レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

日曜日が三回しかないアドヴェント?

2017-11-26 05:00:00 | 日記
十一月の最後の日曜日の週を迎えています。教会ではいつもですと、この十一月最後の日曜日から –正確に言うと、その前日の土曜日の日没からなのでしょうが- 待降節という期間に入ります。

待降節はまた、降誕節とかアドヴェントAdventとも呼ばれるものです。何を待つかというと、キリストの誕生を待つわけです。ということは、要するにクリスマスを待つ期間であるわけです。

大方の場合は、この十一月の最終日曜日がアドヴェント入りの第一日曜日になり、第二、第三、そして第四の日曜日を迎えた週にクリスマス·イブとクリスマスがやってくるわけです。

ちなみに、なぜクリスマス·イブとクリスマスの日というように二日間にクリスマスの祝いが分断されているかというと、昔のユダヤの一日の勘定の仕方は、今のように午前零時から翌日の午前零時まで、というのではなく、日没から翌日の日没までだったからです。

つまり、昔のユダヤ式の一日の区切り方でいうならば、クリスマス·イブから新しい一日が始まっており、翌朝以降の明るい時間までが同じキリストの生誕の祝いの日であったわけです。ですから、「イブ」は前夜祭とはまったく違います。

ところが、今年はちょっと定番のサイクルが狂わされてしまっています。十一月の最終日曜を迎えても、まだアドヴェントは始まっていません。アドヴェントは来週の日曜日、十二月の3日、あるいはその前日の2日の土曜日の夕方まで待たなくてはなりません。

その理由は、今年はたまたま、というか、必ず定期的に回ってくるものなのでしょうが、12月24日が日曜日だからなのです。で、この24日の日曜日がクリスマス·イブ前の第四日曜日として勘定されますので、結果的に「実際は三週間しかないアドヴェント」と化してしまったわけです。

先ほど書きましたように、日没が一日の境い目ですので、24日は夕方まではアドヴェントの第四日曜日。そして夕方からはユダヤ式の新しい日、クリスマスの祭日に入ることになるわけです。

ですが、これは「そういう理屈」ということなわけで、別に文句はないのですが、実際の気分としては「第四日曜日のないアドヴェント」という感が漂ってしまします。

ちょっとマックのカレンダーを覗いてみたのですが、一昨年の2015年は12月25日が金曜日でしたので、アドヴェントは、(日曜から勘定するとして)第一日曜日から第四日曜日までの22日間プラス4日間(24日を含みます)ありました。

昨年の2016年。12月25日は日曜日でしたので、アドヴェントは第四日曜日までの22日間プラス6日間ありました。これが最大級に長いアドヴェント、ということでしょうね。...間違ってないですよ、ね。

で、今年はその反動?で、最短のアドヴェントです。第四日曜日までの22日間プラス「ゼロ」。(^-^;

「だから何なんだよー?」と思われるかもしれませんが、教会でクリスマスに色々仕事をしたり、奉仕をしたりする方々には影響があります。だいたいどこの教会でも「定番」のクリスマスのイベントというものがあります。

アドヴェント入りの家族向けの集いのようなものから、クワイヤのコンサート、子供向けの「ヨーラ·バル」という、歌ったり踊ったりしているうちにサンタクロースが出てくるイベント等々です。

これらはだいたい「アドヴェントには日曜日は四回ある」という前提のもとで考えられています。ですから日曜日が三回になってしまうと、どうにかして四回分の出し物を三回に詰めてしまうか、何かを泣く泣くボツにするかということになります。




アドヴェントのクランツ
Myndin er ur Tru.is


皆さんも「アドヴェント·クランツ」というクリスマス時期用の木の枝と柊やモミの木の葉等で作った飾り物を目にされたことがあるかと思います。あれにもキャンドルが四本つくようになっています。

教会では、アドヴェントの日曜日ごとにキャンドルを一本ずつ点灯して行くのです。こちらではキャンドルにちゃんと名称も付いています。

一本目は「預言者のキャンドル」キリストの生誕が預言されたことを記念しています。二本目は「ベツレヘムのキャンドル」キリストが誕生した町ですね。

三本目は「羊飼いのキャンドル」キリストの生誕に居合わせた羊飼いたちを記念します。そして四本目が「天使のキャンドル」キリストの誕生を讃美した天使の群勢を記念するものです。

ちなみに、アドヴェント·クランツの木の枝は「キリストの生命」を表し、柊の葉や刺々しいモミの木の葉は「キリストの苦難」を象徴するのだということ。

いずれにせよ、この四本のキャンドルに順繰りに点灯する四回の儀式。日曜が三回の場合はどのようにパーフォームするのでしょうか?

