レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

そしてワタシはアイスマンとなった...

2019-10-27 00:00:00 | 日記
昨日の土曜日は、アイスランドでは「冬の第一日」とされる日でした。ここでは「公式に」冬が到来したわけです。多分「十月の最終の週末」が「冬の第一日」だろうと思います。ネットでちょっと調べたのですが、確認は取れませんでした。悪しからず。m(_ _)m

アイスランドでは、というよりはいにしえの北欧の暦では、一年は冬が二十六週間、夏が二十六週間で、春と秋は「公式には」存在しません。アイスランドの社会には、やはりそこここで古くからの北欧の習慣伝統が残っているようで、この「冬の第一日」もその仲間でしょう。

ちなみに「夏の第一日」は「四月の第三木曜日」と法律で決められており、国民の祝日となっています。

凍てつく夏 古の知恵では想定内


この「夏の第一日」は「公式な」(今日はこの言葉にこだわっています。往々にして「現実」との乖離が存在しますので(*^^*)) 夏入り宣言以上の意味はないと思うのですが、対する「冬の第一日」には、実は実際的な意味もあります。

それはこの日をもってヨーロッパのサマータイムが終了するからです。と言いつつも、私にはこの両者にきちんとした因果関係があるのか、たまたま重なっているだけなのか、定かではありません。すみません、裏付けの薄弱なブログです。




冬の第一日前に到来した冬 休校になった学校も
Myndin er ur Visiris/VILHELM


ですが、冬の第一の夜、言い換えますと第二日の日曜日の深夜一時に、時計を一時間進めて二時とする」という仕方で、サマータイムから通常タイムへの戻るのがヨーロッパの流儀であるようです。

サマータイムの開始は三月の三十一日の未明、と決まっているようですもで、こちらはアイスランドの「夏の第一日」とは無関係です。おそらく終了時の方も、たまたま「冬の第一日」と同じ週末なだけで、特に理由があるわけではないのでしょう。でも、現象としては「冬の第一日がサマータイムの最終日」なわけです。

サマータイムというのは、もともと「夏期の陽の光を活用する」意図でできたもののようで、あくまでサマータイムは「仮の時間設定」で、本来の時間は「冬期の」時間帯なようです。

日本ではサマータイムはありませんし、実はアイスランドでもサマータイムは使用していません。にもかかわらず、飛行機とかの予約をする時には、実際的な問題がありますので注意する必要があります。

ちょっと付け加えますと、昨冬はアイスランドで「サマータイム導入」をめぐる盛んな議論がなされました。あまり気にしていなかったので、きっとそれは「他のヨーロッパの国と同じように、時間を一時間先へ進めるということだろう」と決め付けていました。

つまり、冬の午後六時は、夏時間での午後7時になるという具合に。同じ時期にEUはサマータイムの廃止の議論をしていたので、「アイスランドはなんと世の流れに逆行しているのか?」と感じました。

ところが、議論を垣間見てみると、どうやらアイスランド人が話している「サマータイム」とは、夏には時計を一時間だか二時間だか後ろへ戻すこと、だったようです。つまり、今の午後十時が、夏時間ではまだ夜の九時であるように。

「まだ明るいのだから、その明るさを楽しもう」ということのようですが、実はこの議論の背後には、かなり込み入った健康上の影響からの視点などもあります。見かけ以上に複雑なものなので、また機会を見てご紹介したいと思います。

さて、昨日の「冬の第一日」を含む先週の一週間。天気予報でそれまで10度前後を保ってくれていた気温が、一気に0度くらいまで下がることがわかっていました。週の後半からは強風の警報も出ていましたし、雪のマークまで天気図に登場。

私はせっせとネットで、車のタイヤのスパイクタイヤへの交換の作業を予約し、火曜日には交換を済ませてしまいました。その火曜日の時点で気温は限りなく0度に近くなっていました。おまけに風が冷たく、体感温度はマイナス4、5度くらいだったと思います。

強風はその晩を通して、というか金曜日の夕方まで吹き続けてくれました。私の西街の古アパートは、強風が吹くとどこかしらから冷たい空気が漏れ込んできます。寒!!

