レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

Place to live

2014-07-28 05:00:00 | 日記
十日ほど前ですが「超」嬉しいニュースが舞い込みました。以前にも一度書いたことがある、アフガニスタン出身でヤシール君という二十四歳の青年についてなのですが、彼の難民申請が受け入れられ、アイスランドで生活できることになったのです。万歳!!

ヤシール君についての前回のブログはこちら


かいつまんで彼の物語りを説明しますと、彼は六歳の時に母親に連れられて兄弟たちとイランへ逃れました。タリバンの攻撃を受け、お父さんが亡くなってしまったのです。彼の家族はタリバンが特に迫害したエスニックに属し、それ以上の故国での生活は不可能だったのです。

ところが逃れたイランでもアフガン難民への差別は厳しく、ヤシール君は十六歳の時ひとりでヨーロッパへ再び逃れました。しかしどこでも彼の難民申請は扱ってもらえず、2011年にアイスランドへやってきたのです。

ここでやっと彼の難民申請はまともに扱ってもらえました。高校の授業にも参加できました。つかの間の「普通の暮らし」を楽しんでいたヤシール君でしたが、昨年の十月に移民局から難民認定拒否の回答を受け取ってしまったのです。

すぐに内務省へアピールしましたが、彼は相当なショックを受けました。私はそれ以前より彼を知ってはいたのですが、頻繁に連絡を取るようになったのはそれ以降です。彼が私の息子と同年齢であることもあり、ある種の責任のようなものを感じました。

加えて支離滅裂な移民局の回答に頭にきたのも事実です。ポイントだけをあげるとこうなるでしょう。「アフガニスタンはまだ危険があり、特にヤシールの村があった山間部はまだタリバンが残っていて危ない。でも首都は以前よりずっと安全だ。ヤシールはまだ若いし、故国で暮らすのが良い。出身の村が怖ければ首都に住めば良い。アフガン人は家族の絆が強いし、必ず助けてくれる人がいるはずだ」

ヤシールは六歳の時にアフガンを離れていらい、一度も帰っていません。家族も皆イランへ逃げたのです。彼は誰も故国での知り合いなどいないのです。それを「家族の絆が強いから大丈夫」とは、まともにものごとを理解する人間の書いた公の文書の内容であるとは信じられないものでした。

難民申請のような問題は、とてもデリケートな内容のものが多く、あまり公にしない方がいいことが多いのですが、ある時点ではむしろ世間に知ってもらって、世論の後押しを受けることがプラスになることもあります。これはかなり慎重に判断しなければならない切り替えです。

ヤシール君はこの拒否回答の時点で、世論に訴える途を選びました。実際には彼の弁護士や私も加わって決めたことなのですが。新聞もインタビューをしてくれましたし、私はFacebookで彼の窮状を訴えるページを作ったりしました。短い間に随分支援を表明してくれる人たちが集まりました。

それからしばらくはまた音無しの期間です。難民申請や内務省へのアピールは、新しい結論が出るまで、最低六ヶ月はかかります。内務省の回答の場合は一年、二年かかることもよくあります。

その期間、ただ「待つ」というのは容易いことではありません。ヤシールは教会の若者の集いに参加して自らの体験を語ってくれたりもしました。こちらの若者たちにとっては良い勉強になったと思います。

内務省へアピールしてから九ヶ月。まだ未回答。その間に、彼より後からアイスランドに来て難民申請をした人とかが「受け入れ」の回答をもらったりします。すると彼は取り残されたように気分になり、不安で夜も眠れないことがあったようです。

二週間ほど前に、彼の頼みで一緒にアポなしで内務省へ行きました。いつ回答がもらえるのか尋ねるためです。今は夏休みの真っ最中だし、彼の問題を担当している人がいるとは思えなかったのですが、とにかく彼を落ち着かせるためにも出向いてみました。

すると、わざわざ担当者を電話で呼び出してくれたようで(夏休み中であったか、あるいは他の場所へ出向いていたのか、省内にはいないような雰囲気でした)、その女性が言うには「今週中に回答が出る」というのです。本当かなあ?そば屋の「出前は今出ました」と同じじゃないの?と疑ったのですが、それから二日して本当にヤシールに呼び出しがかかりました。

しかし面談日の前日からは胃が痛くなりましたよ、心配で。悪い方に備える癖のある私はダメだった場合の対策をあれこれ考え始めていました。

幸いそれは杞憂に終わってくれました。彼と弁護士が当日出向いて、内務省が移民局の決定を無効としヤシールを難民として受け入れることを伝えられたのです。不必要に長い期間と不必要な回り道をした感はありますが、たどりついた結論は良識のあるものだったわけです。

