十日ほど前ですが「超」嬉しいニュースが舞い込みました。以前にも一度書いたことがある、アフガニスタン出身でヤシール君という二十四歳の青年についてなのですが、彼の難民申請が受け入れられ、アイスランドで生活できることになったのです。万歳!!
ヤシール君についての前回のブログはこちら
かいつまんで彼の物語りを説明しますと、彼は六歳の時に母親に連れられて兄弟たちとイランへ逃れました。タリバンの攻撃を受け、お父さんが亡くなってしまったのです。彼の家族はタリバンが特に迫害したエスニックに属し、それ以上の故国での生活は不可能だったのです。
ところが逃れたイランでもアフガン難民への差別は厳しく、ヤシール君は十六歳の時ひとりでヨーロッパへ再び逃れました。しかしどこでも彼の難民申請は扱ってもらえず、2011年にアイスランドへやってきたのです。
ここでやっと彼の難民申請はまともに扱ってもらえました。高校の授業にも参加できました。つかの間の「普通の暮らし」を楽しんでいたヤシール君でしたが、昨年の十月に移民局から難民認定拒否の回答を受け取ってしまったのです。
すぐに内務省へアピールしましたが、彼は相当なショックを受けました。私はそれ以前より彼を知ってはいたのですが、頻繁に連絡を取るようになったのはそれ以降です。彼が私の息子と同年齢であることもあり、ある種の責任のようなものを感じました。
加えて支離滅裂な移民局の回答に頭にきたのも事実です。ポイントだけをあげるとこうなるでしょう。「アフガニスタンはまだ危険があり、特にヤシールの村があった山間部はまだタリバンが残っていて危ない。でも首都は以前よりずっと安全だ。ヤシールはまだ若いし、故国で暮らすのが良い。出身の村が怖ければ首都に住めば良い。アフガン人は家族の絆が強いし、必ず助けてくれる人がいるはずだ」
ヤシールは六歳の時にアフガンを離れていらい、一度も帰っていません。家族も皆イランへ逃げたのです。彼は誰も故国での知り合いなどいないのです。それを「家族の絆が強いから大丈夫」とは、まともにものごとを理解する人間の書いた公の文書の内容であるとは信じられないものでした。
難民申請のような問題は、とてもデリケートな内容のものが多く、あまり公にしない方がいいことが多いのですが、ある時点ではむしろ世間に知ってもらって、世論の後押しを受けることがプラスになることもあります。これはかなり慎重に判断しなければならない切り替えです。
ヤシール君はこの拒否回答の時点で、世論に訴える途を選びました。実際には彼の弁護士や私も加わって決めたことなのですが。新聞もインタビューをしてくれましたし、私はFacebookで彼の窮状を訴えるページを作ったりしました。短い間に随分支援を表明してくれる人たちが集まりました。
それからしばらくはまた音無しの期間です。難民申請や内務省へのアピールは、新しい結論が出るまで、最低六ヶ月はかかります。内務省の回答の場合は一年、二年かかることもよくあります。
その期間、ただ「待つ」というのは容易いことではありません。ヤシールは教会の若者の集いに参加して自らの体験を語ってくれたりもしました。こちらの若者たちにとっては良い勉強になったと思います。
内務省へアピールしてから九ヶ月。まだ未回答。その間に、彼より後からアイスランドに来て難民申請をした人とかが「受け入れ」の回答をもらったりします。すると彼は取り残されたように気分になり、不安で夜も眠れないことがあったようです。
二週間ほど前に、彼の頼みで一緒にアポなしで内務省へ行きました。いつ回答がもらえるのか尋ねるためです。今は夏休みの真っ最中だし、彼の問題を担当している人がいるとは思えなかったのですが、とにかく彼を落ち着かせるためにも出向いてみました。
すると、わざわざ担当者を電話で呼び出してくれたようで(夏休み中であったか、あるいは他の場所へ出向いていたのか、省内にはいないような雰囲気でした)、その女性が言うには「今週中に回答が出る」というのです。本当かなあ?そば屋の「出前は今出ました」と同じじゃないの?と疑ったのですが、それから二日して本当にヤシールに呼び出しがかかりました。
しかし面談日の前日からは胃が痛くなりましたよ、心配で。悪い方に備える癖のある私はダメだった場合の対策をあれこれ考え始めていました。
幸いそれは杞憂に終わってくれました。彼と弁護士が当日出向いて、内務省が移民局の決定を無効としヤシールを難民として受け入れることを伝えられたのです。不必要に長い期間と不必要な回り道をした感はありますが、たどりついた結論は良識のあるものだったわけです。
正直言って、私はこれまでの間ほぼいつでも自分が生きる場所があるのは当然のことと思ってきました。しかし、世界の現実はそうではないことを示しています。シリア、ナイジェリア、ガザ... 「生きる場所」がない人は多勢います。現在の難民推定数は四千五百万人といわれます。
その中の本当に小さな割合の人たちが、難民認定を求めてアイスランドにたどりつきます。ヤシール君の他にも、移民局から、あるいは内務省からの回答を待っている人が相当数います。そして、それらのひとつひとつが人の一生にかかわる重大な事柄なのです。
ヤシール君は、おそらく彼の人生で初めて「自分が生きるための場所」を得たのだと思います。私や他のアイスランドの人たちにとって、生まれた時から当たり前だったことを、今ようやく手にしつつあるのです。
彼の将来の幸を祈りますが、同時に当たり前のことと受け取っていた「Place to live」ということを考え直してみたいと考えます。
*都合によりしばらくの間、週に一回のブログ更新になります。m(_ _)m
