レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

サッポロ発 48年越しのミステリー

2020-05-31 00:00:00 | 日記
5月31日です。ということは明日は6月1日です。ハヤッ!

もうコロナには飽き飽きしましたので、今回はまったく関係のないことを書きます。ただ、それがチョー個人的なことであり、かつ、またチョーノスタルジックなことでもありますので、皆さんから「こんなつまらないことを書きやがって」とお叱りを受けるかもしれません。

ただこのブログを続けていると、なんというか「これは書いておきたい」と思うトピックが時折あるのです。もちろんいつだって書きたいトピックを書いているわけですが、ここで言うのは「公共の益」がまったくないような、「個人の楽しみ」のみに還元されてしまうようなトピックのことです。

「いつものことだろが!」確かに〜。すみません。そのつもりで読んでやってください。m(_ _)m




日本選手が金銀銅を独占したサッポロ五輪の70M級ジャンプ


今を遡ること四十八年の1972年。なにがあったでしょうか?日本で初の冬季五輪、札幌オリンピックが開催されたのです。実際は1940年開催が決定されていたのですが、戦争のため中止されたのだそうです。この1972年を通して言えば、その直後に浅間山荘事件や、夏のミュンヘンオリンピックでのテロ事件等もありましたね。

当時の私は十三歳の中学一年生でした。私は1968年のメキシコオリンピックはかすかに思い出があります。体操女子のナタリヤ・クチンスカヤは可愛かったです。九歳の私でもそう思うくらい。

ですが、同じ年の冬に開催されたグルノーブル冬季五輪はまったく見た覚えがありません。ちなみにこの頃はまだ、冬季五輪と夏季五輪が同じ年に行われていました。

グルノーブルを覚えている方は、皆さんの中にも少ないだろうと想像しますが、地元フランスのジャン・クロード・キリーがアルペンの三冠を初めて達成した大会です。加えて公式記録映画のテーマをフランシスレイが作曲。「白い恋人たち」ですが、これは聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?

白い恋人たち/フランシス・レイ 13 Jours en France/Francis Lai


さて、サッポロに戻ります。私は冬季五輪の種目そのものに馴染みがなかったので、開幕当初はそれほど熱狂していなかったと思います。それが風邪で学校を休み、自宅に缶詰状態なって退屈し、テレビで見始めたわけです。

当時でも、テレビはどのチャンネルでも朝から晩までオリンピックを流していました。すると結構面白いではないか! ビデオなんかもちろんない時代でしたから、何度も繰り返して見ましたよ、面白い競技は。目に焼き付けるために。




これも日本中にブームを呼んだフィギュアのジャネット・リン


俄然興味が出てきた私は、母に頼んで「冬季五輪特集号」の週刊誌を買ってきてもらいました。「サンデー毎日」とか、ああいう雑誌の特別号です。馴染みのない競技の説明や、人気種目の予想などが掲載されていました。

その中で、超人気種目が男女アルペン種目だったのは今と同じ。そして女子アルペンの予想のパートに、とても可愛く、艶やかで、かつチョイミステリアスな女子の笑顔の写真が載っていました。

フランスのエース、フランソワーズ・マッキ、と記されていました。なんでも五輪直前のワールド杯の金メダルを総舐めしていたようで、サッポロでも少なくとも金ひとつは硬い、という予想でした。

滑降というのは、やはり選手でも恐怖を感じる種目のようなのですが、その雑誌によると「滑降の恐怖に顔を青ざめるフランスのチームメイトのゼッケンに、マッキはマジックでいたずら書きをしてからかうような度胸がある」とかなんとか書いてあります。かっこいい!

ところが、そのアルペン滑降にマッキさんは登場しませんでした。どこから情報を得たのか覚えていないのですが、サッポロでの練習中に事故に遭い、両膝を怪我して参加不可能になった、とのことでした。

後になってわかったのですが、実際はこの怪我のために、マッキさんは世界の頂点の競技会から退かざるを得なかったのです。この時、マッキさんはまだ二十歳か二十一歳くらいだったはず。まだまだ若かったんですよね。

それで、当時十三歳の男の子だった私は、雑誌に載っていたマッキさんの笑顔に魅せられてしまい、五輪終了後も大事にその雑誌をキープしておいただけではなく、もっとマッキさんのことを知りたい、と思ったわけです。




サッポロでは悲劇のヒロインとなったフランソワーズ・マッキ
Myndin er ur Wikimedia.org


歳の差、国境、身分の違いを超えた純愛恋物語りです。まあ、片思いだけど。もうその頃からストーカー気質があったんですよねー。怖っ!

