レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

アイスランド名前市場

2024-04-27 20:30:15 | 日記
こんにちは/こんばんは。

また一回更新を飛ばしてしまいました。これはワタシのせいではありません。勝手に時間が経つのが速くなっているのです。この間(あいだ)復活祭を祝ったばかりなのに(3月31日)、目を開けると四月も終わりそうじゃないですか!

こういうのは公平ではありません。時間は公平に流れてくれないと...

ああ、それに日本ではGWが始まっているんですね。ニュースで見なかったら、完全に頭から消えていましたよ。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Mark_Olsen@unsplash_com


先週の木曜日はSumardagurinn fyrstiスーマルダーグリン・フィルスティ「夏の第一日」と呼ばれる日で、国民の祝日でした。日付ではなく「四月の第四木曜日」として定められています。

この日の前後には、皆Gledilegt sumarグレージィレクト スーマル「喜ばしい夏を」という挨拶言葉を口にします。さらにTakk fyrir veturinnタックフェーリル ヴェートゥリン「(昨)冬をありがとう」と付け加えることも普通です。

アイスランドでは公式には季節は「夏」と「冬」のふたつだけです。そして「冬」は働き活動する時、「夏」は日々を楽しむべき時、というようなざっくりとした「心構え」となっています。

実際は、夏の第一日の頃にはまだ雪が舞うようなこともあり、「夏」というと笑ってしまうこともあるのですが、今年はまあ夏っぽく暖かい日となりました。その前の二日ほどもそうだったのですが、家の中にいるときはTシャツにトレーニング用のショーツだけでも「暑くて」汗ばんできたりしました。この時期にそういうのは珍しいことです。

さて、今回はアイスランド人の名前についてです。アイスランド人の名前に関しては、以前にも数回書いたことがあります。なるべく繰返しにならないようにしてみたいと思います。

アイスランド人の名前

アイスランド人の名前 番外編


欧米の伝統的な名前を思い浮かべる時、例えばGeorge Walker Bush のようにみっつの名前が並んでいることがあります。珍しくはないですよね。(といいながらもブッシュ元大統領以外にはにわかには思いいつかなかった(^-^; ) 




ブッシュ米元大統領(息子)別に支持者ではありませんから
Myndin er ur Wikipedia.org


ファーストネーム、ミドルネーム、ファミリーネームと区分するのが普通ですし、ミドルネームというのは、単にふたつ目のファーストネームというくらいの認識だと思います。もちろん、名付けた親にとってはわざわざそうするだけの思い入れがあるのでしょうが。

私の娘もマリアというミドルネームを持っています。わりと最近(二十年くらい前?)法律が改正されて、例えば日本のパスポートでもちゃんと「ミドルネーム」を記載するスペースが設けられるようになりました。ちなみに戸籍ではミドルネームはないはずです、まだ。

アイスランド人は、一般に名前を多数持っています。みっつの名前はまったくゴロゴロしていますし、よっつの名前を持つ人もかなりいます。

例えば現在の外務大臣はThordis Kolbrun Reykfjord Gylfadottirという(結構ワタシのお気に入りの)女性です。カナ表記にするとソルディス・コルブルン・レイクフョルズ・ギルヴァドティールかな?注釈ですが、このブログではアイスランド特有の文字はローマ字に変換して書いています。

このうち、Thordis Kolbrunというふたつの名前はファーストネームです。こちらではskirnarnafnスキールナーナブン「洗礼名」とかfornafnフォルナブン「前の名前」、eiginnafnエイインナブン「自身の名前」とかとも呼ばれます。要するに私たちが考えるファーストネームです、ふたつあっても。

最後のGylfadottirはファミリーネームではなく、aettarnafnアヒターナブンといい、強いて言えば「出自ネーム」とでもいうのかな?つまりはお父さんのファーストネームに「娘」dottirか「息子」sonをつけたものになります。この場合は「ギルヴィの娘」ということになります。フツーのアイスランド人の名前は、このようにして「XXの息子」か「XXの娘」の形でしめくくられます。

私たちが考えるファミリーネームを持つ人もいますが、話しがややこしくなるので今回は無視します。




ソルディス・コルブルン外務大臣
Myndin er ur Visir.is/VILHELM


さて問題はみっつめのReykfjordです。これはmillinafnミットゥリナブンと呼ばれ、ミドルネームなのですが、英語圏などと違うのは、アイスランドではこのミドルネームはすでに用意されている名前のリストの中から選ばなくてはなりません。

