レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「間違っちゃった」法律 This is Iceland,too.

2017-03-26 05:00:00 | 日記
私は法律家ではありませんが(それでも一応「法学部卒」なんですけどね、政治学の方で)、仕事の上ではかなり法律を読む必要があります。その関わり方は「法の解釈」云々というよりは、その法が人の権利を正しく保障するものか?ということの方がメインになります。

法というのは「完全」ということがありませんので、何かの法が権利を侵害していたり、不当な差別になっていることもあります。そういう場合には、私はクレーマーになるわけです。

移民や難民の人たちのつながりが職務の中心にありますので、当然これらの人々の権利に関わる法律が、つまり外国人法や外国人の労働権に関する法等が私にとって関わりの多いものになります。

加えて、結婚や離婚に関する法、子供に関する法、公序良俗に関する一般法等も深い付き合いになります。「公序良俗」というのは漠としていますが、実際に問題となるのはいわゆる「ヘイト·スピーチ」に関する事柄ですね。

さて、外国人法は年々着々と?変化しています。今年の一月からは多少大がかりな改正(または改悪)があり、その法案は昨年の夏頃よりフォローしたり、コメントを進言したりする機会がありました。

ですが、私自身が難民申請者の人たちとの実際的なアサインメントが多数あったため、あまり法改正には注意を払ってきませんでした。他にも実際の法律家や、難民の権利のために働いている人も多数ありますので、「お任せ」的にしてしまっていたわけです。というのはつまり怠慢でした。

で、今年の一月になって、私が世話役になっている祈りの会のひとりの難民申請者の青年が、アイスランド女性と結婚しました。この青年は強制送還が迫っており、そのことがその時期での結婚を決意するきっかけになったのです。ですが、これは「偽装結婚」とは違います。

「偽装結婚」というのは、例えば配偶者としての滞在権利を得ることを目的として結婚することです。非常に多くの人がこの「偽装結婚」という言葉を、特に移民や難民に対して使います。もう十年以上前からですが。

私の意見では偽装結婚とは、本当に限られた意味でのみ用いられ得ます。例えば当該のふたりがまったく面識がなく、かつ金銭の授受等が確認された場合などです。

「知り合って三ヶ月でゴールイン」なんていうのは、世にかなりありますからね。それだけで「偽装結婚」呼ばわりされたら憤慨する人が多く出てくるでしょう。

さて、くだんの青年とその奥さんなのですが、彼らはもう一年前から知り合い、付き合っていました。ですが、「結婚」ということはすぐには考えていなかったと言っています。私からしてみれば、とても納得のできることで、やはり「難民申請者」という立場をクリアしてから一緒になりたいと思うのは自然なことです。

ですが、何事にも「きっかけ」というものはあり得ます。結婚されている皆さんはどうでしょうか?結婚を決断するきっかけはまったくありませんでしたか?自然になんとなく一緒になっていたとか?(*^^*)

このふたりは「送還」という厳しい現実に直面した時に、「お互いを失いたくない」という気持ちを実感したのです。そして結婚しました。送還の日の直前でした。

昨年までなら、結婚によって「送還」は差し止めとなり、もう一度レヴューが行われます。よほどの「偽装結婚」の証拠がない限り、アイスランド人の配偶者として滞在許可がおります。

ですから今回もそうなるだろう、と思っていたのですが、実際には彼は送還され北アフリカの国へ戻されてしまいました。そこで初めて、私は一月からの法改正、いや法改悪のひとつが外国人配偶者への滞在許可に関する新条件であったことを知りました。

それは結婚するだけでは不十分で、その結婚が「一年以上継続していること」が必要となったのです。アイスランドは「届け出同棲」が制度化していますが、この場合も同様とされました。

可哀想に、新婚カップルは瞬く間に引き裂かれてしまい、いまだにそのままです。

私はこの改悪の件を知らなかった自分の怠慢を呪いましたが、なぜそんな改悪がぬけぬけと世間の批判を通り抜けてしまったのかも不思議になりました。

そして次の瞬間に別のことに気がつきました。三月末に結婚する予定のアイスランド人青年と邦人女性があり、私が式を担当することになっていました。
花嫁さんは日本からやってきます。ふたりは挙式後はアイスランドで新生活を始める予定だったのです。