正直言って、私はこれまでの間ほぼいつでも自分が生きる場所があるのは当然のことと思ってきました。しかし、世界の現実はそうではないことを示しています。シリア、ナイジェリア、ガザ... 「生きる場所」がない人は多勢います。現在の難民推定数は四千五百万人といわれます。

その中の本当に小さな割合の人たちが、難民認定を求めてアイスランドにたどりつきます。ヤシール君の他にも、移民局から、あるいは内務省からの回答を待っている人が相当数います。そして、それらのひとつひとつが人の一生にかかわる重大な事柄なのです。

ヤシール君は、おそらく彼の人生で初めて「自分が生きるための場所」を得たのだと思います。私や他のアイスランドの人たちにとって、生まれた時から当たり前だったことを、今ようやく手にしつつあるのです。

彼の将来の幸を祈りますが、同時に当たり前のことと受け取っていた「Place to live」ということを考え直してみたいと考えます。


*都合によりしばらくの間、週に一回のブログ更新になります。m(_ _)m


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アイスランド赤ちゃん事情

2014-07-21 05:00:00 | 日記
今回は「アイスランドの赤ちゃん事情」をもう少しご紹介します。前回は「八月に月平均を相当上回る出産が見込まれている」というニュースを基にしてお伝えしたのですが、ちょうどそのニュースと時を同じくして統計局から昨年2013年の赤ちゃん関連情報が発表されました。そこにも結構面白いデータがあったので、今回はそちらを基にしてのお話しです。なおこの統計はアイスランドに住民登録をしている母親から生まれた赤ちゃんが対象です。

昨年アイスランドで産声をあげた赤ちゃんは4.326人でした。内訳は男の子が2.129人で女の子が2.197人。ちなみに月別に誕生数を比べてみると、八月生まれが432人で一番多く、これは一昨年と同じだそうです。

というわけで以前ご紹介した「夏至の持つ性欲増強パワーにより四月生まれの赤ちゃんが断然多い」という「ホンマでっか?説」はここに粉砕されました。(*^^*)

日本でも少子化が問題となっていますが、やはりアイスランドでも少子化の傾向にあるようです。昨年の女性ひとり当たりの「生涯出産数」を計算すると、1,93になるのだそうです。女性ひとり当たりふたりの子供に満たないですね。

現在の総人口を維持するためには、最低女性ひとりにつき2,1人の赤ちゃんを生んでくれないと困るのだそうです。念のため、これは統計的なお話しですので「女性は子供を作る道具じゃないわよ!」と怒らないでください。(^-^;

実際に過去十年以上はアイスランド女性の子供所有数はふたり以上を保ってきた、と統計局発表では指摘されています。1960年代には平均して四人の子供がいたということですので、半世紀の間に半減してしまったことになります。

ちなみにEU加盟国の女性一人当たり出生数は1,6人で、ふたり以上を保っているのはフランスとアイルランド、それにEUにはまだ加盟していませんがトルコだけで、アイスランドは一昨年まではそのグループに入っていました。

思いつきでは男女同権先進国では少子化になるのでは?という気がしたのですが、意外やポルトガル1,28、スペイン1,32、ギリシャ1,34と南欧の国が軒並み低いのです。経済状況の方が影響大なのかも?

続いて女性の出産年齢です。(何かビミョーなトピックが続く...) 1970-80年代には初産年齢の平均は22歳以下だったそうです。周りを見てもよくいるんです、四十歳前半の「おばあちゃん」。自分が二十歳で娘を生み、その娘がまた二十歳で子供を産むと四十にして「おばあさん」になれます! ここでは珍しくはないですね、今のところ。

ただそれも変わっていくでしょう。90年代から初産平均年齢は上がり始め、昨年では27,3歳になりました。出産数が多かった年齢は25-29歳と30-34歳だということです。二十歳代後半で第一子、三十代前半で第二子ということでしょう。念には念を入れて繰り返しますが、これは統計資料であって「そうじゃなきゃダメ」という話しではありませんからね。(予防線はしっかり張らねば)

さて次が面白いデータです。昨年生まれた赤ちゃんで「夫婦間」で生まれた子の割合はなんと31,7%。つまり生まれたばかりの赤ちゃんの三人にふたりは「婚外子」ということなのです!

