レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

政権を一夜で崩壊させた「手紙」

2017-09-24 05:00:00 | 日記
前回冒頭でちょっとお知らせしましたが、アイスランドでは政界にスキャンダル的な事件が起き、それがもとで一夜にして独立党=ヴィスレイセン=明るい未来党の三党連立内閣が崩壊。国民総ビックリ状態の中で、10月28日を投票日とする国会選挙が決定しました。

どうやら、日本でも同じような時期に総選挙になりそうという噂を聞いていますが(というよりバイキングでしっかり見ているのですが)、これもかなり急な話しのようですね。

さて、アイスランドのビャルトニ·ベネディクトスソン内閣がなぜ崩壊したか?を説明したいのですが、これが結構難しいのです。政治とは直接には関係しないところで、しかも過去に起きた事件(複数)が、意外な形で政治の中心部にまで入り込んで来てしまったような感じです。

それらの事件とは児童猥褻事件です。そこではふたりの男性が、互いには関係なく、それぞれが事件を起こし逮捕されています。政権崩壊に直接に関係しているのは、ふたりのうちのひとりだけなのですが、双方の事件について記す必要があります。

変な話ですが、アイスランドの実態を知るには欠かせないトピックかもしれません。超人気のアルトナルドゥル·インドリーズスソンなら面白いミステリー小説にするのではないか、とさえ思えるのです。

が、残念ながらこれは実際に起こったことで、小説ではありません。実際にこれらのゲスな男たちのために生活を踏みにじられた女の子たちとその家族がいるのです。

そのふたりの男の名前は、ロベルト·アルトニ·フレイザースソン(71)とヒャルティ·シーグルヨウン·ホイクスソン(57)と言います。本名です。

このうち今回の政変に直接関係するのは、ヒャルティの方ですが、ロベルトの方が、ある理由から昨今こちらの社会の注目を浴びていました。で、もしロベルトの方がこれほど話題になっていなかったなら、ヒャルティの方もそれほど注目を浴びず、政変には至らなかったかもしれません。




選挙入りを伝えるモルグンブラウジズ紙
Myndin er ur Mbl.is


話しの順番としては、ロベルトの方を先に持ってくるべきなのですが、なぜ国会が解散するのか?ということを説明するのに時間がかかりすぎますので、先にヒャルティの方を持ってきます。

このヒャルティという男は、先に述べましたように児童猥褻の罪で逮捕され服役しました。有罪となったのは十年以上前の2004年です。この男、なんと後妻(または同棲女性)の連れ子を、彼女が五歳の時から十八歳になるまで、日常的に性的行為の相手としていたというのです。まさしくオエッ!です。

2004年に五年半の実刑判決を受けました。アイスランドの刑の標準で言うとかなり重い方ですが、もともと「アイスランドの裁判では性犯罪に対する判決が軽すぎる」という批判がこの十年来聞かれています。このことは覚えておいてください。

ですから、おそらく2010年くらいに刑を終えたはずです。詳細に彼の経歴を追ってはいませんので曖昧ですがご了承ください。次のステップが問題となります。それはいわゆる「名誉回復」です。

どこの国でもある程度同じでしょうが、アイスランドでも実刑判決を受けた人は、公民権が制限されます。例えば選挙権がなくなり、投票も立候補もできなくなります。またある種の職業、例えば警察官などになる資格も剥奪されます。

ですが、元犯罪者といっても、それぞれに固有の状況というものはあったかもしれませんし、中にはそんなに悪人でない人もいることでしょう。

そこで「名誉回復」のシステムがあるわけです。アイスランド語ではuppreist aeruウップレイスト アイルと言います。正直いってこれまで知らない言葉でした。「名誉回復」がなされれば、大半の失われた権利が帰ってきます。

刑が満期となって五年経つと名誉回復の嘆願申請をすることができるのですが、微罪の場合は五年以下でも良いそうです。もちろんその後の素行が良くなければならず、それを証明する推薦状なるものを知人に書いてもらい添付しなければなりません。

