レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「シュークリームの週末」「アイスクリームの月」

2020-02-23 02:00:00 | 日記
穏やかな青空の下、輝く金色の午後の日差しが降り注いでいます。今は22日の土曜日の午後ですが、このブログがアップされるのは日曜日に、つまり「来週」になってからです。

今は穏やかといっても、先週は(つまり。これを書いている今ではまだ「今週」)またストーム警報が発令されました。文字通り「年がら年中」になってきているので、もはやこれが「フツー」なのだ、という感じ方になってきてしまいました。

気がついてみれば、なんと! 二月も末ではないですか! 年寄りにとっては、月日の流れが年々加速していくのですが、ここ二週間ほどは特に日々の流れが早かった気がします。

というのは、私がお世話している教会の難民のグループの中の一家族が強制送還の通告を受けてしまい、それを巡って様々なことが起きたからでした。通告が来たのが、10日の月曜日でしたから、ちょうど二週間ですね。

本来はその一週間後の17日に送還されるはずだったのですが、例によってメディアのカバーや、市民のプロテスト等があり、「一時的に」送還はサスペンドされています。

まだ事の行方が見えていませんので、このことはもう少し日を置いてから、きちんと書いてみたいと思います。でも、相当疲れました。フーッ。




シュークリームとアイスクリーム 最強ペア


さて、この週末は特別なウィークエンドです。そうです、恒例のBolluhelgiボルヘルギ「シュークリームの週末」なのです! 本当を言うと、明日の月曜日がBolludagur「シュークリームの日」(一日だけ)なのですが、ここ数年、ワタシは個人的にこれを「週末」に拡大して楽しんでいます。

この「シュークリームの日」は、もともとその翌日火曜日のSprengjadagurスプレンギャダーグル「爆発の日」、そして水曜日のOskudagurオスクダーグル「灰の日」とセットになっていて、木曜日以降のFastaファスタ「受難節」への入り口になっている日々なのです。

「爆発の日」とは、何もテロを仕掛けるわけではなく「お腹が破裂するくらいにたらふく食べる日」という意味です。本当に爆発して翌日に「灰になっちゃった日」が来るわけではありませんからね。(汗)

「灰の日」の「灰」は古来の宗教行事から来ています。この辺のことは以前に解説したことがありますので、是非そちらも参照してみてください。

あわただしい一週間


ということで、とにかくこの「シュークリームの週末」は、私は単身街のべーカリーへ赴き、シュークリームを一ダースほど買い込むことになっています。昨日の土曜日、このブログを書き始める前に、今年もベーカリーへ行ってきました。

お買い上げになったシュークリームは、計十個なり。家族連れのお客さんたちは、もちろん十個という単位で買うことは珍しくありません。私もそういう顔をして買いました。

家族連れの皆さんと違うことは、私の場合は「ワタシだけで」この十個を平らげる、ということなのでした。モノポリー。(*^^*)

この十個を独占できるわけです。独占できて良いことは、「いつでも好きな時に」「安心して」「確実に」食べることができるということです。

この安心感、確実性は「シュークリームの週末」を楽しむには不可欠な要素だろうと思います。一緒に食べる相手がいない、ということの哀しさはこの際絨毯の下に掃き込んでおいていいでしょう。




All for me ... alone!!


しかしです。

Every action has its consequences なのです。このBolla(複数形はbollur、 連語形はbollu-)アイスランド的シュークリームですが、要するに実態は生クリームをシュー皮もしくはケーキパン皮で包み、砂糖やチョコ、時にはジャムのようなものをトッピングしたものです。

そういうものを十個、自分の胃の中に放り込み、加えてさしたる熱量の消費(水泳だとかジョギングとか)もないとしたら、それはそれなりの結果を呼び込みます。

そして、今年の場合は、さらなる憂慮に値する事実が「シュークリームの週末」に先立つ六週間のうちに起こっていたのです。それはEvery action のactionの数週間に渡る連日の繰り返しであり、これはもうconcequencesは避けようもない定めなのでした。

