レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

パスカー前の「聖週間」... です

2024-03-24 02:10:31 | 日記
こんにちは/こんばんは。

先週は「寒の戻り」のような状態になり、またマイナスになったり雪が降ったり強風が吹いたりというアイスランド的天気が続きました。出かける時に、長いダウンにしようか?短いダウンでいいか?普通のコートにしようか?と迷う時期ですね。

日本では年度末の一週間になってしまいましたね。卒業シーズンはもう過ぎちゃったか?入学・入社の方がこの時期のメインのイベントですかねえ?




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Kameron_kincade@unsplash_com


アイスランドでは今月の末日31日が復活祭の日曜日となります。復活祭はキリスト教文化のもとにある地域では、かなりメジャーな祭日で、実際今日から始まる一週間は「聖週間」と呼ばれる特別な週になります。

え〜とその前に、日本では馴染みがない復活祭ですが、これは「移動祭日」と言って毎年日付が変わります。クリスマスのように移動しないのは「固定祭日」です。日本で復活祭が定着しないのは、「移動祭日」の故に商業化するのが難しいからだ、という意見を以前聞いたことがあります。

「商業化」と言うのは俗な話しですが、確かに「バレンタインデー」「ホワイトデー」「ハロウィーン」とかを見ていると、商業的なバックアップがあるからこそブームになってる、感はありますね。

この復活祭、アイスランド語ではPaskarパスカーと言います。男性名詞なのですがなぜか複数形で、単数は存在しないようです。ちなみに英語ではEasterです。Easterという名称は、ゲルマン神話の春の女神Eostreから来ているそうで、なんでも紀元6世紀あたりに、キリスト教とゲルマン神話が重なり合って、その名称ができたんだそうです。これは受け売り情報です。

Paskarの方はもう少しはっきりとしていて、これはヘブル語のPesachペサハからきています。ペサハは「過ぎ越し(の祭り)」であり、英語ではPassoverと呼ばれるものです。ちょっと、こんがらがってきそうな言葉の推移なので、説明させてください。




春の女神Eostre
Myndin er ur Wikipedia.org


もともとあったのはユダヤ教のメジャーな祭りである「過ぎ越しの祭り」ぺサハです。今でもあります。この祭りは、ユダヤ人にとっては大切なもので、エジプトの地で奴隷だったユダヤ人が、神の保護の下、モーセによって大脱出劇を果たしたことを記念するための祭りです。

その際に、神はユダヤ人を解放しないエジプト人の頑なさを懲らしめるために、エジプト人とその家畜の「初子」を病にかけたのですが、ユダヤ人には自分の家庭のドアに子羊の血を塗るように指示を与え、見分けるための印としました。そしてユダヤ人の家庭には病が入り込まないようにしたのです。つまりユダヤ人の家庭を病が「過ぎ越し」たわけです。これを記念するのが「過ぎ越しの祭り」なのです。

そして、イエス・キリストが捕えられ十字架の刑に処された出来事は、まさにこの過ぎ越しの祭りの只中に起こったものでした。過ぎ越しの祭りも、一週間ほどかかるお祭りで、一日こっきりのものではありません。イエスが十字架に付けられたのが金曜日、復活したのが日曜日とされています。そしてこの日曜日が「復活祭の日曜日」Easter Sundayとなったわけです。

要するに、もともとユダヤ教の祭りだったところへ、新しくキリスト教の祭りが重なってしまったわけです。そのため、キリスト教の教会でも復活祭の祭りのことを指してPassoverと呼んでしまうこともあるみたいです。

「いい加減だな」とお思いかもしれませんが、キリスト教はユダヤ教の土台の上に建っていますし、ユダヤ教からの遺産をすべて否定しているわけでもありません。いろいろなユダヤ教からの遺産は、キリスト教の中でも大切な財産として保たれているのです。

Paskarも明らかに「過ぎ越し祭」を思う流れの中で、アイスランド語での復活祭を指す言葉となりました。




聖週間の始まりは「シュロの日曜日」シュロとはPalm tree
Myndin er eftir Avel_chuklanov@unsplash_com


ところで、初期の頃はユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」とキリスト教の「復活祭」は、毎年同じ時期になっていたわけですが、4世紀頃の公会議で、教会は復活祭の独自の算定の仕方を決めました。以降、「過ぎ越しの祭り」と「復活祭」はまったく同じ時期ではなくなっています。ちなみに、今年2024年の過ぎ越し祭は4月の23日からの一週間だそうです。

