レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

WeZard

2012-09-23 05:00:00 | 日記
私がアイスランドへ移ったのは1992年の4月でした。その当時の日本とアイスランドの間のコミュニケイション手段というのは、今からは想像もできないくらい貧弱なものでした。即対応できる手段は国際電話のみ、と言ってもよかったでしょう。

もちろんこれは昔を現代と比較する時の常であって、その当時電話がきれいに繫がるというだけでも、ハガキが一ヶ月かかって着くという時代に比べたら大したものだったわけですが。

ともかく日本の事情を伺うには親が送ってくれる一月遅れの新聞や「ニュース ・ステーション」のビデオを通してだけでした。(あと律儀な友人に頼んで「ボクシング ・マガジン」も送ってもらってましたが。) 

もちろん、そうした時間差を経て得られる情報の細切れだけでは、日本で何が起っているのかをつぶさに把握するには十分ではありませんでした。で、何が起ったかというと、私は浦島太郎になったのです。政治など全てに関してではありませんが、スポーツ、芸能、音楽の大部分に関しての1992年4月以降2002年くらいまでの十年余りは、私の中には存在しません。

だから最近になって、ちょっと懐メロ的なのりの番組を見ていて出演者が「ああ、これ流行った!流行った!」とか言っているのにはついていけません。プロ野球の主要選手や優勝チームに関しても、その期間は白紙状態です。その期間のことが話題になる度に「むかし、むかし、うらしまは... ♬」と聞こえてきそうです。

別に知らないですんでしまえばそれだけのことなのですが、まれに「ああ、これを知らなかったのか...」と嘆くこともあります。

その代表例がZardです。

Zardのデビューは1991年ですので、少しは被っているはずなのですが私は離日前はZardを知りませんでした。で、93年の「負けないで」以降Zardはどんどん人気が高まっていくわけですが、私がZardを知ったきっかけは何と坂井泉さんが突然亡くなられた時だったのです。

亡くなられたニュースをきっかけにして、私は「ああ、こんなに素敵な歌手とチームが、こんなに良い音楽を創っていたのか」ということを知りました。遅きに失しましたが、それ以来Zardファンになりました。今でも車の中ではZardはメジャーな音楽となっています。

たまにZardをもちろん知っている(若い)邦人の方をお乗せすることがありますが、一様に「Zardのファンなんですか?」と尋ねます。「ええ、ファンなんですけども...ただ...」と私は同じ説明を繰り返します。

できれば亡くなる前からファンになりたかったですね。というか、亡くならないでいて欲しかったです。Zard坂井泉さん、素晴らしいです。

We All Zard Family.  (黙祷)
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