それはアイスクリームです。

ワタシはスイーツ系の人ではありません。いちごのケーキや、チョコレート、キャンディ等が目の前に積んであって、一時間睨めっこをしてもワタシは負けません。もともと好きでないから、誘惑でも何でもないのです。

しかしです、再び。

何事にも例外があります。私の場合の例外はアイスクリームです。時にこれにアップルパイが加わることもあります。(シュークリームはそこまでのハイランキングでがないのですが、「一年にこの時期しか食べられない」という環境条件が地位を押し上げています) 今年の今現在に限っていうとアイスのみです。現在ワタシはアイス中毒の真っ最中にあります。

乳製品を考えてみると、やはりアイスランドの牛乳やアイスクリームは、日本の乳製品と比べて多少脂肪分が高いように思います。乳脂肪分が、こちらの普通の牛乳が4%、日本のこれも普通の明治や森永の牛乳で3,5%程度のようです。

詳しくは覚えていないのですが、確かチーズでも同じような傾向があったと記憶しています。

しかし、アイスや乳製品一般に問題があるわけではありません、もちろん。問題があるのはワタシの方で、アイスの1リットル入りの箱を毎日(一週間に七日という意味です)一箱、時に一箱半消費するというアディクティドなのです。




アイスのBefore - After の画 もちろんAfter


一年中を通してではないのですが、まれにこういうツボにハマることがあります。
そして、今回はその「ツボ」の結果、ワタシは72,5キロという重さに到達していたのでした。

これがどのくらいの重さかというと、だいたい近年の平均体重が67キロでありますので、平均の5,5キロ増し。そして、ワタシの六十一年間の歴史の中での「最重」タイ記録なのであります。

前回の記録は二年前に日本へ帰った際の飽食のconcequenceでした。そしてそこからケト・ダイエットと筋トレに目覚めて、その秋には65,0キロにまで復活したのでした。

いやいや、こうなっては今回もこのconcequenceに落とし前をつけるしかない。というわけで、ワタシは今、アイスクリームにgood byeを告げる瀬戸際に立っているのでした。

時期は幸いにも?受難節のファースティングが始まる直前。ファースティングというのは、キリストの受難を偲ぶ受難節には「肉食を断つ」という風習が昔よりあることを言っています。季節Vegan実践者ですね。

私は肉は断ちませんが、アイスは断たざるを得ないようです。まあ、仕方ないです。実際、腰回りが重くて不快な域に達してきましたから。

その「断アイス」に入る最後の週末。せっかくなので十個のシュークリームも見事に平らげてから、(アイスの)ファースティングに入ることにしたいと思います。

なんとも中身のないブログになってしまいました。そういうこともあります。スミマセン。m(_ _)m 先週は気が張り続けていたのが、緩んだところなもので。


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Nikon, Canon, そしてYoutube盛況の秘密

2020-02-16 00:00:00 | 日記
「カメハメハーン・ストームで天気が大荒れ」みたいなことを繰り返し言っているうちに、早くも二月の中旬になっています。ハヤッ!!

ですが、そのカメハメハーンがまたやってきて、先日の金曜日はアイスランド全土にオレンジからレッドの警報(五段階中の最悪と準最悪)が一日中出されました。

風速20メートル以上が予測され(もちろん秒速ですよ)、曜日のうちにアイスランド航空のフライトは全便欠航がアナウンスされ、レイキャビクでは学校も全校休校決定。

慣れてきたのかな?大分、早手回しになってきたような気がします。(^-^;




上から見ると真っ白なアイスランド
Myndin er ur DV.is


さて何回か前に、カメラや映像の関係のYoutubeについて書いたことがありました。いくつか見ているチャンネルを紹介したいと思い、まず「美人でセクシーだが、あまりトークの上手でない女流フォトグラファー」のチャンネルについて紹介しました。