さて、ある元犯罪者が名誉回復の申請をし認められたとしても、それが公に知らされるわけではありません。まあ、それはそうでしょうね。ですから、誰にも気が付かれずに名誉、とうか公民権を回復し、完全に社会復帰することは可能です。

実際にヒャルティも昨年の2016年に「名誉回復」していたのです、誰にも気が付かれずに。

それが明るみに出たのが、実はもうひとりの児童猥褻者であったロベルトのせいなのです。彼の「名誉回復」が噂に登るようになったことから、その関連でヒャルティの名誉回復が明らかにされたわけです。

性犯罪者の場合、刑満了後にどのように処遇すべきか?ということが日本や米国でも大変難しい議論になっていることは、皆さんご承知のこととお思います。「人間なのだから、再チャンスを与えるべきだ」「いや、再犯率が高いからフォローすべきだ」とか。

アイスランドでも同じで、性犯罪者の処遇に関しては非常にデリケートな面があります。先にも書きましたが「刑そのものが軽すぎるのだ!」という批判が根底にあることも理由のひとつでしょう。

そういう背景がある中での名誉問題に関連して、ある新聞社が法務省に「名誉回復」関連の資料の開示を求めましたが、法務大臣はこれを拒否。結局、地裁に持ち込まれ、裁判所命令で資料開示が実現することになります。

私はこのヒャルティなる人物が、本当に改心したのか、最近どのように生活していたのかはまったく知りません。だから、この人物の現在のあり様についてはノーコメントでいきます。

で、渋々開示された資料により、ヒャルティの名誉回復の申請の際に、ビャルトニ首相の父親が推薦状を書いてあげていたことが明らかになったのです。

もちろん推薦状を書くこと自体は、犯罪でも不道徳でもありません。ですが児童猥褻犯、しかもかなりひどい罪を犯したヒャルティのような人物の名誉回復となると、世論に賛否両論が湧き上がるのは目に見えています。

ところが、そのことが明るみに出る前に、独立党のシーグリズル法務大臣は、同じ独立党のビャルトニ首相にだけはビャルトニ首相の父親がヒャルティに推薦状を書いてあげていたことを伝えていた、というのです。

ここで問題になるのは、首相に「だけ」ということで、連立パートナーの党首ふたりには一言もなかったのです。そしてその事実をヴィスレイセン、明るい未来党のふたりの党首が知らされたのが、新国会開会前日の9月11日。

「信頼関係が完全に損なわれた」と明るい未来党のプロッピェ党首が、連立解消を決意したのがそれから三日後、木曜の夜でありました。だから正確には「一夜で政権崩壊」ではなく「三夜」くらいでしたが。

というのが、今回の突然の内閣崩壊のストーリーの主なポイントです。強調しておきたいことは、「性犯罪」「児童猥褻」などに対して、こちらの社会は道義的にかなり厳しい目を持っていることです。

その反面で「司法的にはあまり厳しくない」という矛盾するような現実が存在することが、今回の騒動の足元にあります。これも本当のアイスランドです。

次回は、ウンザリするのですが、もう片方の男ロベルトのことについて書いてみたいと思います。オエッ!度がアップしてしまいますが。そちらの方も本当のアイスランドなので...


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少年老い易く 壮年さらに老い易く 一事も成り難し

2017-09-17 05:00:00 | 日記

まずはbreaking newsです。昨年十一月の総選挙を受け、なんと越年するほどじっくり時間をかけて発足したビャルトニ·ベネディクトスソン内閣(独立党、ヴィスレイセン、明るい未来党の三党連立)。ある出来事をもとに相互不信が表面化して、連立解消。十一月ぐらいにまた総選挙の模様です(確定ではありません)。

