レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

サッポロ北街ひとり日誌(14-2)- あぶく夢のBoxシートフライト

2014-04-28 05:00:00 | 日記
「旅」というものは人の趣味になるようですね。「旅が好きです」というと風流人の香りがして羨ましくなります。ちなみにここのところ札幌では梓林太郎さんの「旅行作家 茶屋次郎ミステリーシリーズ」を愛読しております。

私は個人的には旅は嫌いではありませんが、ひとり旅をするのはあまり好みではありません。っていうか、ひとり旅は仕事の出張以外にはあまり考えられません。ひとり旅って寂しくないんですかねえ?

まあテレビでやってる旅番組ではレポーターに俳優さんとかがすぐに食堂などで「お母さん、これ美味しいね」とか言ってすぐに打ち解けてますが、礼儀正しく育ったワタシにはできない芸当です。私がひとり旅をしたらモロに「寂し旅」になります。

もっともそんな私でもひとり旅を楽しんだことがないわけではありません。神学校の最終学年の時には二ヶ月間のエルサレムでのセミナーの後、聖書勉強のためにトルコからギリシャをひとりで周り、それはそれで楽しい思い出となっています。

で、まあそういう修行時代?というか「若者の旅」を楽しんでいる際には「安くあげる旅」を旨とするのが一般的ですよね?例外もそこここにあるかもしれませんが。ビジネスクラスやグリーンカー、5スターホテルは別世界の人たちのもの、という「通念」を私も持っていました。

それはしごく健康なことだと思うのですが、問題は人は自分の置かれた環境の中でいつしかそれが当然のこと、と思い込み始めてしまうことです。しかも気づかぬうちに...

この間気がついたのですが、もう五十を越えていました。それでいてエコノミー常時使用をあらためて考えたこともありませんでした。若い頃ならともかく、この歳になればビジネスクラスを毎度使う人は珍しくないでしょう。ずば抜けて出世した、というわけでなくともそれくらいはアリだと思うのです、改めて考えてみると。

問題なのは「改めて考えてみること」なしに二十年以上も過ごしてきていたワタシの発展性のない生活態度ですねえ。しかしそうなるにもちゃんと土壌があったのです。

第一は特に日本のキリスト教界に伝統的な?「教会関係者は金に縁なし」という気風です。それが正しいものであるのか屈折した考え方なのかは意見が分かれるところでしょうが、教会に携わる者 -特に牧師などはことさら- 裕福な生活には告別すべし、というようなものの考え方というものは確かにあると思います。

加えて私はアイスランドへ移った際に日本の教会の職を辞していきましたので、アイスランドでは「無職」から始まり、その後アイスランド教会での牧師として働く資格を得るために一度ゼロまで戻って再スタートしました。で、周囲に比べても「門前の小憎」的意識が強かったので、経済的ゆとりには考えが及びにくかったと思います。

キリスト教界に中にはとりわけ清貧に重きを置いて質素な生活を唱える人もいます。それは間違ったことではないと思いますが、私自身は経済的裕福に執着するのでない限り、普通の経済的安定を求めることが反キリスト教的なものだとは全く考えていません。

さてそのようなことは全て私が万年エコノミー族であることの言い訳に過ぎないのですが、そのような者にも時たま「上のクラス」をかいま見るお裾分けが回ってくるようです。




やっぱり気持ちいいだろうな、のBoxシート


今回の札幌帰省で成田-新千歳間は、この春からJALが始めた早期予約で50%近い割引で取りました。これに1000円プラスするとJクラスという多少いい席に座ることができます。

で今回も「多少」いい席に座れるつもりでいたのですが、乗機してみるとこれが何と最近できたBoxシートだったのです。ひとつひとつのシートが仕切られていてプライベート空間になっていますし、家の今のテレビ大のスクリーンがついています。

そしてシートは完璧に180度フラットになるまでリクライニングするので、文字通り横になって寝ることができます。国際線の広告で見たことはありましたが、実際にお試ししてみると、これは素晴らしいものですよ!