でも1972年の日本。もちろんGoogleやFacebookもありませんから、情報を得るには、市販のスキー雑誌を漁るくらいしか手がないのです。ですが、月刊のスキー雑誌でも、国際の大会に関する情報はごくわずか。マッキさんについては何もわかりませんでした。

これも今なら、フランスからスキー雑誌をAmazonで買って、フランス語をアプリで翻訳しながら探す、なんていうことも可能だったでしょう。フランスでは有名なことは間違いない方ですから。でも、そんなことは想像の中にも存在しなかった時代でした。

こうして、マッキさんは私の心の中で「悲劇のヒロインのミステリー」として女神化していったのでした。持っているのは雑誌の中の写真一枚でしたが。

ストーカー気質の私は、その後もマッキさんのことを忘れ去ることはなく、なにか機会があれば情報はないか?と思って探し続けていました。しかし、なーーーーーんにもなし.... ....

.... この間までは。

そうなんです。やっと情報を得られたのです。つい十日ほど前に。

このあいだ、また天が開けて「フランソワーズ・マッキ」という名前が心に降りてきました。そしてGoogleしたのです。当たりがありました。何年か前にはGoogleでもヒットしなかったのですが。

写真やビデオまで出てきました。もちろん1972年前後のものが多いですから、「いにしえの写真、ビデオ」です。ビデオなどは、わりとつい最近アップされたもののようで、何年か前の検索にヒットしなかったわけがわかりました。




ミステリアス女子はやっぱり素敵だった
Myndin er ur Facebook/Fan du Corbier


週刊誌の増刊号に出た一枚の笑顔しか知らなかったのが、ビデオではマッキさんが話している様子や、声も聞けますし、笑う様子もわかります。1972年、十三歳の私は「素敵」と思ったのですが、今、当時の写真やビデオを見てみると、やはり「素敵」でした。(*^^*) 話していることはフランス語なので、まったくわかりませんが。

新たに得られた情報によると、マッキさんは1951年生まれ。ということは、やはりサッポロでは二十歳か二十一歳でしたね。1975年にフランスのスキーチームの仲間で、これも世界のトップに立ったこともある男性スキーヤーと結婚したそうです。

現在の様子もわかりました。最近の写真として見ることができたのは去年のもの、つまりマッキさん六十八歳の時のもの。サンモリッツのスキー場隣接のレストランのマネージャーをされているようで、長かった髪は短めになり白くなっていますがお元気そうです。




サンモリッツのレストランのマネージャーを務める現在のマッキさん
Myndin er ur le-corbier.com


..... で、とても不思議な気持ちがしました。十三歳の時、雑誌による一枚の笑顔と、わずかな情報しかわからなかった女性のミステリーが、四十八年を経て、やっと解けたような気がするのです。

だから、なんだ、ということは何もないのですが、それでも感慨深いなあ。四十八年は、やっぱりハンパないと思う。


やっぱり素敵なマッキさん。サッポロ当時の写真を、携帯の待ち受けにしようかと思案しています。おいら、やっぱりストーカーだな...


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欲しい! 未曾有の世界共通体験からのプラスのパワー 

2020-05-24 00:00:00 | 日記
こんにちは。五月は早くも下旬となっていますね。アイスランドではコロナなど知らぬ顔で、日が長くなっています。今では午後十一時でもまだまだ明るいですね。

加えて朝も早く開けてきます。先週の水曜日だったかな?ちょうど午前三時に目が覚めてトイレに行こうと思ったのですが、窓の外では早くも朝日が昇りつつありました。 ちなみに気象局によると正確には、昨日土曜日の日の出は3:46、日没は23:06だったそうです。確かこの時期は、一日一分か二分、日の出は早くなり、日没は遅くなっていると記憶しています。

もうあと一ヶ月で夏至、明るさの頂点に達するのですが、なんというか、やはり例年のテンポとは違ったものがあるので、年柄年中「えっ? もうそんな時期?」と自問しているような気がします。




私の古アパートからの午前三時の朝焼け


例年なら、この時期は教会の主たる活動である「冬期活動」が終了し、のんびりした夏期のスケジュールに移行していく頃です。ところが今期は、皆さんStay home期間に山積みされた仕事が残っています。そんなに簡単には夏ののんびりには入れないでしょう。

私も量的無意味では通常の仕事に戻っています。というか、振り返ってみると、Stay home期間でも量的にはすることはたくさんありましたね。ただ内容が異なりましたが。

定期的な集会は、まだすべてが再開したわけではありません。再開以前に、やり残してあったこと等、まずは片付けることが多々あります。

先の三月中旬に、Kirkjuthingキルキュシンクと呼ばれる、教会の全国会議が予定されていました。そこで教会全体としての「難民問題に関する基本方針」が提案され、協議・承認される予定でした。

