レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

良いニュースと悪いニュース どっちが先?

2016-05-29 05:00:00 | 日記
「良いニュースと悪いニュースと、どっちを先に聞きたい?」などというセリフがよくテレビのドラマなどで出てきますよね。皆さんはどう答えるでしょうか?

私なら「どっちでもいい。同じことだから」と答えるだろうと思います。実際同じことだからです。物事に動じない、という格好の良い心構えのゆえではありません。悪いニュースに引っ張られてしまうタイプの人間であることが自分でわかっているからです。

先週の水曜日がその典型の一日でした。

水曜日は朝から一日、ニューヨークから仕事で来ている「若くてかわいい」アジア系の女性フォトグラファーを案内して、国際空港のあるレイキャネスバイルという町へ行っていました。そこに住むいくつかの難民の家族を訪ねるためでした。

そのフォトグラファーの女性は、「庇護申請者」をテーマにしての写真を撮りにきていたからです。

昼の休憩中に携帯にメッセージが入りました。私の担当している「祈りの集い」の参加者の一人の庇護申請者ハリクさんからで、「良い条件での滞在許可がもらえた」という嬉しい内容でした。

彼は非常に繊細な性格にもかかわらず、ドイツの難民キャンプで悲惨な体験をさせられ、精神的にも参っていましたので、これは本当にありがたい結果でした。

ところが午後三時過ぎに、これも庇護申請者のデュークさんから電話があり、友人の タリさんが強制送還になりそうだ、と伝えてきました。デュークさん、タリさんについては以前にも書いたことがあります。

Dubliners...「ダブリン難民」

ふたりとも、庇護申請者として、今では丸四年間もアイスランドで過ごしています。いろいろあったのですが、先ごろ、アピール委員会から「年月が規則の定めている以上に過ぎているので、申請をアイスランドで審査するように」と良い?結論を得ていました。

実は彼らの申請は「ダブリン規則」の故に、四年後の今まで内容の審査がされていなかったのです。しかしようやく道が開かれたわけです。

それで一安心していたのですが、この報。わかった範囲では移民局がアピール委員会の決断を不服として、従わずに強制送還をしたがっているようだ、とのこと。

非常にイヤな気分でしたが、あとで詳しく訊くことにしてレイキャビクへ戻りました。

ところが六時前に自宅に戻ったとたん、別の知り合いからの電話。「タリさんはすでに警察に拘束されている。送還は明朝になる」とのこと。明日送還?のんびり気分は吹っ飛びました。

夕刻七時半からの警察前で抗議集会が持たれ、四五十人が参集しました。No Bordersという割とラジカルな市民グループの主催。ラジカル過ぎる時があるので、ズーッと一緒にはいられないのですが、協力し合うことはよくあります。熱血な連中で、口先だけで何もしようとしない奴らよりはずっと尊敬しています。

帰宅してからも気分は重いままで、寝る前になってハリクさんの朗報を思い出しました。別にハリクさんの果報を軽く見ているわけではないのですが、どうしても「何かしなくちゃ」という悪報の方が心を支配してしまうのです。

この一月にも同じようなことがありました。ギリシャへの送還を移民局から言い渡されていたシリア難民の家族がありました。子供がふたり、三歳と四歳の女の子。

ギリシャへ送還などとんでもない、ということで署名集めを始め五千人のサインをもらうことができました。それをアピール委員会にクリスマス前に持っていってあったのです。その家族が一月に逆転で滞在許可を得たのです。

嬉しい日だったのですが、夕方にさっきのデュークさんともうひとりの知り合いが「五日後に強制送還という電話を受けた」と言ってきたのです。それで先の家族のお祝い気分は消滅。「なんかしなくちゃ」モードにさせられました。

結局、これも抗議集会が功を奏して、彼らは送還されず、結局はアピール委員会の「申請をここで吟味」という決断を勝ち得たのです。

ですからその日も「やったーっ!!」と祝杯をあげられるきっかけがあったのに、別の悪報で台無しにされたような格好になったわけでした。ついてないワタシ...