はしゃぐと足下を見られそうだったので馴れたフリをしていましたが、内心ニタニタしながら写メを撮りました。(^-^;

悲しいかな、成田-札幌間は僅か一時間半足らずの道のり。このシートの真の心地良さを味わうには短すぎましたが、アイスランドからの旅の仕上げで疲れていた私はそれなりにこのシートを楽しみ、あやうくコテッと眠りそうになりました。

いつか成田-コペン間の長いフライトをこのシートで旅してみたいものです。無理だろうな...あぶく夢です。(*^^*)


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サッポロ北街ひとり日誌(14-1)- しつけのルール

2014-04-24 05:00:00 | 日記
今回からしばらく「サッポロ北街ひとり日誌」です。毎年やっているので(14-1)というように2014年の14を加えました。

凡庸人間のワタシは、今回も例年のごとくコペンハーゲン経由のSAS便で成田まで行き、そこから再生JALで札幌まで飛ぶ、というパターンでした。今回の出発はイースター前の金曜日、Good Fridayまたはアイスランド語ではFostudagurinn lengi(長い金曜日)と呼ばれている日でした。

この日はアイスランドでは祭日(おめでたい日ではなく、キリストの十字架を偲ぶための日)であり教会人としては大切な日なのですが、私の里帰りにも理由があるのでご容赦。

さて同じキリスト教文化圏のデンマークでもイースター前の休暇時期という条件は同じだったからでしょう、今回のコペンハーゲンからのフライトは満員でした。私が経験した範囲では、ここ数年では珍しいことです。

ワタシの定席はエコノミーの32Gで、これは機体中央部のトイレに近いエリアの通路側席です。その通路を挟んだ左側にはスペイン語を話す若い夫婦と二歳くらいの男の子が座っていました。

ところがこの男の子、離陸スタンバイになった頃から泣き始めました。離陸が怖かったのかもしれません。かなり激しく泣き出した男の子をお父さん、お母さんがしきりになだめようとします。

うるさかったのですが、こういう時に見たりしてはいけません。パパ、ママには余計なプレッシャーになってしまいます。子育て経験者なら誰でもこういう経験はあるでしょう。私も長男が一歳未満だった時、ひっそりとした長距離バスの中で泣き止んでくれずしんどい思いをしたことがあります。

男の子はロドリゲス君という名前であることがいきさつの中で分かりました。ロドリゲス君は泣き止むどころかますます喚き度がアップしていきます。時間を測ったわけではないのですが、かれこれ十五分は続いています。相当なうるささで、もし私が仏様のような澄んだ心を持っていなかったら「いい加減にしろ、ガキ!」と切れていたかもしれません。

私は切れませんでしたが、ロドリゲス君のパパママは切れ始めてしまいました。まずなだめすかしが全く通じないママがついにロドリゲス君のお尻をピシャッ! そりゃあ、ダメだよ、逆効果でしょー。

パパがリリーフに入りましたが、これも効き目無し。涙と汗で顔が真っ赤に湯であがったロドリゲス君は、身体中で抵抗しています(何が嫌なのか、一番根本的な点が不明でしたが)。するとパパも切れ始めお尻にピシャを三連発。

するとママの時は介入を押さえていたデンマーク人フライトアテンダンスのおばさん、たまらず「エクスキューズ・ミー」と仲裁に。「もし男の子が泣き止まないならそれはそれでオーケーです。でもデンマークの法律では子供にピシャをすることは禁じられています。それは止めてください」

そうなんですよねー。北欧共通の文化として、子供への体罰はしつけとしては全く認められず家庭内暴力として扱われてしまいます。アイスランドも同様。スウェーデンでは子供が一時間泣き続けると警察が来る、と言われていました。ホントかな?

一度スウェーデンのウプサラの友人一家宅に泊まらせてもらったことがあります。友人夫妻が友達の送別会に出かけてしまった時に、まだ二歳くらいだった下のお嬢さんが泣き始めてしまい往生したことがあります。子供の泣き声よりポリスがチラチラ目に浮かびました...

飛行機の中に戻ります。スペイン語を話す若夫婦はどこの国の人かは分かりませんでしたが、おそらくは多少の体罰をしつけとして容認する文化を持っているのかもしれません。興味があって見ていたのですが、素直にデンマークのおばちゃんフライトアテンダンスの要請を受け入れて、それ以降はピシャはなくなりました。

ロドリゲス君もしばらくすると体力を使い果たしておとなしくなりました。ピース、ピース。よかった。

最近は日本でも体罰は否定的な目で見られていると聞いていますが、それでも中高学年では体罰関連ニュースが絶えないのは、それを「しつけ」の関連で肯定する向きも根強くあるからでしょう。

私自身は、そうですねえ、体罰全面否定派ではありませんが、それはある程度年齢がいってきてからのことだとは思います。さらに言うと体罰が肯定的になり得るのは、暴力が人間関係を支配する根本になりえると考えているのを矯正する場合だけではないかとも考えています。まあそれも「やっぱり力の強い者が支配するってわけだ」などと開き直られては逆効果ですね。そうすると体罰効果は本当に例外的な状況に限られるでしょうか?