「いや、待て。日曜日はちゃんと四回あるではないか?たとえそれがイブと同じ日だとしても」という正論を吐かれる方もありましょうが、そこが理屈と現実の乖離が現れるところで、こちらではクリスマスは相当に大きな祭日ですので、24日の午前中から日没までには、皆さんがやらねばならない準備作業がぎっしりと詰まっているのです。

夜のディナーの準備はもちろんのこと、家の最終片付け、クリスマス·プレゼントを親戚友人に配布すること等々です。このプレゼントの配布はアイスランドでユニークな習慣だと思います。以前に書いたことがあるので、ぜひそちらを参照してみてください。

Gledileg Jol!


この「アドヴェントに日曜日が三回しかない」年は定期的に巡ってくるはずですし、おそらく以前に経験したことがあるはずなのですが、まったく覚えていません。

という風に曖昧にしておくのは良くないと思ったので、またカレンダーで遡ってみると、ありました。前回は2006年。それでも、どんな具合だったか全然覚えておりませぬ。その頃は、クリスマス時期には特に何の責任もなかったから、意識が低かったのでしょう。何という牧師。スミマセン。特別職なので、ご容赦。




札幌でのアドヴェント時期の楽しみ ミュンヒェンクリスマス市


今年はどうするのか、何人かの牧師さんに訊いてみます。おそらく教会としては、無理をしても24日の朝に礼拝を持つのだと思いますが... でもこちらの教会って、礼拝の持ち方に関しては、結構現実的になるからなあ。あんまり「ここで礼拝休んだら、神様に申し訳が立たない」的なメンタリティはないですしね。

最後に、この「短いアドヴェント」教会外の巷には何か影響するのでしょうか?たとえば札幌では毎年、このアドヴェント時期に姉妹都市のミュンヒェンと提携して「サッポロ·ミュンヒェン·クリスマス市」なるイベントを開いています。一度覗いてみる機会があったのですが、とても綺麗で楽しくなるイベントです。

こういう商業的なイベントは期間が短くなると困るだろう、と想像してウェッブで調べてみたのですが、やはりイベントは今年も十一月の最終週末、つまり昨日くらいから始まっているようです。でしょうね、これは納得できます。

で、アイスランドの教会ではどうなるのか。今回は興味を持ってこの「日曜が三回しかないアドヴェント」を迎えてみようと思います。


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キルキャウォーズ

2017-11-19 05:00:00 | 日記
レイキャビクでは先週の後半に雪が降りました。「十月に来る『通り雪』?が少し遅れてきたのだろうから、またすぐに暖かくなろう」と考えて、シャツも半袖のままで通したました。

ところが丸一週間経ったもいまだ雪は消えていません。時々チラチラして新雪を盛ったりさえしています。気温も零度あたりに落ち着いてしまったので、仕方なく半袖を長袖に替えました。実際、土曜の朝の週間天気予報では、今日からの一週間はず〜〜〜っと気温が0度以下になるそうです。なんというのでしょうか、「真冬週」?

シャツを長袖に替えたとは言っても、タンスの奥に置いてあった長袖シャツを手前に置き換え、半袖を奥にリバースしただけですが。アイスランドでは、外は冷えても屋内は暖かいことが多いので、下は半袖、上は冬物アノラック、というのがかなり有効なのです。一年中半袖、というのも決しておかしくはないでしょう。

ところで政治の方ですが、先の選挙の結果を受けての連立政権作りの交渉が進んでいます。私の予想よりはスムースに行っているようで。今回は緑の党を主犯政党にして、独立党、進歩党(という名前の保守党)の三党連立が現実のものとなりつつあります。

緑の党内部では、特に独立党との連立に反対する声もかなり上がっています。ですがカトリーン·ヤコブスドティールという、緑の党のカリスマ的な女性党首が首相になるのを望む声が世間では圧倒的に強く、この連立を後押ししています。この件ははっきりしてからまた。