加えて、あの強風に付き物の「風の音」というものがあります。ゴーゴーというか、ブアンブアンというか、つまり寒そー!!な音です。




強風が石を巻き上げ車にも被害が
Myndin er ur Visir.is


という状況の中で迎えた水曜日。目が覚めると朝の八時。外はまだ暗い。寒い。風の音がすごい、寒い。

「嫌だ、絶対に嫌だ」とまず私の身体が活動の開始を拒否してきました。ついで大脳の方も「嫌だ、絶対に嫌だ」と身体の抵抗を追認する大脳指令。かくしてワタシは寝床の中で固まったまま...(^-^; 氷の中のアイスマン。

こうなるともう動けません。というわけで、私は水曜日は「極度の」体調不良で欠勤。本当はケフラビクまで出向いて集会を持つはずだったのですが「ごめんね」メールを送ってお休みにしました。

季節の変わり目というか、一気に気温が寒くなったりすると、身体がきついということは、これまでも何度も体験してきました。ですが、今回のように「もう立てない」というような「級」のきつさは初めてでした。やっぱ、歳かなあ?

午後二時くらいにベッドを抜け出し、お風呂へ。熱目にしたお湯にどっぷり二十分浸かるとアイスマン復活。やっと「固まり」から抜け出しました。

まあ、日本の皆さんからすれば「信じられないくらいにだらしないヤツだ」ということになりましょうが、そういうこともあります。嘘ではなく、私は病気にならない人で、普段から病欠ということはほとんどないのです。疲労困憊で欠勤、ということは稀にありますが、風邪でお休み、ということはまずありません。

運が良かったのは、先週はあまりMUSTの用件がない、わりと楽な週だったことです。考えてみると、夏からジュネーブ出張を挟んで、今までほとんど休みなしで仕事をこなしてきました。

今週は楽な週なのと、この寒気到来。無意識の中での「今週は休んでも大丈夫」という(天使の)ささやきと、肉体的な疲労がアイスマン化をもたらしたのかもしれません。




北部、東部ではクローズドになった道路も
Myndin er ur Ruv.is/AugustOlafsson


まあそれは言い訳ですが、Facebookにこの一日ついて書くと、多くのフレンズから「あるある」の返事が届きました。「ビタミンDを摂るように」というアドバイスが多かったのですが、実は「毎日摂ってるんだけど...」

同じように多かったアドバイスは「身体の言うことを聞くように」というもの。「身体がきついということは、休みを欲しいてるということだから」という、これは確かにその通りですね。

強風や大雪と同じく、暑い寒いも自然の営みのひとつ。アイスランドでは自然に果敢な挑戦を挑む一面もありますが、基本のポリシーは自然と共存していくということにあると思います。

私も自分の生活の中では、なるべくこのポリシーに従うようにしています。強風大雨など危険な天候の際は集会は中止にする。大雪の際はなるべく外出を控える。好天でお日様が輝いている時は、仕事を止めてビールを飲みにいく。

挙げたらキリがありませんが、四角四面に自然と対峙しても勝敗は明らかですからね。折れていい時は折れるようにしましょう。「自分はそうしたいけど、周りが...」ということはあり得るでしょうけどね。

そういうことも良い解決を見れる社会になることを願います。というか、そのように努力しないといけないですね。


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「洗濯する国」「洗濯出す国」

2019-10-20 00:00:00 | 日記
十月の中旬を迎えたレイキャビクです。まあ、世界のどこでもそれは同じでしょうが。気温はまだ 10度前後を保ってくれていいます。以前は十月は気温が低くなり、ドカ雪が降るようなことも多かった気がします。十月の一週間が毎日気温0度以下、というのを記憶しています。

ここ数年は、十月をまだ半袖シャツで過ごす、というのが普通のようになってきたようです。これも地球温暖化の表れなのでしょうか?それでも予報を見ると、来週は気温がグッと0度近くまで落ち、かつ雪も降るようです。

先日、車の中でラジオを聴いていたら「クリスマスまであと六十何日」とか言っていてびっくりしました。そうなんだ。あと六十数日するとクリスマス... こんなペースで進んだら、私の残りの人生の「体感長さ」は僅か「数ヶ月」のような気がするのですが... 怖っ!

ここのところ「ジュネーブ」が続きましたので、今回はアイスランドに戻ります。先日ひとつ気になるニュースがありました。「アイスランド、『マネーロンドリーの灰色国リスト』に移動」というものです。




青空の下での洗濯物ー爽やかなイメージでですが...