っていうか、アイスランドでは名前はすべてリスト化されていて、勝手な名前は付けられないのですが、ミドルネームはその中でもmillinafnとして用意されたものの中から選ばなくてはなりません。もちろん付けなくてもいいんですよ。ファーストネームをふたつ付けてもいいのですから。

加えて、このmillinafn にはいくつかの特徴があります。まず、アイスランドの名前は格変化(「てにをは」のようなもの。以前に書いたブログで読んでください)するのですが、millinafnは変化しません。加えてmillinafnには男女の区別がありません。両性共有。これはかなりファーストネームと異なる点だと思います。

こうなると、そもそもこのmillinafnは何なのか?ということになります。そうなんです。何なんでしょうか、このmillinafn?ちょっと調べたのですが、答えは不明です。

私の印象では、milinafnは地名と結びついているような気がします。Reykfjordの-fjordはフィヨルドのことです。他にも例えばSaedalというmillinafnの-dalは「谷」を表す言葉です。そういうのが多いのです。

だから、日本でも「二丁目のマツコさん」みたいに地名付きで名前をいうことあるじゃないですか。ああいうのの伝統的バージョンだったのではないか?と想像します。それは名前ではないけど、名前にくっついてくる「固有の修飾辞」みたいな。

それが年月が経つうちに伝統文化化してきて、それを守るためにmillinafnとして保存しているのではないか?と。ですから、ざっとみた感じではmillinafnを使っている人はマレです。

今回は確定情報でなくてゴメンナサイですが、機会があれば博識な人に尋ねてみます。




清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Mike_Swingunski@unsplash_com


それでも今回も新発見はありました。Millinafnの例外的なものとして、親のファーストネームの「所有格形」をmillinafnとして用いても良いのだそうです。例えばお母さんがHelgaさんとしますと、その「所有格形」Helgu(もちろん意味は「ヘルガの」となりますが)をmillinafnとしても良いのだそうです。

これでひとつ謎が解けました。同僚の女性牧師にGudny Helgu Jonsdottir という人がいます。以前はGuby Jonsdottirだけだったのですが、いつぞや「なんで父親の名前だけ名乗らなくていけないのか?」という、ある意味当然の疑問がアイスランド人女性の中から湧き上がった頃から、Gudny Helgu- Jonsdottirと名乗り始めました。

Jonsdottirは「ヨウンの娘」ですから、そこへHelgu-を添えることによって、「ヘルガの」も追加したわけです。「ヘルガとヨウンの娘」当然これはプライベートな用法で、ニックネーム的なものだと考えていたのですけどね。

それが最近、Helgu- の「-」ハイフンが消えてHelgu だけになっているの気がつきました。多分、Helguを正式にmillinafnとして登録したのではないかと思います。これも未確認情報ですが。

あのですねえ、今日は割愛しましたが、ここにアイスランド人のファミリーネームというものもあります。持っている人は限られています。そして、ここに外国人たちが入ってくると、アイスランドの名前市場は大変複雑怪奇なものになってくるのです。

先ほど書きましたように、アイスランドでは名前はきちんと管理されており、好き勝手な命名はできません。名前を審査する公的な委員会があり、さらに命名に関する法律もあります。

人名は生き物ですから、いつでも変化したり、人気のトレンドがあったりします。結果、いつでも新しい名前の審査が行われており、命名の法律も変わり続けています。正直言って、現行法がどんなものか着いていっていません。

私はこちらではToshiki Tomaで確定していますし、時に日本政府のオススメに従ってToma Toshikiも使います。でもMillinafnをもらうのもクールかも。Toshiki Reykfjord Toma なんて。威厳が増すか?元々ないから無理か... (^-^;


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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Sabrina サブリナの教訓

2024-04-14 03:08:55 | 日記
こんにちは/こんばんは。

先週の日曜日、非常に稀なことなのですが、私はお休みを取り自宅で過ごしていました。自分の教会で礼拝があるのに休む、というのは「コロナだ、交通事故だ」というような時以外はほとんどありません。

そんなに年中コロナにかかったり、車で事故るわけでもないですから、礼拝があるのに行かなかった/行けなかったというのは過去数年間で二、三回くらいのものだったろうと思います。ああ、例外は日本へ帰省する時で、その際にはそれだけで二、三回はお休みすることになります。

先週の日曜日に私が休暇を取ったのには理由(わけ)があります。前回ちょっと書きましたが、その日は終日、東部の教会の会議に出る予定になっていたので、事前に礼拝は同僚牧師のピートさんに任せることにしていました。

ピートさんは、私とコンビを組んでいるアニー牧師が育児休暇を取っている間、私の職務の助っ人を、ある割合で引き受けてくれている若い牧師さんです。

で、結果、会議が荒天予報のため延期されてしまったため、日曜日は礼拝に行くこともできました。ですが、せっかくピート牧師がやる気になって準備しているところへ、ノコノコ出かけていくとかえってジャマかな?と考えたのです。たまには任せきって自由を味合わせてあげた方が良いか?

