レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「女性は休みの日」

2016-10-30 05:00:00 | 日記
先週の月曜日10月24日はKvennafridagurと呼ばれる日でした。「女性は休暇の日」というのが直接の意味ですが、これでは真意が伝わりません。「女性のストライキ記念日」とでも意訳した方が、そのニュアンスを正しく伝えてくれるだろうと思います。

今でこそアイスランドは「男女平等の度合いが一番高い国」の第一位に何年も連続で挙げられていますが、昔からそうだったわけではもちろんありません。1975年10月24日の「女性の一斉職場放棄」つまり女性版ゼネストのような権利闘争は、男女同権志向のための大きな一里塚となりました。




1975年10月24日の「女性ゼネスト」を報じる新聞
Myndin er ur Stundin.is


この日の前後に、どのような要求やアピールがなされたか、とうような資料はもちろんたくさん現存します。その中に「なぜ女性は休みなのか」というアピールがあります。「なぜストライキをするのか」という意味です。主だったものを挙げてみたいと思います。

「なぜなら、ペイの悪い仕事、評価されない仕事について、特に女性が求人されているから」

「なぜなら、給与の交渉をする委員会のナショナルセンターの代表に、女性がひとりも入っていないから」

「なぜなら、商店や事務所で働く女性の平均給与が、同職の男性の給与平均の73%しかないから」

「なぜなら、農婦(「農夫」ではありません)は、農業組合の正規組員として認められていないから」

「なぜなら、『専業主婦の仕事は何か?』という問いに対する一般的な答えが『ただ家にいるだけ』であるから」

まだ他にもたくさんあるのですが、これだけを見てもゼネストにはそれなりの理由と背景があったことがわかります。

私が個人的に興味深いのは、労働組合が女性の権利を軽視する側に立っていたのがはっきり見て取れることと、専業主婦の労働に対する、社会的経済的評価が求められていることです。

さて、この女性ゼネストは、結果としてレイキャビクのダウンタウンに二万五千人の参加者を得て、「最も参加者が多かった野外集会」のひとつに数えられています。もちろん、レイキャビクだけではなく、他の町や村でも同様のストライキと集会が多々持たれました。

女性ゼネストは外国メディアの関心も引き、世界規模で報道され、外国の女性権利団体などからも支持を得たようです。

そしてこの女性ゼネストの評価ですが、内外の社会の評価では「女性側の完全勝利」だったとのこと。国連などは「1975年という年を、特に女性の権利に貢献した年として覚える」という決議までしたそうな。実際に何がこのゼネストで直接に変わったか? までは調べ切れていません。スミマセン(相変わらず詰めが甘い(^-^;)。

そのためアイスランドでは、毎年10月24日はこの出来事を記念する日とされてきました。ただ、これまで1975年以降三回、職場放棄を含む統一行動を取る日として呼びかけられました。1985年、2005年、2010年です。先の二回は1975年の十周年、二十周年だったのかもしれませんが、2010年は経済恐慌直後という状況があったことでしょう。

そして今年がそのような職場放棄を含む統一行動が呼びかけられた四回目の10月24日となったわけです。(1975年を含めれば五回目)

先週の月曜日には、市内の多くの女性が午後2時38分に一斉に職場を離れ、ダウンタウン中心のオイストル広場での集会に向かいました。幼稚園などでは「子供を2時半までに迎えに来て欲しい。3時からストに参加するから」というリクエストが園児の親に出されたそうです。

私も2時10分過ぎに、郵便局へ小包みを受け取りに行ったのですが、すでに閉まってしまっていました。ガクッ...