そのための六人の牧師さんからなる委員会が昨冬に任命されており、私が座長。過去五年間、試行錯誤しながら進めてきた難民の人たちへの取り組みを、ようやく公式なものとしてまとめるチャンスでしたので、結構気合を入れて準備していました。

資料の締め切りは二月の末。かなり良い内容のものをA4二十ページほどにまとめて、やっと提出しました。それが提出したその日に会議の六月への順延が決定。自分ではその時は気がつかなかったものの、相当がっかりしていました。

で、この二週間、延期された全国会議に向けて、資料の改訂と、コロナの影響の予測とかを付け加えていました。

それがもうすぐ終わる、というところまできていて、先週またまた九月までの再順延が決定されてしまいました。ガクッ! またかよ! 今度、八月にまた改訂しなくちゃならない。めんど〜...




ガクッ...
Myndin er ur Channey@unsplash.com


皆さんから見れば「超ローカルな話しだし、お前に取ってのことだろう」ということだろうと思います。そうなんです。教会にとっては、結構意義のあることのはずですが、ローカルであることは確かだし、国民すべてに直で関わる問題でもありません。

ですが、私にとっては大きな課題だったのです。まだ、終わってないけど。我々庶民というものは、己の存在のどこにあるかをわきまえながらも、それなりに目標や課題を設定して、そこに生き甲斐や達成感を見出そうとしているのです。

それをコロナに翻弄されてしまった...

と、思って気がつきました。「そうでない人がいるだろうか?」

オリンピックの延期。「ああ、やっと延期か?仕方ないよな」と思いました。だけど、そこへ向けて生活のすべて管理し、ベストに整えようとしていた参加者にとってはガッカリどころの騒ぎではなかったでしょう。

選手だけではなく、様々な「おもてなし」の準備をしていた人たちや、その他諸々の人が奈落の底へ落とされたことでしょう。ただ、それを聞いた時には、そういう人たちの心を慮る(おもんぱかる)ところまではいかなかったですね、正直言って。

そうやって考えてみると、選抜の高校野球、夏の大会、インターハイ等々、延期または中止されたイベントは山のよう。オリンピックのように、多分同じ人が参加できるのであろうものと異なり、中学生や高校生の大会ではチャンスを逸した生徒たちの多くは「それきり」なのでしょう。ガッカリどころではない、「試練」でしょうね、本当に。

普通のビジネスでも同じことは多いと思います。ニュースで見たのですが、東京でライブハウスの開店を準備していた方は、開店直前になって「営業自粛」の要請。従わざるを得なかっただけではなく、そのまま開店することなく廃業せざるを得ない、ということでした。

その方の人生の中での、どれだけの打撃かは想像もつきません。同じような憂き目にあった方は、日本全国でそれこそ星の数ほどあることでしょう。

しかも、これ、日本だけではないです。アイスランドではダージィという青年がユーロヴィジョンコンテストへ代表して参加することになっていました。稀に見る?良い曲というのがアイスランド人の意見で、期待が高かった分、コンテスト中止の報にガッカリ度も大きかったです。




ユーロビジョンで勝つはずだったダージィ・フレイル


Dadi Freyr “Think About Things”


こういうことが、アメリカでも、フィリピンでも、ロシアでも、イギリスでも、世界中で起こったことでしょう。世界中の「ガッカリ」の負のパワーを集めたらどれだけのものになるでしょうか?

そして考えました。

オリンピックやサッカーのワールドカップのような、短期の世界的イベントを別にして、世界中が、同時に、長期に渡り、これだけの共通体験をするということは、これまでの歴史でどれだけあったものなのでしょうか?

世界大戦とか、そういう種類の出来事は類似のものだったのかもしれません。ですが、私が生きている期間に限って言えば、間違いなく今回のコロナ禍は、断トツの「世界総ダウン」の体験だと思うのです。あとはリーマンショックか?悪い方向での体験であるにしても、すごい体験ではあるわけです。

そこで考えたのですが、こういう世界の共通体験から、なにかしらプラスになる、創造的なものは生まれてこないのでしょうか?