それだけで終わってしまって、ちょっと物足りなかったので、今日はその続きにしたいと思います。

私はカメラもビデオも素人ですので、当然「入門もの」というか、何かを説明して教えてくれるようなビデオを見るのが多くなります。星の数ほどあるのですが、その中で気にってよく見ているもチャンネルに「Tony & Chelsea Northrup」があります。

プロフォトグラファーのトニーとチェルシーのノースラップ夫妻のチャンネルです。成功した富裕な感じの四十代の夫妻で、美男美女。教養もたっぷりの感じ。それでも鼻につくところがなく、特にトニーさんは話し方が上手で、その点でも参考になるので気に入って見ています。

もう十年も前からチャンネルを続けてきているようなのですが、サブスクライバーは1,4ミリオンくらいいるようで大したものです。

トニー&チェルシーの人気フォトグラフチャンネルはこちら


そのチャンネルでは週に一回の割で、ポッドキャストでもあるトークの時間があり、その時は時間も長めで一時間くらいになることもあります。技術的なことばかりでなく、写真の歴史や、その他もろもろの問題を扱ってくれるので、とても面白いことがあります。

その中に、放送されたのはすでに三年くらい前なのですが、カメラの会社の成り立ち、歴史を扱った回が何度かありました。面白くて拾い聞きしてしまいました。

で、世界で通用しているカメラのメーカーと言いますと、キャノン、ニコン、ソニー、富士フィルム、オリンパス... それから、何だ?コニカ、ミノルタ、リコー?京セラも? 改めて驚くのは軒並み日本のメーカーではありませんか! 別に今、初めて気がついたわけではないのですが、しばらく考えもしませんでした。

「外国のメーカーなんてあるの、大体?」と娘が訊いてきたので考えてみると、うーん、コダック。実はこれは娘が気付いたもの。あとはドイツのライカとか。スウェーデンのハッシェル...なんとか。ハッセルブラッド!

私の故郷は八王子なのですが、母校の中学の近くにもオリンパスと小西六がありました。それで「カメラ(レンズ)に強いニッポン」という自覚は子供の頃からあったと思います。

それでも、それぞれの会社の歴史とかは別に知らないままに済ませてきてしまいました。その歴史をトニー&チェルシーさん夫妻がポッドキャストでお話ししてくれたのでした。




教養豊かな美男美女カップル トニー&チェルシー
Myndin er ur Toutube “Tony & Chelsea Northrup


全部を細かく覚えているわけではないのですが、とにかく面白かったです。アメリカ人の人に、日本の会社の歴史を教えてもらうということ自体も面白かったですが。

で、日本の今のメジャーなカメラ会社の多くは、やはり1900年代の始めあたりからの創業であるようです。それぞれが戦争で儲かる部分も、踏みつけられる部分も経験したことも共通体験だったそうな。

ですが「へーーー!!」と思わされたのは、すごく単純な部分で会社の名前の由来でした。例えばNikon。「ニコン」ですけど、アメリカでは「ナイコン」と呼ぶ人が多いようです。

「ニコン」とは一体何なのか?これまで考えたことはなかったと思います。もとの社名は「日本光学」そこから初期の商品名に「ニコン」が使われ、それがまた後に社名になったそうです。

言われてみれば、「さもありなん」というか何ということはないですよね。でも考えつかなかったですね、ワタシは。

「コニカ」が「小西六」の進化系であることはまあ、想像つきました。「オリンパス」はギリシャ神話のオリンポスの山と関係してるでしょうね、多分。

難しいのは「キャノン」でした。私はなんとなく「キャノン」は大砲の「cannon」と関係しているのかな?くらいにしか考えていませんでした。ですが、いつだったかこれは「基準」「ノーム」のcanonなのだ、と誰かに教えられた記憶があります。だからcanonとnがひとつなのだ、と。