さて、そういう復活祭を前にしての今日の日曜日からの一週間が「聖週間」です。「せいしゅうかん」とタイプすると、一番先に出てくる転換が「性習慣」であることはご愛嬌です。(*^^*)

アイスランドではこの一週間は学校はお休みとなります。加えて、木曜日と金曜日は一般人も加えての「国民の祭日」です。木曜日は「聖木曜日」あるいは「洗足木曜日」とも呼ばれます。キリストが弟子たちと最後の晩餐を取ったのがこの日であり、また弟子たちの足を洗ってあげた、という逸話が残されています。

アイスランド語では「洗足」の「足」が脱落していて、単に「きれいにする日」Skiradagurとなってしまっています。




過ぎ越し祭で食べることになっている食事の例
Myndin er ur History.com


金曜日は英語で言うところのGood Fridayで、キリストが十字架に付けられた日であり、日本の教会では「受苦日」とか「受難日」とか呼ばれていると思います。アイスランド語ではFastdagurinn langiファストダーグリン・ランギ「長い金曜日」と呼ばれます。

私が初赴任したのは名古屋の教会で、隣りがガソリンスタンドでした。もちろん「聖金曜日」だの「受苦日」だの、日本社会では知らないのがフツーですから、聖金曜日でもサザンとか景気の良い曲が一日中かかっていました。ああいう環境では「苦しみ」を偲ぶのはなかなか難しいかも。

アイスランドでは、そういう点では楽ですね。聖金曜日は、私の個人的な感想では「静か」です。なんとなく「はしゃいだり騒いだりする日ではない」という雰囲気があります。

私がアイスランドに来た頃はもっと顕著で、すべてのお店もビジネスもお休みになってしまっていました。ワタシら地元民はいいのですが、そんなことを露知らずこの時期に来てしまったツーリストの人たちはとんだ災難でした。だって、カフェもレストランも開いてないし、スーパーもしかり。まさに「受苦日」

今では随分とゆるやかになって、相当数のお店は開いていますし、生活に支障があるということはまずないでしょう。良く言えば「フレキシブル」、悪く言えば「世俗化」です。

聖週間、祝日が二日もあるにしても、私ら教会関係者には「そんなの関係ねー」であって、やることは山とあります。今週の個人的目標は:「汝、忙しいと言うなかれ」です。牧師がですねえ、「忙しい、忙しい」と言いながら顔を引きつらせているようなのは... ダメですよ。周りの人を追いやってしまいますからね。

というわけで、ワタシは今週ものんびり生きます。(「行きます」の打ち間違えではなく「生きます」です)(*^^*)

あ、そうそう。前回「A Iで翻訳したままの本文、どのパラグラフでしょうか?」というしょうもないクイズを出しました。答えはですね:
三枚目の写真の後、
「しかし同時に、ここに誘惑があります。」から始まって、 「料理のレシピ」を書きたい場合など、場合によってはこちらの方がずっと簡単かもしれません。 (アイスランド語で「レシピ」を書くのはとても複雑です)
までの、ふたつの段落でした。よーく読むと、AIっぽさが感じられるかもしれません。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


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やれやれ AIとどのように付き合いますか?

2024-03-16 21:23:31 | 日記
こんにちは/こんばんは。

ちょっと遅れてるな、と思っているうちに更新が一回分飛んでしまいました。今回は正直、忙しかったためです。たまにですがこういう時期があります。

今年は3月31日が復活祭(paskarパスカー)というキリスト教の大きな祭日になり、これは復活祭としてはかなり早い日付です。それにつれてということはないでしょうが、二月の下旬から早くもかなり暖かくなってきていました。

三月の初めから、私はすでにシャツ類は長袖を引っ込め、半袖を使っています。ダウンも半分引っ込め(すべてユニクロ)、少し薄めのコートを補充しました。「パスカーには雪が降る」という都市伝説がありますので、もう一回くらいは雪が降るとは思いますが、気温的にはこのまま「春〜!」となって欲しいものです。




清涼感アップ等ピック1
Myndin er eftir Ludovic_charlet@unsplash_com


さて、最近頻繁に耳にするAI論議。皆さんは意見をお持ちでしょうか?私自身は意見を持つほど内容を理解できていません。せいぜいFake動画をどうやって見分けんのかい?のレベルです。

ですが、別の方面でAIが身近な部分で相当な影響を持ち始めていることに、最近ようやく気が付かされました。

私の教会には -という言い方をついついしてしまうのですが、私が教会を所有しているわけではないので、「私が集会を持っている教会には」というのが正しい言い方です- 英語が得意でない人もかなりいます。