今のところ、この共通体験から生まれているものは、大国間での罵り合いと、一部軍事大国の「よりによってこの時期での」軍事挑発・示威行動くらいのもののようです。

プラスのもの?ああ、ワクチンの共同開発とか、コロナに対する共同研究とかはあるのかもしれませんね。そちらはあまり詳しくありません。悪しからず。m(_ _)m




もう少しマシなことはできんのか!? という感じ


でも、それらに加えて、なにか別に、世界に、人類に役立つような創造的なものは出て来ないのでしょうか?テクノロジーてきなものでなくともいいのですよ。新しい思想とか、哲学とか、そういった方向でも。

最近耳にする「ニューライフスタイル」のようなものが、時を経てきちんと発展していけば、そのような「プラスの産物」になるかもしれないですね。

いずれにしても、そう簡単にはプラスのものは結晶しないのかもしれません。

大惨事になったコロナです。亡くなった方々、家族や友人を亡くされた方々に平安、癒しと支えがあることを願います。

ですが、コロナの犠牲者はもっと多いと思います。みんな、何かしらの意味で犠牲者なのではないでしょうか?そのことを考えてみて、そこからなにかしらのプラスのパワーが生まれてくることも、合わせて願います。

*****
追記

前々回、人命と数に関する事柄に触れ、その中で御巣鷹山の日航機事故に際して、新聞に掲載された犠牲者リストの思い出を書きました。
5月24日付けの毎日新聞のネット版で、ニューヨーク・タイムズが一面にコロナ出なくなった方の氏名を一部掲載、とありました。




2020年5月24日付けNYタイムズの一面


ネット版での報によりますと: 

「米紙ニューヨーク・タイムズは、24日付の1面を新型コロナウイルスによる死者の名前や年齢などで埋めた。見出しは「米国の死者数10万人に近づく 計り知れない喪失」。米国の死者数は約9万7000人(23日現在)で10万人に近づいているが、失われた一人一人の命の重みを伝えるために異例の取り組みをした。

 同紙が23日夕、公式ツイッターなどに紙面の画像を投稿した。記事では名前、年齢とともに「新年度の初日には孫たちに歌を歌って聞かせた」など、故人の人柄も紹介した。中面も含めて1000人分を掲載したが、「ここに掲載した1000人は全体の1%に過ぎない。誰一人としてただの数字ではない」と訴えている。」(【ニューヨーク隅俊之】)


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STK61なしゃべり方がしたい!!

2020-05-17 00:00:00 | 日記
多くの地域で緊急事態宣言が解除されたようですね。喜ぶ声と、不安がる声の双方が聞こえているそうですが、たとえゆっくりとであっても、確実に事態が収束の方向に進んでくれることを願います。

この日本での緊急事態宣言の解除の余波?みたいなものがありますので、まずそれをご紹介します。

コロナ禍が始まって以来、日本の報道番組を毎日視聴してきたことはこれまでにも書きました。Youtubeに多くの番組が配信されていました。「羽鳥慎一」「バイキング」「グッディ」「ミヤネ屋」「Nスタ」等々。夏目三久ちゃんの「あさチャン」すら一度見ることができました。

それがです。昨日からすべての番組が消えました。なんと...

で、思いついたのは、これは緊急事態宣言が発令されて、皆さんが「Stay home」の掛け声とともに自宅待機を余儀なくされていた間の「期間限定」のものだったのではないか?と。

民放のYoutubeへの取り締まりは結構厳しいものがありますが、例えば東日本大震災の時とかも、ネットへのニュース配信は毎日あったのを覚えています。だから非常時限定で、ネットへの流出が「お目こぼし」になっていたのかも。

もしそうだとすると、日本の報道番組にはまたまた「さようなーら、さようなら」となります。(この「さようーなら」をメロディ付きで読める人は相当古いです(*^^*))




やっと作り始めた自前の動画用のスチール


番組が見られなくなることよりも、毎日お会いしてきた岡田晴恵先生や二木芳人先生に会えなくなるのが、ちょと寂しい?かな。二木先生は存在感すごいし。それに村中璃子先生も。(村中さんは才色兼備なだけでなく、権力に屈しない超タフなお方とか。敬服)

でも、毎日日本の番組三昧はあまり良いことではないですし、ANNは各ニュースの抜粋版を二十四時間流してくれていますので、日本の情報番組が全滅してしまうわけではありません。それで我慢しましょう。

さて、こちらでも「Stay home」週間はありましたし、その間にネットでの「ライブ配信」や「動画サービス」があちらでもこちらでも「雨後のタケノコ」化したことも日本と御同様。

まあ、もともと星の数ほどありましたが、そこに周囲の「普通の人たち」が加わった、というのが正しいのでしょうが。

私も始めました。動画ですが。これは仕事関連のもので、要するにキリスト教会の布教用のものです。ちなもに「布教」という言葉には、なんとも言えない抵抗感があるのですが... なんでかなあ?押し付けがましいイメージを拭えないというか...