もっともこれは「結婚している夫婦間で生まれた赤ちゃん」の割合で、「登録同棲している両親から生まれた赤ちゃん」の割合は51,9%ありますので、トータルでは83,6%が事実上の夫婦間で生まれていることになります。

ただそれにしても残りの16,4%は何じゃ?未登録の同棲や同棲してない恋人間で生まれる赤ちゃんももちろんいるでしょうが、それにしては割合が大きいような... これ、宿題ですね。

アイスランドの同棲についてはこちら


過去を振り返ってみると、1961年には婚姻関係にある父母間に生まれる赤ちゃんは74,3%だったそうです。そして登録同棲関係にある父母間に生まれた赤ちゃんは13,4%。半世紀の間にこれも逆転したわけですね。

EUを見てみると、婚外外関係で生まれた赤ちゃんの割合は39,3%。EU加盟申請のトルコでは2,6%とやはり低いです。イスラム文化ではやはり御法度なのでしょうか。ギリシャ(7,6%)、マケドニア(11,6%)も低いですね。

最後に、これは私の個人的な推測ですが、アイスランドでの女性ひとり当たりの出生数はまた盛り返すと思いますね。なんせ「小国意識」がトラウマのようについて回る国ですから、国民数が減っている、となれば死にものぐるいで挽回にでると思います。経済が安定するまで、しばらく時間はかかるかもしれませんが。


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八月- 「こんにちは赤ちゃん」の大合唱?

2014-07-14 05:00:00 | 日記
先月ヨウンスメサについて書いた時に「北欧の夏至祭」についても触れました。さらにそれに関連して「夏至の日は人々の性欲を増すパワーがあり、毎年四月に生まれる赤ちゃんの数が断然多い」という珍説も「ホンマでっか?」印付きでご紹介しました。

ヨウンスメサについてはこちら


どうやらそれはやはりウソのようです。先週のモルグンブラウズ紙に面白い記事がありましたので、今日はその記事をもとにして書いてみます。

その記事は赤ちゃんの誕生についてなのですが、レイキャビクのランドススピータリ(=LSH 国立大学病院に相当)では来る八月に平均よりもはるかに多い出産を予測しているということなのです。

そのため全ての妊婦の方のためには分娩室が足りなくなる恐れもあり、病院では出産を控えた女性たちに近郊のアクラネスやケフラヴィクでの分娩も考慮するよう呼びかけたいとのこと。

記事によると八月にレイキャビク近郊で誕生が予想される赤ちゃんの総数は320人。今年の初めの五ヶ月に誕生した赤ちゃん数は1.274にですから平均では259人程度です。六十人増しですね。

婦人科の主任助産婦のアンナ・シーグリズルさんの話しによると「同じような予想が六月にもあったのですが、結局平均数に落ち着きました。それでも忙しい月にはなると思います。出産時が重なって分娩室が足りなくなることもあり得ますが、その際は隣りの科の診察室を使う準備を進めています」

「今日ではある程度分娩時をコントロールできますので、仮に分娩が重なった場合には順番のプライオリティを付けることができます。さらに応援のスタッフを呼ぶ準備があります」

隣り町の病院での出産も考慮すべき項目ではあるが、別に大学病院に来るのをためらう必要は全然ない、ということのようです。余談ですがこの主任助産婦のアンナ・シーグリズルさん、写真で見るととても優しそうで奇麗な方です。(*^^*)

さて、ずっと前に一度書いたことがあるのですが、アイスランドの各病院の分娩に関する機能、というかサービスに関してはAからDまでの等級があります。Aが上でDが下。

A機能を持つのは総合病院でもあるレイキャビクの大学病院のみで、ここでは専門医師が揃っているので、何かの事情で難しい分娩や手術を必要とする措置、妊娠22週以降の早期出産なども扱うことができます。

Bランクは北の町アクレイリにある総合病院のみです。これは機能はほとんどAと同じなのですが、早期分娩に関して妊娠34週以降からのみ扱うことができます。

Cランクのサービスでは麻酔分娩や帝王切開までを扱うことができます。このランクに相当するのは冒頭に触れられましたアクラネスの病院、北西部のフィヨルド地帯の町イーサフョルズルの病院、東のネスコイパスターズルの病院のみっつがあります。

最後のDランクは分娩室付きの地域のホームドクター診療所で、ここではホームドクターと助産婦さんがチームで働きます。シンクヴェットリ国立公園近くの町セルフォス、空港近くの町ケフラビク、そしてウェストマン諸島の診療所がこれに相当します。

出産が可能な施設は十年前には十六ヶ所あったのですが、経済恐慌のあおりで八カ所に激減してしまいました。加えて人口の三分の二がレイキャビク周辺に集中してしまっているという地域的なアンバランスから、削減の対象はまずは小人口の地方になります。

当然、地方在住の妊婦の方は自宅分娩を選ばない限りは、出産のために遠い距離の移動を強いられることになります。似たような問題は出産に限らずあちらこちらで見られるのですが...