今回も大きな集会になり、このオイストル広場に限っても7-8000人が参加したとのことです。




四十一年後の集会 やはり大勢が押しかける
Myndin er ur Visir.is/STEFAN


さて、今回の集会の訴えの主眼点は「ジェンダー差別に基いた給与差別を是正せよ!」ということだったと思います。他にも多種多様なアピールがあったようですが、性の違いによる給与格差がなかなかなくならないことへの不満は相当あるように思われます。

今回、女性労働者が一斉に午後2時38分に職場放棄をしたのは、女性の平均収入が、男性のそれの70,3%しかないことへの抗議で、少ない29,7%分を定時の労働時間に換算すると、女性は2時38分までの給与しかもらっていない、ということでした。

女性の給与は男性の約七割、というのは全体の平均から言っているようですが、VRという商工会議所と労働組合を合わせたような団体があります。影響力のあるメジャーな団体です。そこのリサーチによると、傘下にある労働者(商店および事務所関連労働者)の年間総収入のジェンダー間での格差は、2014年が13,3%、 2015年が14,2%、そして2016年が14%。ここ二年は僅かですが後退。しかし、30%というような差はないようです。

この「差」を、給与格差に影響を与えるような要因、例えば年齢、経験年数、職種、教育度、シフトの有無等なのですが、これらの要因の影響を考慮して、「差」を再評価します。

「例えば勤務にシフトの割合が多い男性の方が、平均して女性よりも手当てが多い、という職種も実際にありますから、その点を考慮して比較を公正化するわけです。

そのように、いろいろな要因を考慮した上で、なお説明できないで存在する給与格差。それが「ジェンダーに拘束された格差」と呼ばれるものです。「性の違いによる以外には理由付けされ得ない」格差として認識されるわけです。

この「ジェンダーに拘束された給与格差」が2014年には6,0%だったのですが、2015年には10,6%、2016年も10%ということで、これもここ二年は僅かに後退しています。

まあ、確かに同じ仕事をしていて「女性だから」というだけで給与が男性より低かったら頭にきますよね。私だって「外国人だから」と給与が低かったら納得できないでしょうから。

というわけで、アイスランドでは男女の権利は同等に近着いていますが、まだまだ完全ではありません。給与以外にも差別の場はいくらでもありますからね。ピンクのプラカードを高く掲げた戦いはまだまだ続くものと思います。

大切な戦いです。


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アイスランド人に食べさせて「スベらないご飯」

2016-10-23 05:00:00 | 日記
前回は、アイスランドと日本の食文化の違いなどから生じてしまう「この料理苦手」というものについていくつかご紹介しました。

非常に大雑把な、かつ私の個人的な主観ですが、アイスランドの人は豆腐やそうめんのように「味がない、あるいは非常に薄い食材」「味より食感の具材」が苦手なように思われます。

今日は逆にアイスランドの人が高い確率で気に入ってくれる日本の食べ物、料理について書いてみたいと思います。ただ、その前提は私個人の体験で、何かのリサーチやアンケートをしたわけではありませんので、信用し過ぎないようお願いいたします。

それから、もうひとつ前提というか話しの土台のようなものがあります。それは基本的には日本の食べ物は美味しいですから、時間をかければアイスランドの人は皆、日本の食べ物が大好きになるだろう、ということです。

これまでずいぶん、大学の交換留学生や、あるいはビジネスや休暇で日本へ行って帰ってきたアイスランド人を見てきましたが、総じて「日本は食べるものが美味しい」と言っています。

「そりゃあ、日本にはいろんな種類の食べ物があるんだから、何かしら自分の気に入ったものはあるだろう」と皮肉な見方をすることもできますが、私が耳にした範囲ではそういうことではなくて、フツーに平均的な料理を試してみて、美味しかった、ということのようです。

で、ここで今から挙げる例は、スシ以外には日本の食べ物をほとんど知らず、また日本へ行ったこともないような人が、初めて試してみて「美味しい」という確率が高かったものになります。

なぜ、そんなことがわかるか? というと、過去何年間か「マルチカルチュラル·フェスティバル」のようなイベントで、日本人有志グループで「日本食試食コーナー」のようなものをやってきました。

たいていの場合、メニューは簡単にできる炊き込みご飯、混ぜご飯、麺類などになるのですが、そういう場でのお客さんのリアクションなどから「ああ、これは食べやすいんだ」とわかる食べ物があります。

すごく人気があったのは、これは多少意外なのですが、ゆかりご飯です。これは試食用に超ミニサイズのひと口おにぎりの形態にしてあるのですが、食べた人はほぼ例外なく「このムラサキのものは何だ?」と訊き、「シソという葉っぱで香辛料のようなもの」と知ると「うーん、美味しい」となるパターンがずいぶんありました。