(*実はそのカップルの式は昨日めでたく執り行われました)

しかし、この改悪によれば、花嫁さんはアイスランドでの配偶者資格での滞在許可を取れないことになってしまいます。なにしろ新婚ホヤホヤなんですから。一年経っていません。

ということは、これはEU外からの外国人で、アイスランド人と結婚して、ここで新生活を始めることを計画している人すべてにとっての困難となってしまうわけです。

私はすぐにこの青年と連絡を取り、この問題を説明しました。自分でも問題を取り上げて、関係諸庁に訴えようと思いましたが、同時に青年にも法務省へ自分から相談するように勧めました。不平はあちらこちらから聞こえてこないと。

時を移さず、まったく同様の立場にあったアイスランド男性、日本女性のカップルから相談を受けました。その時点でまだ改悪から一ヶ月経ったかどうかという時期でしたよ。

すると、先の青年が私に連絡してくれて「この問題はすでに再改正する方向で話し合いが法務省でなされているそうです。なんでも間違って法律に入ってしまったとか」ハッ?でも再改正されるなら、それは良いこと。

引き裂かれた新婚カップルのこともあったので、これで救いの道が開かれる、と多少慰められました。

そして十日ほど前に、改正案がメイルで届きました。国会では新法の制定や現行法の改正の時に、問題に関わりのある関係者に意見を求めます。これはよい仕組みだと思います。

その改正案を先週熟読したのですが、はっきり言って曖昧なというか不必要に難解な文で、正しい解釈に行き着くのに苦労しました。オフィスのある教会の主任牧師さんに相談しましたが「わからん」新任のかわいい女性牧師さんが法学士とわかり、彼女にも相談しました。「曖昧ねー...」

問題はですねえ、改正されるはずだった一文が改正されていなかったことなのです。それは「(配偶者資格の滞在許可のための)条件は、(略) 当該者が一年以上継続している登録同棲もしくは婚姻関係にあること」。

何だ、何も変わっていないじゃないか?と思い、正直がっかりしました。頭にも来ましたし、イヤになりましたね、この件が。

ですが、法案に付属している説明には「一年間の条件は登録同棲の場合のみに適用される。もとより新外国人法は、外国人配偶者への滞在許可を妨げる意図ではなかった」などと書かれているのです。

で、四時間、考えましたよ。オフィスで。どういう論理的整合性がそこにあるのかを...

そしてやっとわかりました。




迷惑の元、となった条文


問題の条文はこのように読まれるべきだったのです。「(配偶者資格の滞在許可のための)条件は、(略) 当該者が一年以上継続している登録同棲/ (区切り) もしくは婚姻関係にあること」

日本語に訳すと多少ぼやけてしまいますが、アイスランド語ではこれは誰しもが「一年以上継続している」という節が「登録同棲」と「婚姻関係」の双方にかかっていると読めてしまいます。

そうではないことを示すために、後続の文に必要最小限の改正がなされているのでした。これも相当法律の知識がなければわからないようなポイントでした。

ですから、この改正法案がこのまま国会の審議を通過すれば、邦人の花嫁さんらのカップルは何も心配が要らなくなります。送還されてしまった青年も、改めてビザ申請して再度来アできるものと思います。今度はアイスランド人の配偶者として。

加えて、この法案の付属の趣旨説明に見られるように、もし先の改悪が「そうは意図していなかった」というようなミスであったのなら、私は送還された青年と奥さんのカップルは損害賠償を受ける資格があると思います。もともと、送還されるべきではなかったことになりますから。

先に「なぜ、このような改悪がぬけぬけとくぐり抜けたのか?」と問いましたが、おそらくは審議の過程で訂正されたはずの古い草案が、どこかで入れ替わってしまったのではないか、と想像します。

でも、そんなのも言い訳ですよね。罪ない人たちをこれだけ失望させたり、心配させたりしたのですから。法務省、それに国会はもう少し襟を正して自らの責任に向き合ってってもらいたいものです。


