアーロン、女の子の場合はエミリアであったとのこと。ついでのミドルネームに関して言うと、男の子ソウル、女の子マリアだったそうな。

現在の名前に関する法律では個人は三つまで名前を持つことができます。最後の名字と言うか出自を表す姓(ヨウンスソンとかトマストホティルとか)を加えると計四つです。ファーストネーム、ミドルネーム1、ミドルネーム2そして名字という内訳です。

以前はコンピューター処理の都合で、氏名全部で何文字以内、という字数制限があったのですが、テクノロジーの進歩でそのような制限は現在はなくなっています。
(*と思ったのですが、2013年4月4日の時点ではまだ総文字数31時内という規則が存在しているとのこと。「時代遅れだ」という批判がメデイアでされています。訂正いたします。失礼しました。m(_ _)m)

さて、新生児に関する名付けだけではなく、全体として人気のある名前は何か?を見てみましょう。男性で一番多いのはやはりヨウンさん。二番目はシーグルズル、三位グビュズムンドゥル。女性では一番はグビューズルン、二位はアンナ、三位はシグリーズル。

これらの名前、はっきり言ってそこらにごろごろしています。邦人の方々の旦那さんにもヨウンさんが何人かいますが、「冬ソナ」人気の頃は邦人女性から「ヨン様」とからかわれていました。

なぜ、これらの名前が人気があるのでしょうか?ここで、「人名リスト」とは別の伝統が現れます。それは、アイスランドでは赤ちゃんに名前を授ける際、その家族つまりは御先祖様?から名前をいただく、という習慣があるのです。

男の子が生まれたとします。お父さんの方のおじいちゃんがヘルギで、お母さん方のおじいちゃんがソウルとしましょう。そうなると例えば(規則ではありません)この子の名前はヘルギ・ソウルとなり得ます。叔父叔母、兄弟姉妹等から名前をもらうことももちろん多々あります。

ですから、ある一家というか一族の系譜を見てみると同じような名前が順繰りにローテーションしていることが分かります。これは、あくまでも傾向ですよ。ですから同じアイスランド人の名前であっても、ある一家にはとんと縁遠いという名前もあり得るのです。

外国人は大体こういう時「規則破り」の旗頭になり得ます。私の長男は「イサク」といいますが、これは私自身がなるべく日アで共通して通用する名前として付けたものです(それだけでもないですが)。ところがこの「イサク」、きちんとしたアイスランド名なのですが、前のカミさんの家族にとっては無縁の名前でした。つまり、一門の中にイサクさんは登場していなかったのです。

そこで「えっ?どっから来たイサク?」というような感じでした、始めは。もちろん理由を説明すればそれ以上文句もなく、イサク君はきちんと一門の中に居座っています。ある意味ではこの一門にとっての「イサク革新」であったわけです。こうもしなければ、なかなか全く新しい名前は登場しないわけですから。

というわけで、上述の人気の名前ベスト3もその名前自体がいいとか悪いとかというよりは、既に循環している率が高いのでまた登場している、と言ったほうが正しいでしょう。いやいや、名前もいいですけどね。

名前に関してはまだまだあるでしょうが、一応はこれくらいで。m(_ _)m


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アイスランド人の名前 その3

2012-11-24 05:00:00 | 日記
最近、と言ってもこの二十年くらいの間ですが、日本の子供たちの名前が難しく(非伝統的名前?)になってきましたね。もちろん全部がそうと言うわけではないのですが、まだ日本にいたころ友達のところに赤ちゃんが誕生して「ミウ」という名を授かっていました。ごめん!漢字が思い出せない! m(_ _)m

実はその子はもう成人してる頃なんですが、もっと最近を考えても斬新といいうか、説明を受けないと理解できないような名前をお付けになる親御さんたちがいらっしゃいます。

例えば「彩海」ちゃんという方がいます。「サイ」と読むのですがこれおしゃれ。Sae(サイ)ということば、アイスランド語では海をさしまして掛詞的になってるんです。日本語は掛詞を楽しむには可能性の豊かな言語ですよね。

さて、アイスランドでは名前も文化の内、という考え方があります。あるどこころかかなり徹底しています。内務省に「人名委員会」という学識経験者が任命される委員会があり、そこが認定する名前のリストに載っている名前だけが新生児に付けて良い名前なのです。

日本などでも公序良俗に照らして、子供が不利益を被るような名前(例えば悪魔とか頓馬とか)は申請しても受理してもらえませんが、こちらではもう少し範囲が狭まっていて、「アイスランドの文化に即した名前」でなければならないのです。

これはどういうことかというと、例えば「冬のソナタ」(ちょっと古いか?)が放映されてヒットしたとします。それを見たお母さんが感激して自分の赤ちゃんにジュンサンとかユジンとかつけようとしても「ダメ」ということになります。