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
ヤシール君についての前回のブログはこちら
かいつまんで彼の物語りを説明しますと、彼は六歳の時に母親に連れられて兄弟たちとイランへ逃れました。タリバンの攻撃を受け、お父さんが亡くなってしまったのです。彼の家族はタリバンが特に迫害したエスニックに属し、それ以上の故国での生活は不可能だったのです。
ところが逃れたイランでもアフガン難民への差別は厳しく、ヤシール君は十六歳の時ひとりでヨーロッパへ再び逃れました。しかしどこでも彼の難民申請は扱ってもらえず、2011年にアイスランドへやってきたのです。
ここでやっと彼の難民申請はまともに扱ってもらえました。高校の授業にも参加できました。つかの間の「普通の暮らし」を楽しんでいたヤシール君でしたが、昨年の十月に移民局から難民認定拒否の回答を受け取ってしまったのです。
すぐに内務省へアピールしましたが、彼は相当なショックを受けました。私はそれ以前より彼を知ってはいたのですが、頻繁に連絡を取るようになったのはそれ以降です。彼が私の息子と同年齢であることもあり、ある種の責任のようなものを感じました。
加えて支離滅裂な移民局の回答に頭にきたのも事実です。ポイントだけをあげるとこうなるでしょう。「アフガニスタンはまだ危険があり、特にヤシールの村があった山間部はまだタリバンが残っていて危ない。でも首都は以前よりずっと安全だ。ヤシールはまだ若いし、故国で暮らすのが良い。出身の村が怖ければ首都に住めば良い。アフガン人は家族の絆が強いし、必ず助けてくれる人がいるはずだ」
ヤシールは六歳の時にアフガンを離れていらい、一度も帰っていません。家族も皆イランへ逃げたのです。彼は誰も故国での知り合いなどいないのです。それを「家族の絆が強いから大丈夫」とは、まともにものごとを理解する人間の書いた公の文書の内容であるとは信じられないものでした。
難民申請のような問題は、とてもデリケートな内容のものが多く、あまり公にしない方がいいことが多いのですが、ある時点ではむしろ世間に知ってもらって、世論の後押しを受けることがプラスになることもあります。これはかなり慎重に判断しなければならない切り替えです。
ヤシール君はこの拒否回答の時点で、世論に訴える途を選びました。実際には彼の弁護士や私も加わって決めたことなのですが。新聞もインタビューをしてくれましたし、私はFacebookで彼の窮状を訴えるページを作ったりしました。短い間に随分支援を表明してくれる人たちが集まりました。
それからしばらくはまた音無しの期間です。難民申請や内務省へのアピールは、新しい結論が出るまで、最低六ヶ月はかかります。内務省の回答の場合は一年、二年かかることもよくあります。
その期間、ただ「待つ」というのは容易いことではありません。ヤシールは教会の若者の集いに参加して自らの体験を語ってくれたりもしました。こちらの若者たちにとっては良い勉強になったと思います。
内務省へアピールしてから九ヶ月。まだ未回答。その間に、彼より後からアイスランドに来て難民申請をした人とかが「受け入れ」の回答をもらったりします。すると彼は取り残されたように気分になり、不安で夜も眠れないことがあったようです。
二週間ほど前に、彼の頼みで一緒にアポなしで内務省へ行きました。いつ回答がもらえるのか尋ねるためです。今は夏休みの真っ最中だし、彼の問題を担当している人がいるとは思えなかったのですが、とにかく彼を落ち着かせるためにも出向いてみました。
すると、わざわざ担当者を電話で呼び出してくれたようで(夏休み中であったか、あるいは他の場所へ出向いていたのか、省内にはいないような雰囲気でした)、その女性が言うには「今週中に回答が出る」というのです。本当かなあ?そば屋の「出前は今出ました」と同じじゃないの?と疑ったのですが、それから二日して本当にヤシールに呼び出しがかかりました。
しかし面談日の前日からは胃が痛くなりましたよ、心配で。悪い方に備える癖のある私はダメだった場合の対策をあれこれ考え始めていました。
幸いそれは杞憂に終わってくれました。彼と弁護士が当日出向いて、内務省が移民局の決定を無効としヤシールを難民として受け入れることを伝えられたのです。不必要に長い期間と不必要な回り道をした感はありますが、たどりついた結論は良識のあるものだったわけです。
正直言って、私はこれまでの間ほぼいつでも自分が生きる場所があるのは当然のことと思ってきました。しかし、世界の現実はそうではないことを示しています。シリア、ナイジェリア、ガザ... 「生きる場所」がない人は多勢います。現在の難民推定数は四千五百万人といわれます。
その中の本当に小さな割合の人たちが、難民認定を求めてアイスランドにたどりつきます。ヤシール君の他にも、移民局から、あるいは内務省からの回答を待っている人が相当数います。そして、それらのひとつひとつが人の一生にかかわる重大な事柄なのです。
ヤシール君は、おそらく彼の人生で初めて「自分が生きるための場所」を得たのだと思います。私や他のアイスランドの人たちにとって、生まれた時から当たり前だったことを、今ようやく手にしつつあるのです。
彼の将来の幸を祈りますが、同時に当たり前のことと受け取っていた「Place to live」ということを考え直してみたいと考えます。
*都合によりしばらくの間、週に一回のブログ更新になります。m(_ _)m
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