Financial Action Task Force (FATF) 「マネーロンダリングに関する金融活動作業部会」という国際機関が、アイスランドを「マネーロンドリーに対する取り組みが甘い国」とされる「灰色国リスト」に加えたのです。

このFATFという機関は、Wikipediaによりますと「1989年(平成元年)にフランスのパリで開催されたアルシュ・サミットでの経済宣言を受けて設立された。

当初は麻薬犯罪に関する資金洗浄防止を目的とした金融制度の構築を主な目的としていたが、2001年(平成13年)9月11日のアメリカ同時多発テロ事件発生以降は、テロ組織への資金供与に関する国際的な対策と協力の推進にも取り組んでいる」(Ja.wikipedia.orgより 転載)とのこと。まともな政府間機関であるそうです。

「2000年からはマネーロンダリング対策に非協力的な国・地域を『非協力国』として特定・公表し、是正措置を求めている」とのことで、この「灰色国リスト」というのも、是正を求める対策のひとつのようです。

ということは、つまりアイスランドはマネーロンダリー対策が不十分であり、実際に「不正金の洗濯」に国土が使われている、という判断が下されたということです。

ちなみに、他にどのような国がこの「灰色国リスト」に載っているかというと、アフガニスタン、イラク、ウガンダ。これに今回バハマ諸島、ボツワナ、カンボジア、ガーナ、モンゴル、パキスタン、パナマ、トリニダードトバコ、イエメン、それにジンバブエが、我がアイスランドと共に新たに加わったとのこと。

逆に「お務めを終えて」リストから除外されたのが、エチオピア、スリランカ、チュニジアの三国。おめでとうございます。

ついでに「灰色」のさらに下の「黒リスト」に分類される国もあるそうで、これは北朝鮮とイランの二カ国だそうです。

私は、国際経済とか金融とかに関しては、まったくの無知人間ですので、このFATFなる機関が、どれだけの権威とか、政治的利害に左右されない公正さを持っているのか知らないのですが、このニュースは、ここではやはりショッキングなものとして扱われています。

実際に、このリストに載ることにより、なんらかの通商貿易に関する規則が適用されるらしく、経済、ビジネス上の不利益が発生するとかで、要するに国の利益上からは「好ましくない」ことのようです。




実際にアイスランドで行われているのか?こういう洗濯


ソルディス・コルブルン産業大臣は「リストにあるこれらの国々と私たち(アイスランド)の間に何らかの共通性があるなどと、誰が信じるでしょうか?(FATFの決議権がある)これらの国が、アイスランドをそのようなリストに載せる決断をした理由がわからない」と国会で答弁しました。

今回の「リスト送り」のプロセスでは、EUはアイスランドの側に立って「リスト入り反対」を主張したようです。ヨーロッパの国がリスト入りするのは「恥」というか「沽券に関わる」と思ったようで。

対してアイスランドの「リスト入り」を強く主張したのがイギリスとアメリカだそうです、ニュースによると。

これだけを聞くと、「何を言うか、あのトランプのアメリカが」とか「イギリスはアイスランドに対して2008年の経済恐慌以来の怨念があるのだ」とか、そのまんま感情的対立になってしまいそうです。わからなくはないですけどね。

こちらのメディアでのメインなコメントは、やはり「政治的なジェスチャーだ」「世界が(つまりFATFが)本気なことを示すために、スケープゴートが必要だった。小国のアイスランドが都合の良い子羊だった」等のように、不快感に支配されているように見受けられます。

ただ、二週間くらい前に、アイスランドが関係しているウェッブサイトで麻薬の国際取引がされている疑いがある。なかなか実態が解明されず、FBIが百万(ドル)という単位で捜査資金をアイスランドの警察に提供した、とか読んだ記憶があるのです。

そしてその取引のお金が、どこぞやのテロ組織に流れている疑いがあるとか。そのニュースを読み返そうと思って、Googleしたのですが、見つけられません。で、きちんとご紹介できないのですが、そういうことも多分背景にあるのだろうと、私は想像します。




「FATFの発表を伝えるニュース」を伝えるニュース
Myndin er ur Visir.is


この「リスト入り」の可能性が現実的に浮上してから、アイスランドの政府や関係省庁も「おっとり刀」で、マネーロンダリー対策を強化しようと法律の改正案を国会に提出したりしたのですが、時すでに遅し。少なくとも今後一年間は、アイスランドは「灰色国」リストに甘んじなくてはならない状況です。

と、いうようなことを書きながら、実はやはり実感がないというか、私には関係のないことだ、という気分は否めないですね。何というか、あまり正しい例えではないかもしれませんが、「ハリウッドのスターが三億ドルの邸宅を買った」とかいうのと同じように、ニュースの世界のお話しなのです。