ところが、トニーとチェルシーさんの教えによると、これは創業者の吉田五郎さんの「製品を通して世界に慈悲と愛が満ちるように」という願いを込めて、観音様の「観音」Kwanonから来ているのだそうです。

これは難しいですよね。知っていなかったらわからないでしょうね。Canonと観音様をヒントなしで結び付けられる人はそうはいないだろうと思います。それに日本語名も本当は「キャノン」ではなく「キヤノン」と「ヤ」は小文字ではないのだそうです。(この部分は、トニー&チェルシーではなく、Wikipediaからです)

それにCanon の英文字の会社のロゴは始めからずーーーっと変わっていないそうな。これはトニー&チェルシーの授業より。




意外と奥深くそして長い歴史がロゴの背後に
Myndin er ur Canon.com


それにしてもカメラ界のYoutubeは本当にたくさんあります。「どのカメラがベストか?」「このカメラは本当にすぐれているか?」みたいなのは掃いて捨てるほどありますね。

「なぜだろうか?」と考えました。思いついたのが、昔々ちょっと在籍していたゴルフの愛好「界」。そこでもみんな中が「ウッドはホンマがいい」「ファイバーのシャフトは... 」等々、毎日尽きぬ議論をしていました。今でもそうでしょう。

釣りのことは何も知らないのですが、きっと「釣り愛好者の世界」でも、釣り道具を巡って同じような議論が毎日繰り返されているのではないか?と想像します。車やバイクでもそうでしょうし、ある意味プロスポーツもそうかな?

要するに、愛好者はそういう議論をするのが楽しいのです。別に本当にどのカメラが一番優れているかを探究したいのではなく、そういう議論そのものを楽しんでいるわけです。だから終わりがない。

とても手が届かないような何十万円というカメラについてのビデオでも「庶民」が喜んで見るのはそういうわけでしょう。

なるほど、それはわかります。自分にも思い当たるフシがあります。なんで、こう「美女」が登場するYoutubeビデオ -SnappChickもそうだしチェルシーも- に引き込まれるのか? 見るのが楽しいからでしょう。たとえ自分には手が届かなくとも。(^-^;

結論「Youtubeが盛んなわけ」: 庶民が何でも楽しめる。高級車、高級カメラ、五万円の神戸牛ステーキ、ベッド付きのファーストクラスのフライト、ボーグ級の美女。お金がかからない −ただし、そっから先に引きずり込まれなければ!


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アイスランドから初のオスカー受賞者 Til hamingju, Hildur!!

2020-02-10 21:35:16 | 日記
Breaking newsです。

今日のアイスランドは朝から、正確には未明から 沸き返っています。こちらの時間で真夜中に行われたアカデミー賞の授与式で、アイスランドの作曲家Hildur Gudnadottirヒルドゥル・グビューズナドティールさんが、最優秀作曲賞(Music original score)を受賞したからです。受賞の映画は「ジョーカー」Joker。




オスカー受賞を報じるヴィーシル・ネットメディアVisir.is


受賞時のコメントは: "To the girls, to the women, to the mothers and daughters who hear the music pumping within... please speak up. We need to hear your voices."

アイスランド人のアカデミー賞受賞はすべてのジャンルを通して初めてのこと。この部門受賞は女性としては四人目ということです。

アイスランド人はのオスカーのノミネートはこれまでも何回かありました。監督のフリズリック・フリズリクスソンさんが1992年に外国映画賞、ショーンとあのビョルクが2001年に歌曲賞、ルーナル・ルーナルスソンさんとソーリル・スナイル・シグルヨウンスソンさんが2006年に短編映画賞、そしてヨハン・ヨハンスソンさんが2015年と16年の二回。しかし、受賞はありませんでした。

ヒルドゥルさんは1982年レイキャビク生まれの37歳ですが、育ちは隣町のハフナフョルズルとのこと。細かいことですが、こちらではムキになる人がいますので。現在はベルリンに在住のようですね。

