レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

Afram, Island! Afram strakar okkar!

2016-06-26 05:00:00 | 日記
今、アイスランド中がサッカーで沸き返っています。ヨーロッパ選手権がフランスで行われており、決勝トーナメントへ進めるベスト16を決めるリーグ戦が先の水曜日に終了しました。

そして史上初参加のアイスランドがベスト16に残ったのです!

現在のアイスランド男子サッカーチームは、実際かなり良いチームだと思います。欧州カップ出場をかけての予選から、良いゲームを行い実績を培ってきた感があります。なにしろあのオランダに連勝し、予選リーグAのトップで初切符を手に入れていたのです。

アウフラム イスランド! それ行けアイスランド!


そして本大会。

前回ちょっと書きましたが、モルグンブラウジズ紙によると二万七千のアイスランド人がフランス入りしているそうで、これは人口の8%。ですが、決勝トーナメント進出ということで、滞在を伸ばす人やこれから出かけていく人も少なくないに違いありません。

さて本大会での初戦は対ポルトガル戦でした。当然歯が立たないだろう、と皆が心の底では思っていたに違いないのでしょう。それが、なんといきなり引き分けたのです。前半一点を先行されたものの、後半にビルキルのボレーシュートで追いつきました。

ネットのライブで観ていたのですが、ポルトガルのスーパースター、ロナルドは前半は笑顔を見せ、明らかに舐めていましたね、アイスランドを。試合終了時にはふてくされた態度を見せ、アイスランド主将のアーロン· エイナルのジャージの交換の申し出を断ったりしました。

さらにツイッターで「アイスランドの連中はまるで優勝したかのように騒いでいるが、実際はアイスランドは勝とうとしなかった。これはアイスランド人のちっぽけな精神性をしめしている」と「つぶやき」。

これが各国のメディアに取り上げられ、こてんぱんに批判されました。「ちっぽけな精神性を示しているのは、ロナルド、お前の方だ」というのが大体共通の声。

ロナルドファンの人には申し訳ありませんんが、私もそう思います。雑談の言葉尻を捉えられたのならまだしも、ツイッターで流したんですからね。自分の責任です。プレーも冴えませんでしたし、まさしく「木偶(でく)」でした。

木偶ついでに、ロナルドは二戦目のオーストリア戦ではPKに失敗。無得点引き分けに終わり、またしてもドひんしゅくを買い、さらに後日はテレビのインタビュアーの質問に怒り、マイクロフォンを池の中に投げ入れるのをビデオに取られるなど「天中殺」になっています。




アイスランドの勝利に歓喜する応援団
Myndin er ur Visir.HJALMAR


アイスランド二戦目はハンガリー。ハンガリーは初戦でオーストリアを2—0で破っています。アイスランドは前半にPKを得て先行しましたが、終了直前三分前に追いつかれ、そのまま引き分けで終わりました。

これは相当ガックリしたようですが、輪をかけてアイスランドのマスコミががっかり。「まだ終わってないんだから、そこまでガックリするなよー!」と言いたくなりました。

そして、先の水曜日午後四時。引き分けでも決勝リーグに進出できるアイスランドの相手はオーストリア。もうこの日はまるで祝日。ラジオのアナウンスで「どこどこのお店はサッカーのため四時で閉店します」とかいうのがひとつやふたつではありませんでした。

設計事務所でサマージョブをしている私の息子も「今日は早く帰っていいと言われた」と三時半に帰宅したそうで、私を自分のアパートへ招いてくれました。私は自宅にテレビがないのです。(^-^; 息子のアパートは往来の激しい通りに面しているのですが、四時過ぎには交通はほとんどなくなっていました。




普段なら帰宅ラッシュの午後五時 通りは無人


さて試合ですが、チームのカラーというかタイプからして、オーストリアはアイスランドにとっては一番やりやすい相手だったのではないかと思います。

前半十八分でヨウン·ダジというひょろっとしたフォワードが、スローインからのボールをゴール左へ入れました。

いい時間での先制で、これはいける、と思ったのですが、疲れているのかボールに対する執念がいまいちになってしまい、大半はオーストリアペースで試合が進行しました。で、案の定ついに後半半ばで同点に追いつかれました。