でも、そういうような無関心が、マネーロンダリーを蔓延させて、結局は自分のもとへ災いとなって帰ってくる、ということなのでしょう。ここは関係のオソリティは感情論を克服して、現実的な対策を施行していただきたいと思います。

それにしても「灰色国リスト」の中に、トランプ氏の国はもちろん、南米の国や元ソ連だった大国が入っていないのは???なのですが。

ああ、そういう国は「洗濯をする国」ではなくて、「洗濯物を出す国」ということか?(^-^;


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ジュネーブ中街ワイワイ日誌(19-4) – 二大NGとパリジェンヌ

2019-10-13 06:00:00 | 日記
今回は「ジュネーブ中街ワイワイ日誌」の最終回です。一週間弱の旅を四回のブログに書いているわけですが、さすがに「まだジュネーブか?」と飽きられてしまうでしょうが、これで最後ですのでご容赦。m(_ _)m

最終回は、このジュネーブ旅行でのNG集です。

この短い旅行中に、いや正確にはその中の一日の間に、私は過去十年間でもめったにしたことのないようなミスをふたつもおかしました。まったく自分でも信じられないくらいのヤツ。

そのひとつ目。寝坊です。

ジュネーブ二日目の夜、私は皆とホテル近所のカフェで一杯飲んで(「いっぱい」ではなく「一杯」)気持ちよく部屋へ戻りました。翌金曜日は朝七時半にホテルのロビーに集合予定。

午前零時過ぎくらいに寝に入いりました。私はiPhoneを寝ている間に充電する習慣があります。それほどヘビートーカーではないので、それで一日間に合うのです。ところがホテルの部屋の電源は、ベッドからかなり遠い位置にしかなく、そこに目覚ましをセットしたiPhoneを置いておくと、オフにするのにちょっと面倒、と考えた私は、iPhone No.2を使うことにしました。




ホテル近くのカフェ&バー


私は普段よりiPhoneはふたつ使っています。仕事とプライベート、ではないのですが、難民の人たちとの連絡用とそれ以外、という風に二分されています。(難民の人たちとの連絡用は時折オフにしないと、こちらがもたない時があるのです)

iPhoneNo.2はレイキャビクからずっとオフにされていました。それをオンにし、タイマーを6:30にセットし、眠りました。一度目が覚めましたが、まだ五時だかなんかだったので、安心してまたお休みなさい。

目覚ましの音で目を覚まし、iPhoneのタイマーを消しました。えっ??まだ鳴ってる。何で?目覚ましはiPhoneではなく部屋の電話だったのです。出ると仲間の一人が「起きろー!」へっ?まだ時間は5:45なんだけど?

そうなんです。iPhoneNo.2はアイスランド時間のまんまだったのです、二時間遅れの。なぜなら日本へ行った時に、私が時間のオートアジャストをオフにしていたからなのでした。それをすっかり忘れていました。

慌てて支度し、「タクシーを使えばそれほど遅れずに着くだろう」と算段を立てて下に降りると、なんと皆がまだ待っていてくれました。「先に行って」と言っておいたのですが。さすが牧師さんたち。見上げた仲間意識でした。感謝。m(_ _)m

そしてふたつ目NG。カギ忘れ。

その同じ日の夕方。私たちはブリュッセルのアイスランド大使公邸に招かれました。食事ではなくドリンクだけ。大使のハラルドルさんは、国連の人権委員会に籍を持っており、とても忙しい方なのです。

私たちの一同の中の若い男性牧師が、大使のお嬢さん方が献信礼(幼児期に受けたキリスト教の洗礼を、十四歳になる時に確認する儀式)を受けた時にクラスを担当した知り合いで、お互いに会って嬉しそう。この辺はアイスランド的な近さ。

大きな犬がいたのですが、犬大好きの私はかなり遊んであげました... 遊んでもらいました。(*^^*)

大使公邸を辞去した私たちは、夕食会場の郊外のシャトーへ。このシャトーは城というよりは山荘みたいなところで、前回お話ししましたWCCの財産だそうです。夕食に招待してくれたのは、WCCの事務局長のオラフさん。彼の話しによると、このシャトーはあのロックフェラー家からのWCCへの贈り物だとか。さすがです、ロックフェラー家。

そこでの会食中、コーディネーター役で同行しているクリスティの携帯が鳴りました。「失礼」と中座したクリスティが戻ってくると「ホテルの205号は誰?」ワタシです。

「ハラルドル大使から電話で、カギが公邸に置き忘れられてるって」ギョギョ!! そんなバカな!! パンツのポケット探ったワタシは蒼白。... ない... なんで??「犬だ!」犬と遊びまわっていた時に、するりとカギが抜け出てしまったに違いありません。あの犬め!いや、犬じゃないだろ...