「カサブランカ」ファンが息子をHumphreyにすることもできません。ただIngridはOKです(バーグマンはスェーデン人ですから、文化的にも近い)。WhitneyもCameronもダメ。今のはやりは誰なのか頭が回りませんが、とにかくそういう流行から名前を守るのだ!という理屈があります。

根本的な例外があります。外国人です。例えばアラブ系の人たちならモハメドとかアブダルとかは当然のような名前ですし、それらがアイスランド文化に馴染んでいない、とかいって禁止したらモロ人権問題ですから、外国人はその伝統に則って名付けをすることが許されています。

ところがですねえ、名前文化というものもやはり生成発展していますから、別に流行りとか両親がのぼせたとかいうことではなくとも、リスト外に位置する名前への要求は毎年なされます。で、人名委員会もリクエストされた名前の是非を毎年検討しているわけです。

これ、名前と文化の接点だけではなく、実はアイスランド語の「文法」上の観点からも吟味されるんです。前回書きましたが、アイスランドでは人名も文法的に格変化します。で、新しい名前がこの文法にかなうかどうか、はたまた文法破りになるかどうかを検討するわけです。どういう文法事項が検討されるかは略します。相当専門的な事項になっちゃいますから。

そういう専門家以外は退屈する審議を経て、今年晴れて「アイスランド人の名前」になったのは、例えば、ラモウナ、ギーセラ、ギータ、アリーナ、カイヤ(全部女性名)や、ペドロでした。バルタザールは落選。綴りにZが入るのが容認されなかったとか(アイスランド語にはZはありません)。

ちなみに日本人由来の名前としてはMariko(ただし末尾のoはóですが)がリスト入りしています。Toshikiはダメです、Toshibaの陰に隠れて...(*_*)


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アイスランド人の名前 その2

2012-11-22 05:00:00 | 日記
アイスランドの人の名前は複雑怪奇?です。少なくとも日本人には...もう一歩譲歩して私には複雑でした。慣れてくれば「なるほど」と思えることもたくさんあるのですが、それがそう簡単には見えてきません。

まずひとつの特徴は多くの名前が男性形と女性形を持っていることです。これは例えば日本人の名前、例えば春夫さんと春子さんを考えてみれば、そう不思議なことではないですね。

例を挙げましょうHelgiというのは「聖なる」と言う言葉に由来していますが男性の名前です。これの女性形はHelgaとなります。Sigurdurは男性ですが、Sigridurは女性です(ここではアイスランド語に特有な文字はローマ字に転化して述べます)。この短縮形というか愛称は男性がSiggiで女性がSiggaです。先のHelgi/Helgaと同じく最後の一文字がIかAかの違いですね。

もう少し例を挙げます。Gudniは男性、Gudnyは女性。Unnarは男性、Unnurは女性。Arniは男性、Arnaは女性と言う具合です。これを耳で聞いて聞き分けるには少し修練が要ります。

さて、ここで少し話しが複雑になります。

アイスランド語の単語(名詞)にはドイツ語と同じように男性、中性、女性と性別があります。また「て、に、お、は」によって格変化があります。上の名前で男性のHelgiさんを例に取りましょう。ヘルギが、ヘルギを、ヘルギに、ヘルギの、という四つの格を表すとすると、それぞれHelgi-Helga-Helga-Helgaとなります。

同じことを女性のHelgaさんで示してみましょう。Helga-Helgu-Helgu-Helguとなります。見て分かりますように、Helgiさん「を」「–に」「–の」はHelgaとなり、女性のHelgaさん「が」と同じ形になります。つまり、部分的に男性名と女性名が重なってしまうのです。

この例のような変化は変化が小さいので「弱変化」と呼ばれます。実際には脈絡さえ掴んでいれば混乱することはありません。

たまたま私の名前 Toshki は、この男性弱変化にフィットしているので、「ラッキー! 変化させてもらおうか?」と喜んでいたのですが、「外国人の名前は変化しない」とつれない指摘(そのくせRenataなんていう中東欧外国名はさっさと変化させてるくせに。差別だ、チクショウ)。

これに対して「強変化」する人名もあります。Ornと言う名前の男性がいます。この名前は先のような「てにおは」によって、Orn-Orn-Erni-Arnarと変化します。これに慣れるまでには「えっ?同じ人の事なの?」ということが何度もありました。

変化とは別に発音が難しい名前も多々あります。私が個人的に難しいと思う名前は、例えば男性名のHrafnとか女性のHrafnhildur。この始めのHは鼻から息を出すだけの無音です。これ難しいですよ、やってみると。

他にもHallgrimurとかHoskuldurとか難しい発音の方は結構いらっしゃいます。交換留学生の人達等は早めに簡単な愛称を用意しているようです。Hallgrimurなら「ハルちゃん」、Hoskuldurなら「ホッしゃん」とか。

日本でも人気の「シュガーロス」ですが、こちらではSigur Rosです。英語っぽい名前に変えちゃって当たったようですね。もちろん音楽そのものがいいのが元にありますが。


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