英語での集会で、お話しの最中にずっとスマホを差し向けている男性がいるのに気が付きました。録音していて、後で聞き直すためと思ったのですが、訊いてみると「その場でGoogle translationで翻訳して話しに着いていこうとしてます」

「それでどのくらい理解できるの?」「まあ、30〜40%くらいかなと」なるほど。そういえばGooglePixelとかサムソンS24とかのスマホでも、同時翻訳を盛んにPRしてるか。でも、教会では話者との距離もあるし、音を拾うのが難しいのでは?という気もしますが。

こういう機能は日進月歩ですからね。一年間でチョーゼツ進歩をしているかもしれません。そこでマイiPhoneのGoogle translationを開き、英語で話してみてきちんとした日本語訳が出てくるかやってみました。

ちゃんと翻訳されます。ついでに日本語から英語のパターンもテスト。今、ちょうどANNのニュースをネットで見ていて、北陸新幹線開通(おめでとうございます!)を伝えているのですが、インタビューをちょっと拾って翻訳してみました。ちゃんと翻訳してる。すごい。




ニュースからのスマホ翻訳の例
Pic by me


問題があるとしたら、スマホ自体が、ネット上での日本語を、肉声の日本語ほどスムースに認識してないのかなあ?と思われる点がありますね。ニュースのナレータの声には反応しなかったりしてますから。

さらに言えば、言語間で翻訳の質は異なることがあるでしょう。例えば、「英語ーウクライナ語」とか「英語ーペルシャ語」とかでは、「英語ー日本語」のクオリティとは異なる可能性が十分あります。

何年か前の経験では、日本語と英語のように文法の根底が異なる言語間では、翻訳が滑稽なものになってしまっていました。今はかなり矯正されてきたみたいですね。他の言語はどうなのでしょうか?

こうなってくると、これは私の担当している英語礼拝なんかでも、使える可能性が出てきます。スマホの前に小さなスピーカーを置いて、きちんと音が拾えるようにして、スカホ担当の人が定期的に翻訳転換する作業を手作業で行い(今現在はオート変換はないと理解しています)、それをラインで繋げたディスプレイに流す。

これができれば、かなり劇的な進歩。頭の中のフローチャートでは可能、か?実際にはそうきれいにはいかないかもしれませんが、やってみる価値はあるようです。この夏の実験課題。




清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Gemma_evans@unsplash_com


ところで、これは「音声入力」という観点からのAI翻訳ですが、テキスト入力でも翻訳の質は上がってきていますね。この点は、以前から認識はしていたのですが、かなりマジで使えるレベルになってきている、と改めて実感しました。

ただ、この点に関しては、私の意見は「英語ーアイスランド語」間に限られています。「英語ーアイスランド語」間の翻訳を実際に必要とする頻度が高いものなので。

例えば、アイスランド語で書いたエッセイとかお話しを英語に翻訳できたらいいなあ、という機会がありました。何年か前までは、これをGoogle translationで翻訳しようとしても、なかなかスッと使える代物は出てきませんでした。

それが今では、少しの手直しをするゆとりさえあれば、十分に使える翻訳が出てきます。これはこれで、相当重宝するテクノロジーの進歩。

しかし同時に、ここに誘惑があります。 たとえば、Facebook に何かを書こうとするとき、私はいつも自分でアイスランド語でテキストを作成します。 自分が使っている単語がわからない場合は、オンライン辞書で調べます。 文法的な点がわからない場合は、ネットで調べます。 こうして私は少しずつではありますが、アイスランド語を進歩させています。

でも、最初から英語で文章を書いたり、日本語で書いてAI翻訳でアイスランド語に訳したりすることはできます。 「料理のレシピ」を書きたい場合など、場合によってはこちらの方がずっと簡単かもしれません。 (アイスランド語で「レシピ」を書くのはとても複雑です)

でもそうしちゃうと、進歩がないですねえ。




関係ないけど嬉しいピック 教会のキッチンのサボテンの花
Pic by me

だから、これは両刃の剣ということですね。言葉を学ぶ必要などなく、とにかく一定の内容の事柄を相手に伝える必要がある場合には、非常な助けとなることでしょう。ですが、ある言葉を習得する過程や環境にある人の場合には、これは「安直な逃げ道」たりえます。

あなたがそういう環境にあるとして、AI翻訳を「使いますか〜?使いませんか〜?決めるのはあなた次第です」ということになりますね。

私は使わないようにしていますが、でも使いたいんだよねー、時間のない時なんか。それに「限定適用法」もあります。何かを書いて、あまり自信がない時、それをAI翻訳と比較してみるとか。あるいはそれを日本語に翻訳してみて、意味が通じているか確かめるとか。

これは、私も時々やっています。怖いのは、それが「時々」ではなくて「常時」になること。麻薬か!?