カギを落とすとか置き忘れるなんて、二十年前まで遡らないと記憶がございません。朝の寝坊。このカギ忘れ。今日はNot my dayなのでした。




本文とは無関係ですがモルシェの街の目抜き通りは楽しい


ちなみに私たちが泊まったホテルは、救世軍の簡素なホテルなので、夜は十時を過ぎるとスタッフがいなくなります。今夜のお帰りは十時を過ぎる予定。ワタシはホテルに電話し、「今夜は忘れたカギを受け取りにいけないので、スペアキーを出しておいてくれ」と頼みました。

その晩はなんとかしのぎましたが、実は日程の都合でワタシはまったく大使公邸にカギを取り戻しに行くゆとりがありません。クリスティが「月曜日に私が持っていくから」といってくれましたが、チェックアウトは月曜の朝。

フロントのお兄さんとかけあい、「絶対に月曜日中に返ってくるから」と約束をし、まさかのためにカードの番号を残すことで納得してもらいました。

後に月曜の昼、パリの空港で昼食中にクリスティから一堂に写メ。「カギはリターンしましたー!」ホッ。クリスティに感謝。それに、なんとチェックアウト後のキーの返還を認めてくれたフロントのお兄さんにも感謝。m(_ _)m やっぱ、フランス文化圏はおおらかなのかなー?

それで、ついでにフランス文化圏に由来すると思われる現象を、ひとつだけ付け加えておきます。それに気がついたのはレマン湖を渡る遊覧船上のことでした。

天気が良かったので、私たちの多くはデッキ後方のオープンテラスに座っていました。寒くはなく、とても気持ち良い天気。すると、私の席から10時の方向に、姉妹と思しきふたり連れのご婦人が座りました。

この方たち、美女なのです!! 美女といっても、なんというか「パリジェンヌ」という言葉がさっと頭に浮かんでくるような、センスの良さというか、顔立ちの良さというか、スタイルの良さというか、雰囲気の良さというか、つまりそんな感じなのです。

というわけで、思わぬ幸運の到来にワタシは仲間たちとの会話の間に、チラチラと美女姉妹を鑑賞していました。うーん、こういうのをストーカー予備軍というのだろうな。まあでも、オープンな場で、チラ見してるくらいだったら、犯罪ではないよな。




レマン湖を渡る船上から 綺麗なシャトー


しばらくして、船内に移り、簡単なランチを皆でいただいたのですが、今度はそこに小さな男の子連れの若いお母さんが。これまた「パリジェンヌ!」もちろんパリの人かどうかは知りません。そういう雰囲気なだけ。

本気でフランス語を勉強すべきかな、と考え始めました。昔、昔、NHKのラジオとテレビでフランス語の講座を視聴していたことはあったのですが、挨拶程度より先には行きませんでした。

そういえばテレビ講座のゲスト講師だったミシェルさんも、相当なパリジェンヌだったなー。フランス語より、そちらの方が見たかったのかも。

ワタシ、空港以外は、まだパリにお邪魔したことがないのです。とても行きたくなってまいりました。でも、このようなワタシがパリに行ってしまったら、それこそ周囲のパリジェンヌに見惚れるばかりで、ストーカー容疑でお縄になってしまうかも。

ヤバイな、パリはやめておこう。でも、ジュネーブだったら、また来てもいいかな。再訪したら、また「中街日誌」を続けることにします。


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ジュネーブ中街ワイワイ日誌(19-3)– 魔法の解けた日曜の晩餐

2019-10-09 00:00:00 | 日記
「ジュネーブ中街ワイワイ日誌」の三回目です。「ヨーロッパの教会が、どのような活動を難民や庇護申請者の人たちのために行なっているか?」ということを学ぶため、私たち牧師七人衆がジュネーブまでやってきました。

ここにある「ルーテル世界連盟」(LWF)や「世界教会評議会」(WCC)の本部を訪ねたり、また、ジュネーブルーテル教会、難民のための活動をしている教会やNPOを訪ねる予定です。

前回書きましたように、アイスランドからの視察団は七人なのですが、今回の訪問は、ジュネーブ在住のアイスランド人牧師夫婦の手引き?というかお世話をいただいて実現したものです。