勝ってる時の試合はなかなか時間が進まないですよね。この試合の場合は負けなければいいのですが、やはり残り十分くらいからが異様に長く感じられました。最後は防戦一方でしのいでいたのですが、こぼれ球からのロングパスがガラ空きの敵陣へ繋がり、素晴らしい速攻でアルノールが決勝点を決めました。なんとロスタイム四分中の三分三十秒の時点。

もちろん大騒ぎになりました、パリのスタジアムで応援の人も、ここのダウンタウン広場の特設スクリーンに群がっていた人も、自宅観戦の人も。12歳以上を対象にすると、国民の69%がこの試合を観戦したそうです。

生中継のアナウンサー、グンミ·ベンさんは声を枯らして「ヤーッ!ヤーッ!ヤーッ!」としばらく絶叫するばかり。このグンミ·ベンさんの放送ぶりも試合後に各国のニュースの話題になり、アメリカCBSのコルバートのトークショーでもネタにされていました。

アイスランドでは、このようなスポーツ応援の場合、Strakar okkar(我々の男の子たち)、stelpur okkar(我々の女の子たち)ということばを使います。
そしてAfram。「前へ」「続けて」とかいう意味ですが、日本語では「頑張れ」ということでしょう。

次の決勝トーナメントでは、イングランドと対戦です。ええ、まあ、かなわないだろうとは思いますが、できるだけの良い試合をして、またアッと言わせてほしいものです。

Afram, strakar okkar!!


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まだまだ天井知らず ツーリストいらっしゃい!

2016-06-19 05:00:00 | 日記
アイスランドは夏を迎えています。レイキャビク周辺ではここ二週間ほど「熱波」が滞在してくれていて、毎日十二、三度はあるような暖かい日が続いています。

ここのところ数年、寒〜い六月だったような気がしますので、私としては嬉しい限りです。「六月の半ばで気温が七度」とかいうのをFacebookで証拠写真付きでアップしたことを覚えていますから。

この時期になりますと、夏休みに出かけるアイスランド人も多くなります。現在サッカーの欧州カップがフランスで開催されていますが、アイスランドは史上初めて参加しています。

当然大勢のアイスランド人が応援に駆けつけていっています。今月十日のモルグンブラウジズ紙のニュースによると、二万七千人がフランスへ行っているそうで、これはなんと国民の8%に当たります。

出て行く人が多い半面、ツーリスト数も夏期には増加します。最近久しぶりにダウンタウンを歩く機会があったのですが、本当に外国人が多いのでびっくりしました。そういう時には自分が外国人であることはコテッと忘れています。

先週十六日の同じくモルグンブラウジズ紙にツーリスト増加の記事が出ていました。それによると、ツーリストの増加は何も夏期に限らないようで、今年は一月から四月まで軒並み数が増加しています。

正確に言うと過去二年四ヶ月の間、ある月のツーリスト数が前年の同じ月の数を上回らなかったことはありません。

ちょっと例を挙げましょう。数字が多くなりますので、ここからはアラビア数字を使いますね。2015年の10月のツーリスト数は10.448人で前年の7.181人から45%の大幅増。11月は9.150人で前年の6.500人から40%増。12月。9.445人は前年からの45%増となっています。

今年に入り1月ですが、ツーリスト数は11.657人で昨年一月の7.277人を大きく上まわりました。なんと60%アップですよ。2月。13.157人は前年から5.189人多くなり、これは65%アップ。

しつこく3月。15.044人は昨年の同月の9.789人を5.255人上回り、53%の増加。そして4月。14.613人で対昨年比57%増加しています。5月以降はまだ統計が発表されていないようです。