「寝耳に水」的な出来事です。国会も先の火曜日に新期開会したばかりで、木曜の夜にはまったく何の気配もありませんでしたが、金曜の朝、まさしく「国民総ビックリ」状態となりました。Frettabladid紙などは、速報が印刷にかろうじて間に合ったかどうかというところで、一面の差し替えがすべてに行き渡らず、「二種類の一面」が配布されたようです。

まだ混乱していますので、この話題はまたしばらくしてから。




金曜日朝のネットニュースVisir.is  Frettabladid紙「緊急版」の一面


        ************       *************      *************

さて本題。私は来たる十一月で五十代最後となる誕生日を迎えます。中身がどんなに二十年前から変化も進歩もしていなかろうと、肉体の方は確実に先へ進んでいってしまいます。オソロシ。

で、このくらいの年齢になってきますと、周囲の同年代の方々の中に病気になられたり、あるいは天に召されたりする方がどうしてもちらほらと出てきてしまいます。

以前書いたことがありますが、こちらのメインの新聞であるモルグンブラージズ紙には、毎日その日にお葬式のある方々についての追悼記事が掲載されます。顔写真付き。

超アイスランド的な追悼記事の伝統はこちら


日によっては、この追悼記事が五、六ページにもなることがあり「こんなに毎日人が亡くなっているんだ」と感じ入ってしまうことさえあります。

それらの記事にさっと目を通していると、嫌でも同年代くらいの方の追悼記事が目に入ってきてしまうわけです。「今自分が死んだら、誰が追悼してくれるだろうか?」なんていうことまで考えてしまいますよ。

一方で病気になられた方のニュースも耳に入ります。実は最近残念なことを耳にしました。私がオフィスを持つ教会は「レイキャビク東地区」という区域分けに属します。そこには十の教会と二十人以上の牧師さんが在籍します。

その中でいろいろと私によくしてくださっている先輩牧師さんが、難しい病気にかかっていることが明らかにされてしまったのです。癌ではありませんが、不治の病と言わざるを得ない病気です。

その方はまだ六十五歳になったばかりで、こちらの教会の規則では希望すれば引退することもできます。(七十歳までは働くことができます) ですが、その牧師さんはまだまだやる気満々なので、願わくは病状の進行が遅くなり、少しでも現役を長く続けていただきたいものです。

で、その方はまだ最長で五年間仕事できるからなあ、と考えているうちに自分のことに思いが移りました。

実はここのところ時折考えているのですが、私が目一杯年齢制限の際上限まで働くとしても、残された期間は約十一年ちょいです。(七十歳になる時まで働いていいのか、七十一歳になる前日まで働いていいのか、チョット不明です)

まあ、しかしそれは健康が許せば、という大条件付きですので、多少割引をして考えておかないといけないでしょう。普通の健康をかなり保てるとして、六十八歳まで、ということであと十年は働きたいものです。すでにボケの兆候があるので、多少心配ではありますが。(^-^; 

それでも残された期間はたったの十年!

若い皆さんは「十年」というと長い期間に思われるかもしれませんが、実際に仕事で何かをしようと取り組んだ場合、十年というのはある意味結果を出せるための最小期限というか、最低必要期間ではないかと思います。

もちろん、スポーツのようにルーキーがあっという間に結果を残せる職業もありますから、「結果」というものがどのように現れ得る分野であるのかによって違いはあるでしょう。私のように「教会」という場での仕事では、十年くらいは必要に思われます。

ですから、私にとっては「これをやりたい!」というものがあるとしたら、今がそれをラーンチする最終のタイミングということになります。これは結構真面目に考えさせられる問題なのです。

日本で牧師さんをされている方には、かなり共通することではないかと思いますが、私はまず牧師になるために十年間を費やしました。牧師になった時、すでに三十一歳。

その後短いうちに、アイスランドへ移るなどいろいろ環境が変わることがあり、こちらできちんと仕事を始められたのはさらに十年が過ぎた四十歳くらいからでした。

「移民牧師」という新しいポジションを確立するのの十年かかりました。その時期はアイスランドでのマルチカルチャラリズムというものが発展した時期でもありました。私のポジションはその方面にも不可避的に関わっていたので、仕事そのものが教会の中で三割外で七割くらいの比率となり、どうしても教会内ではアウトサイダー的な雰囲気になってしまいました。