というわけで、先週は「泣く泣く」休みを取って休養日としたのでした。実は「任せよう」と思いついたのは、ある映画を思い出したからで、その映画のことは時折り思い出すことがあります。一種の....「 座右の名」ではなく、「警鐘」でもないな...そう、「教訓」的な教えのある映画でした。




Sabrina 1995年 ポスター


それは1995年の「サブリナ」(なんと二十九年前か!) 監督シドニー・ポラック、主演はハリソン・フォードとジュリア・オーモンド。

古い方(かた)は(失礼 (^-^; )ご存じかもしれませんが、これは1954年の主演ハンフリー・ボガード、オードリー・ヘップバーンそれにウイリアム・ホールデン、さらに監督ビリー・ワイルダーという結構な大物揃いの映画「麗しのサブリナ」のリメイクでした。

私が小学生の頃は、毎日平日の午後二時から「午後の映画招待席」という番組があり、古い洋画を放送していました。学校から早く帰ってきた時など、よく見ていた覚えがあります。おかげで、ジョン・ウェイン、ディーン・マーチン、デビー・レイノルズ等々、ハリウッドの名優さんたちのことを結構知るようになりましたよ。ガキのくせに。

ところで、新しい「サブリナ」。物語りは前作と大体同じ。ララビー家は大金持ち。長男のライナス(ハリソン・フォード)は金儲けにしか興味のない「嫌な奴」、次男のデイビッド(グレッグ・キニア)は「人生楽しもー」的な遊び人で、こちらはお金を使うことには関心があるものの、稼ぐ方には無関心。

そのララビー家の広大な屋敷の敷地には、お抱え運転手とその家族も住み込んでいます。そのお抱え運転手さんの娘がサブリナ(ジュリア・オーモンド)です。サブリナはかつてよりデイビッドに憧れ恋心を持っていました。もちろん実現可能性なし。




「麗しのサブリナ」1954年 ポスター


サブリナの父親は将来のためと彼女をパリへ留学させます。この留学でサブリナは少女からパリジェンヌ的な女性へと変身。二年後、美女となって帰宅します。その頃、デイビッドは、ララビー家のビジネスにとても好都合な身分の女性エリザベスと出会い婚約していました。

ところが美女となって帰ってきたサブリナにデイビッドは心奪われてしまい、「婚約破棄」を言い出す始末。ビジネス上どうしてもエリザベスとの結婚を死守したいライナスと母親は一計を案じます。それはライナスがサブリナを誘惑し、デイビットから遠ざける、というものでした。

で、まあそういうロマンス系にはあまり経験のないライナスが、いろいろと恋の謀(はかりごと)を仕掛けるわけです。あ、そうそうこれロマンチック・コメディですから、そんなに深刻ではありません。

ライナスは初めからビジネスのために恋をした「ふり」をしてるだけなのですが、サブリナが心向け始めると、「ふり」は本心に変わりつつあり...という「だろうな」的な展開になっていきます。

ですが、ライナスからすべては自分をデイビッドから離すための謀だった、と聞かされたサブリナは傷つき、癒しをを求めて再びパリへと立ちます。

最後はライナスの真の気持ちを察知したデイビッドが、サブリナの跡を追うようにライナスの背中を押します。「ビジネスがあるから」と渋るライナスに、遊び人デイビッドは「仕事は自分が面倒を見る」と言い出し、意外にも家族のビジネスにもちゃんと通じていることを示します。

そして、なぜ今までビジネスにきちんと向き合わなかったについて言います。「だってライナスがいつもそこにいる。ライナスがすべてをしてしまう。だから自分がいたって意味がないだろ?」




ジュリア・オーモンドとハリソン・フォード


そう聞いたライナスは意を決してコンコルドに乗り込みパリへ。そして最後はちゃーんとサブリナと結ばれるエンディングとなりました。パチパチ。

映画としての出来は、イマイチかな?ハリソン・フォードがナイスガイ過ぎて、全然「嫌な奴」感が出ていないんです。そこでジュリア・オーモンドがちょっと毒舌を吐いたりすると、逆に「なんでこのナイスガイにそんなこと言うか?」みたいに株が下がったりして。まあ、それは私の個人的感想です。