さて今回はまたまた教会についてです。まあ、私にとっては「業界ネタ」ですので、書くことに不足しないというか、言いたいことがたくさんあるというか。

今回書くのは、先々週の末から先週半ばまでKirkjuthingiキルキュシンキという教会の会議が開かれていたことに関連します。Kirkja「キルキャ」というのが教会、thingi「シンキ」というのが何かを審議して決める会議を意味します。

国会のことをAlthingiと言いますが、Al「アル」はすべて、という意味なので、国のこと全般を審議するのがアルシンキ、国会であるわけです。キルキュシンキはその教会版です。




今回のキルキュシンキの舞台 Vidalinskirkja
Myndin er ur Kirkjukort.is


アイスランドの国民教会は、ジリジリと対総人口比率が下がっているとはいえ、それでも約70%の国民を有していますし、文字通り「全国規模」で展開しています。

ですから、何かを決議するにもそうそう週ごとに簡単に会って決める、ということはできません。そこで、毎年「何月の何日から何日まで」というように期間を定めて代表が集まり、集中して議論し決議するわけです。

代表は地域ごとにきちんと選挙で選ばれます。牧師のグループから14人、普通の信徒のグループから15人、計29人が「教会議会議員」となります。これに3人いる監督(ビショップ)らが加わって会議が開かれます。議長は信徒から選ばれます。

毎年十一月くらいにメインの会議が開かれ、年明けや春先に補完の会議が召集されます。先週はメインの会議であったわけです。...ですが、紛糾し、予定を一日はやめて閉会、年明けまで延期されました。

皆さんはキリスト教の教会というものについて、どのようなイメージをお持ちでしょうか? 牧師や神父のイメージと同じく、テレビや映画からの影響が強いのではないかと推測します。おそらくは「静かで、清く聖なる場所、集まり」といったものではないでしょうか?

それはそれで確かにそうだと思いますし、少なくとも、教会に集まる方々はそのようなものを求めていらっしゃると思います。そして実際にそのようになります、いつもではないとしても。

ただその反面で、というか、そのような「プラスの在り方」に並存して、教会には絶えず問題、紛糾、争いがあります。私の経験から言いますと、これは日本の教会、アイスランドの教会のどちらにも言えることです。

で、そのこと自体は、私は別に恥じることでも、後ろめたく感じることでもないと考えています。人が集まれば、問題も生じるのはごく自然なことでしょう。

教会というのは、まず、いの一番に「罪人(つみびと)」の集まりですからね。常に問題を抱えているのは、ある意味前提条件のようなものかもしれません。

ただ、それでも「教会」と言えるのは、その集まりが問題に飲み込まれてしまうことなく、和解と赦しを勝ち得て、あるべき姿に達しようと願い求めるところにあります。そしてそのようになることもあります。これは確かにあります。

よく、何か悲しい事件やいまいましい出来事があると「神様がいるなら、なんでこんなことが起こるんだ?」という声を聞くことがありますが、私の意見ではこれはまったくお門違いです。

問題があり、悲惨で厳しい世の中であるからこそ、私たちは神の助けを必要とし、かつキリストの赦しに救いを見出していく必要があるのです。「問題のある現実」というのは、私たちが生きていかねばならない生活の所与の条件だ、と受け入れなければいけばいでしょう。

さて今回、キルキュシンキが紛糾したのには、いくつかの問題があったのですが、その中のひとつが、ある牧師による教会内での「セクハラ」問題でした。最近ハリウッドから始まって、この「セクハラ告発」がブーム?のように北欧でも盛んになっています。アイスランドも例外ではありません。

とは言っても、今教会で告発されているセクハラは、もう随分前、夏の始めになされていたものでした。五人の教会内のスタッフが、ある同一男性牧師の立ち振る舞いを「セクハラ」と感じ、訴えたのです。

誤解を得ないよう、もう少しだけ詳しく伝えますが、これは女性の皆さんに性交渉を迫ったとか、乱暴しようとしたというセクハラではなく、一般的に挨拶の際にする「ほっぺにチュ」のキスが、この牧師の場合には行き過ぎた「ブチュ」になっていたようなのです。その際に「羽交い締めのようなハグ」もあったとか。