まあ、テクノロジーの進歩は拒否できるものではないことは歴史が示しています。ならば、どのように取り入れていくか、どのように付き合っていくかを建設的に考える方がクレバーでしょうね。

最後にクイズです。今回のブログ、ふたつのパラグラフは、私が英語で書いたものをGoogle translationで日本語に訳したものを「そのまま」使っています。どのパラグラフかわかりますか?(*^^*)


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


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六十四年ぶりの真実 – アイスランドの「昭和」

2024-03-02 21:31:05 | 日記
こんにちは/こんばんは。

前回のブログから少し間が空いてしまいました。忙しかったわけでもないのですが、仕事でいくつか難しい案件があり、そちらに気を取られちゃってました。

さて今回は読みたての新聞の記事からひとつご紹介したいものがあります。なんというか、変な表現ですが「アイスランド的な『昭和』」?感がするものでホンワカしたものを感じる内容です。




気持ち良い土曜日の午前 我が古アパートからの青空
Pic by me


今これを書いているのは、こちらの時間で土曜日の午前十一時前なのですが、たった今読み終えたMorgunnbladidモルグンブラージィズ紙の日曜版(土曜日に出ます)に載っていたものです。

まずは日曜版ではない普通紙の一面に出ていた短い紹介が目についたのですが、「尋常でない警察沙汰、六十四年ぶりに解決」とありました。こういうの大好き。さっそく日曜版にあるまるまる4ページ分の扱いに目を通しました。(まあ、そのうち2ページは写真ですが...)

「事件」はこういうものです。遡ること六十四年、1960年の五月の初め警察に通報が入りました。シーグリズルという女性警察官が電話を受けると、レイキャビクの西街にあるKronanという雑貨店(*現在の同名のチェーンスーパーとは別物)の前の歩道に、赤ちゃんの乗ったベビーワゴンが一時間も放置されている、とのこと。

シーグリズルさんが同僚とお店に出向き、赤ちゃんを確認。お店の近所の家で尋ねましたが「どこの子かわからない」。仕方ないので車に乗せて警察署に一旦引き取りました。

1960年当時のことなので、確かではないのですが、この時の警察署はダウンタウンの真ん中にある、後に「刑務所」として使われていた黒石仕様の建物と思われます。

赤ちゃんは一歳未満と思われ、「身元不明の迷い子」「失踪」「誘拐」の間の良くわからない何かの故に「放置」されたものとみなされました。そこでラジオで呼びかけがなされました。「こういう赤ちゃんがいます。心当たりの方は乞うご連絡」

するとこれも西街にあるか家庭から「ウチの子かもしれない」と電話。午前中に授乳した後、自宅の庭でベビーワゴンに寝かせていたのだが、ラジオを聞いて確認しようとしたらいなくなっている。そこで警察官が再びベビーワゴンごと警察車両に乗せてプリンセスのようにして送り届けたとのこと。「とってもいい子だったわ」とシーグリズル婦警。

1960年の記事はここで終わっており、どういう経過で自宅の庭でお休み中の赤ちゃんが、お店の前に取り残されていたのかについての説明はありませんでした。特定の個人名も示されていなかったようです。




1960年当時話題となった報道写真
Myndin er ur Mbl.is/ Olafur K. Magnusson



ただ、赤ちゃんを送り届ける際に、警察署の前で取られた写真はとても有名な「報道写真」になりました。撮ったのはモルグンブラージィズ紙のカメラマンのオーラブル・K・マグヌススソンという人。小見出しに「赤ちゃんはジェイルに入っていくのではなく、出ていくところ」とあったそうで。

この写真は、その後2009年と2015年にも何かの機会で同紙に掲載されたことがあるそうで、60年の事件当時と今回を合わせて計四回も誌面に登場したことになります。モルグンブラージィズ社の会議室にも飾られているとか。

その後六十四年間経ちましたが、ことの経緯は不明のまま。ところがです。今年になってFacebookのグループのひとつ「(アイスランドの)古い写真」にこの写真が紹介されると、ヨハンナさんという女性が、この赤ちゃんの「伯母」だと名乗り出たそうなのです。