五目炊き込みごはんなども同じように好評でしたが、中には「匂いがイヤだ」という人もちらほら。私の好きなふりかけで、おかか主体で小魚が混じっているものがあるのですが、このふりかけご飯の場合は、「これは魚か?」と目ざとく小魚を認め、引いてしまう人もありました。

日本そばは、試食イベントの場合はつけそばに限られてしまったのですが、これは具五分五分くらいで気にいる人、気に入らない人が分かれた気がします。

過去何回か「スシ以外の日本食でアイスランドでできるもの講習会」を頼まれてやったことがあります。考えて「カツ丼」「親子丼」にしたのですが、このふたつは結構食べやすかったようです。

この「つゆ」の味に慣れたら、いろいろなどんぶりものにメニューが広がっていきますからね。結構大切なメニューだと思います。

さて、以降は私が友人を招いたりして振る舞った結果からです。別にたいしたご馳走ではありませんが。

「絶対にスベらない」メニューは焼きそばです。これは間違いなく皆が「美味しい」と言います。この焼きそばは、日本で普通に売っている蒸しそばが三玉と粉ソースが一袋に入いっているやつです。もちろん、肉や野菜は加えて作りますが。

もうひとつ「絶対にスベらない」のはナポリタンです。これはあまりの美味しさと作り方の単純さに皆が笑って喜びます。私はナポリタンにはいつもトンカツソースを加えるので、そこだけ「特殊調味料」になってしまうのが残念ですが。トンカツソースはこちらの店では売っていません。

その他、トンカツ、天ぷら、焼き豚、肉じゃがのような定番和食メニューや、炒飯、麻婆豆腐、餃子、エビチリ等の中華系も問題なく歓迎されています。エビチリなんかは「Cook Do」で作っても、こちらの人は料理の達人と思ってくれます。有り難や、Cook Do。

スープに入った麺類は人によって、ですね。これは味だけの問題ではなくて、ああいう形態の、しかも結構熱い食べ物を食べるのに、こちらの人が慣れていない、ということもあると思います。ラーメンをスプーンに乗せて(結構多くの人がやります)冷めるまで待っていたら、やはりそういう味になるでしょうし。

結果、当たり前のような話しになってしまいましたが、もし皆さんが日本食の経験のないアイスランド人を手料理でもてなしたり、あるいはレストランへ同伴するようなことがありましたら、「火の通ったもの」「味がしっかりしたもの」を基準にして判断されるのがいいのではないか、と思います。

私たちが美味しいと思うものと、アイスランド人が気にいるものとは初めから一緒、というわけにはいかないですからね。先方が日本の味に慣れてくれるまでは、多少の心配りがあった方が、日ア関係は良好になるでしょう。


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アイスランド人には「チョット待って」フード

2016-10-16 05:00:00 | 日記
またまた「マツコ有吉の怒り新党」を使ってしまいますが、以前放送された回の投稿で「シチューをご飯にかけて食べる人にイラっとする」というようなものがありました。

ビーフシチューならハヤシライスの親戚みたいでいいんじゃないか、とマツコさんが言っていたような気がしますが、これが実はクリームシチューの方だったことがわかり「それは合わない」という結論だったと記憶しています。

私も同感です。ホワイトシチューは牛乳かクリーム使いますし、皆が、とは言いませんが、大抵の日本の人には受け入れがたい組み合わせではないでしょうが。

余談ですが、私はビーフシチューが好きで(クリームの方もですが)、年に一二回は作ります。たくさん作り子供たちにも分けてあげるのが常なのですが、「お母さんがご飯にかけてしまう。カレーじゃないって、わかってない」と文句を言っていたことがあります。

食べ物は本当に色々な文化伝統が交錯する分野で、国によっては「当たり前」が完璧に入れ替わるようなこともしばしばあるようです。「虫」を食べるかどうか、というようなキワモノ趣味にいくと収拾がつかなくなりますが、普通一般の食材に関しても、です。