日本の皆さんに注意していただきたいことは、これが起こっている土台の国が人口僅か32万人の国だということです。このスピードでツーリストが増え続けているのですから、いくら建てまくってもホテルが足りないのはわかる気がします。

ホテルが足りない、ということは宿泊料金が軒並み高くなるということです。経済学の初歩ですね。観光スポットでのトイレや、危険な場所での安全対策等も後手後手に回るのも仕方ない面があるように思われます。

敢えてアイスランドに観光に来ることを考えられている方がありましたら、その辺の事情を咀嚼した上で至らない点に腹を立ててください。お願いします。(^-^;

アイスランド大学の経済学部長を務めるアウスゲイル·ヨウンスソン教授の話によりますと、今年のツーリスト増加には特徴があり、それはアメリカ合衆国、つまりUSAからのツーリストが急増しているのだそうです。

今年のアメリカからのお客さんは、対昨年比でここまでのところ67,5%の増加だとか。去年100人来たところが、今年は166人ということですからね、これは確かに大きな伸びですね。

経済学の教授であるアウスゲイルさんの分析は続きます。

「アメリカ人ツーリストの増加の背景には、米ドルが比較的高いレートを保っていることがあると思われます」

さらに「アメリカ人の夏期休暇の取り方として、『短い休暇を贅沢に過ごす』ということが挙げられます。つまり、ツーリストとしてそれだけ多くのお金を落としていってくれるわけです」

つまり、お迎えするアイスランドとしては願ったり、叶ったりのお客さんということになります。この点、数年前にこちらのツアー業界から苦言を呈されていた、ノルウェーなどからの「テント、食料持参のケチな観光客」とは大違いということですね。

「さらにこの増加に拍車をかけているのは、アイスランドとアメリカの諸都市を結ぶ航空便が増えていることだと考えられます。アメリカという大国を考えた場合、これは何百万というツーリスト候補生を生み出してくることを意味しています」とアウスゲイル教授。

観光業が経済を支えてくれるのがありがたいことですが、受け入れ態勢の整備の遅れは事実ですし、こちらの人々の福利厚生(例えば住居不足)へのマイナス効果も深刻になっています。

国の指導者には、目先の利益に飛びつかないで、多少長い目でものごとを見てくれるよう願いたいものです。


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モハメド·アリと奈良の大仏様

2016-06-12 05:00:00 | 日記
モハメド·アリが先日亡くなりました。まだ七十四歳の若さでした。アリがパーキンソウン病と戦っていたことは、よく知られていますが、それにしても若すぎた気がします。

今回はアリの追悼です。なぜかというと私はアリの大ファンだったからです。

もとより私はボクシングのファンで、小学生の頃からボクシングは興味の対象でした。野球も好きでしたし、中学生以降は大のサッカー小僧になりましたが、それでもボクシングは特別な存在でした。

空手やその他の武道はまったく興味がありません。「ボクシング=名誉ある男の勝負」というイメージが幼い頃から出来上がっていた気がします。「性差別」とヒンシュクを買うかもしれませんが、女性のボクシングは嫌いです。女性が顔を叩き合うのが何で面白いでしょうか?

私がまだ小学校の高学年だった頃、アリが徴兵拒否のため三年間遠ざけられていたリングに戻ってきました。その試合は夜のテレビで放映されました。アリが王座を剥奪された頃の記憶はさすがになかったですし、子供心に「ボクシングよりも他のことで話題になってる」と気に入らない気持ちを持っていました。

1972年の四月、札幌オリンピックの後ですが、そのアリが東京へ来てエキシビションマッチをマック·フォスターと持ちました。いろいろテレビとかにも出演していた気もしますが、覚えていません。覚えているのはスポーツニッポンにアリの追っかけの写真が出ていたことです。

ロードワークの後で、都内のどこかの石段に腰掛けて沈思黙考しているアリの写真があったのですが、その写真はすごく心に響きました。いつものアジっているアリではなく、ものすごく穏やかなアリだったからです。「平安」というものを人の顔に表したらこんな顔になるのではないか、と感じました。