まあいいや。とにかく、そういうビデオを作り始めました。もう一年くらい前から考え始めて、準備もしてきたのですが、やはり自分のビデオを公の場に流すというのは、多少の勇気を必要とします。

グズグズしていたのですが、コロナ騒ぎがむしろ背中を押してくれたようです。

三十万御礼とYoutuberへの路 の続き


というわけで、これまで七つの動画を作り、Facebookで配信しました。始めはYoutubeの利用を考えていたのですが、いろいろ事情がありFacebookをメインとしています。

そして自作の動画を見て思うことはやはり「しゃべるのが結構難しい」ということです。

ビデオで見て初めて気がつく、自分の話し方の癖もありますし、表情の癖もあります。「イヤだー」と思うものばかり。

Youtubeはかなり見てきましたので、「こういう話し方をしたい」と手本にする人はいます、何人か。そのうちのひとりはフォトグラフィー分野のチャンネルのトニー・ノースラップさん。知的で優しい語り口なので「こういう風にしゃべりたい」と思っていたのですが、実際は雲泥の差。がっかり。




知的で優しい語り口のトニーさん


Tony & Chelsea Northrup


しかも、がっかりに追い討ちをかける「追いガッカリ」があります。週一で作るようにしているのですが、さすがにひとりでは賄いきれません。そこで若い同僚ふたりが協力して、一回ずつ請け負ってくれました。撮影はワタシ。

このふたり、昨秋にジュネーブへ一緒に行った仲間なのです。ひとりは女性のアウスタさん、もうひとりは男性でヨウンさん。それはいいのですが、収録してみると、ふたりともしゃべるのが上手なのです!




ジュネーブでのアウスタさんとヨウンくん


ジュネーブ中街ワイワイ日誌(19-1)– 久々のグループ旅行珍道中


ワタシが自分で収録する時は、つっかえつっかえで最低五、六回は取り直しするのです。気に入らなく、翌日再収録したこともあります。でもアウスタさんは二回でOK。ヨウンさんにいたっては一回で終了。One take Jonだ。

私の知り合いの邦人のシェリーンも動画を作りYoutubeにアップしています。以前ご紹介したこともありますが、アイスランド観光の動画です。そのシェリーンも動画でのしゃべりが上手です。しかも町中でしゃべってるし、プロの女子アナなみ。よくできんなあ...




プロの女子アナかタレント級のシェリーンのおしゃべり


シグロフィヨルズルに行ってきた!


こうなってくると、自分の出来の悪さを否めない感じになってきます。

で、言い訳を探していて思いついたこと。私の世代の人たち –私より前の世代はもちろんですが、多分十年くらい若い人たちも。つまり五十歳くらいまで– は、自分自身を映像としてみる機会はそんなになかった世代だと思うのです。「映像」というのは写真というよりはビデオ・動画という意味で。

自作動画作成にあたっては、まずもって「自分自身をビデオで撮る」ということの気恥ずかしさを克服する必要があります。やはりビデオカメラに向かうと、なんというか、自分の動作や仕草がすべて「わざとらしく」感じられてしまうのです。

その点、若い世代は子供やティーンの時代から、スマフォで自撮りに慣れていらっしゃる。おそらくなんの照れも気後れもないのでしょう、訊いたことありませんが。

英語、っていうのもあるよなあ。普段はブロークンお構いなしで気楽にしゃべってるけど、動画として記録されるとなると、life? lives? angel? an angel? the angel? とか気になってくることが山ほどあります。

ネイティブではないので、気楽にしゃべることはできません。

まあ、でも世間様が言い訳に耳を貸してくれるわけでもないし、言えば言うほど「年寄りの愚痴」になります。愚痴を言うよりは、練習と経験を重ねた方がいいのでしょう。

アイスランド語でAefingar skapa meistaraアイヴィンガー スカーパ メイスタラというのもがあります。意味は「練習がマスターを作る」ということ。STK 61 (スマートで知的で格好いい六十一歳)も練習の賜物なのでしょう。

研鑽させていただきます。m(_ _)m まだまだ若いものには負けん! って、そういうのが年寄りの印なんだよなぁ...


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数値を愛し活用せよ されど...

2020-05-10 00:00:00 | 日記
こんにちは。日本ではゴールデンウィーク明けとなりましたね。あるいは、明日から明け、という人も多いのでしょうか?どのようなGWを過ごされたでしょうか?