ヒルドゥルさんの経歴とかは、私はまったくの門外漢ですが、最近に限っていえば、Chernobyr「チェルノビル」で昨年の九月にエミー賞を、さらに今年の一月にグラミー賞(最優秀サウンドトラック作曲賞)を受賞し、さらに「ジョーカー」でもこの一月にゴールデングローブ賞(最優秀作曲賞)を得るなど、ここのところ破竹の進撃ぶりが報道されていました。




一月のグラミー賞受賞を伝えるRuv.is( 国営放送)




昨年九月のエミー賞受賞のニュースはモルグンブラウズィズ紙Mbl.isのネット英語版


というわけですから、とにかくTil hamingju ティル・ハーミンギュ! ヒルドゥルさん、そしてアイスランド! ということです。

厳しい冬を迎えている2020年の氷島、暖かいニュースとなりました。感謝。


ヒルドゥルさんのオスカー受賞を伝えるLAタイムズの記事はこちら。
‘Joker’ composer Hildur Guðnadóttir first woman in 20 years to win Academy Award for original score


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Without a trace ... 三十三年間の不在

2020-02-07 12:00:00 | 日記
「ヨウン・オーラブスソン− 1987年12月24日

ヨウン・オーラフスソン、船長(注:あるいは船頭)は1940年7月8日に生まれた。彼はソウルラウクスホブン(注:レイキャビクから車で45分ほどの距離にある海岸の町)、エイイルスブロイト26に住んでいた。友達や船の関係者の間では人気があった。冗長ではないが、いつも気安かった。離婚していて子供がふたりいた。

1987年の12月24日、ヨウンは息子を連れてクヴェーラゲルジィ(注: 隣り町)へ行き、息子を母親と姉のところへ送り届けた。彼はクリスマスのプレゼントを、もう一か所に届けた後、もう一度ここに戻り、それからレイキャビクへ出向いてそこで夜を過ごす予定だった。

19時になった頃でもヨウンは子供たちのところに姿を現さず、行方が気遣われるようになった。すると、ヨウンはプレゼントを届けるはずだったところにも現れなかったことが明らかになり、行方の捜索が始められた。

翌日のクリスマスの日、ヨウンの車がソーイズの川の橋の横で見つかった。川を中心にしての捜索はなお幾日も続けられたがヨウンの発見に繋がる手がかりは得られなかった。




関係地の地図


半年後、ヨウンの死が確定し、追悼の会がもたれた。ヨウンの遺族は、彼の後方不明をなんら不可思議なものとは考えず、ただ悲しい出来事と受け止めていた。

上記の行方不明の件について、情報を持っている方、指摘のある方、もしくは別の行方不明事件についての情報のある方は(.....略) まで連絡を願います。情報提供者に関しては、すべて内密に秘匿されます」

これは、実際にFacebookのIslensk Mannshvorfイースレンスク・マンスクボルフ「アイスランドの失踪事件」というページに記載されている事件です。Mann は「人」hvorfは「消えること」を意味しますので「人が消えること」がMannhvorfです。

アイスランドの誇る世界的ミステリー作家のアルナルドゥル・インドリーザソンの人気シリーズのエルレンドゥル捜査官も、このmannshvorfに尋常でない関心を持っているように描かれていたのを思い出しました。

彼の場合は、自分に弟が豪雪の中で消えてしまった、という個人の体験がある設定だったと思います。

ここにあるヨウン・オーラブスソンさんの事件は、小説ではなく実際に起こった事件です。

実はこの失踪事件に、今年になって大きな進展がありました。ヨウンさんが発見されたのです。というか、実際には「発見されていた人骨がヨウンさんのものと確認されたのですが。