場所と状況に応じて、この夫婦と彼らの子供さんたちまでジョイントしましたので、グループは最大十人にまで膨れ上がることがありました。

ジュネーブについてからの最初の二日間は、LWF及びWCC訪問に費やされました。ふたつの団体は、ひとつのかなり大きい建物に収まっています。




LWF WCC内のチャペル 木を多用した明るいデザイン


二日間で十六の説明というかレクチャーを受けました。双方とも「世界事務局」なので、世界中の色々な国から様々な人たちが集まっています。ひとつ共通していることは、「それなりに優秀な人たち」ということです。まあ、そういう事務局で職を得るのですから、そうでしょう。

ですが、ではレクチャーもそれなりに面白いか?というと、これがそうでもないんですよね。その人がパッションを持って語るか否か、によって話しの魅力はずいぶんと変わってきます。

参考になる話しはおおくありましたが、正直言って、私はこのレクチャー部分はそれほど感銘を受けませんでした。

LWF とWCC訪問で私が感じたことの第一は「オラはこういう場では働けないな」ということ。なんというか、やはり事務局なのです。教会の「現場」とは違います。

よくテレビの刑事物とかで「俺は現場のデカだ。本部の政治屋にはなれない」とかいう台詞があるじゃないですか。それと同じで、私はLWFでは退屈してしまうでしょう。

加えて、これも言い方が難しいのですが、優秀な人たちが集まっている故の、一種独特な雰囲気がありました。偉ぶっているのではないのですが、「ここはインターナショナル」「ここは世界を引っ張っています」的な空気はやはりあって、私は馴染めません。

その割には、建物は戦時中のものかいな?というくらい古臭いもので、これも私には非魅力的。

というわけで、二日間のLWF、WCC訪問は「それなりに有益だが、それなりに異次元」というのが私の感想でした。

三日目の土曜日は、ジュネーブを出て船でレマン湖を渡ります。船で三時間近くいったところにある小さな街モルシェというところへ行き、そこで働いている、これもアイスランド人の女性牧師の教会を訪ねたりしました。。




モルシェの街のレマン湖畔から 


そして、活動日としては最終日の日曜日。この日の午前中はジュネーブのオールドタウンの真ん中にあるジュネーブルーテル教会の礼拝に参加します。私たちのホテルから歩いて三分の距離。

この教会にはひとつの特徴があります。先に訪問したLWFに世界中から赴任しているスタッフや、その方たちの家族の皆さんとかが多く出席しているのです。当然、かなり質の高い礼拝になります。

それでもここには「エリート臭」はなく、非常に楽しく時を過ごしました。牧師はアメリカ人の男性で、ミネソタ出身とか。とても良い説教をしてくれました。会衆の中にわんさか牧師や神学博士とかいるのですから、ああいう教会で牧師をするのはものすごく優秀で、かつ鈍感な人でないと務まらないでしょう。あれ、失礼。(^-^;

同じ日曜日の午後は、夕方からジュネーブから車で一時間くらい行ったところにある、ジンジンという田舎の町の英国国教会の集会に参加しました。これまた、絵に描いたような「ヨーロッパの田舎町」で、きれいなところでした。

キャロルさんという女性牧師がつつがなく礼拝を進め、終了。「日程終了!」と一同が夕方の気持ち良い日差しの中で最後のディナーを何にしようか?と話していると、コーディネーター役のクリスティが「ああ、私たちキャロル牧師のお宅へお邪魔して軽い夕食をいただくの」だって。

一同、軽いショック。最後くらい好きなもの食べたかったのに... 加えて、この教会の皆さん、どちらかというと人見知りなのか、私たちに興味がないのか、ほとんど話しかけてくる人もおらず、私は「なんとつまらない集会だ」と内心思っていました。いや、内心ではなく、仲間内にそのように話していました。

で、「早く終わってくれますように」という罰当たりな願いを隠してキャロル牧師のお宅へ伺いました。




絵に描いたようなヨーロッパの田舎街ジンジンの教会


他にも五人の教会のメンバーの方が来てくれ、ピザとかサラダの準備。ワインも豊富にテーブルに出されました。特に大きな家ではなく、ブロックのアパートだったので、結構人でいっぱいに。

そしてです。突然魔法が解けたかのように、あるいは魔法がかかったのか?教会の人たちが人見知りをやめて、教会の難民の人たちに対する取り組みを話し始めたのです。私が食事が始まる前に話をした男性は、もとUNHCRの職員だったといいます。