アイスランドでは、(別にGWはなかったのですが)一昨日、昨日は青空に初夏の太陽が輝く好天に恵まれました。それが「コロナ規制明け」 感に拍車をかけたようで、巷には「やっと夏だ」という雰囲気が漂っています。気の緩み過ぎが怖い気もしますけど。

と言いながら私も「コロナ明け」をエンジョイしました。床屋さんです。私が二十年も通っているのは昔ながらの「床屋さん」でヘアサロンではありません。

理容・美容業の営業が禁止された時、その床屋さんのマスターがニュースのインタビューで「感染が怖いし、自主的休業を考えていた」とかのたまっていたので、営業解禁になっても戻ってくるのか心配していましたが、ちゃんと営業再開してくれました。

七週間か八週間ぶりの散髪だったので、さすがにさっぱりしました。マスターもいつになく饒舌で、やはりお客さんだかおしゃべりが恋しかったのでしょう。




「コロナ後」へ向けてツーリスト業も必死
Myndin er ur Icelandtravel.is


日本もGW明けをもって緊急事態宣言が全国から限定の都道府県へ縮小されたということで、「解禁」を喜ぶ声とともに「たがが緩む」ことを心配する向きもあるようですね。

ところで、日本からの報道番組やワイドショーを見ていて思ったことがあります。それは「数」というものについてです。もちろんアイスランドのニュースでも感じることなのですが、絶対数なるものが限りなく少ないアイスランドよりは、日本やアメリカのニュースに接すると余計に感じさせられることなのです。

西村経済再生大臣と吉村大阪府知事の間での議論とかでも問題になっていたと思うのですが、コロナに関しての規制解除や自粛解禁への「出口」が話題になるたびに、「わかりやすい説明を」とか「具体的に数で示してほしい」とかいう意見が聞かれます。

「一日の感染者数がXX人以下になったら」とか「入院者の病床に対する比率がXX%以下になったら」とか、確かに客観的な数字で示してもらえると理解しやすくなりますね。

逆にPCR試験の条件を「高熱が続く」だの「倦怠感がある」などの表現で示されると「そんなんじゃわからん」という気にさせられます。まあ熱はとにかくとして、倦怠感は数字化するのは難しいでしょうが。

数とか数字というのは、ものごとを考える際の基本的なデータとなるものです。ものごとを主張する際の根拠になったり、説明する際の指標にもなったりしますね。分野にもよるでしょうが、大方の論理的なプレゼンテーションでは数字や統計は不可欠の要素だと思います。

「旧日本帝国海軍」の士官教育に関する本を何冊か読んだことがあるのですが、その中にも「数字を愛し、これを活用せよ」という教えがありました。

旧海軍は精神主義のシンボルのような機関と思っていましたので、ちょっと意外な感がしました。実際は海軍はずいぶん進歩的だったようで、それがために今でも「ファン」がいるようです。

今回のコロナですが、「数」に注目して状況を見てみると、気が付かされることがあります。例えば単純に犠牲になって生命を落とされた方の数だけを取り上げてみましょう。

以前 ご紹介したことのあるWorldOMeters.com からの数字で、5月8日現在のものです。

世界のコロナの状況一覧はこちら


それによると、日本での義勢者の数は590人。三十五年前の御巣鷹山での日航機墜落の大惨事で亡くなった方が520人でしたから、590人の犠牲というのは相当に大きなものです。



日本のコロナ状況
Myndin er ur worldometers.info/coronavirus


ところが、それを外国と比較すると事情が変わってきます。

アメリカでは78616人の犠牲。イギリスでは31241人。イタリア30201人。スペイン26478人、フランス26230人と続きます。

ウィキペディアによりますと、アメリカの人口は3億3千万人ありますので、日本の1億3千万弱の約2,5倍あります。その点を考慮しても、アメリカでの犠牲者数は日本の53倍強となります。

イギリス、イタリア、スペイン、フランスはいずれも日本よりも人口は少ないのですが、それを無視して単純比較しても45倍から52倍あたりの計算となります。




世界のコロナ状況


ですから、この点から見ると...

日本でのコロナ禍は世界の最悪国から比べると、まだまだ小さいものだと言えるでしょう。これは亡くなった方の数だけについてです。医療活動や経済活動への影響等など、波及している被害はまた別のこととして、という条件でです。

ニュースでも時折話題になりますが、私個人でも「なんでだろう?」という好奇心は抑えられません。

東京、大阪だけでもNYやパリ、ロンドンと同等規模の都市ですから、同規模の被害が予想されていたでしょうし、懸念もされたと思うのです。にもかかわらず、現実には今のところそうはなっていない、という嬉しい方向でのびっくりだと思うのです。

中央の政府閣僚のトロさを鑑みれば、びっくり度はさらにアップします。少なくともワタシ的には。

何かきちんとした理由があるはずですし、できるならその理由を知りたいものだと思います。




夏っぽくなったこの土曜日の朝 ホーム教会の前


で、ここに、今回私が感じていたことがあります。数の比較では、日本の状況はアメリカやイギリスに比べると「まだまだ軽症だ」ということになり、多少の安心感のようなものを得られる気がします。