その後、今度は教会内での職務内容を拡充するのにさらに十年。当初に比べれば職務がずっと牧師らしくなってきた時期です。一昨年、昨年はある意味では一番実りのある年でしたし、同時にまた「難民問題」という新しい課題に本格的に取り組むことになった時期でもあります。

で、気がついてみたら最後の?十年間の入り口に立っているわけなんです。考えようによっては、今まで培ってきたものをすべて使っていけるわけですから、一番面白い十年間ということもできるかもしれません。

話しが超個人的な世界に入ってしまい、皆さんには「まったく関わりがない」ものになってしまいましたね。スミマセン。でも「日誌」ですからね、そういうこともあります。ご容赦。

生活条件や環境は人それぞれ違いますからね。職業を選ぶ自由もない環境にいらっしゃる方も多いでしょう。生活するだけで一生懸命、という。

ですから、誰でもみんなに通用するものではないことは承知した上で、もし皆さんが自分で仕事を選び、計画することができる立場にあるとしたら、時期を区切って目標を立てて進まれる事をお勧めしたいです。

「少年老い易く、学成り難し」は学問だけのことではないと実感します。十年、二十年などは本当に短い年月です。

無駄な期間が出るのは不可避ですし、そんなことを惜しがる必要はないと思いますが、「なんとなく…」で過ごしてしまう年月は短い方がいいのではないかと考えます。人生はちゃんと「終わり」がありますから。

ああ、あと十年か... ここまで追い詰められると一日一日が惜しくなってくるなあ。その割には毎晩「バイキング」と「ヒルナンデス」見てるよな... 人間とは矛盾の多い存在なのでした。m(_ _)m


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「売れっ子」作家になりたい

2017-09-10 05:00:00 | 日記
気に入りのテレビシリーズに、アメリカABC系列の「Catsle」というものがありました。2009年から8シーズン続いたのですが、残念ながら物語りが「続く」のままの感じで、第9シーズンがキャンセルされ終わってしまいました。

どうやら主役の女優さんStana Katicと製作者の間で契約上の問題が起こってしまったようで。残念ですが、確かに最後のシーズンは面白みが減っていたのも確かだと思います。ネタが尽きた、というか...

「キャッスル」とは主役の男優さんの方、Natahn Fillionが演じるNYのミステリー作家で、彼がNYPDの腕利き女性刑事ベケット(Stana)と協力して殺人事件を解決していきます。キャッスルは売れっ子人気作家でシングルファーザー、お金もある時間もあるという羨ましい身分。しかも美人ベケット刑事との関係が段々と深まっていくわけです。

まあ、実際にはありえない設定で、ドラマ性あり、笑いあり、ロマンスもありという面白いシリーズでした。

このシリーズを見ていて、実は「売れっ子の作家」という職業(あるいはステータス)に憧れたわけです。肝心なのは「売れっ子の」というところで、これがない「作家」はダメですよ(失礼、作家の皆さん)。

「著名、裕福、自由」なんという贅沢! 実在の人を考えても、村上春樹さんのようになれたらどんなにいいだろうか、と考えてしまいます。ヒマな時に?は講演会でもすれば、人気歌手並みに人を呼べるし、どこへ顔を出しても「先生」ともてなされるでしょう。いいなあ...