ご飯と牛乳の関係で挙げますと、お隣りのスウェーデンでは牛乳にご飯を入れて、さらに砂糖を入れシナモンをまぶすような食べ物 (Risgrynsgrot) が日常的に食べられているようです。アイスランドでも時々食べているのを見かけます。私には「オエッ」以外の何ものでもありません。




北欧ではあちこちで食べられるライスリゾット
Myndin er ur Wikipedia.org


このような食文化の違いはもちろんお互い様ですから、例えばアイスランドの人が怪訝な表情を見せる日本の「当たり前メニュー」もあります。私が経験的に学んだ幾つかの「アイスランド人にはチョット待ったメニュー」を挙げてみましょう。

かつては「生身の魚(刺身)、ネイ、タック(ノー、サンキュー)」だったのですが、寿司が人気フードになるにつれて刺身アレルギーもなくなってきたようです。加えて、タコやイカも「食べてもいいんだ」ということが理解され始めたようで、これはありがたいことです。以前は「どんな野蛮人だ?」という目で見られてましたから。

魚関連で言うと、ソテーのようなフライパン処理のものは別として、「焼き魚」もあまりこちらの食生活にはまだ進出してきていません。例外は鮭で、これは野外でのグリルとかでも普通に食べられています。

アイスランドはキッチンが電気で加熱するタイプですので、焼き魚は日本でのようには簡単にいきません。焼くときはオーブンを使うのですが、臭いがついたり、煙の処理に困ったりと、それなりに対応を準備しないといけません。この辺は、単に食材の問題だけではなく、ハード面でも進歩がないとダメですね。

日本では「チョー」当たり前のししゃもですが、こちらの人はあまり気に入らないようです。ししゃもは漁の大きなアイテムなんですよ、こちらでは。ただ輸出のためだけです。

魚を頭から食べる、ということすらちょっと抵抗があるようです。とはいっても、こちらの漁師の人たちは、ししゃもは漁れたてを生でそのまま食べる、という話しを聞いたことがあります。それはちょっと、逆にこちらが引いてしまいますが。

その他、アイスランドの人が抵抗を示すのを見たことがあるのは、豆腐です。これも最近は身近になってきました。「トーフステーキ」や「トーフラザニア」みたいなものも売られています。(ただ誰が食べているのかは知りません。もしかしたら観光客だけかも...?)

ただ基本の白い豆腐はこちらの人には「何の味もしない」としか理解されなかったようです。麻婆や鍋の具のような形になっていれば「食べたら美味しかった」」ということを何回か経験しました。

大勢ではありませんが、同様の理由でそば、うどんが気に入らないアイスランド人もいます。「アレは食事ではナイ」と宣わった方もありましたな。パスタなら大丈夫だろうに、きっとソースが濃くないと駄目なんでしょうね。その証拠に焼きそばを「旨い」と言わなかった人を知りません、私は。

ある意味食文化も出合いなんでしょうね。自分の常識外のものに出合って、それを気に入ったり入らなかったり。あるいは自分の今までの常識を再吟味したり、と。

私自身、こちらで気がついて、改めて不思議に思ってしまうような体験をすることがあります。最近の例ではコロッケです。コロッケはもちろんお芋ですよね。お芋をおかずにして、白米を食べるというのは、考えてみると不思議な感じがするのですが...?

「散歩もの」のバラエティを見ていると、タレントさんがお肉屋さんでコロッケをひとつ買い歩きながら食べる、ということがよくあるのですが、コロッケとは本来、そのように単独で食すべきものではないのか? と考えたりしてしまっています。

ヒマなだけか?


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「怒られたさん」と「叱られたさん」

2016-10-09 05:00:00 | 日記
「最近、怒られたこととかありますか?」

皆さんはどう答えられるでしょうか?
またまた「マツコ有吉の怒り新党」がらみの話しになります。今年の春に番組のまとめ役だった夏目三久アナが降板。替わりに青山愛さんという女性アナが新メンバーとなりました。

番組はマンネリを避けるために、いろいろ新企画も準備していたようで、「今日(こんにち)、大人はいったいどういう状況で怒られるのだろうか?」を探るために、冒頭の質問を街頭で道行く人に尋ねる、という「怒られたさん」のコーナーが始まりました。