ですが、亡くなった方の絶対数は、それでも満員のジャンボ機事故以上のものになっています。とてもではないですが「軽症」などという言葉は罰当たりなものになります。

あの御巣鷹山の事故があった時、私は教会の青年の仲間と千葉県の海の家へ行っていました。事故の翌日か翌々日、帰りの列車の中で新聞を開くと、事故で亡くなった方々の顔写真とお名前が掲載されていました。

それが何ページもあるのです。それだけで別冊の新聞になりそうなくらい。五百人以上の方が亡くなったんだ、ということをそんな仕方で実感しました。バカバカしいと思われるかもしれませんが、今でも覚えているくらい重い気持ちになりました。

今回、コロナで犠牲になった方々の、顔写真とお名前を掲載するとしたら、同じような新聞の別冊が必要になることでしょう。六百人弱というのは大きな犠牲です。

そして、そこに掲載される人たちのすべてが、誰かの息子、娘であり、あるいは父親、母親なのです。身近にいた人たちにとっては、そのひとりのロスは決して「六百分の一」ですまされるものではないのです。

「数」っていうものは、それだけではなにもしないですね。それを解釈し、利用するのは私たち人間の方です。そしてその人間というのは、数の比較の仕方や数の桁数の「慣れ」によって感じ方がコロコロ変わるような不安定さを持っているようです。

ですが、人の生命に関わる事柄に関しては、そのような不安定さがあってはいけないと思います。人は決して「数」に還元され切ってしまう存在ではありませんから、そのことは常にしっかりと意識しておく必要があるでしょう。

コロナについての議論や意見交換はまだまだ当分続くことでしょうが、「数」が「人」になりかわってしまうことがないことを願います。


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「コロナ越え」? 「一安心」のアイスランド

2020-05-03 00:00:00 | 日記
こんにちは。ゴールデンウィークの只中ですね。どのようにお過ごしでしょうか?前回書きましたように、日本の報道ワイド番組を毎日見ていますので、GWとは思えないほど閑散とした各地の様子も目にしています。

皆さん、グッと堪えてStay homeを実践されているのでしょう。どうか、皆さんの努力が功を奏し、感染が下降に転じることを願います。

それにしても、やはり自宅に篭りっきりになると、健康であっても病人になったかのような気分になってしまうこともありますね。やはり散歩なり軽いフィットネスなり、何か気分転換になるものは絶対必要でしょう。

それから、自分自身で思っていることですが、あまりニュース報道番組を見続けるのも、かえって「うつ」の種になるような気がします。もうコロナしか話題になっていませんからね。私は「有吉いいeeeee」を見て中和を図っています。

アイスランドでは、この一週間は新たな感染者数はゼロから5人くらいの間にとどまっています。明日の月曜日からは集会規制は50人へ(現行は20人)緩和され、営業禁止も多くの業種では解禁となります。理容、美容関係もです。これは嬉しい。床屋行きたいのです。

「コロナ越え」?で「一安心」感が周囲には漂っています。それに合わせてか、天気も良い日が続くようになりました。まだ風は冷たいようですが、家の中ではTシャツ一枚で十分なくらいになることもあります。

私もStay homeの期間を利用して、先日衣替えをしました。もうシャツ類は半袖。ジャケット類も冬用の厚手の物は引っ込め、スリーシーズン用を引っ張り出しました。日本の本当の夏用の薄いジャケットは使う時だけ出すようにしています。使う機会は一夏で三回あればラッキー?(*^^*)




五月の教会 周囲は雪もなし


さて、「一安心」気分の一方で不安感があることも否めません。とにかく一月以上も経済活動がストップさせられてきたのですから、多くの企業や会社が、規模の大小に関わらずサバイバルに喘いでいます。

カトリーン内閣は、先週も会見を開き「救済のための第三次案」を示しました。今回は前回苦情が多かった観光業などへの、大規模な援助案を示しており、概ね好意を持って受け止められています。

これはこれで大きな問題ですので、もう少し時期を待ってから、また取り上げることができれば、と考えます。

私の仕事である教会関係も、徐々に通常のスケジュールへと復帰する道をたどり始めています。いいことです。あくまでも「徐々に」ですけどね。

私もそのカムバック・モードに切り替える時期なのですが、多少嫌気がさす部分もあります。

アイスランドは、夏冬の二季しかないことは前回も述べました。人々の生活もその二季に依って組み立てられています。具体的に言いますと、九月から四月の冬の時期が「仕事のシーズン」六月七月は「夏休みのシーズン」です。

その合間の五月は「仕事の締めの時期」八月は「シーズン開幕準備期」という感じです。

そして年度末へ向けての、各種の「総会」のようなものが四月あたりから持たれるのが通常なのですが、今年はそれらがすべて「延期」されてきました。

しかし総会は法律で義務付けられているもので、なしですませることはできません。というわけで、五月にこれらを一気に片付けてしまわざるを得ないのです。で、今月はその種の会議のオンパレード。