またしても、肝心なことに触れられる前に紙面(スペース?)が尽きてしまいました。悪しからず、次回持ち越しです。

タリさんですが、本当に残念ながらスウェーデンへ強制送還されてしまいました。
そしてこれを書いているうちに「スウェーデンはタリさんを、六月前にそのままナイジェリアへ送還する」との報が入ってきました。明らかな「ノンルフルーメント」(「危険が存在する本国へ、難民申請者を送還しない」という国際規約)への違反です。

恐ろしいことですが、これがヨーロッパでの現実となってしまってきています。


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貧困を逃れる人たち

2016-05-22 05:00:00 | 日記
先週の水曜日の夜に二組のアルバニアからの難民(庇護申請者)の家族が本国へ強制送還されました。そのうちの一家族は夫婦と三人の子供の五人家族で、約一年前の夏にアイスランドへやってきました。

長男は二十歳代でしたが、ウツ病がひどく治療を必要としていました。長女は利発な娘で、滞在中に通学し始めた高校でみるみるうちにアイスランド語を習得し、大学生になる資格を得るための試験にもパスし、優秀な成績でその高校を卒業する予定でした。

「予定でした」というのは、実は卒業式は今月の末なので、卒業式を終えないうちに送還になってしまったわけです。修業の集いでは生徒を代表してアイスランド語でスピーチをしたそうで、「目前の卒業式に参加させないで、送還とはあまりにひどいじゃないか」という声が一般の間にずいぶんあったようです。

実はアルバニア、マケドニアからの難民で、同じような状況にある家族は他にも複数あります。正直言って彼らが難民認定される可能性はゼロに近いと言わざるをえません。なぜなら、事実彼らが迫害や紛争を逃れてきた難民である可能性が非常に少なく、貧困を逃れてきた「経済難民」である可能性の方がずっと強いからです。

で、このような「経済難民」の人たち、特に小さな子供のいる家族が問題になると、非常に困ることになります。ふたつの点で困るのです。

第一は、法的な脈絡で外国籍者に保護を与える場合の「難民」は自然災害による一時避難を別にすれば、政治的迫害や宗教的弾圧、暴力を伴う紛争から逃れてきた人たちが「難民」であり、貧困という経済的な理由はそこに含まれないからです。

ですから、いかに周囲がその境遇に同情しても、「難民申請」というチャンネルでは筋が通らないことになってしまうのです。先に挙げた家族の例がこのケースの見本のようなものです。

困る点のふたつ目は、経済難民の人が庇護申請をすることによって、本当の庇護申請者の人の審査が遅れてしまったり、「難民受け入れ用」として準備されている家屋や予算が浸食されてしまうことです。

実際は経済難民であっても、庇護申請をしてしまえば一応は決まりのプロセスを通ることになります。その間は他の庇護申請者と同様に扱われることになるわけです。

ですから、もとより限りのある家屋や予算は、経済難民が増加した場合にはどんどん足りなくなっていってしまうわけです。

移民局の統計では、今年の第一四半期にあった庇護申請者は全体で147人。国別に見るとトップはアルバニアの35人。二番目はイラクの32人。三番目がマケドニアで24人、四番目がアフガニスタンの14人となっています。アルバニアとマケドニアで都合59人。全体の四割に相当します。

ここまで比率が増えてくると、やはり問題です。「経済難民は庇護申請をしないで!」と言えば簡単なのですが、じゃあ彼らはどうすればいいのか?と問われると代替になる答えがないのです。

本当に家族を食べさせてあげられない状況に直面するならば、誰だって他へ移っての生活を求めるでしょう。飢えないために庇護申請をしたとしても、それだけできつーい非難はしたくはない気がします。

昨今の基本的人権の解釈の流れから言いますと、「貧困は最大の人権侵害」ということになります。この解釈の弱みは、例えそうだとしてもそれを早急に改善することはできない、という事実があることです。