それを伝え聞いたモルグンブラージィズ紙の記者がヨハンナさんに連絡すると「赤ちゃんの名前はナンナといい、当時は生後十ヶ月、今も健在でスウェーデンに住んでいる、とのこと。「スウェーデンの連絡先は?」と尋ねる記者に驚きの返事:「明日、帰ってきて私のところに滞在するわ」

ヨハンナさんは今でも同じ家に住んでいるのだそうです。そこで記者は帰国したナンナさんに連絡を取り、インタビューの許可をもらってその家に出向きました。そのインタビューによって、六十四年ぶりに事の顛末が明らかにされました。

ちょっとあらかじめ説明しておきますが、昔からアイスランドでは赤ちゃんをベビーワゴンに乗せて庭とかで寝かせる習慣があります。私がアイスランドに移った1990年代でもフツーのことでした。日本とかでは考えられないことですが、それくらい安全な国だったのです。

さすがに最近ではこの習慣はなくなってきたように思われますが、特に留意してこなかったので確かではありません。

で、1960年のこの日、ナンナさんの別の伯母さんのエリサベトさんがナンナさんのお守り役になっていました。「伯母」さんといっても当時十四歳。先のヨハンナさん、このエリサベトさん、そしてナンナさんのお母さんが姉妹なのです。多分、ナンナさんのお母さんが一番上。




記事中のナンナさんの写真
Myndin er ur Mbl.is



エリサベトさんはお店で買い物をする小用があり、行きつけのKronanへベビーワゴンを押して行きました。赤ちゃんは眠っていたので、店の前に残し中へ。ところが結構混んでいて、会計に思わぬ時間がかかりました。当時は、子供の会計は一番後に回される習慣があったのだそうです。

「学校に送れる!」とパニクったエリサベトさんは一目散に学校へと走り出し、赤ちゃんはその場に残されてしまった、というわけです。誘拐でも失踪でもありませんでした。まあ大失敗ではありますね。

ちなみにナンナさんが住んでいた家とお店は歩いて七、八分の距離の近場にあります。私の古アパートから歩いても十分(じゅっぷん)はかからないところです。みんな近所。昔のレイキャビクはホントに小さかったのです。

事の経緯が不明のままの六十四年間だったのですが、実際は警察はヨハンナさんやナンナさんのお母さん、エリサベトさんからも事情を聴取し顛末を把握していました。

ただこの失敗により、エリサベトさんが不必要に傷ついたり、差晒し者になることがないように配慮して、初めの記事以上の詳細は公表しないことにしたようです。そのこと故にナンナさんも、この出来事についてはいっさい他言してこなかったと語りました。

「本当だったら、あなたにもNOと言ったでしょうが、昨日の旅疲れでガードが下がちゃった」と記者に笑ったそうです。




このようなご近所 ただ正面のお家は内容とは無関係
Myndin er ur Ja.is


記者はさらにエリサベトさんにも話しを聞いたそうです。昔の事とはいえ「赤ちゃんを忘れた」ことはいまだに反省。ただそれ以外に言いたいこともあったようで、「あのお店は年中通っていた馴染みの店だったんです。店のおじさんとも顔見知りだし、ナンナのベビーワゴンも見覚えていたはず。

それを店主は家へ連絡する代わりに、警察へ通報したんです。ただ自分の店がニュースに出て宣伝になるように。それ以降、あの店での買い物はやめたわ」

というわけで、実際には「事件」ではなくティーンの「失敗談」でした。今だったら下手をすれば「ニグレクト」とかで追求されるかも。大事に至らなかった小事が、六十四年も経ってからまたニュースになったわけです。

この話しを読んで「なんか懐かしいレイキャビクだ。アイスランド的『昭和』だなあ」と感じてしまうのは、私自身がそれだけここで「昭和化」しているということなのでしょうか。(^-^;

私のご近所さんでもある、このヨハンナさんが住んでいるお家。なんとヨハンナさんの祖父母、つまりナンナさんの曾おじいさんと曾おばあさん夫妻が、1907年に自分たちで建てた家なのだそうです。百十七歳?

さらに不思議なのは、長らく保持してきたこのお家、記者が訪ねて行った日がヨハンナさんの家としては「最終日」で、翌日に売りに出されたとのこと。不思議なめぐりあわせですね。

またひとつ「昭和」が消えていくわけですが、消えてしまう前にこの1960年の出来事の顛末を語っておきたい、という「魂」がどこかにあったのかも... なんて考えてしまいました。

(*内容によっては、公人以外の個人名は仮名にして書くようにしているのですが、今回は元の新聞記事にすべて実名で載っていましたので、そのままとしました)


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。


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