総会に付き物なのが報告書であることはアイスランドでも同じです。で、私も報告書をいくつか書かなければならないわけです。そして、報告書書きは、私は嫌いなのです。というわけで、「嫌気」がさしているのでした。チョー理屈に合ってます。

加えてこの好天。天気がいい時に机に向かって報告書を作ることほど、ワタシをウンザリさせてくれるものはないのです。いつか、報告書作りを部下にさせるような身分になりたい。絶対に見果てぬ夢ですが。

その部分を別にすれば、徐々にではあっても教会でまた「物理的に」会うことができるようになるのはありがたいことです。





シャットダウン期を利用して教会内も大掃除


今回実際に強く感じたことですが、ネット会議というのは情報の伝達や、顔を見るのには都合の良い方法ですが、お祈りのような心を合わせる作業の場合にはかなり難しいものがあります。

私のところの集会では、英語のよくわからない人もいますので、通訳が必要になります。実際に一緒にいて通訳してもらうような状況ですと、言葉だけでなく、表情や話し方の調子というものが意思の伝達を助けてくれます。

ネットの会合では、そのような細かい「お助け」の部分が把握しにくくなり、その分通訳してもらった言葉さえ伝わりにくくなる感があります。

私自身の仕事に限っての話しですが、ネット会議はとにかく「コンタクトが切れしまうのを防ぐため」という消極的なというか、守りのための活動でした。

この期間にビデオも作り始めました。考え始めたのが去年の春でしたから、まるまる一年かかりましたね。実際に自分のビデオを流す、というのは私のような老域に入った者には気恥ずかしく、ハードルが高いものがあります。

それが、この外出自粛の騒ぎのおかげで猫も杓子もビデオやライブをし始めましたので、どさくさに紛れることでハードルを下げることができました。

余談ですが。「猫も杓子も」は本当は「女子(めこ)も若子も」であって、つまり「老若男女」のことだ、と聞いたことがあります。落語でしたが。(*^^*) 三代目金馬師匠の「やかん」という題目。




コロナ期サバイバル 姪も働き先の居酒屋で弁当を売り出し中 美味しい


作ったビデオはFacebookをメインにして流しています。私の場合、対象があくまでアイスランドにいる人たちですので、世界に繋がってYoutubeよりは、むしろFacebookの方が効率的な面があることがわかりました。

こちらの方は、未知の人たちに対しての働きかけですので、ネット会議に比して言うと、積極的、あるいは攻めの活動と言えますね。これは集会禁止令が完全に解除されても続けていこうと考えています。

ビデオとまったく同じではありませんが、ライブの仕方についても多少学びました。これはまだ学びの初歩の段階。これは自分の職務のためではなく、私が居候している教会のためのもの。自宅にとどまっている高齢者の方々のために、アイスランド語での礼拝等を流すようにしているのです。

何回か前に書きましたように、この教会にはテックマン(技術的なオタク)がいないので、私が次善(の次善の次善くらい)の人材としてお助けしているのでした。これも、まだしばらくは続けていかないといけないでしょう。

高齢者の方々には、まだまだ人混みを避けて気をつけていただかなくてはなりませんから。

ライブ時にどうしても「ズー」というノイズが入ってしまい、除去できないでいました。金曜日はメーデーで祝日だったのですが、ひとり教会で出向き、この解決を探しました。ネット読みながら、サウンドフィルターを調節したり、マイクとコードの接続をチェックしたり。効果なし。

ところが、偶然カメラを接続してあるマックを動かそうとして、電源コードをオフにするとノイズが消えました。 !!?? コードを接続ーノイズ。オフー静か。接続ーノイズ。オフー静か。接続ーノウズ。オフー静か。

昔「トリック」での仲間由紀恵さんの「男、女。男、女。女、男」のギャグを思い出しながら、二十回くらい試しました。ノイズ原因発見。なんとマックの電源接続。ひとつ利口になりましたよ。

アイスランドではこんな感じで、ゆっくりとではありますが、復帰の途に就きつつあります。日本も早くそのようになることを願います。

もちろん第二波の危機はここにもあります。いつになったら国外との行き来が自由になるのか?という問題もあります。アイスランドが落ち着いただけでは解決しません。これは文字通り「世界が一致して」戦わないといけない課題ですね。

GW、Stay homeでストレスが溜まるかもしれません。上手に息抜きをしながら、それでも楽しく、かつ感染防止に取り組みつつお過ごしください。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is
コメント (2)
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