じゃあ、「先進国は貧困国の人たちが、貧しいとは感じなくなるくらいまでの経済的援助をせよ」などということが実際に合意されるとは思えませんから。

この貧しい国からの経済難民の問題にどう対処するかということは、これからアイスランドでは十分な議論をしていかなくてはならない課題だと思います。

実際にはあり得ないでしょうが、私には思いつきのアイデアがあります。アイスランド- アルバニア、あるいはアイスランド- マケドニア間で二国間条約をそれぞれ結び、アイスランドがアルバニア、マケドニアの人にEC国民と同じような権利を与え、つまり自由にアイスランドへ入国して仕事を探し、就労して良いことにするのです。

そうして家族の長が働いて送金できるようになれば、一家を挙げての庇護申請というようなことはなくなるでしょう。アイスランドは現在好況に転じてきており、外国からの労働力が必要であることは誰もが指摘しています。

アルバニアやマケドニアの人たちがここで職を得られれば、双方にとって益なだけではなく、本来の庇護申請者のシステムも普通に稼働するようになるでしょうし、「Win-Win-Win」になると思うのですが。

いずれにしても、本来の庇護申請者と経済難民の人を同じ土俵の上で語ることはもはや不可能になっています。誰もの権利が守られるような途を開かなければなりません。


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一期一会と洗礼式

2016-05-15 05:00:00 | 日記
前回は、このところ私が仕事で忙しい、ということを説明し始めたのですが、実際には牧師としてどんなことをしているのか、というような方向に話しがいってしまいました。

今日はその続きなのですが、始めにひとこと。ここに書いていますことはすべて「私が」どうやって仕事をしているかということであって、牧師さんがた一般のことではありません。

さらにいうと、アイスランドと日本では教会の置かれた状況や、牧師さんの働く環境は相当異なっています。ですから、私の言っていることを基にして、日本の牧師先生方の働きを評価しないでくださいね。ワタシなんぞを基本に置かれたら、日本の先生方にとってはとんだとばっちりです。
(^-^;

さて前回は、ここのところもっぱら「難民牧師」となっている私の、難民の人たちとの祈りの集いと関わりをお話ししました。一週間に二回、十五六人の集まりということで、それくらいだったら牧師の平均的な仕事で、別に特に忙しさを生むようなものではないですよ、というところまでお話しできました。

その続きに入る前にひとつ説明しないといけません。私の難民(庇護申請者)の人との関わりにはふたつの、基本的には別の局面があります。ひとつはその難民申請者の人の「ケース」についての支援です。

これは、移民局等の判断が公正でないと思われる節がある時などに、その人にできる形でのサポートをすることです。私は弁護士ではありませんので、世論に訴えたり、定期的に訪問して励ましたりというのが主になります。そして、このサポートは頼まれた場合には、その人の宗教に関わりなく提供することにしています。

難民申請者の人とのもうひとつの関わりは、当然のことでしょうがキリスト教に関することです。難民申請者の人のすべてが自分のケースを話したがるわけではありません。むしろ、そういうことよりは聖書を学びたい、キリスト教について知りたい、という人もいるのです。

そして、このところ私が忙しいのは、私の周囲にそういう「キリスト教を学びたい」人たちがにわかに増えてきたからなのです。

昨夏から年末までにキリスト教となるべく、基本教理のコースを経て私が洗礼式を担当したのは二件だけでした。今年に入ってからここまでが四人(内ひとりは子供)。そして現在準備中の人が十人います。

難民申請者の人が教会に加わりたい、というのはヨーロッパで全般に見られる傾向です。例えばイスラム圏から来た人が、キリスト教徒になることで自分の申請の真摯さを示そうとしたり、自分の将来のホスト国への忠誠を示すためのことも多分にあるといわれています。

それで例えばドイツなどでは「信仰ではなく、教会を利用しているだけだ」というような批判も強く、「十戒(旧約聖書にある基本となる戒律)を暗唱させろ」「イエスの弟子たちの名前を言わせろ」等の試験?を求める声さえあるようです。

私の周囲を見る限りでは、あからさまに「教会を利用するだけだよー」的な人はいません。皆、よく集まりに参加しますし、自分たちの間でもいろいろキリスト教について論じ合っていたりします。