それに、この頃のハリソン・フォードはやはりカッコ良かったですねえ。これも個人の感想。最後のふたりがパリで抱き合うシーンも素敵。いいなあ... これは個人の憧れ。

長々と書きましたが、この映画の持つ私に取っての「教訓」というのは、他でもなく、私自身がこのライナス的な仕事の仕方をしてしまう癖があることです。なんでも自分でやってしまって、同僚に任せない。

同僚はつまらなくなり、ますます後ろへ退いていく。するとますます私は頑張って仕事をしてしまう。というパターンです。これでは、仕事が私ひとりで面倒を見切れる以上の規模には成長できませんし、私の後を継いでくれるような後継者も育つわけがありません。

そういうことが、走馬灯のように私のしょぼい頭の中を駆け回り、今回はピートさんに「全任せ」しよう、と決めたわけです。




こういうの、いまだに「憧れ」


結果としてはうまくいきました。ピートさんもかなり楽しんで礼拝を取り仕切ってくれたようで、人数もきちんと揃ってくれました。私は「常駐」牧師ですが、ピートさんは「たまの通い」なので、どうしても彼だけが担当する時は、出席者が少ない、というようなことが過去に一回起きていました。私の日本帰省中に。

でも、そういうのを甘んじて受けて、通り越していかないと職場の発展はないですね。「同僚に任せる」という点では、まだまだ私は未熟です。一体、修得することがあるのかなあ、という気もしますね。アニー牧師が帰ってくる頃には、もう一歩成長していないと。もう一回「サブリナ」を観る時が来たかも。

機会があれば、皆さんもぜひ観てみてください、「サブリナ」今より三十歳若いハリソン・フォードとジュリア・オーモンドに会えますよ。(*^^*)

だけど、マジで二十九年も経つのか... ちょっとショック。(^-^;


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


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カトリーンのいる夏、いない夏

2024-04-06 20:03:30 | 日記
こんにちは/こんばんは。またまた前回の更新から二週間の間(ま)があいてしまいました。パスカー(復活祭)を通り越しながらも、相変わらずタイトな日々が続いています。

今これを書いているのは6日土曜日の朝なのですが、7日の日曜日に予定されていた、東部の町Egilsstadirエイルススターズィルでの会議が荒天予報のため延期され、その準備も必然的に延期されたため、思わぬ「お手隙」時間を昨晩から今まで楽しんでいます。

特に昨晩は、六時半からLAドジャースのシカゴでの試合があったので、それを試合開始から終了までネットで観ることができました。今シーズン初。オータニさんの2号ホームランもナマ(中継)で観れました。バンザイ!

ただ、エンゼルス時代のあの現地実況アナの「オータニサン、ゴチソーサマ、イッテラッシャイ!」的なワケのわからない日本語シャウトが聞けなくなったのはちょっと残念。なお、ドジャースは7-9で試合に負けました。今度は「ナオド」か?いえいえ、ドジャースは強いです。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Yonatan_Ybema @unsplash_com


さて、昨日はアイスランドの歴史に関わる一大ニュースが巷を吹き抜けました。と、言いながらも実は火山の噴火と同じく「近々」と予想されていたのですが。その予想されていた時が昨日やってきました。

それはカトリーン・ヤコブスドティール現首相が、六月の大統領選挙への出馬を表明したのです。それが何を意味するかというと、カトリーンさんは即(明日の日曜日)に首相を辞任。政党政治から身を引き大統領選に専念することになります。カトリーンさんは「緑の党」の党首でもありますが、そちらも辞めることになるでしょう。

まず、大統領選挙についてもう少し説明しますね。アイスランドの大統領選挙はこの6月1日に予定されています。大統領職は一期が四年ですが、選ばれるなら何期でも繰り返し務めることができます。

前大統領だったオーラブル・ラグナール・グリムスソン氏は、なんと五期二十年の長きに渡って居座り続け、国民に飽きられました。「任期を制限しよう」という常識的な意見もあったように思います。どうなったのかな?