この告発自体は、もちろん真摯に扱われていますし、きちんとプロの有識者の手続きを経て吟味されています。問題となったのは、その部分ではなく、当該牧師が監督によって、捜査というか吟味期間中の「謹慎処分」とされたことにあります。

その牧師がこの処分を不満として、弁護士を通してマスコミに、処分を監督による「いじめ」として告発したのです。加えて「これはセクハラなどではなくて、単なる挨拶上の親しみの表現だ」と。複数の女性が不愉快に感じている事実は素通りのようです。私の個人的な意見では、あまり賢くないですね、この時点でこういう展開に持って行くのは。弁護の余地を自分で無くしている感があります。

加えて、そういう告発がなされたとなると、その内容いかんに関わらず。それを政治的目的で監督非難の餌として使い、自分の権益を求める輩が出てきます。そういうのが、残念ながら教会にも、教会議会内にもいるのです。

これらの輩の一派は狡猾で、スターウォーズに出てくる暗黒卿のシスの一派を思い浮かべていただいても構わないと思います。もちろん自分なりの「大義」はあるのでしょうけどね。「大義」は誰にでもあり得ますから。泣いても、激昂してもしょうがない。そういう面倒臭いのに対峙するのも民主主義の一部であると共に、キリスト信仰の一部なのです。トホッ...




新任牧師の按手式 先週の日曜日


先々週の日曜日、キルキュシンキが始まった翌日だったのですが、市内のカセドラルの教会でふたりの若い女性が、新たに按手を受け(任命式のようなもの)、牧師となりました。

そのうちのひとりが、私が関わっている「難民と共にする祈りの会」にも参加していたので、私も初めて按手式に証人牧師として参加させてもらいました。

長い間、勉強し、訓練を受け、願い望んできたことなので、当然のことながらふたりとも感激し、高揚していました。よくわかります。私も三十年弱前、そうでしたから。

もちろん、このふたりとも、教会が晴天の下のお花畑ではないことをよく承知しています。高揚が治まったら、さっそく教会版スターウォーズの世界に出向いていくことになるでしょう。

願わくは彼女らがずっとジェダイの側にいてくれますよう。始めはみんなジェダイの側なんですよ。そこから人間の弱みや欲に引きずられて、シスの虜になってしまう輩がでてきてしまうのです。さっき「大義」という言葉を使いましたが、「自分は正当に評価されていない」と感じたら、それも道を踏み外させる「大義」となり得ますからね。

確かにスターウォーズはあります、教会にも。というよりひとりひとりの心の中かな? Lord be with us.


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子供十人! を抱く家庭とは?

2017-11-12 05:00:00 | 日記
レイキャビクでは、先週の木曜日の夕方くらいから雪が舞い始め、金曜の朝には「あー、雪が積もった」というくらいには雪が積もりました。そして気温も週末中を通して零下となりました。

冬かなあ?という気もしますが、私はまだこれは冬本番ではない、と踏んでいます。以前十月によくあった「寒〜い一週間」が遅れて十一月にやってきた、と勝手に思い込んでいます。だから、まだ半袖シャツでいます。(いえ、ちゃんとセーターとかジャケットは着ますよ、もちろん)




雪がまだ残る金曜の朝の街 カセドラル教会の中より


政治の方は、相変わらず政権の連立交渉が続いているようです。アイスランドでは国王がいませんので、大統領がまずは選挙の結果第一党となった党の党首に、組閣の取り組みを始める委任を与えます。

一定期間のうちに結果が出せないと、その委任が第二党の党首か、あるいは別のものの見方で世間の信頼を勝ち得ている、と判断できる党の党首に移って行きます。

で、今は緑の党かどこかが委任を携えているはずです。つまらないので(ウソです。忙しかったので)ニュースもロクにフォローしてません。結果が出るにはまだ時間がかかるでしょう。

十一月になって雪が降った、政権はまだできない、ではブログのネタになりません。どうしようかなあ、と考えながら「バイキング」を見ていると、「東尾理子さんが第三子を懐妊」のニュース。