ですが、もし仮に、自分のケースを有利にするためにだけ教会に来る人がいたとしても、私はそれはそれで構わないと考えています。きっかけはどうあれ、それが本当の信仰につながるきっかけになるかもしれませんし、教会はその人に対して誠実に応じるべきです。

「信仰を利用している」というようなことあるとしたら、それは神とその人の間の事柄であり、その落とし前云々は神様にお任せでいい、というのが私の基本的なスタンスです。




難民家族のお嬢さんの洗礼式 牧師はロイガネス教会の同僚クリスティンさん


さて、キリスト教入門希望者が今現在十人いる、と言いましたが、これらの人のためには「入門講座」を提供してあげなくてはなりません。私はコースを六つの課題に分け、基本的には週一回で修了までに五六週間かかるものとしています。

みんなをまとめてのクラスにすれば簡単なのですが、実際には一対一にせざるを得ないことが多いのです。それぞれ、これまでの宗教との関わり方が違ったり、基本的な知識が違ったりと、「まとめて」ではきちんと対応できない面が多々あるからです。

運良く、現在の十人の人たちに関しては、背景や言語が共通する人が五人いて、その人たちは五人のグループとしてクラスを持っています。ですが、それでも、残り五人の個人の人たちを加えると、計六つのクラスを持たなければなりません。

一週間に六回の入門クラスとなると、これはかなりスケジュールが密になってきます。「周一回ではなくて、十日に一回くらいの頻度にすれば?」と思われる向きもあるかもしれませんが、そうはしたくないのです。

なぜなら、難民申請者の人の場合にはいつまでここに滞在していられるか、という保証が何もないからです。コースを修了し洗礼を受ける前に送還されてしまった、というのでは泣くに泣けません。

そういうわけで、ここのところ私の方のスケジュールは密になっています。全然「しんどい」とか、そんなことはありません。十分楽しんでいます。英語ではEmpty nester というのだそうですが、子供が自立した後でひとり身を楽しんでいますので、これくらいすることがあった方が、暇を弄ばないですみますのでありがたいことです。

それに、人ひとりの洗礼式に関われるということ自体が、牧師としては嬉しい限りですからね。「一期一会」に通ずる気持ちを持って、準備している洗礼式に向かいたいと思います。


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みんなSeekers!... 何かの

2016-05-08 05:00:00 | 日記
日本ではゴールデンウィークが開け、皆さんが現実の世界に引き戻された頃と察します。ああ、でも行楽地からの帰路とかを考えると、とっくに現実に戻っているかもしれませんね。アイスランドでは日本のような「超混雑」はあり得ないので、その点は楽です。

実はこのところ、私自身は結構仕事漬けになっており、日本がゴールデンウィークということも、日本からの来客の方に言われるまでコテっと忘れていました。まあ、「仕事漬け」の度合いも私個人の基準からいってということであり、日本の皆さんとの比較ではありません。

何が忙しいのか、ということを書きたいのですが、多少キリスト教会の関係の話しになります。

このブログは別にキリスト教の布教のためにやっているわけではなく、アイスランドでの生活からの雑談を伝えるためのものです。ですが、私自身が牧師ですので、まったく教会関係を素通りということもかえって不自然でしょう。そんなつもりで読んでいただければ幸い。

私は移民のための牧師なのですが、ここ一年半くらいは「難民のための牧師」になってしまっています。それだけで十分にすることがあるのです。ヨーロッパで難民問題が大きくなっていることは、日本でも報道されていることと思います。

昨年の夏あたりより、難民の人たちを特に招いての祈りの集いを持つようになりました。四月からレイキャビク中央部のロイガネス教会というところで、また九月からはレイキャビクに隣接するコーパヴォーグルという街の東部にあるヒャットラ教会というところで、それぞれ週一回の集いです。

ロイガネス教会の集いは「Seekers」と名付けました。Asylumに限らず、人は皆何かをSeek(捜して) いるものだ、というアイデアに拠っています。ヒャットラの方は特に名称はありません。私は勝手に「Hjalla Seekers」と呼んでいますが。(^-^;