引退後も個人的に難民に対するサポートを続けていて、話し始めた三分後にはすっかり意気投合して話しが盛り上がりました。というか、深い話しになりました。こういう話しをしたかったんだよ、私は。LWFよりは。

その男性の方、ケヴィンさんはオーストラリア出身ということでしたが、私よりは七、八歳は歳上でしょう。私の話すことをすべてわかってくれました。「振りをしている」のではないのはこちらにも良くわかるのです。

アイスランドからの他のメンバーも、それぞれに教会の他のメンバーの人たちと熱心に話し込んでいました。集まってくれた方々は、皆熱心な活動家だったのです。

美味しいピザが焼けて、ワイングラスが満たされると、皆が居間で円を作り座り込んで話し始めました。話しは難民の人たちに対するサポートに終始しました。こちらが話しを聞くだけではなく、こちらからもアイスランドでの取り組みの紹介やアイデアくを披露。

そのうちひとりのアフリカ系と思われる若い男の子がひょっこり現れました。「家に居候させている難民なのだけど、送還が決まってしまっていて...」とキャロル牧師。「心が引き裂かれる思い」

もっと話したかったのですが、私たちは翌朝は五時起きで帰国の予定。引き上げる前に「皆で祈りましょう」ということになりました。数人がお祈りをしてくれました。

この視察団はなんといっても「トシキのグループ」ですからね。私も一言でも祈りを口にするべきだったのですが、やめました。言葉を口にすると、涙が止まらなくなることがわかっていたので。

ホテルに戻ったのは夜の十時でしたが、私は若い女性牧師ふたりと近所のカフェへ出向きビールを一杯(ホントは二杯と半分)。三人とも良く飲み、良く笑いました。ジュネーブ滞在ももう終わりです。

知識としても、心通う体験としても、次に取り組むべき課題のインスピレーションとしても、多くの得るところがあったと思います。ですが、しばらくは心落ち着けて、これらのものを一度ダイジェストしないといけないですね。それはアイスランドに戻ってからのことです。

旅で出会った人たち皆と、同行した仲間たちに感謝。


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ジュネーブ中街ワイワイ日誌(19-2)– ジュネーブ珍道中の前史

2019-10-06 00:00:00 | 日記
今回は前回に引き続き「ジュネーブ中街ワイワイ日誌」です。毎回、冒頭では天気について触れるのが習慣となってきましたので、まずはジュネーブの天気について。

私たちが滞在していた一週間 –九月の最終週でしたが– は、毎日とても好天で空は抜けるような青。風も暖かかく温度的には20度から24度辺りでした。夜になっても寒くはならず、誠に心地よかったです。

アイスランドではまずあり得ない「暑いから日差しを避ける」というような場面もありましたし、私たちにとっては、嬉しい「ボーナス的夏の一週間」となりました。




好天だった今回のジュネーブ


さて、今回の集団旅行についてですが、目的は「主にヨーロッパで、教会が難民や庇護申請者についてどのような働きをしているか?」を学ぶことにありました。難民問題はヨーロッパの大陸では大きな問題です。ドイツなどでは100万人の難民を受け入れているくらいですから。

アイスランドは、離れた小島であるということもあり、難民問題も(他の多くの問題、例えば移民問題などと同じく)大陸から数年遅れの最近、無視できない事象として社会に現れてきたのです。

そのような背景の中で、私が牧師として難民に関わる事柄を主に担当していることは、これまでにも書いてきた通りです。

なぜジュネーブに来たのか?ということなのですが、ふたつの理由があります。ひとつ目は、ジュネーブには「世界ルーテル連盟」とか「世界教会評議会」という、いわば国連の教会版のような組織の本部があることです。

世界ルーテル連盟(LWF)というのは、「ルーテル教会」というプロテスタント派の教会の連盟なのですが、世界中に散らばっているルーテル教会の世界本部がジュネーブにあるわけです。

とは言っても「ジュネーブが総本山」というように、ジュネーブという地に宗教的な意味があるわけではありません。あくまで「世界事務局がジュネーブにあるんだ」という風に理解してください。

もうひとつの世界教会評議会(WCC)ですが、これも同じような世界事務局なのですが、ルーテル教会だけではなく、様々なプロテスタント教会が参加をしており、文字通りに「世界の教会」を集めたものの事務局です。