とにかくロドリゲス君のような幼児期にあっては、しつけの体罰も百害あって一利もないものでしょう。

中心点がはっきりしないエピソードで、札幌にも行き着きませんでしたので最期にまとめの努力です。北欧では子供への体罰はありません。あるのは子供へのアビューズです。議論の余地はあるかもしれませんが、今ある規則はそれとしてご承知置き下さいませ。


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ミニ紳士淑女のデビュー フェルミング・パーティー

2014-04-21 05:00:00 | 日記
今年の春は、というよりは先々週から今週にかけてなのですが、日本語教室の生徒の中に三人のフェルミンガ-バルン(堅信礼を受ける子供)がいました。全部女の子なのですが、うち二人は教会での伝統的なフェルミング。ひとりは宗教的でないヒューマニスト主催のフェルミングでした。

ヒューマニスト主催のフェルミングというのはちょっと言葉に語弊があります。まずここでいう「ヒューマニスト」というのは普段使われる意味ではなく「宗教を否定し、人間倫理を掲げる団体」のことを意味します。またフェルミングというのは「堅信礼」で「確認する」という意味が込められており、これは幼児期の洗礼の確認をするということです。

ですから宗教によらない(洗礼式を認めない)考え方において「フェルミング」という言葉を使うのは厳密にいうとおかしなものがあります。なにかそういう式を挙げたい、ということが核なのでしょうが。

まあいいや、それが本題ではありません。

教会での(ヒューマニスト主催の場合は大学のシネマ館)式の後には、ホテルやその他の施設のホールを借りてのお祝いのパーティがあるのが通常です。

私はこちらに渡ってから初めてこのフェルミンガ-・ヴェイスラ(パーティー)というものに呼んでいただきました。二十一年前になりますが、やってきた直後で、私はこちらの教会での牧師としての認可は受けていませんでした。それでもフェルミングで教区の牧師さんのお手伝いをさせてもらいました。ケフラビクという国際空港のある町の教会でした。

それで牧師さんをお祝い会に招待するついでにおまけで呼ばれたわけです。男の子のフェルミングのお祝いでした。

フェルミングのパーティーには暗黙の決まりがあります。お酒を出さない。主役が未成年ですのでこれは分かります。また集まるのは大体親戚縁者主体です。フェルミングを受ける子供の友達たちは大体同じ時期に自分んフェルミングがあるので、自分のことが手一杯でなかなか友人のお祝いには参加できません。

私のフェルミンガ-・ヴェイスラ初見参の時の感想は... こんなにつまらないパーティーはない、というものでした。(^-^;

おそらく親戚一同が集まっていたのだと思うのですが、とにかく会話が弾まない。私はアイスランド語が分からないし、知り合いもいないのでひとりで 黙々とケーキとコーヒーに向き合っていたのですが、誰も声も掛けてくれない。何と気のきかない退屈な連中だ、と思いました。

その後同様のシチュエーションで何回かフェルミングのお祝いに招かれましたが、大同小異でつまらなかったです。かくして始めの一二年で、私の中には「フェルミンガ-・パーティー = つまらない集まり」という定式が成り立ってしまいました。

親戚縁者が主体のフェルミングのお祝いですので、親戚縁者のいない私はその後ものれほど縁がなく過ごしました。ラッキー!

ところが邦人コミュニティが以前より大きくなり、日本語教室なので邦人の方々のお子さんたちと定期的に顔を合わせることが日常化してくると、この子たちのフェルミングのお祝いに呼ばれる機会が出てくるようになりました。

で、先々週、先週とその機会があったのですが、やはり昔の記憶と比べてみると様変わりした感があります。とても楽しいお祝いの会だったのです。

何が変ったのかなあ、と考えたのですが、まずいの一番に思いつくのは、以前のフェルミングの祝会では私はその子供たちをほとんど知らなかったのですが、今年の場合は普段から良く知っている子たちだったことです。これは当たり前ですが、根本的な違いですね。