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無実なセカンドフォーンもあります

2017-03-19 05:00:00 | 日記
よく書いていることですが、私はテレビの「ポリスもの」が洋の東西を問わず好きでいつも見ています。現在気に入っているものに、ニューヨークを舞台とした「Blue Bloods」というシリーズがあります。

もう三年くらい前の話しで、大学教授が何者かに殺害される、という事件がありました。で、捜査の初期の段階でこの教授が携帯電話をふたつ使っていたことがわかります。

すると主役の刑事が相棒と顔を見合わせて「と、いうことは...?」となりました。ちょっと驚いたのですが、その話しの設定では「普通の人は携帯をふたつ持ち歩いたりしない。するのは犯罪に関わっている場合だ」ということだったのです。

要するに二台目の携帯は秘密の携帯であって、人には言えないような目的のために、あるいは犯罪行為のために隠し持っているのだ、ということなのでしょう。ちょっと理屈が飛躍しているように思えるのですが、アメリカではそんな風に考えるものなのでしょうか?

さて、ここからは、以前書いたことと多少重複するかもしれません。そのブログを見つけられないので、はっきりとは断言できないのですが。まあ、年寄りの常だ、と思ってご容赦願います。(^-^;

私の周囲には携帯をふたつ持ち歩いている人が時折います。外出が多く、仕事上携帯で連絡する必要が多い人の場合が多いようです。尋ねたわけではありませんが、ふたつのうちのひとつは職場が提供している携帯だと思われます。

実は私自身も携帯はふたつ持ち歩いています。私の場合は両方とも自分の携帯です。もっとも牧師は「電話料金手当」というものを毎月の給与と一緒に受けています。

電話だけではなく、オフィス手当、自動車手当、服手当等も支給されます。なぜかというと、職務上どうしても家庭の電話を使ったり、家庭で仕事をしたりということが避けられないからです。

また、仕事であちらこちら訪問して回るのも牧師自身の車ですし、ガソリン代を払うのも当人、ということになるのが普通だからです。ついでに言うと、牧師が着用しなければならないカットカラーのシャツも自分持ちです。

私が二台目の携帯を購入したのはおととしの夏で、その頃から教会での集会のリマインダーを送り始めたのがきっかけでした。これは赤十字の難民関係のオープンハウスの担当者がやっていたのを真似たのですが、実際効果はあるようです。

日本ではあまり使われていないようですが、携帯にはSMS(Short Message Service)という機能があり、メイルと違って携帯番号だけ知っていれば、その番号宛にメッセージを送ることが可能です。

で、赤十字を真似して、私も毎週の集会の前に難民申請者の人たち宛にSMSを送り始めたわけです。

ところが始めてみると、結構な数のSMSを送ることになると気がつきました。週二回の集会でだいたい60本くらいを送ることになり、月では240〜50本になります。これでは毎月何千クローナという出費になってしまいます。

加えて難民申請者の人からは、こちらにメッセージが届かない、ということも頻繁に起こるようになってしまいました。なぜかというと、難民の人たちは大方の場合、料金設定が安いNovaという電話会社の番号を、プリペイド式の方法で使っています。ですから、前納したクレジットがなくなってしまうと、それ以上その携帯から私宛に通信することはできなくなります。

ここまで書くと、「ViberとかLineとかを使えばいいのに」と思われる方があるかもしれませんが、皆が同じアプリを使っていてはくれませんし、一二度会っただけの人にも連絡しなければなりません。番号だけでOKのSMSは一番効果的なのです。

され、私の携帯は別のSiminnという電話会社のサービスを使っていました。で、どうしようか?と考えていると、Novaのサービスでは、たとえクレジットがなくなっても、Nova同志間では通信できるサービスが提供されていることを知りました。しかも、SMSも毎月300本まで無料。(現在ではSMSは無制限完全無料)

だったらNova番号に乗り換えようか?と考えたのですが、「いやそれより、Nova番号でもうひとつ携帯があればいいじゃん!」となったわけです。

なぜかというと、iPhoneを何年か使っていた私は、他の携帯を使ってみたくて仕方なくなったからです。正直言って、状況を利用して自分の「あれ欲しい」願望を満たしたわけです。へへ。