ちなみに、双方の集会ともその教会の牧師さんたち(ロイがネスは女性牧師、ヒャットラは男性牧師と女性牧師)との協働です。さらにちなみに、このヒャットラ教会は昨十一月より私のホーム教会となりました。




ヒャットラ教会での祈りの集い


どちらも当初は午前十一時から、ということにし、祈りの会の後は皆で簡単な昼食を食べよう、という企画でした。具体的にはスープとパン、果物のランチなのですが、買い出しから調理まではすべて私の担当。これはべつに嫌ではありません。

集いを始めた頃は、ロイガネス教会では難民の人たちが四五人に牧師ふたり、という感じでした。当然ランチの量も大したことなく、準備の量といい、来た人たちとのコミュニケーションといい、「ちょうどいい感じ」でした。

遅れて始まったヒャットラ教会では、難民の人たちが三四人、牧師さんがふたりないし三人という感じで、これは「チョト寂しい」くらいの感じでした。

ここで「難民」の人たちといっているのは、難民申請をしてその結果を待っている「庇護申請者」Asylum seekerの人たちのことです。ですから、申請を拒否され送還が決まった場合には、原則的にはその人とはお別れになります。

拒否の理由が納得のできないものである場合には、できるだけのサポートをしますので、それはそれ相当の仕事になります。そういう関係については、これまでも何回かブログで触れてきたと思いますので、今回はスープに話しを戻します。

Dubliners...「ダブリン難民」


さて、クリスマス前頃から双方の集いとも参加者が少しだけ増してきました。ロイガネス教会では十人を越すくらい、ヒャットラでも時々十人を数えるくらいになったのです。

そして、この時期には仕事を始めた人たちもいたので、メンバーも入れ替わっていきました。アフリカからの人たちが減り、イランやアフガニスタンからの人たちが増えてきました。ちなみに今現在はイランやアフガンからの人たちが圧倒的多数派です。イランの人たちが一般的に?日本びいきなのも関係しているかもしれません。(なにしろ「おしん」が国民的人気番組だとか!)

さて三月に入り、ロイガネスでの集いは、午前十一時から午後三時に変わりました。午前中学校に行く人が多くなったからです。おかげでランチの準備がお茶の準備になり、これは楽になりました。(*^^*)

そしてその頃からロイガネスでは毎週十五人から二十人が集うようになり、また、ヒャットラでも十人超が平均になってきました。十五人以上になると、ちゃんとオルガナイズしないと、集会そのものがつまらなく、居心地の悪いものになってしまいます。

そういう点で気を遣うようになりましたが、加えて参加してくれる人たちと十分なコミュにカーションも課題になってきます。皆ともれなくきちんとコミュニケーションするようにするのは、牧師さん一般にとって苦労するところではないかと思います。

さて、十五人級の集会が週にふたつあるくらいだったら、普通の牧師さんにとっては当たり前の話しで、「忙しい」範疇には入らないでしょう。まだ、ここから続いてくる話しがあるのですが、書ききれませんでいた。次回持ち越しです。悪しからず。m(_ _)m


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アイスランドの新車Elegy

2016-05-01 05:00:00 | 日記
グリムスソン現大統領が突然の六期目出馬宣言をしたので、前回はそちらの方に話しが行ってしまい、庶民の私の車買い替えという、しょうもない誰にも何の影響もない話しはお休みになりました。ですが、今日はカムバックです。

私がなんで車の買い替えのようなトピックを、わざわざブログネタにしているのかを理解していただくには、「アイスランドでは車は高いのだ!」ということを知っていただかなくてはなりません。

新車を買う場合は、最長七年間までのローンを組めるのが普通です。金融会社によってはそれより長いローンもあるようですが、七年が基本です。中古の場合はもっと短くなります。

以前は「車の年齢+ローンの年数=7以内」という公式があったのですが、経済恐慌後は多少ルールが変わっているように思われます。そのうちまた調べます。悪しからず。

アイスランドでは車はどのくらい高いのか?例を挙げてみたいと思います。ただ、車のディーラーでもなんでもない私ですので、もしかしたら比べ間違いがあるかもしれません。間違いを発見した場合は、叱らずにそっと耳打ちしてください。お願いします。