このニュース、それだけではなくちょっと心に浸みるものがありましたので、ご紹介したいと思っていたのですが、少し日数が経ってしまいました。

ニュースが届いたのは先月の23日でした。「1987年に失踪した人と身元が確認された」という見出しでした。




身元の確認を伝える先月のRUVのニュース
Myndin er ur RUV


RUV(国営放送)のニュースによると、この失踪の発覚から約七年後の1994年の10月、南海岸の海へ注ぐOlfusarosオルブスアウロウスという川と海が入り混じったようなところの砂地で、人間の頭蓋骨の一部が発見されました。

1994年というと、私はもうレイキャビクに移っていましたが、このニュースのことは何も覚えていません。アイスランド後はまだまだの時期だったですから、当然かも。

発見場所のオルブスアウロウスという場所は、ヨウンさんが住んでいたソウルラウクスホブンの町の近所で、さらに彼の車が発見されたソーイズの川のずっと下流に当たります。

発見された頭骸骨には、下顎が欠けており、歯は上顎に一本残っていただけだったそうです。当時の警察関係者は技術や分析術をを駆使して身元の特定に努めましたが、当時の技術では及ばず、頭蓋骨は保管庫へ移されてしまいました。

昨年の3月末に、もう一度この骨の年齢鑑定を試みようということになりました。その結果、この骨は1970年近辺のものであろうという結果になったそうです。この「70年近辺」というのは、骨の生年ではなく、一万年前ではなく「1970年頃に由来するもの」という意味であるようです。

そこからさらに骨から採取したDNAを、スウェーデンの研究所へ鑑定依頼しました。その結果、今年の一月になって、問題の頭蓋骨は1987年に失踪したヨウンさんのものであることが確認されたそうです。




1994年に頭蓋骨が発見された川と海の境目オルブスアウロウス
Myndin er ur Google.earth


ニュースは、この事実がヨウンさんの残したふたりの子供に伝えられた、と報じて結んでいます。三十三年前に行方が分からなくなってしまった父親が、ようやくはっきりした形で帰ってきたことになりますね。

ところがニュースはここで終わりませんでした。

このヨウンさんの」子供ふたりのうちのひとりがビルギッタ・ヨウンスドティールさんという女性だったからです。

ビルギッタさんはもと国会議員で、経済破綻以降の十五年間くらい、アイスランドの政治を引っ張ってきた人です。「ピラター」(海賊党)という新党を立ち上げて、とにかくリベラルの先っぽの先まで行ったような主張を繰り広げていました。

最近はピラターの内部でもめごとがあったようで、干されたような形で議員活動からは身を引いていますが、アイスランドでビルギッタさんを知らない人はいません。

超リベラルでブレークする前は「緑の党」で事務局長のようなことをしていて、その頃私も緑の党に出入りしていたので、多少ビルギッタさんとは面識があります。それでもその後の発展の故に、なんというか、あまり近づかないような距離になっていました。

ニュースのインタビューで、ビルギッタさんは「悲しいということもあるけど、それよりも肩の荷が降りたというか、ホッとしたというか、そういう気持ちです。これできちんと埋葬してあげられる」

普段のリベラルな海賊の雰囲気はまったくなく、フツーに胸の内を語っていたように思いました。

そういえば、緑の党にいた頃、お母さんが亡くなったんです。よく知らないのですが、お母さんはこれまたリベラル系で詩人だったと聞いています。

その時もビルギッタさんはショックを隠そうとしないで、自身のブログで「しばらくお休みにします」と言って喪に服していました。お悔やみのメッセージを送ったのを覚えています。




The リベラルのビルギッタさん
Myndin er ur Ruv.is


ですが、ビルギッタさんのお父さんがこういう形で失踪していたことは知りませんでした。

クリスマス・イブの晩に寄ってくれるはずのお父さんが来ない。そしてそのまんま消えてしまう。というのは子供にとってはどういうものなのでしょうか? しかも、以降、クリスマスになる度に、いなくなってしまったお父さんのことを嫌でも思い出すわけですよね。