そこで「楽し〜い」携帯選びの末、SonyのXperiaを二台目携帯として購入しました。クールな携帯ですよね。ついでにSonyのSmart Watchも使い始めました。




マイ セカンドフォーンズ... v(^^) 左のXperia君はしばらくはベンチ待機


アンドロイド携帯を使うのは初めてだったのですが、一年半ほど使ってみて「コレはなー...」と思わざるを得ない点がいくつか出てきました。

まず、不要なアナウンスや広告が多すぎること。メイル等、Googleの管理システムに不便な点があること。Xperiaに関して、カメラ機能で本体がものすごく熱くなること。OnOffスイッチが、ついつい押してしまう場所に付いていること、タッチスクリーンが突然フリーズしていまい電話に答えらないことが数回あった、等々でした。

始めは物珍しくて楽しかったのですが、携帯そのものとしては使い勝手が悪い、とうのが一年半使ってみた私の感想でした。正直にその裏を読み取ると、要するに子供がおもちゃに飽きるのと同じことで、飽きたのでした。(^-^;

というわけで、先週からセカンド携帯はiPhone7となりました。ついでに第二世代のApple Watchも。多少お金はかかりましたが、まだイノセントな範囲でしょう。

実を言うと、私はいわゆる「ガジェット」類が好きな人なのです。PCの類はガジェットに入るのかどうかはわかりませんが、携帯は私の感覚ではガジェット仲間です。もちろんWatchも。

最近気に入ったガジェット、とかについてはまた機会をみて書いてみたいと思います。


最後に哀悼のことばを。

渡瀬恒彦さんが七十二歳の若さで亡くなられてしまいました。本当に残念です。男優の中では一番好きな方でしたし、六十五過ぎて、あんな感じになれたらいいなあ、と常日頃思ってきました。

たかが二十年 されど二十年


若いころのヤクザ映画は見たことありませんが、落ち着いてきてからの、特にテレビドラマはたいてい見てきています。このブログのタイトルの「ひとり日誌」というのも、渡瀬さんの人気シリーズだった「タクシードライバーの推理日誌」から持ってきたものでした。

心よりご冥福をお祈りいたします。


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IKR > JPY 嬉しいながらも釈然としないワタシ

2017-03-12 05:00:00 | 日記
東日本大震災で犠牲になられた方々のことを覚え、心よりのお悔やみを申し上げます。

昨日は三月の十一日でしたね。あれから六年が経ったわけですね。これが「もう六年も」なのか「まだ六年しか」なのかは、それを感じる人が置かれた状況や、関わり方にも依るのだろうと思います。

私のように、被災地から物理的に遠くに在住していて、また特に個人的な関連もないものにとっては、しばらくして環境が落ち着いてしまえば、特に思いを馳せることもなくなってしまいます。

ですが、家族や自宅、職場等を瞬時にして失ってしまい、その後の生活がまったく違うものになることを強いられた方々にとってはつらい年月であったこととお察しします。

被災地の復興は順次進行しているのだろうと思いますが、いまだに、福島在住だった方々があちこちで「いじめ」に会っているというようなニュースを耳にします。残念なことだと思います。

いろいろな形で被害を被られた皆さんが、簡単なことではないだろうとは思いますが、着実に新しい生活を確立し、新しい夢を育んでくださることをお祈りいたします。




一周忌に教会で持たれた追悼式より


このブログでは、こちらの在住邦人の方々が、震災の報にどのように反応し対応したかを、二周忌の際に書かせていただきました。

アイスランド発 ガンバレNippon!


坂上忍さんが、金曜日のご自身のブログで
「明日は、3月11日。
大切な日.....忘れてはいけない日.....忘れられない日。
大事に、過ごさなきゃね。」
と書いていました。ありがたいですね、坂上さんのような人がこう言って引っ張ってくださると。


さて、今日の話題はお金です。

というと、品なく聞こえるでしょうが、お金といっても通貨、さらに正確にいうと通貨のレートに関してです。

2008年の経済危機以前は、アイスランドクローネと円のレートはだいたい1:1,2くらいだったと思います。2000年から2008年始めにかけてのクローネの対円レートの折れ線グラフを見ると、0,7から0,5の間に収まっているのがわかります。つまり1000円が700クローネくらいということになります。