仏教徒の人に失礼にならなければいいのですが、その時「奈良の大仏様に似ている」と思ったのです。そしてそれからだんだんとアリびいきになっていきました。

その時のマック·フォスターとの試合は凡戦でアリの判定勝ちでした。試合後のインタビューでアリが「本当に一生懸命やったが倒せなかった」と言っていたのも覚えています。試合前のハッタリとは大違いだったからです。

その二年後、あの「キンシャサの奇跡」が起こりました。世界王者アリのカムバックです。その時はすでに相当なアリファンになっていましたので、フォアマンがゆらゆらとマットに沈んだ瞬間は「人生で最高に嬉しかった時」のひとつに数えていいと思います。

今の若い世代の皆さんには信じ難いかもしれませんが、私の子供時代には、まだテレビでも映画でも「主人公は白人、相棒は黒人」が定番でした。戦争ものの映画とかはすべて第二次大戦ものでしたからね、最近とは違います。

そういう環境の中での「刷り込み」はやはり恐ろしいもので、私は別に黒人をバカにしているとかそんな気持ちはまったくなかったのですが、事実として憧れる俳優や女優はすべて白人でした。まあ、日本の人は別にして。

そういう「刷り込まれた偏見」をぶち壊してくれたのがアリです。アリには本当に憧れましたし、本当に私のヒーローでした。




1984年、ドイツでアイスランドのサッカー選手アトリ·エズヴァルドスソンとふざけるアリ
Myndin er ur Visir/enskasafni


キンシャサの奇跡の後、すぐだったかしばらくしてからか覚えていませんが、日本版のPlayBoy(多分今はもうない?)に、かなり長いアリのインタビューが載っていました。

ちなみに日本版のPlayBoyですからね、マイルドでしたよ、中身も。私はフツーの高校生の男の子でしたからね、そういう雑誌もよく目を通しました、もちろん。(^-^;

とても良い?インタビューで、はっきり言ってインタビュアーはほとんど喋らず、アリがひとりで喋りまくるパターンだったのですが、内容は濃かったです。少なくとも私の心には訴えるものがありました。

最後の方でのアリの言葉を今も覚えています。インタビュアーの「悔いに残ることは?」という質問に「ない」と答えたアリが付け加えました。

「いや、あるかな、ひとつだけ。前にジョー·バグナーと試合をした時、もちろん俺が勝ったんだが、控え室に戻った時、リングサイドでバグナーの十歳くらいの息子が観戦していたことを知った。

それぐらいの歳の男の子ならみんなそうだから、その子も父親を崇拝していたに違いないと俺は思った。で、バグナーの控え室へ行き、その子に言ったんだ。

『見ていたように俺はお父さんに勝った。だが君のお父さんは臆病者でも弱虫でもない。君のお父さんは偉大な男の人だよ』」
 
インタビュアー:「アリ、僕はあなたがだんだん好きになってきましたよ」
アリ:「口を挟まずにおとなしく聞いていたら、とっくにそうなってたさ」

モハメド·アリ。私のヒーローです。アリの魂に平安と祝福がありますことを。


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愛することの「リスク」?

2016-06-05 05:00:00 | 日記
前回は「悪いニュースと良いニュースが同時に来た場合、どうする?」というようなテーマで書き始め、実際にその前の水曜日に体験したことをご紹介していました。

先々週の木曜日の早朝にスウェーデンへ強制送還されたタリさんですが、こちらでは連日のように抗議集会が続いていますし、向こうのメディアでも取り上げられているようです。

抗議集会はNo Bordersという割とラジカルな市民グループが中心になっていますが、いろんな人が協力しています。私はタリさんを呼び戻すペティションを作りました。

国会議員からも「呼び戻し」の声が上がってきており、これを書いている今現在、先行きは皆目不明です。「望みがない」というのではない、という意味で肯定的に考えています。

さて前回本当に書きたかったことは、良いニュースと悪いニュースが同時に入ってきた際の自分の心の反応についてだったのです。ちょっと書きましたように、私の場合は悪いニュースに引っ張られて、良いニュースは置き忘れになってしまうことが普通のようです。

で、タリさんのニュースのような「悪い知らせ」の場合は、例えば事故で誰かが亡くなった、というのとは違い、まだ何かする余地があるのですから、そちらの方が心の中で優先になってしまうのは、ある意味自然なことかもしれません。

「もうどうしようもない」というのであれば、それなりの落ち着きを持っていて、そちらに引っ張られたまま、ということもないのではないでしょうか?