人それぞれにいろいろなものを引きずって生きてるんだなあ、と感じさせられました。

三十三年前、ソーイズの橋のたもとで何が起こったのかは、もはや解明不可能でしょうが、それでも三十三年間の失踪に決着が着いたことは良かったことなのだろうと考えます。

その決着も自然にやってきたわけではなく、多くの人たちが捜索をしたり、掘り起こしたり、検定したりして辿り着いた決着です。人は独りでは生きられないし、独りでは死ぬこともできないものなのでしょう。

ヨウンさんの冥福を祈ります。またビルギッタさんと弟さんにも慰めと平安がありますように。


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起きるな! アイスランドのマグマゴジラ

2020-02-02 00:00:00 | 日記
カメハメハーン・ストームのシリーズがやっと静まってくれ、一息つくことのできた先週のレイキャビクでした。気温はグッと下がり氷点下になりましたが、風はなく静かで陽の降り注ぐ日が幾日か続いてくれました。ありがたや。 




癒しの山 エイシャのはずが...


前々回、西部フィヨルドのフラーテリでの雪崩のことを書きましたが、先週はレイキャブビクの郊外のEsjaエイシャという山でも雪崩がありました。ハイキングをしていたのか、三人の人が巻き込まれてしまいました。

うちひとりが雪に飲まれ、駆けつけたレスキューに二時間後に救出されたのですが、搬送された病院で残念ながら亡くなってしまいました。若い青年でまだ二十三歳だったといいます。

エイシャというのは、東京で言うと高尾山的な気楽なハイキングコースです。私にとっては「癒しの風景」でもあり、眺めるのが大好きな山なんです。そんなところで雪崩に巻き込まれ、命を落としてしまうとは、なんともいえない悲しさと「なんで?」感を覚えてしまいます。「ご冥福を祈ります」としか言葉がないですね。

前回取り上げたYoutubeのカメラ関係のビデオについての紹介は、ちょっと先送りにして、今回はアイスランドのもうひとつの自然の力について書かなくてはなりません。

アイスランドの国旗をご存知でしょうか?青地に白の十字架が横たわり、その白地の上にさらの赤の十字架がかぶさっています。

説明によると、青は空と海を象徴し、白は氷河を表しています。残るは赤ですが、これは….?そうです。火山の火を示すのだそうです。実は赤は「雪」「氷」をも表すらしいのですが、私は「理屈」に破綻しました。なんで?(^-^;

今回は雪崩の「白」ではなく、火の「赤」の話しです。

ストームと雪崩に悩まされている新年のアイスランドですが、先週新しい「怪物」が出現してしまいました。いや、まだ出てきてはいないか?それは「火山活動」です。

先週の日曜日だか月曜日だったの思うのですが、気象局がレイキャネス地方に「火山活動に関してのOvissustigurオウビッススティーグル」という警報を発令しました。




レイキャネス地方 今回のニュースより
Myndin er ur Ruv.is


Ovissustigurというのは文字通りにはUncertain stageとか「不確定の段階」という意味なのですが、この脈絡で使われる時は「非常な用心を必要とする段階」という意味になります。

説明によると、レイキャネス地方の観測点において、地震活動が継続して記録されていること、地表の隆起が一日につき3-4ミリと平均よりかなり高く、短い期間で2センチに達していること、等から警報の発令に至ったとのこと。

これらの地下活動の中心にあるのが、Thorbjornソウルビョルンという山のようです。この山自体は火山ではないのですが、マグマ活動のベルト地帯の上にあるのだそうです。

この地帯での火山活動は、今から780年くらい前に収束していたそうです。逆に言うと「そろそろ来てもおかしくは…」という頃合いなのだとか。専門外のことですので「だそうだ」「ということらしい」という言葉が多くなりますが、ご容赦。

で、このレイキャネス地方。どこにあるのか?と尋ねられる方もあるかと思います。これが最北の山の果てではないのです。ケフラビク国際空港があるところから、ほんの数キロのあたりにこのThorbjonの山が存在します。