加えて日本人の子供がフェルミングの場合、親戚縁者の集まりという図式が壊れて、邦人仲間が出席するということが起ります。となると、見ず知らずの一団の中に入って行くのとは相当な違いができますね。

フェルミングのパーティーではお店からの仕出しのメニューを取るのが一般化していますが、邦人の人たちが関わるとみんなで手伝って作った巻寿司、いなり寿司、ケーキ、パンなどが並びます。これは食べるだけではなくて作る過程もまた楽しみのようです。文化祭の前みたいな。

一般にフェルミングのお祝い会ではドギツイ趣向とかはありません。あっても多少のスピーチと音楽の演奏を何曲か程度が相場でしょう。そしていずれの場合もゲストが皆着席してから、短い歓迎と感謝の言葉、そして食事のビュフェへ招く「ギョルソベル」(どうぞ、召し上がってください)を述べるのはフェルミンガ-・バルンです。

奇麗に着飾ったミニ紳士淑女の大人世界へのデビューというわけです。ホントにそうなんですよ。この間まで小学生の子供とだけ思っていた子たちが、びっくりするくらい大人っぽく着飾ってお化粧して、立ち振る舞いもそれらしく。

大人とは言えないでしょうが、子供から大人への脱皮期であることは伝わってきます。宗教的な観点からでなくとも、この時期のこの儀礼にはそれなりの意味が付随しているのだと感じました。

これからもまっすぐに育てよー! 若者たち。


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復活祭の都市伝説とフェルミング

2014-04-17 05:00:00 | 日記
「聖週間」の只中です。次の日曜日が復活祭の中心であるキリストの復活日になります。さてこの復活祭の時期の近辺にはひとつの都市伝説?というかたたり?があります。それは必ず「雪が降る」ということ。

復活祭の日付というのは陰暦によって決まるため、毎年日にちが3月22日から4月25日の範囲内で移動します。今年は4月20日が復活日なのですがこれはかなり遅い復活日の年であるわけです。

「雪が降る」という伝説が三月中の復活日の場合はさもありなん、でしょうが、四月も後半になってからではどうなのでしょうか?今年の場合はブログにも書きましたように、三月初めからめっきり春めいてきていましたし、私も四月初めには車のタイヤを夏用に変えてしまったくらいです。

ところがです... これがはたまた都市伝説かたたりである由縁か?この聖週間になって天候が一変し全国的に雪モードになってしまいました。レイキャビクでも積雪したくらいです。やっぱりたたりじゃー...




たたりの雪か、なごり雪か?おとといの火曜日、家の裏窓より


雪が降ったくらいで「たたり」は大袈裟だと思うでしょ?でも実際に復活祭の雪は結構な迷惑のもとなのです。なぜかというと、この時期にはFerming (フェルミング)と呼ばれる少年少女を対象とした儀式が執り行われ、その儀式に預かる少年少女たちはきれいに着飾ってまずは教会に参集し、ついでお祝いのパーティーへと繰り出すからです。

もちろんそのようなお祝い式用のドレスアップでは、女の子はノースリーブの薄手のものが多いですし靴もそれなりの革靴やヒール類ですから「雪」というのはまことに迷惑千万なのです。加えて風が強かったりしたら最悪。せっかくセットした髪がハチャメチャになってしまいかねません。

さてフェルミングのお祝いの式はどのようなものなのかご紹介して見たいのですが、ものの順番としてこのフェルミングという式がどのように準備され執り行われるのか、昨年書いたことの重複をさけて説明してみたいと思います。こちらを是非参照してみてください。

フェルミングの概要はこちら


フェルミングは学校との協力関係の中で準備されます。以前はその関係は「全ての学童はキリスト教徒である」というような昔日の理解に基づいていました。今日では全ての子がキリスト教徒ではなくなっていますし「学校は学校。教会は教会」という当然の考え方に移行していますので、一応きちんとした線引きはあります。

それでもやはり一定の協力関係が存在します。それは田舎にいくほど強いものとして残っているようです。

学校と教会の一定の協力関係はある意味不可避なものと思われます。というのはフェルミング(堅信礼)は教会の教区単位で行われるのですが、この「教区」にはその地区の学校がそのまま含まれるからです。ちなみに教区の方が学校区よりも少し大きいのが普通ですので、一教区には複数の学校が含まれます。