今回の「良いニュース」「悪いニュース」は私の担当している祈りの集いのメンバー、ハリクさんとタリさんに関わるものでした。そこからまた考えたのですが、「良い」「悪い」というように咲いた花の色は白と黒に分かれてしまいましたが、その根っ子は実は同じものであると気がつきました。

そしてその根っ子とは人間関係。もっと言うと「愛情によって結ばれた人間関係」ということができるでしょう。ハリクさんもタリさんも祈りの集いの参加者であり、私にとってはかけがえのない兄弟です。

どちらのニュースもそのことの故に「嬉しい」ニュースであり「頭にくる」同時に「悲しい」ニュースであったわけです。実は、難民申請者の人と個人的に親しくなることは、いずれこの「白い花」「黒い花」の咲くのを目撃することを意味します。

赤十字のボランティアをしていた時は(現在は休止中)、ベテランとして「なるべく個人的、感情的に入れ込まないように」とアドバイスしてきました。あり得るのは、ボラの女の子と難民の男の子の恋愛なのですが、そんな最中で男の子が「強制退去」とかなると、いたたまれたものではありません。

ですから「そうはならないように」と釘を刺しておくわけです。ですがこれは赤十字バージョンのアドバイスで、教会バージョンではありません。教会バージョンのアドバイスは「喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣きなさい」(ロマ書12:10)というものです。

私たちが誰かを愛するなら、私たちは必ずリスクを背負わなければなりません。その愛する人故に傷つくかもしれない、というリスクです。これは恋愛関係だけではなく、友人との関係、兄弟との関係、家族の関係でも同じことです。

例えばお子さんをお持ちの方なら、どなたでもこのリスクはご承知のことと思います。子供というのは、私たちにとっての最大の祝福であると共に、最大のリスクでもあります。

近親者を失くした方などが「もう誰も愛したくない」と引きこもってしまうことはよくありますし、失恋した人が「もう恋なんてしない」と歌うこともあるようですね。

残念なことのリアクションとして、一時期そう落ち込んでしまうことは、ある意味健康なことでさえあります。しかし、そこにいつまでも閉じこもってしまったとしたら、それはやはり望ましいことではありません。

私は人間とは愛し合うようにデザインされている、と信じています。そしてその真逆は「憎み合うこと」ではなく、「誰ともきちんとした関係を築かない」ということです。誰とも関係がないのなら、隣人の故に苦しむことも悲しむこともないでしょう。ですが、喜ぶこともできません。

昨年の秋、祈りの集いを開いているロイガネス教会でのこと。ある難民申請者で、教会にもよく参加していた青年ふたりの強制退去が確定しました。最後の機会に礼拝の後で、また親しい者が集まって祈りの時を持ちました。

女性牧師も、ハウスキーパーも、その他の教会員の人も皆涙を流していました。愛する仲間を失うことが辛かったからです。ですが、この涙の故にそこは「教会」なのです。教会では「喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣」くのです。それがキリストの途だからです。

ですがもちろんそれは、教会だけに限られる必要はありません。傷つくリスクを承知の上で「愛そう」と努める人たちには、すべからず共通することと言っていいでしょう。

ちなみに、その涙の送別をしたロイガネス教会の青年ふたりですが、その後の長〜い「闘争」の後に、ふたりとも先々週に難民認定を得ることができました。そして、あの時つらい涙を流した人たちは皆、今度は喜びの涙を流すことができたのでした。


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