石田純一さんは六十三歳にしてトータル五人の子のパパ、長男の壱成さんは四十二歳?上のお兄さんになるんだ、とか言っているのを見て思い出した話しがありした。

で、デスク脇の棚の下から見つけ出したのが今日のお話しです。今年の八月のモルグンブラウジズ紙に出ていたニュースです。見出しは「十九年間で十人の子供を授かる」

さすがにアイスランドでも今の時代に「子供十人」は珍しいことの様で、結構長いインタビューになっていました。しかも、同じお父さん、お母さんの直列?十兄弟ですから。

ご両親の年齢ははっきり書かれていませんが、写真から見て五十になるか、ならないか、くらいだと思います。お父さんはヘルギ·ソウルさん、お母さんはウッラさんと言います。今年の五月に銀婚式を迎えたということ。

ウッラさんはグリーンランドの生まれ。お母さんがグリーンランド人、お父さんがデンマーク人だそうです。ヘルギさんの方は夏の野外パーティーで有名なヴェストマンナ諸島の出身。

今を遡ること二十七年昔の1990年、本当はフェローアイランドへ渡りたかったウッラさんは、「つなぎ」のつもりでヴェストマンナ諸島へ渡り、オウペアになりました。そこで出会ったのがヘルギさん。二年後に結婚することとなりました。

生業はヘルギさんが漁師、ウッラさんが陸で魚の仕分けや出荷でした。ついでですが、結局ウッラさんはいまだにフェローアイランドへ行っていない、とのこと。

「若い頃、私は子供なんか作らないつもりでいました。だってうるさいんだもの」とウッラさん。それが十人の子持ちになるとは、人生わからないものです。お産が楽な体質であったことも影響しているようです。

ヘルギさんが言うには「(陣痛が始まったので)病院へ連れて来て、車を駐車場に回してから戻ってくると、もう生まれていたことがある」とか。

現在、お子さんたちは上が二十四歳から下は四歳まで。男の子七人、女の子三人。
「別にそうしようと思ったわけではないのだけど、(子供たちは)ただ出て来たのよ。でも九人目が生まれた時には、もう一人来るな、って気はしました」(ウッラさん)





ヘルギさん、ウッラさん一家を紹介する記事


でも、これだけ子沢山だと、それなりに苦労はあるようです。「夏休みを計画するのは本当に難しいですね。十人もいれば、必ず誰かが前もって予測できないような出来事を抱えて来てしまいますから」とヘルギさん。

ウッラさんにとっての難しさは学校にあるようです。「子供たちのうち五人が義務教育(小中一貫の十年制です)にあるとするでしょ。一年にひとりにつき三回の父兄面談があるとしたら、年間十五回の面談です。正直言って、学校には疲れたわ」ごもっともで。

それでも「私たちは十人の子供を持っているわけではありません。十人の個々人です」と言うご夫妻にとって、十人が醸し出す「多様性」は楽しいもののようです。

「子供たちがそれぞれ、互いに自己主張して、自分の理屈を展開しているのを聞けるのは、素晴らしいことです」とヘルギさん。

一家はグリーンランド(デンマーク領)で暮らしていた時期もあるようで、子供たちはデンマーク語もできるようです。十人とも、かどうかはわかりませんが。

「(デンマーク語が母国語の)ウッラは子供達といつでもアイスランド語で話しています。なぜだかわからないのですが、私はいつでもデンマーク語で話してしまうんですよね」(ヘルギさん)

夫妻の話しでは、それでも十人の子供を持つことは、肉体的な苦労ではないそうです。「苦労はやはり精神的なものですね。必ず心配事が何かしら付いて来ますから」

年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちは、下の子たちの良い手本になっている、と夫妻は語っています。「子供たちは互いに支え合い、カバーし合っています」

まあ、そういうのは兄弟の良いところなんでしょうね。ワタシなんざ、五歳上の兄貴がいるだけで、しかもいつもプロレスの技の道具にされていましたから、そういう美点はわかりませんでしたが。少なくとも子供と時は。

子供さんにも言い分があるようです。兄弟の頂点に立つ長女のダネイさんは「兄弟が十人もいれば、お互い助け合うようになるのが自然なんことだと、私は思っています」

さらに「実際には、私はもう大学へ行く歳になっていたので、一番下のイサクとはそんなに一緒に暮らしていないんです」

ダネイさんはもう自身の恋人もいるそうですが「私は十人もの子供を持ちたいとは思いません。だって、ものすごい量の仕事だから。私は、もう少し、外へ行ったり、旅行したり、自分のために料理したりする時間を持ちたいわ」なるほど。

最後に十人の子供を持つ親としての「知恵」は?