アイスランドへ来られたこともあります。謙虚で礼儀正しかったので、アイスランド人の間で人気が倍増しました。いいですようね、偉くなると。礼儀正しいだけで人気が上がるんですよ。

もちろん、これは端から見て好きなことを言っているだけで、実際にはとてもとても大変な部分があるのであろうことはわかっていますが。単純な憧れと羨望です。

さて百八十度転換して、私自身の牧師としての生活を見てみますと、グレードはずっと下がりましょうが、それでも作家と似ているところがないわけでもない気がします。大方の皆さんには牧師の生活など、皆目見当がつかないでしょうから、多少ご紹介して見たいと思います。

ただし、前置きがあります。これは「私に限って版」のお話しで、どの牧師でも一般に当てはまるものではありませんので。特に日本の教会の牧師さんの生活とはだいぶ違うものがあると思います。
神学校時代の同級生らのFacebookとかを見ていても、本当に忙しくしていらっしゃる。お疲れ様です。




気に入りのシリーズ「Castle」


村上春樹さんを引き合いに出すのは、あまりにおこがましいので、キャッスルと比較して見ますと、まず私もシングルファーザーに類似経験者。これはあまり関係ないか。

財力は比較になりません。著名度も比較になりませんが、アイスランドという小さな村社会の中でなら、私も多少著名な時もあります。キャッスルにとってのベケットのような、素晴らしい相棒はこっちにはないですねえ。これはかなりマイナスだなー...

そういうことを書くつもりではなかった。牧師の生活で多少作家と似ているかなあ、と思うことは「書く」という作業が日常的にあること。そして、いつ書くか、どこで書くか、に関しては相当自由があることです。

まず場所から言うと、私はだいたい説教を書く時は自宅を使います。圧倒的にジャマが少ないですから。人と会う約束がない限り、オフィスへ「出なければならない」ということはありません。自由でしょ?(*^^*)

「書く」というのは、主に礼拝での説教(お坊さんのする講話の教会版と思ってください)なのですが、私の場合は月に一二回のペースでので、それほど過密なスケジュールではありません。

そこれに加えて、週二回平均の「祈りの集い」での「講話」がありますが、これはポイントと荒筋をメモする形のものになります。「祈りの会」の方はパーソナル感の強い集まりなので、その場その場で対話するように話しをした方が良いのです。

「説教」の方は完全原稿を作成します。日本の牧師さんと比べて、ひとつだけ私の方が苦労しているであろうことがあります。こちらは英語、もしくはアイスランド語で書かねばなりませんし、話さなければなりません。

話し言葉としては、英語の方がアイスランド語よりもはるかに容易なのですが、きちんと書いてみろ、という段になると両者とも難しいもので、書き終えた原稿は、必ずネイティブの人に校正してもらいます。

その校正部分の時間も計算に入れて、初稿を完成しなければならいのですが、そういうタイミングを計算しながら、その週の予定を組んでいきます。動かせない会議とかもありますが、日本ほど会議数は多くないです。相談者のための面談とかは、かなり自由に広範な時間帯に散らばります。先方の都合もありますから。

そういう風に、予定がかなりフレキシブルに組めるというのは、牧師稼業の良いところだと思っています。

ただしそれでも難しい時というものはあります。急な事故だ、病気だとかで立て込んでしまうような事態が、説教を書かなければいけないタイミングにぶつかってしまうと、なかなか集中するのが困難になりますね。実は先週前半がそのような状態だったのですが、無事に乗り越えられました。

キャッスルと共通する面があると思う第二の点は、作家と同じく牧師も自分が興味のあるものへアクセスが割と簡単にできます。これはこちらの牧師さんの多くに共通することでしょう。

ある意味では、牧師の仕事は人の社会生活、あるいはプライベート生活全般に関わっていますので、例えば環境問題に口を突っ込みたくなったり、子供の権利問題をフォーカスしたくなった場合には、職務の関わりの中で、そういうテーマを扱う機会を作ることは十分に可能です。

例えば、環境問題に関心のある牧師さんがいたら、「教会から見た環境問題」とか銘打って、識者を招いての講演会を開いたりすることができます。

これはかなりの特権だろうと思いますね。関心あるテーマを少し掘り下げて勉強し、それを仕事にそのまま活かせるなんていう稼業は、そうそう多くはないでしょう。

それと、もう一点キャッスルに共通しているのは「ボスがいない」ということです。実際には牧師は自由業ではありませんし、私にも上司はいますが、年がら年中顔を合わせ、私の職務を監視する、という意味でのボスはいません。これもラッキーといばラッキーですね。というか非常なる特権か?!