私はしばらく見ていなかった分を「まとめ見」しているので、このコーナーでの「怒られたさん」にもある共通項というか、傾向があることに気がつきました。

まず「怒られた」の中には、実際には「叱られた」に属する怒られ方がかなりの割合を占めるということです。で、その「叱られた」にもふたつのグループがあり、ひとつはどちらかというと若い世代の人たちが、会社で上司や先輩に怒られた(叱られた)というもの。

もうひとつのグループは、年配の人も含めて(年配の人だけではないですが)の「怒られたさん」で、これは「奥さんに叱られた」というもの。私が覚えている限りではすべて奥さんに叱られた旦那さん衆で、その逆はありませんでした。

この「叱られたさん」ではない文字通りの意味での「怒られたさん」もいないわけではありませんが、大多数は叱られた体験であるように思われます。

日本はやはり縦社会なんでしょうかね?若い世代が会社で上司や先輩に叱られる、というのはすごく理解できます。ある意味、そうやって仕事を覚えていくわけですから。

当然、歳が上になっていくにつれて、そういう叱られ方は減っていくものでしょう。それも理解できます。その代わり?山の神のお小言が増えていくのだとしたら、なんか旦那衆の運命(さだめ)は無情な感がありますが...

番組を見ながら自分のことを考えてみました。「最近、怒られたこと...」まったく思い当たりません。ボスに叱られた、ということに関して言うと、アイスランドへ来る直前に日本の教会の事務局長に、退職に関する手順で行き違いがあった時に小言を言われたのが一番「最近」の体験であったと思います。二十四年前ですが。

職場の上下関係は、どこの国においてもあろうものでしょうが、日本とアイスランドだけを比べてみると、やはり日本の方が縦の関係が強いしはっきりしていると感じます。

例えば、アイスランドではいわゆる「先輩」という概念がほとんどありませんし、逆にいえば後輩たちをひとまとめにして「お前ら」とみなすような気風もほとんどありません。(まったくないわけではなく、高校などでは「新歓」としょうして新入生をからかうイベントなどがあったりします)

それだけで、ずいぶん叱られる「場」が減るのではないでしょうか?職場の上下関係も、日本と比較して考える限りは、それほど堅苦しいものではないように思えます。上司だろうが大臣だろうが「シッギ」「リルヤ」のようにファーストネームで呼ぶ社会ですから。アメリカ的な意味でのMr. やMa’am もありません。

それでも上役への文句、愚痴は年中耳にしますので、職場に上下関係があることは間違いないでしょう。そして、その中で満足していない連中のいることも。

「山の神」に叱られる体験の方に関しても、私個人はもう「山の神」そのものがありませんので自由を満喫しています。ラッキー!?

では「叱られる」ではない、言葉のもとの意味での「怒られ」体験ですが、面と向かって誰かに怒られた、というのはそんなに記憶にないですね。あっただろう、とは思いますが。

ただし、面と向かってではなく、ネットやSNSを介在して「怒られる」ことは年中あります。批判ならまだしも非難、悪口雑言を浴びせられるのは毎度のことでもうそれには慣れています。

私は白人社会の中のアジア系の移民で、過去何年も移民に対する偏見や差別が存在する時にはクレームをつけたり、社会のありようを公に批判したりしてきましたので、ある人たちの反感を買うことはいたしかたありません。

ある意味、ブーブー言われるのは自分がやっていること、主張していることが社会の中で(プラスにしてもマイナスにしても)認識されていることでしょうから。

何かものを言って、みんながみんな「そうだ、そうだ」と拍手してくれたら、それは実際には何も意義のあることを言っていないに等しいと思います。ブーブーが出てくるのは、何がしかの真実が語ることに含まれている場合です。

そういう意味での「怒られたさん」を集めてみるのも一興ではないかと思います。「怒り新党」はそういうのとは場違いでしょうが、皆さんそれぞれではいかがでしょうか?「怒られたさん」体験、最近ありましたでしょうか?