実は時を同じくして統計局からアイスランドの昨年の赤ちゃん状況が発表されました。そちらにも面白い事実が示されていますので、次回は引き続き「アイスランド赤ちゃん事情」をお伝えしたいと思います。


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分かる気がする「ホムカミ」ストーリー

2014-07-07 05:00:00 | 日記
先日ネットで「ホムカミ」を見ました。ご存知の方が多いでしょうが「ホムカミ」は日本に在住する外国人(現日本国籍者を含みます)の方が自分の故郷を訪ねていくということを主軸にした番組です。世界のいろいろな所で生活する邦人を尋ねていく、という主旨の番組の逆版ですね。

お里帰りをする外国(出身の)人は一般人のことが多いようですが、タレントさんがひとり随行します。お里帰りをする理由も種々雑多で、離婚して帰国してしまった母親を子供が訪ねたこともありますし、故郷の子供たちに野球を教える、というのもありました。

私にとっては毎週必ず見る番組ではなく、たまにまとめ見をする方の組の番組です。先日見たのも日本での放映は六月の上旬だったのではないかと思います。

さてその回なのですが、ヨルダン人の男性ジャファーさんが日本人の奥さんと小さな子供さんを連れて里のご両親と家族を訪ねる、というものでした。帰国の理由は親に「自分は日本国籍をとって日本に永住するつもりだ」という決断を告げ、赦しをもらうことでした。

なんでもヨルダンでは男子は成人して結婚しても親と同居して生活するのがしきたりなんだそうで、それに合わせて家もだんだんと増築していくそうです。当然ジャファーさんもいずれは自分たちの所へ帰ってくる、とご両親は考えているようなのです。

そのような前提で迎えてくれ「いずれお前たちが移ってきたら...」という夢を随所に入れ込みながら歓待されると、ジャファーさんもなかなか話しを切り出せない。ご両親の側も歓迎しながらも「何かおかしい」とうすうす感づいている。

いよいよ決断を打ち明けると、始めは「全く話しにならない」という却下を受けますが、最終的には納得してもらい赦しを得ます。

話しが全部ガチなのか、多少の打ち合わせができているのか私には分かりませんが、それは大して気になりません。なぜかというとこの「話しを切り出せない」というジャファーさんの気持ちと、うすうす感づいていながらも何もないかのような振りをするご両親の気持ちは本物だと思ったからです。

まったく同じ状況ではありませんでしたが、私も同じようなことを経験しました。もう二十年以上も前ですが、日本からアイスランドへ移るつもりであることを両親に告げるのは非常に難しいことでした。

それ以前にその可能性もあることは話していたのですが、両親はあえてその件には触れようとしませんでしたし、こちらも小出しに話しをするのではなくて、環境が整って移住が現実に可能なものになってから話しをしようと思っていました。

私はその当時はアイスランド女性と結婚していたのですが、長男がまだ一歳ちょっとだったので、私の両親にしてみればかわいい孫を遠い外国へ連れて行かれてしまうことはたまらないことだったでしょう。

私の場合は「絶対にダメだ」というような反対は受けずにきちんと受け入れてもらえましたが、それでも「ホムカミ」のラストと同じように当時の妻も私の両親も涙々の時となりました。

私の場合は「移住」の問題であってジャファーさんのように「国籍」の件ではありませんでした。国籍は私はいまだに日本のままです。こちらの国籍を取る用件は全て整っているのですが、日本は「建前」重国籍を認めていないので、親が健在の内はこのままでいこうか、と思っています。

「ホムカミ」のスタジオにボビーオロゴンとシェリーがいたのですが、ボビーは七年前に日本国籍を取得したのだそうです。「国籍を取る前はずいぶんあれやこれやと考えてしまうものだ」と語っていました。

それに対してシェリーは国籍は米国のまま。「国籍を変えたらお父さんが泣いちゃう」とのこと。ナイジェリアも米国も重国籍を認めていますから、やはり日本の単一国籍主義が「あれやこれや」考えさせる原因なのでしょう。
まあ、ここではこれ以上深入りはしません。

私は自分の決断で親と遠く離れて暮らす途を選びました。ですからいずれは自分の子供たちも遠くへ移っていくであろうことは覚悟しています。ある意味で因果応報でしょうか?近くにいてくれた方が嬉しいでしょうが、子供たち自身の決断が第一です。彼らの人生なのですから。


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