空港のあるあたり一帯の半島が「レイキャネス半島」と呼ばれる地域なのです。アイスランドにいらしたことのある方ならば、空港からレイキャビクへ至る国道沿いの、あの殺伐とした溶岩地帯の光景を思い出していただけるかもしれません。




溶岩原野の風景 この山はThorbjornではなくKeilir
Myndin er ur Ruv.is


あの溶岩を噴出したのと同じ火山地帯が活発化しているらしいのです。

さて、ケフラビク国際空港よりも、さらにソウルビョルン山の最寄りにあるのがグリンダビクという町です。レイキャビクから来たとして、あの観光名所のブルーラグーンへ行く道に入り、さらに奥に進んで海岸線に出るあたりまで行き着いたところのある町です。

人口は3300人ほど。漁業と水産業が中心の町だったと思います。以前、日本人の男性の方が住んでいらしたのですが、数年前に病気で亡くなってしまいました。

そのグリンダビクでは、この警報の発令を受けて町をひっくり返したような騒ぎになったようです。月曜日には町の体育館で住民への説明と対策のためのタウン・ミーティングが持たれました。

ニュースや新聞で見た限りでは、「ゴジラが町へ向かっている」かのような雰囲気だったですね。実際に車に避難用の荷物を積み込んで、いつでも脱出できるようにしている人も少なくないようです。

無理はないです。自分の町に、通りに溶岩が流れ込んでくる、というのはアイスランドでは決して「想像上のこと」ではないのです。

今から三十七年前の1973年1月23日の真夜中、ヴェストマン諸島の中のヘイマエイという島では火山の噴火と溶岩の町への流出の故に、5000人余りの島民のほとんどが、「その夜のうちに」ボートで「内地」へと逃れることになったのです。

奇跡的にこの一大事で命を落とした方はゼロ。「危機に強いアイスランド人」のイメージを作りましたし、この歴史の一幕は、語り継がれる伝説となりました。




1973年ヴェストマン諸島ヘイマエイ島での噴火


当時の様子を伝えるYoutubeビデオ 長いですから始めだけでも


私なんぞは、それでもまだ溶岩の手中からは遠いところにいますので、のんびりできていますが、山の麓でこの緊張の中に過ごすのはさぞかしの負担であろうと想像します。雪崩とかと違って、さらに「目の届かない」ところの現象であるのが怖いところです。

万が一、この地帯からマグマが吹き出た場合には、アイスランド全土がパニック化することでしょう。たとえば火山灰の具合によっては、国際空港が使用不可になります。




今回の警報を受けてのグリンダビク・タウンミーティング
Myndin er ur Mbl.is/KristinnMagnusson


マグマの流れ具合によっては、国道が遮断され、空港を含むケフラビクの町までもが孤立する可能性もあります。二三日のことなら、他の空港でまかなえるでしょうが、国際線全線を他の空港が処理できるとは思えません。

そうなれば、「観光客激減」―「経済停滞」―「国民総窮乏」となるのは目に見えています。ヤバイです、これは。カメハメハーンどころの騒ぎではない。まさしくゴジラ級の危機かもしれません。

目を外界(がいかい)に転じると、武漢発の新型ウイルスでニュースは持ちきりです。よくまあ次から次へと出てきますね。いよいよ世の末、ハルマゲドンの始まりか?とデマを吹く輩も出てきそうな気がします。

今、これを書いているのは2月1日の土曜日の正午ですが、昨日夜、つまり金曜の晩から今日の未明にかけて、この地域で三百回以上の地震が観測されたそうです。

地球は生きていますので、火山活動の観測がそのまま噴火につながるものではないことは確かですし、それは日本など他の火山国でも経験的に実証されていることでしょう。

なんとかこのまま「起きないで」眠り続けて欲しいと願います、地中のマグマゴジラ。いい子だから、眠ってて。


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