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夕風呂か朝シャワーか? 適応への壁

2016-10-02 05:00:00 | 日記
前回は、アイスランド暮らしが長くなっている日本人である私にとって、「マツコ有吉の『怒り新党』」は自分の有様を考えるのに役に立つことが多くある、というようなことを書きました。

その流れで、今回はアイスランド二十五年目を迎えている私が、どんな点において未だアイスランド流に適応できず、日本式の流儀に固執しているかを書いてみたいと思います。

移民がどのようにホスト国に適応するか、というのは実はかなり広範な内容を持つ重要な問題です。移民がホスト国への適応を拒み、独自の少数派としてまとまってしまうと、深刻な対立を生じたりして社会問題化します。西ヨーロッパでのイスラム教徒の存在を、そのような否定的な例として指摘する人は大勢います。

移民社会の健全な発展には、俗に言うAssimilation(移民のホスト国への一方的な同化)だけでは十分ではなく、Integration(移民とホスト国の双方の歩み寄り的適応)が必要になります。その点を巡って、ホスト国内での進歩派、保守派で見解が異なったりするわけです。

ここでは話しを個人のレベルに限定しましょう。個人としての移民の適応を考えるにしても、ひとつ忘れてはいけない点があります。ホスト国自体も変化している生き物であり、同時に出身国もまた同様に変化し続けているものだ、ということです。

例えば、私が「この点では日本流を守る」と考えたとします。しかしその内実は「私が日本流と思っているもの」のことであり、もしかしたら「いやあ、それは日本でも今は変わっちゃいましたよ」というのが正解である可能性もあるのです。

なにしろもう二十五年も日本から離れているので、そういう点が多々あることはまず間違いないでしょう。そういうことを学ぶという点で「怒り新党」は役に立つのです。

さて、アイスランドへの適応、不適応の個人的体験ですが、これは以前にもあちこちで触れたことがある話題です。多少の繰り返しはご容赦ください。なるべく重ならないネタを探すようにします。


適応...変化...と「正体見たり!」 不適応編


ここのところ何回か真剣に再適応の必要性を感じているのは、「お風呂」です。

私は昔ながらの夕卓を大切にする家庭で育ちました。夕ご飯は家庭の要であって、動かない中心のようなものでした。そのために、夕飯前にお風呂に入ってさっぱりする、というのが子供の頃から習慣となりました。

サラリーマン時代はさすがにその習慣は守れませんでしたが、基本的にはその「性格」が残りました。風呂に入ってさっぱりしたら、その日はおしまい。ご飯を食べてゆっくりする、ということです。

自分自身が家庭を持ってからは、またこの習慣は復活し、離婚してからも子供たちが私のところにいる時は夕食は大切な時間で、私も子供達もたいていは夕食前にお風呂でさっぱりしていました。

今は子供たちも大きくなり「夕食は自分だけ」が原則になっていますが、その前にお風呂へ入る習慣は続いています。

ところがです。子供の手がかからない分、今は自由になる時間が多くあります。こちらでは多くの文化活動が夜の八時とかの時間帯に組まれます。それらを十分に活用するには、夕方にお風呂に入ってしまって「おしまい」になってしまうのは多少弊害があるのです。

そこで最近考えているのは朝シャワーへの転向です。アイスランドの人は、おそらく朝シャワーの人が多数派だと思います。プールやジム通いをしている人たちは、また別のサイクルでしょうが、一般的にはシャワーは朝の活動でしょう。

朝シャワーなら、夕方と夜が分断されず、諸活動の生産性が上がる気はします。しかしながら、どうも心理的に壁が高いのです。

まずは「終わった」感がないまま夕食に臨むこと(実際「終わりにしない」ために朝シャワーにするのですから)。それから、活動を終えてそのまま眠らなければならないこと。なんとなく汗臭いし、リラックスできない。

さらに言えば、朝シャワーはありでも、朝風呂はあり得ない。朝風呂にしたらその日は休日になってしまいます。とすると、レイキャビク温泉にさらに日本の「温泉の素」を入れて「ふあ〜」とのんびりすることがなくなってしまいます。

やっぱり、風呂は夕刻だなあ。いや、今ここで視野の転換をはからないと、変え時を逸するか?ナイトタイムに自宅に引きこもって新しい出会いを閉め出したら、必然的に孤独死か?

迷うところです。意外に高い壁。


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