そして大統領職そのものなのですが、憲法上はアイスランド共和国の最高位の権威を持ちます。ただし、直接的な政治行政上の権力は持ちません。アイスランド国民を束ねるシンボルのようなもので、ドイツとかの大統領と同じですね。アメリカのバイデン大統領やフランスのマクロン大統領のような、実権を持った大統領とは違います。

現大統領は、グビューズニ・T・H・ヨハネスソンさんと言います。真ん中のT・Hは「テェーハー」と発音し、ニュース等では「グビューズニ・テェーハー・ヨハネスソン」といつも呼ばれています。「T・H」が何を表しているのか、ついぞ存じません。




再選不出馬を告げるグビューズニ大統領
Myndin er ur RUV.is


グビューズニ大統領はまだ五十六歳と若く、人気があります。あの前任者のオーラブル氏(この「氏」は「のヤロウ」と読みます)の後に四十八歳で就任しましたので、さわやか感が溢れていました。

まだ二期を終えるばかりなので、皆が当然三期目もあるだろう、と期待していたのですが、先日突然「夏の選挙には出馬しない」と発表して世間を驚かせました。正直「惜しむ声」が多かったと思います。が、同時に「執着しない、きれいな幕引き」という称賛もありました。私も同感。

そして、その発表直後から、「では私が」と出馬表明者が始めはポツポツと、しばらくしてからは雨後の筍のように現れてきました。今現在は出馬表明者がなんと六十人余りもいるとか。

それらの中には、ゲイで政治学者のバルドゥル・ソウルハットゥルスソンさんや元レイキャビク市長のヨウン・グナールさんのように非常に「あり得る」方も含まれています。一方で「あり得ないよ」という泡沫も多いようです。

公式に立候補が受け入れられるためには、最低でも1500人の推薦人が必要になります。この推薦人集めの過程で、大方の「泡沫」は消えていくことになります。

ただそれにしても、まだ多いですね。過去の大統領選挙というのは、大体ふたりか多くても三人くらいの選挙だったと記憶しています。対立候補がなく、無投票だったこともあるはず。ですから、今回、仮に十人残ったとしても異例の数です。

そこへ、昨日現職の首相が割り込んできたわけです。おそらく、これでかなりの数の出馬表明者は「あきらめた〜」「やめた〜」になるのではないか、と予想します。選挙、お金かかりますからね。




カトリーン首相大統領選へ出馬のニュース
Myndin er ur Visir.is


首相としては、批判されることも多いカトリーンさんですが、もともとの個人人気は群を抜いています。多分、当選するのではないか、とこれも予想します。

さて、それは大統領選のこと。「現政権」という大きな現実が残っています。

現政権は「緑の党」「独立党」「進歩党(という名前の保守党)」の三党からなる連立政権です。独立党と進歩党は、これまで何度も連立を組んできまいしたが、緑の党はどちらかといえば革新系で、かなり異色の連立でした。

カトリーンさんは、個人的に存在感が大きく、これまでも彼女がこの連立政権を繋いでいる接着剤だ、と言われてきました。その接着剤が政権をあっさりと離れてしまう(しまった)のですから、この連立どうなるのでしょうか?

現在の有議席数は、緑の党8、独立党16、進歩党13で計37。国会で過半数を占めるには32議席が必要ですぁら、仮に緑の党が連立を離れるとすると、政権崩壊で、国会選挙となります。

ところが最近のギャロップでは、前回の選挙で6議席にまで落ち込んだ社民党が、独立党を上回って、最大支持を獲得しており、前政権にとっては今すぐの選挙は避けたいところ。

そういう政治的算段から、なんとか連立を維持していこうとするでしょうが、新首相が緑の党(カトリーンさんの党)から出ないのであれば、緑の党には何の旨味もない連立となり、連立離脱は濃厚。

では、緑の党にカトリーンさんの代役がいるのか?というと、そこまでの器はいない、というのが現実だと思います。少なくとも私の評価では。どうなるでしょうかね?まだ、昨日の今日なので先は見えません。




新生社民党のプリンセス、クリストロン党首
Myndin er ur Visir.is

カトリーンさんは2017年の11月に首相になって以来、丸6年ちょっとの首相在任でしたので、まあまあの長さです。どういう心境の変化だったのかはそのうち明らかになるでしょう。

私もいまだに一員である緑の党ですが、この連立政権中に支持はガタ落ち。今選挙があれば、5%の得票を得るのも難しいと予想されています。5%に届かないと、得票はすべて「没収」され、議席は無くなります。

立て直しが必要なのは明らかなのですが、その点ではカトリーンさんがいなくなるのは良いことだと思います。ゼロから始められますからね。古ボスが居残っていては、変えたいことも変えにくいでしょう。

まあ、今のこちらの政治状況を一言で表すと「カオス」となるみたいです。次の一歩を見つける前に、政治家の皆様、オイラたち「国民」をお忘れなく、頼んますよ〜! (ああ、オイラ、国民じゃなかった。でも、納税者だぞ〜!)


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