「物事が自分の思うようにうまく運ばないとしても、心配しないこと。必ずなんとかなるから。そういう時は冷静に受け止めること。そうすればしまいには明かりが見えてきます」

特に風変わりな「知恵」ではないかもしれませんが、十人の子持ちの夫妻から聞くと、なぜか説得力があります。今度、お説教で使わせてもらうかも。

インタビュー記事では触れられていませんでしたが、子供が十人いてもおおらかに生活できる社会環境というものが前提にあるのでしょうね。

日本の政治家の皆さん、少子化を考えるなら、土台から変えねばならないことはお分かりですよね?っていうか、その前に家庭を大切にすることを認識しないとダメですよね。不倫また不倫の国会議員さんらには無理な課題かも。

ヘルギさん、ウッラさんご一家に豊かな祝福のありますよう。


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選挙、ハロウィーン、マルチン·ルター、そして挙式!

2017-11-05 05:00:00 | 日記
十一月に入りました。多少寒くなってきたようで気温は零度になる瞬間もあるようです。我が古アパートの窓から見えるエイシャをはじめとする山々(「山」という言葉はあまりぴったりしない気がするのですが) は上の方が雪冠となっています。それでもまだ私はシャツは半袖。長袖に変えるにはもう少し冷えてもらわないと。




エイシャの左隣りの山々 昨日土曜日の昼に撮影


先の一週間強はかなりいろいろなことがある、慌ただしい週となりました。今回はその煽り?で、「まとまったことを考える暇がなかった」という言い訳のもとに、一週間の出来事を適当に書き連ねてみたいと思います。

一週間を慌ただしくさせてくれた、いの一番の元凶は選挙です。選挙というのは、周囲を否応なく慌ただしくさせますからね。10月28日の土曜日が投票日だったのですが、前回の国会(アルシンキ)選挙は昨年の10月29日でした。ということは、今回の選挙はギリギリで「一年のうちに二回目の選挙」だったわけです。

その去年の選挙の結果では、いいように議席が分かれてしまい連立工作に時間がかかり、政権発足が越年してしまいました。そのことは今年始めのブログで書いたとおりです。

燈台の緑の灯りが綺麗な静かな夜


今回の選挙では、前回にもまして議席が多政党に同じように分かれてしまいました。ですから、前回と同様に長—い連立交渉と工作が続くことになると思われます。途中の過程に付いていくと疲れるので、政権ができたらまたご紹介します。

選挙の結果が出たのが日曜日ですが、その翌日の月曜日にはハットゥルグリムス教会で日本人カップルの結婚式がありました。このおふたりは、ご自分で旅行と式の段取りを取ってきたので、私はもう一年も前からメイル等でやりとりをしてきました。

当初は「Air wavesの鑑賞と合わせて」の予定だったようですが、今年はAir wavesの初日が十一月にずれ込んでしまったようで、そちらの方は残念賞になってしまいました。

結婚式そのものは、新郎新婦のおふたり、オルガニスト、フォトグラファーと私だけという極めて少人数。おふたり(正確には新婦の方ですが)と、メイルですでに気心が知れていたことに加え、オルガニストもフォトグラファーも私の良い知り合いにお願いしていたので、この上なくリラックスできる環境でした。とても気持ちの良い式になったと思います。感謝。

ただ教会そのものが慌ただしかったのです。というのは、結婚式の翌日の火曜日は10月の31日。ハロウィーンです。って、ハロウィーンで教会が慌ただしかったわけではありません。




ヒャットラ教会のハロウィーン礼拝


この10月31日というのは毎年「宗教改革記念日」と呼ばれる日です。皆さんもかつて、高校の世界史で学ばれたことがあると思いますが、カトリック教会がよろしくなくなっていた16世紀に、ドイツの修道僧にして神学者マルチン·ルターがウィッテンベルクの教会の門に「95ヶ条の提題」を貼り付けて改革の論争を始めた日が10月31日なのです。