というわけで、「時間場所に関してフレキシブル、興味あるものにすり寄れる、しかもボスなし」というようなサマライズが、牧師稼業と作家さんに共通しているのかなあ?という点です。

まあ、正直言って牧師家業をかなりポジティブなメガネを通して見た場合でしょうが...たまには自己を肯定的に捉えないといけないですよ。「隣の芝生は青く見える」のが人の性格なようですからね。時には自分ちの芝生の写真を青で上塗りすることも必要かと... (^-^;


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レイキャビク 通勤時間と公私「混合」

2017-09-03 05:00:00 | 日記
前回、レイキャビクでは所謂「通勤時間」というものがないに近い、というようなことに少し触れました。実際はそのことについて書こうと思っていたのですが、「話しの導入に」と思っていたiPadがテーマそのものになってしまいました。

「通勤時間のない生活」については以前にも書いた気がしますが、改めてもう一度。

もちろん日本でも場所によって通勤時間なるものは相当異なることだろうと思いますし、自営業の方などには通勤時間云々そのものが的外れなトピックに違いありません。

個人的に私は新橋で三年間サラリーマンをやっていましたし、またその前の大学は市ヶ谷、さらにその前の予備校は御茶ノ水、そしてそのいずれにも八王子から通っていましたので、「通勤·通学時間」というものが結構重いものとして脳裏に焼き付いてしまっているのです。

前回書きましたように、八王子〜新橋の朝の通勤は中央線だけで一時間十五分かかりましたし、全体としては朝の二時間を通勤に費やしていました。帰りはいろいろ途中徘徊することも多かったので、一概には言えません。

で、東京都内にお勤めになっている方々にとっては、「通勤片道二時間」なんていうのはごく普通のことであった、それ以上かけていらっしゃる方だって多くあることと思います。

毎日とはいかないでも、週五日間、通勤に約四時間を費やすとしたら、週平均で二十時間。ほとんど一週の中の丸一日を通勤しながら過ごしていることになります。これはやはり無視できない時間の量ですよね。

私もサラリーマン時代に、それなりの通勤術を身につけました。朝早起きを強いられたのは当然ですが、自宅から中央線の始発に乗り込むまでの間、完全に覚醒しないように「半眠り」をキープするようにします。そして電車内で追加一時間の睡眠を補充するのでした。

ついでですが、帰路も東京駅から始発の中央線に乗るのがもちろん日常的だったのですが、帰路の場合は、終点が八王子をふた駅通り越した高尾です。一杯(いっぱい?)飲んで、眠りこけたとしても八王子でおりなければいけません。覚えている限りでは、寝過ごして高尾まで行ってしまったのは二回だけだったような。

さて、今現在ですが、私の通勤先は車で十五分くらいの距離にあります。ラッキーなのは、私の場合レイキャビクのダウンタウン方面から、隣町の方へ出向いていくことになり、ラッシュ時の車の流れとは逆向きなことです。

帰宅時も同じこと。夕方、レイキャビク中心部方面から郊外へ向かう車線は長〜い列を作っていますが、逆コースの私はスイスイと我が家目指して笑顔で進んで行くことができるのです。

バスを通勤通学に利用されている人は、おそらくもう少し時間がかかるでしょうが、自動車通勤に限っていうと、十五分から二十分が平均的な所用時間なのではないでしょうか?