レイキャビク市に限っていいますと十六の教区があります。このどこかに市内の全てのグルンスコウリ(小中学校)は含まれているわけです。

ですが、住宅地と繁華街ではそこの地域に住んでいる人の数に違いがありますし、老年が多い地域、子供が多い地域というような差も事実として存在します。ですからフェルミングを受ける子供の数もそれぞれの教区によって差があります。ある教会では150人近いフェルミングの子供たちがいますし、別の教会では20人程度かもしれません。

フェルミングの準備は前年の秋(新学年の始まり)より始まりますが、その準備の全てが教区内の学校の8年生の大多数に関わることなので、学校の方もフェルミングの準備を把握しておかないと困ることになります。例えばフェルミングの準備と学校行事が重なってしまうと困ることになりますから。

フェルミングの準備についてはこちら


このフェルミング、等の少年少女にとっては多分(自覚しているものとしては)人生初のビッグイベントでしょうし、親にとっても「ここまで育ってくれたか」という幾ばくかの感慨をもたらすものであります。

当然そのお祝いに親戚一同がこぞって参集するのですが、その様子はまた次回に。


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教会の鐘がミュートになる時...?

2014-04-14 05:00:00 | 日記
「聖週間」と呼ばれる一週間に入りました。昨日の日曜日が「棕櫚の主日」と呼ばれる復活祭一週間前の日曜日。エルサレムの人々が棕櫚の木の葉を道ばたに敷いてキリストを迎えた、という聖書の記事に倣っています。

そして「最後の晩餐」持たれた聖木曜日、キリストが十字架にかかった聖金曜日を経て日曜日の復活日へと続来ます。この一週間の説明のようなことは昨年も書きましたのでよかったら参照してみてください。

聖週間についてはこちら


この聖週間、アイスランド語ではKyrravika「静かな週」とかDymbilvika「ディンビルの週」とか呼ばれたりします。英語ではマンマでHoly Weekなのですがアイスランドではそのような言い方はしないようです。

Kyrravikaは静かな週ということですので分かりやすいのですが、このDymbilvikaのDimbilとは何ぞや?と思いネット辞書に当たってみました。(Vikaは英語のWeekです) 言葉の原形はDymbillというのですが、何か木製の道具のことのようです。

木製の道具がなんでここにお出ましか?と思いました。関連性が見えない。そこでもう少し食い下がってグーグルしてみました。

アイスランド大学のサイトでアイスランド語の故事や文化のルーツを紹介しているサイトでやっと答えらしきものを見つけました。

それによるとこのdymbilvikaという言葉は西暦1300年頃から文献に散見されるようです。何がしかの木製の道具で、宗教改革前のカトリック教会の習慣の中で使われていたものらしいことは確かなようですが、それでもそれが何であったか特定するのは難しいようです。

教会の大時計の針であるとか、その大時計についている鐘のようなものを叩く棍棒であるとか、(教会などで使う)キャンドルの火を消すために被せる棒状の道具であるとか、等々。

そしてそのような文献の資料を総覧して歴史や文化史の専門家の人が得た結論というのが「Dymbillは木製の道具で、教会の鐘に付けると「ミュート」のような役割を果たして鐘の音を朗々としたものから、陰に籠った哀しい音色にするものでこの復活祭前の時期に使われた」ということのようです。

何ともないような言葉なのに、それが何なのかきちんと説明できないものというのは日本語でもよくあることではないかと思います。例えば「にっちもさっちも行かない」という時の「にっちもさっちも」とか... 分かりますか、この言葉の意味?

アイスランドの人は「アイスランドのことなら何でも良く分かってる」風を吹かせる人が多いので、こういう時は逆に面白いです。この「聖週間」の私の楽しみは端から「dymbilvikaってどういう意味?」と聞きただしていくことになりそうです。へへ。どれだけ答えられる奴がいるものやら...

余計なことを付け加えます。(まあ、このブログ自体が「余計なもの」かもしれませんが...(^-^; )

そう大きくもないレイキャビク市内には、約二十くらいの教会があるはずです。そのいずれもが鐘を持っていますし、適時鐘を鳴らします。その鐘の近所に住んでいるとかなりうるさいものであることも確かです。

娘がまだ乳母車の時代、外へ連れ出してやっと寝付いてくれたか、と思った矢先に近所の教会の鐘が鳴り始めて赤ちゃんが起きてしまい「怒り新党」になったことを覚えています。

自分の立場優先は人の常かもしれませんが、この鐘「ミュート付き」にしてくれたら喜ぶ人も確かにいることだろう、と想像します。


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