そして今年は特別。何しろ今年の宗教改革記念日はズバリ500周年の記念日だったからです。ドイツはもとより、ヨーロッパの広範な地域でこの500周年故の記念行事や式典が持たれました。

ああ、言い忘れましたが、アイスランドの国民教会は正式には「アイスランド福音ルーテル教会」と言い、まさしくマルチン·ルターゆかりの教会なわけです。(「ルーテル」とはルターのこと)

で、10月31日に前後して、やはりいろいろなイベントがこのハットゥルグリムス教会でも持たれていたわけです。展示やワークショップもあったのですが、日曜日の午後の英語礼拝などは、展示の準備の遅れを取り戻すべく奮闘している大工仕事の騒音に悩まされました。慌ただしい。

その同じ火曜日の夜なのですが、「祈りの会」のメンバーの難民の青年がデモンストレーションでカンフーのクラスを披露したので、それも見学に行くことになりました。この青年はクルド人で、家族で難民申請していたのですが、送還の結論。

何か助ける手立てはないか?と周囲が考え、このデモンストレーションが用意されました。青年は本当にカンフーの先生なのです。




難民青年が指導するカンフーのレッスン


テコンドーの道場を借りて行われたデモンストレーション。五十人くらいが集まりました。私は参加せずに、見ていただけですが、この青年が堂々と指導をしているのを見て驚きました。私が知っている「難民」としての彼とは全く別人だったからです。

同じようなことは何度も体験してきていますが、やはり新鮮な驚きです。「難民」と言う特殊な状況下では、その人が持っている真の「姿」は表わせないのですが、周囲は、難民である状況のもとでのその人を見て「そんなものだろう」と決めてかかってしまうのです。今回も自分に戒め。

その翌日の水曜日、11月1日は「全聖徒の日」と呼ばれる、これも教会にあっては特別な日です。「聖徒」であって「生徒」ではありませんからね。(^-^; この日は単純に言うと、亡くなった方々を偲ぶ礼拝を持つ日なのです。

前夜のハロウィーンと、裏では?繋がりがある記念日らしいのですが、ざっと調べたことはありますが、あまり深く掘り下げてはいません。歴史、得意じゃないんで。

その日は国際空港のある町ケフラビクの教会での「祈りの会」もあります。難民である青年三人がレイキャビクから一緒に行ったのですが、これも慌ただしかったなあ。英語が通じない子がいるので、チグハグなコミュにケーションになったりして。

木曜日は翌々の日曜日の英語礼拝のお話しの原稿を下書きしたり、プログラムを作ったり。その間に、別の日本人カップルの挙式のリハーサルをハットゥルグリムス教会で。

翌日の金曜日にはそのカップルの結婚式。一週間に二回の邦人の方の挙式というのは、多分初めてだったと思います。あるいは十年以上前に一度あったかも... このカップルの方もAir wavesと抱き合わせで来られたようですが、こちらは首尾よくAir wavesも鑑賞できたようです。

このおふたりは、日本の旅行会社を通じて来られたので、事前にやり取りする機会はなかったのですが、礼儀正しい感じの良いカップルでした。現地(こちら)でのコーディネート会社は、新しい会社で初めての一緒の仕事だったのですが、担当の女性は付き合いやすく、かつ信頼できたので助かりました。かつ美人だったのはおまけ的ラッキー!

というような感じで、ドタドタと一週間が過ぎて行きました。その合間合間には難民関係のいろいろな案件が入り込んできますが、問題の性格上気になる、というか、シリアスなものが多いのでアタフタ感が増してしまいます。

そして気がつけばクリスマスがもうすぐそこまで迫っているではありませんか! 一年、少し短過ぎませんか?465日くらいあってもいいように思いますが...

「慌ただしい」「慌ただしい」と何度も書きましたが、慌ただしいのは好きではありません。周囲が慌ただしくとも、自分はクァイ·ゴン·ジンのように淡々としていたいのですがね。どうも修行が足りないようで。

そんな慌ただしさの中にあっても、二回の挙式はほのぼのとさせてくれる時間でした。人様の人生の大切な機会にお伴できるというのは、決して当たり前のことではない、かなりの特権だと思います。

二組(ふたくみ)のカップルの皆さま、これからの日々の幸多きことをお祈りしたします。


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