こちらがバブルだった2007年の夏がピークで1000円が500クローネになりました。ここまで差ができるとかなりなもんで、十万クローネのお小遣い持って日本へ帰れば、十五万円分使える、ということになります。

その頃、日本へ帰った際に子供の服とかまとめて買って「ヤスー!」と感じたのを覚えています。

ところが2008年10月に経済危機が襲います。10月1日にはレートはほぼ1:1になりました。12月2日には対クローネの円レートは1,59になりました。それまでの真逆ですね。1000円で1600クローネになったわけです。

それ以来2014年に入るまで、レートは1,6と1,25の間をさまよっていました。2014年以降、多少クローネが安定して持ち直し、円の対クローネレートは1,2くらいに落ち着いていました。円をクローネに換算するには、まあ一割増し、二割増しという感じでした。

これくらいでも、例えばアマゾンで日本食を購入する際など、購入費はだいたい一万円分くらいまとめて買いますので、それに輸送費や、運が悪いと関税を掛けられたりで、「日本からの買い物はお高くつく」心構えが必要でした。




円とクローネのレートの歩み
(資料はLandsbankinn.isより)


ところが昨年の11月下旬からにわかに「円安クローネ高」が進行し、11月25日にはレートは1:1となり、それ以来ずっとクローネの方が円より高くなっています。ここ一週間は1000円が900クローネくらい。円の方がクローネより一割安、という感じですね。

私はお金の問題に疎く、通貨問題などはまったくの門外漢です。円とクローネの関係は、直接の関わり合いというだけではなく、円が世界的に安くなっているとか、そういう巡り巡っての関係でもあるのでしょう。

ですが、アイスランドの経済がうまくいっており、クローネが復権し始めたのも事実のようで、先週木曜のニュースでは昨年のアイスランドの経済成長率が7,2%に達し、経済危機以来最大の好成績だとのこと。国民総生産は経済危機当時よりも10%増しだとか。

嬉しいニュースなんでしょうが、なんとなく腑に落ちないというか、「ヤバイんじゃないの?」感が拭えないんですよね、このバブルっぽいの。私だけではないようで、そのニュースの際にもキャスターがゲストの女性経済評論家に、この景気は信頼していいのか?と尋ねていました。

「今回の成長は健康な成長で、マイナス要因は何もないと言っていいです」とその女性評論家は答えていましたが、誰がお前なんか、信頼するか?「アッチ側」(なんだかんだいって消費を煽る側)のくせして。

さて、クローネの方が円より強くなるということは、私のようにこちらで給料をもらっている人間としてはありがたいことです。実は、先週も調味料の類を楽天を通して「爽快ドラッグ」で買ったのですが、カードでの支払い額が円の額より小さくなっているのを見て、嬉しくなりました。「儲けた!」って感じ。

にもかかわらず、釈然としません。どっかに「嘘」がありそうな...杞憂であることを願います。


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今はこっちが案じている アイスランド語の将来

2017-03-05 05:00:00 | 日記
前回、外国からのツーリストの人たちに安全な旅をするために必要な情報を、英語その他の言語で提供する努力がなされている。そして、そのことがアイスランドの社会を根底から変えるような動きと結びついている、というようなことを書きました。

今回はその点に関してもう少し書いてみたいと思います。

今から十年ほど前のアイスランドは、バブル景気を楽しむ「金融立国」志向の小国でした。2008年秋にそのバブル景気は文字通りの「あぶく銭」のように消え、国家破綻規模の経済危機となりました。

その危機を乗り越えるための起死回生の切り札が観光でした。アイスランドクローナが脆弱したことを逆手にとって、外国からの観光客を「安い」ツアーに呼び込んだわけです。

どこまでが企んだもので、どこまでが自然発生的なものだったのかは定かではありませんが、結果、アイスランド経済は生き返り、観光業は現在のアイスランドを支える経済分野となっています。

今、私がダウンタウンのお店へ入ると100%英語で対応してきます。アジアからの観光客と思うのでしょう。それは別に構いません。お店の人にとっては確率的に言っても、英語で話しかけたほうが確かでしょうから。