ちょっと先に言い訳しておきますが、国境を超えて車の比較というのは、そう簡単なことではありません。車の名称が違うのは年中ですが、同じ車種でも、機能が変わっていたり、付属するサービスの付き方が異なっていたりということが珍しくはないのです。

多少苦労して比較をしてみたのですが、部分的には「まさか?」「ありえない!」というのが事実のようです。「アイスランドいい国だなあ」という幻想をお持ちの方も、これを知ったら「やーめた」となるかもしれませんよ。

さて、日本の国民的自家用車といえばカローラですね。価格をトヨタの公式サイトで調べてみたのですが、まあ、いろんなカローラがあるのでびっくりしました。その中でも一番平均的な1.5Gはメーカー希望の価格が約1.800.000円。それに相当するカローラの、アイスランドでの価格は3.900.000kr。二倍? 比較する車種を間違っているのを願います、いきなり。

ついで同じトヨタのRAV4。ハイブリッド、4WDのAT車を見てみると、アイスランドでは7.120.000kr.(七百十二万クローナ) この車の日本版は?とみるとなかなか見つからない。この車種、日本では「ハリアー」と変身しているようで、同等車と思われるものは4.590.000円します。その差たったの二百五十万。

おっと。円とクローナの違いがありますから、円に換算すると6.360.000円。その差は約百八十万円です。




こちらのToyotaのサイト 値段を見るのはちょと難しい?


今、世界で売れているホンダのNew HRV。FF、1.5Lペトロのこちらの価格は4.590.000kr。日本では「Vezel」というようですが、2.390.000円。これもずいぶん違います。

この違い、何か正当な理由があるんでしょうかね?パナマ文書的にきちんと調べてもらいたい気がします。ただ「ぼったくり」で売値付けてるんじゃないかと疑わざるを得ません。

マツダ。一番小さい「デミオ」。日本では概ね二百万円台前半のようですが、これはこちらでも2.400.000から2.900.000の間のようで、そんなに差はありません。

面白いのは日本でのマツダのラインアップは「デミオ」「アクセラ」「アテンザ」のように命名されているようですが、こちらでは(ヨーロッパ、北米でも同様)単に「Mazda2」「Mazda3」「Mazda6」のように番号だけです。意味のない語感だけの名前より、むしろすっきりして新鮮な感じがします。

ところでデミオの中でも一番ベーシックな車は、最低の価格で1.350.000円とマツダの公式サイトの価格表にあります。正直言ってびっくりしました。マツダの新車が百万ちょっとで買える!? さすが日本です。最敬礼。

アイスランドでは、その値段(百五十万クローネ前後)で買えるのは、相当な中古だけです。「相当な」というのは二十万キロくらい走り終わった代物です。

と、いうわけで、ここでは自動車は真剣になって買うものなのです。少なくとも庶民にとっては。

私はマツダのCX3に決めたのですが、それは同時に、向こう七年間ローンを払い続ける運命に同意したことになります。まあ、いいか、と思って。もう子供も成長したし、伴侶はいないし、趣味はないし。仕事の合間に楽しめるものといったら車くらいのものでしょう。

もう注文したのですけどね、日本からわざわざやってくるそうで、会えるのは六月二十日の予定です。待ち時間、二ヶ月半以上というのも日本ではあり得ないでしょう?それがアイスランドです。

その間、YouTubeでレビューのビデオを見ながら、車に付けてあげる名前を考えてあげています。いつもマイカーには命名しています。名古屋で乗ったシビックは「ウラフ」(暗殺されたスウェーデン首相)、こちらで少し乗ったスバルのジャスティは「フェリペ」(スペインの元首相)、こちらで自分で買った最初のカローラは「野茂」(説明不要)、今乗っているカローラは「ザナポテ」(スペインの元首相)。

次は「イチロー」かな...?? (*^^*)


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