時々、国際空港のある町、ケフラビクから通っている人もあります。車で四十分くらいだろうと思います。「ご苦労なこった」と思ってしまいますが、これも、日本や他の国の平均から言ったら、そんなに大した距離ではないですよね。




レイキャビクの海側の街並み
Myndin er ur Reykjavik.is


で、今のような通勤時間のほぼない生活について、利点は何か?と考えてみますと、いの一番にやっぱり朝が楽です。9時にオフィスに出ようと思ったら、7時半に起きて一時間朝食等に使っても、十分間に合います。

私のように朝食をあまり取らないタイプだと、8時起きだって間に合います。千葉、埼玉、都下の皆さん、羨ましくありませんか?(^-^;

利点の第二は、例えば子供が具合が悪くなって、早く学校から戻った時などでも、すぐに様子を見に行くことができることです。ちなみにアイスランドでは、子供が病気などの時、親が適切に面倒を見ることは当然のこととされていて、確か法的にも義務付けられていたと思います。

「ちょっと歯医者に行ってくるから」とオフィスアワーに抜け出て行くことも許されています。そういえば、この間テレビで、新宿にある「深夜営業」の歯医者さんの紹介を見ましたね。昼間には来られない人のためだとか。東京って、やっぱりすごいですね。

通勤時間がないことの第三の利点は、早く帰宅できる分、余暇の時間が増えることです。まあ、これは東京等でも、仕事帰りにジムやスイミングクラブへ寄って行く、という人もあるでしょうから必ずしも通勤時間の長短には依存しないかもしれません。でも「帰宅してから、再外出しなければならない」という場合には、早く帰宅できるのは楽でしょう。

その反面、短い通勤時間故の難しさというか、マイナス面もあります。利点の反面なんですけれどね。生活空間が小さい分だけ、仕事での生活空間と、プライベートでの生活空間が重なってしまうことです。

新橋のサラリーマン時代は、きっちり「仕事空間」と「プライベート空間」はそれぞれ独立していて、そうしようと思わない限りそのふたつが触れ合うことはありませんでした。

レイキャビクではそうはいきません。プライベートでカフェに行って、そこで同僚や仕事関係の人と鉢合わせしてしまうことは年中ですし、同僚がすぐ近所に住んでいることだって珍しくはありまあせん。

何かのフェスティバルとかに出て行けば、誰かしらの職場関係者に出会わないことはあり得ません。

私自身の経験で言うと、スーパーで買い物をしていても、顔見知りに見つかってしまい、肉売り場のケースの前などで相談事を聞かされることがよくあります(スーパーというのは結構相談事の承り所になります)。

もっと困るのは夏休み中などにも、どこかしらで誰かしらに相談事を持ちかけられ、休みにならないことがあることです。

私は牧師ですし、牧師の仕事というのはもともと、どこまでが仕事で、どこからがプライベートか、ということがはっきりとしない稼業です。そこへ持ってきて、私のような半ワークホリックかつ「エンプティネスター」ですと、ますます仕事とプライベートがcommingleした状態が普通になっています。

それでも、やはりプライベート空間というのは大切なものです。私の場合は自宅はある種の聖域で、滅多に人を呼ぶことはありません。呼ぶ人は本当に仲のいい友人か家族のような関係を持っている人たちです。「牧師のくせに冷たい奴だ」と思われる方もあるかもしれませんが、冷たくしているわけでもないんですよね。

説明し辛いのですが、そこには何か、「そこを越えたら自分が危なくなる」というような自己防衛本能が働いている気がします。自宅にまで仕事関連の相談事を持って来られたら、こちらが潰れてしまいますから。

牧師は神でも超人でもないですから、自分自身の管理ということは必要です。日常生活の中での、休める空間、時間、というものはしっかり確保しておかなければなりません。

というわけで、レイキャビクでの生活は、要するに映画に出てくるようなアメリカの田舎の町のような生活です。仕事もプライベートも基本的には同じ空間の中にあり、プラスもマイナスもありましょうが、ひとつを他から完全に切り離すことは難しい社会です。

だから、そういう生活が「合う人、合わない人」はあるでしょうね。私には合っているようですので、これは幸い。多少の自分なりのアレンジは必要ですけどね。

「大いなる田舎」は名古屋でしたよね。レイキャビクは...「生活しがいのある田舎」とでも言えるでしょうか?


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