ただ少し問題だと思うのはそれが「当たり前だ」というようにアイスランド人が考え始めている「ように見える」ことです。

二十数年前、私がアイスランドで働き始めた頃は、「アイスランドではアイスランド語をしゃべりなさい」と言われるのが常でした。「話せないから英語で話してるんだろ」とかなり頭にきたことが何度もあります。

「アイスランドはアイスランド語があるから存在しているのだ」という「アイスランド語=国民の魂」意識は相当なものがあり、移民からしてみれば行き過ぎたプレッシャーを感じざるを得ませんでした。

例えば当時のRUV(国営放送)にはHrein tungu stefna「明瞭な言語ポリシー」というものがあり、ラジオ、テレビを問わず「きれいで正しいアイスランドが話されなくてはならない」とされていました。(このポリシーは今でもあるはずですが、それほど杓子定規には用いられなくなっています)

当然、移民などはテレビやラジオに登場する機会が非常に限られます。ということは、移民が自分の側からの意見を直接表明する機会が削られていることになります。

で、2000年に牧師として「特定の言語能力で人の価値まで判断するようになれば、それは偶像崇拝と同じだ」ということを、同僚の助けを借りて「きちんとしたアイスランド語で」新聞に投稿しました。

これはかなり反響を呼び、それ以来「移民とアイスランド語」を巡って、相当な議論を繰り返すことになりました。

私を嫌う人の中には(大勢いますが)、私はアイスランド語の価値を認めておらず「英語をアイスランドの公用語にするように煽っている」などと非難する人もました(います、今でも)。

ですが、実際は私は移民がアイスランド語を勉強するのは当然だと思っていましたし、今でもそう思っています。英語を公用語にしろ、などと言ったことは一度もありませんし、考えたこともありません。

繰り返して言ってきたことは、もう勉強できないような高齢の人や、学んでいる途中の人も多いわけで、過度な要求やアイスランド語の能力だけで人の価値を測るな、ということでした。

その延長で、新聞の一部に、英語でその日のニュースのサマリーのようなコーナーを設ければ、移民の人たちへの助けになるだろう、と提案したこともありました。まったく相手にされませんでしたが。




「現代アイスランドでは、母国語が一番の地位を持つべし」「Computer says NO...」
Myndin er ur Snjallskoli.is


ところがです。現在はまさに、その英語によるニュースのサマリーが、モルグンブラウジズ紙のネット版でも、RUVのネットでも、Visirのネットでも設けられているのです。これらは移民のため、というよりはツーリスト向けです。

これらの変化はポジティブな発展だと思いますし、私はこれらの変化そのものに含むところは何もありません。ただ、私が???を付けたいのは、これらの変化の理由なのです。

もしそれらの変化の背後に、マルチカルチュラルな思想と考え、移民への配慮、グローバリゼイションの中でのアイスランド社会のあり方についての指針等があるのなら、それは素晴らしいことだと思います。

しかし、実際は違うのです。これはあくまで私の個人的な評価ですが、変化の背後にあるのは、ただ観光業です。外国人ツーリストが多く入って来るから、これらの変化が現れてきたのです。

もっと単純に言うと、それによって儲かるからです。

私(わたし)的には、この有様は十年前のバブルで浮かれ上がっていた時のアイスランド人の様と、まさしく同じに見えてしまいます。ともかく「目の前の利益」に支配されてしまうのです。

今までの賃貸アパートや他の不動産が、すべてホテル化していることはその事実を別の角度から指し示しています。そのことによる住宅不足が深刻な社会問題になっていることは、国民のひとりひとりが十分に認識しています(まあ、子供は除いて)。でも、そんなのカンケイねえ‼ 儲けたい‼ のです。

この間まで家宝のように扱っていた「アイスランド語=国民の魂」はどこへ行ってしまったのでしょうか?皮肉な話しですが、今は私の方がアイスランド語の将来を案じ始めています。

アイスランド語だけではないですね、案じざるを得ないのは。アイスランド語の能力で人を推し量っていたのが、今度は財布の大きさで推しはかり始めたのなら、それって、大きなため息もんです。ふ〜...


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