私たちのジュネーブ訪問のもうひとつの理由は、そのLWFにアイスランドの教会の牧師夫婦が赴任していることです。夫婦で牧師なのですが、旦那さんの方がLWFのコミュニケーション部局の長の仕事に、四年前から就いています。

奥さんの方は、今現在は専業主婦のような形になっていますが、ジュネーブルーテル教会の、役員会の長をしたりしてボランティアベースながら活躍しています。この奥さんの方が、私のかつての同僚で、一緒に「難民の人たちとの祈りの会」を始めた仲なのです。

それで、彼女 –クリスティとしておきますが– がジュネーブに移った後、「トシキ、あなたはここにきて教会が何をしているか見なきゃダメよ。いろいろ見るべきものがあるから」と、以前から焚きつけられていたのです。

ところが、私の方はどちらかというと及び腰で、なかなか実現しませんでした。十年くらい前までは、教会の用事でヨーロッパへ出向くのは面白かったのですが、だんだんと面倒臭くなってしまいました。

実は、ヨーロッパは基本的にキリスト教が盛んな地域ですので、会議とかにかこつけて、出張しようと思えば、かなり頻繁にその機会はあるのです。

ですが、私自身はそのように外国訪問するよりは、自陣でしっかり活動を据える方が面白くなり、外へ行くのは遠慮するようになっていました。実際はもう少し理由があるのですが、また機会のあるときにご説明します。




この青空に慣れてしまうのがコワい...


そういうわけで、今回も私はウダウダしていたのですが、クリスティと仲の良いソルベイという女性の監督(ビショップ)が、積極的にこの話しをまとめてくれて、春先に「トシキ、秋にジュネーブに行くから、あなた、行くメンバーを選抜して」との命を受けたのでした。

教会の仕組みの説明とかは、皆さんには関心外のことでしょうが、大雑把にいうと、教会の長として監督がいます。現在のビショップはアグネスさんという女性です。

その下に、北部アイスランドと南部アイスランドにそれぞれビショップがいます。紛らわしいのですが、要するにふたりの「副ビショップ」が北と南にいると考えてください。ソルベイさんはその副ビショップです。それなりに高いポジションです。

「行きたくない」とは言えないし、予算の手配とかもすべてしてくれるようだったので「それなら、ヨロコンデー!」と、参加メンバーの人選に着手させていただきました。

人選は簡単。私の原則で「今現在、このテーマ(難民への活動)に従事している人が行く」ということでした。当たり前ですけどね、ジュネーブに行きたいから「にわか興味」を示すような人には行って欲しくないのでした。

そしてその結果が、若い男性牧師ひとりに若い女性牧師ふたり、年配の男性牧師ふたり(うちひとりはワタシ)、年配の女性牧師一人(ソルベイ監督)の六人となったのでした。

偶然ですが、男女比50-50、年齢配分も50-50となり完璧。あとから「自費でも参加したい」という年配男性牧師ひとりが加わりましたが。

そういう経緯で参加者が決まりましたので、私からしてみれば普段から一緒に仕事をしている仲間ばかりで、気心が知れている人たちばかりです。これが今回、「お任せモード」に入ってしまった一因でもあります。




これはジュネーブではなく、お隣りのモルシェという小さな街の教会 牧師さんはアイスランド人女性


考えてみれば、クリスティの「いらっしゃい」からまる三年が経過してしまっていましたが、ようやく「いらっしゃいます」が実現したわけです。まったくワタシの努力はありませんでしたが。

にも関わらず、今回の視察旅行は「トシキの旅」というような趣がありました。難民に関わる活動では、私が一番の専任者であるからなわけですが、「トシキの仕事を発展させルために、そのサポートのためにみんな来ているんだ」というような感じ。

まあ、私個人の利益のためにやっているわけではないのですが、確かに私のポジションにとっての益になる部分が大きいのは確かですし、ありがたいことです。

今回の旅行中、グループとしていろいろな人にお話しを伺う機会があったのですが、その度にソルベイ監督が「トシキがアイスランドの教会でとても大切な働きをしている。そのサポートをするために私たちはここにきている」

はっきり言って、この短い旅の中で過去二十年間、プラス今後十五年間分の「お褒めの言葉」をまとめていただいた気がします。恐縮なことで。これから先、当分はなんにも出ないだろうな。

「なぜジュネーブへ来たか」という経緯の説明だけでブログ一回分のスペースを使い切ってしまいました。続きは次回へ持ち越しにさせてください。できればエクストラで、週内に一回分付け足してお伝えしたいと思います。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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