レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

雪降り、風吹く週末の物語り

2024-01-28 23:00:32 | 日記
こんにちは/こんばんは。

北海道や能登地方では、寒波で大雪というようなニュースを見ていました。レイキャビク界隈でも、ここ数日はかなりの雪が降り積もっています。まだこれからの数日は、雪が降る日が多くなるようです。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Tom_vining@unsplash_com


レイキャビクは決して豪雪地帯ではなく、それどころか雪が溶けないで何日も残るようなことは稀なのです。それでもそういうことは年に何回かあります。アパートの庭の私の駐車場所は屋根がないため、雪が降る度に雪を払わなければならず、メンドイです。

私が住んでいるレイキャビクの西街は市の中の古いパートです。そのため付近の道路は狭く、多くは一方通行。しかも駐車スペースがないため一通の道路の両側が駐車スペースとなります。そういう事情もあり、雪掻きの車がなかなか来てくれません。雪を両側に掻き分けると、その雪で駐車中の車が雪にハマりますから。

結果、いつも多分の雪が道路に残存。運転しにくいのです。そこで私はここ八年間はマツダの4W Dを使っていました。ですが、事情があって昨秋にトヨタのヤリスちゃんに買い替え。これは前輪駆動なので、雪には特に免疫なし、となってしまいました。(アイスランドの車事情は、また別の回に)

さて、先の週末は、実は雪だけではなくストーム付きの悪天となりました。このストーム、私が「カメハメハーン」と名付けた台風的なストームではなく、もう少し小ぶりなのが断続的にやってくる、的なものでした。要するに、竜巻のような突風が、何時間おきかにやってくるような感じ。

カメハメハーン? アイスランディック・ストーム

2020年 カメハメハーン初(ぞ)め

私は先の金曜日には小さなプライベートな結婚式のリハーサル、そして本番の式を土曜日に予定していました。ですが、木曜日の夜の天気予報は「週末にかけて大雪、強風。不要不急の外出は避けた方が良い」ありゃ。

結婚式のリハーサルは不要でも不急でも「ない」、と二重否定になった命題(非・不要、非・不急)をこれも二重(二回)に繰り返した私は、それでも雪に対して心もとないヤリスちゃん(レネイという名前です)を残し、バスで教会へ。




日曜朝の我がアパートの駐車庭 左の車が私のヤリスちゃん
Pic By Me


歩いて十二、三分で市庁舎の前のバス停へ。ところがバス停に着く二分前くらいに、来たのです。小ストームが。いやいや、もう雪が顔に当たって痛いのなんの。目が痛くなるし、スマホ操作のために手袋してない右手は凍り始めるし(ちょっと大袈裟)、災難。しかもホワイトアウト的になってしまい、バスの番号さえちゃんと読み取れないでないか。

幸いスマホのアプリには、バスの番号がG P S表記されるので、自分の乗る3番線をしっかりとゲット。乗り込んで一息つけました。ところがバスのフロントガラスに目をやると、なんと真っ白。道も景色も、なんも見えんじゃないか!

久しぶりに体験する正真正銘のホワイトアウトでしたが、奇跡的にバスは進み続け、いつもの倍の時間を費やして目的地に。なんとか無事に教会に辿り着きました。ヤリスちゃんを使わなかったのは大正解。

新郎新婦候補もどうにかやってきて、リハーサルとなりました。実はこの新婦の方、Hvalafjordurクヴァーラフョルズルというレイキャビクから一時間ほどの田舎に住んでおり、そこからの道路はとりわけ荒天になることが多いので知られています。

「来るの無理かも?」と心配していたのですが「天気予報を見て、昨日のうちに市内に来ていたので」とちゃんと対応していたことがわかりました。賢い。

で、金曜日は良かったのですが、土曜日も予報は悪いです。新婦候補生の方は、一度田舎の自宅に戻り、ドレスその他を持ってくる必要があるとか。ということで、金曜日の夜も、私は天候を心配して過ごしました。

土曜日。昼頃に小ストーム到来の予報だったので、早めの十時半のバスで教会へ。その時点ではヤリスちゃんでも大丈夫そうだったのですが、午後が心配。午後三時からの式本番に備えて、色々と準備をしました。

この式は、ごくごく小規模のもので、新郎新婦ともイランの人。新婦は英語ができますが、新郎は全然。法律的な事情もあり、今回は小規模な式で結婚し、夏くらいにもっと大きなお祝いを兼ねた式をしたい、とのこと。そういうのは珍しいことではありません。

ちなみに、アイスランドではいまだに結婚式での互いの誓約により、婚姻が法律的にも成立します。書類ももちろん出すのですが、たとえ書類を出さずとも両人は婚姻関係にあることになり、取り消しはできません。




ごくごく控えめな「披露宴」?ティーパーティー
Pic By Me


日本式の「婚姻届で結婚成立。結婚式はお祝いとお披露目のため」というのが、最近のヨーロッパでも主潮流ですが、アイスランドはその点では古式ゆかしい仕方を保っています。

天候に関して言えば、土曜日は雪はある程度降りましたが、ホワイトアウトになるようなストームはなく(私の知る範囲では)、まあまあ平穏に納まりました。

さて、式についてですが、八人のゲストの皆さんも無時に到着。イランの人七人にアフガンの女性一名。音楽なしの式だったのでオルガニストも来ず、イラン人の新郎新婦にイラン人とアフガン人のゲスト、日本人の牧師というAll ザ・ガイコクジンという珍しい風景。普通は、たとえ小規模の外国人の式でもひとりふたりはアイスランド人が混ざっているものです、カメラマンとか。

音楽がないと、雰囲気が盛り上がらずつまらなくなりがちですが、今回はゲストがごく親しい友達ばかりということもあってか、和やかで結構笑いもある式になりました。

式後には、階下のホールで簡単なお茶パーティー。前日、新婦が「ケーキ持ってきていいか?」と尋ねていたので、私が昼過ぎにコーヒーを沸かし、テーブルを整え、カップその他を準備しておきました。なんというサービス。こういうのは普通、新郎新婦の関係者がするんだけどー。

ただ今回のこの新婦さん、一昨年秋からのイランの政情を巡ってのアイスランドでのアピール集会をまとめていた人で、その間一緒に活動することも多かったし、友人でもあります。だから、まあ、オイラも新郎新婦関係者か?(^-^;

Zan! Zendegi! Azadi! Jin! Jiyan! Azadi! 女性! 命! 自由!




一昨年秋のイラン政府へのプロテスト集会
Pic By Me


式はつつがなく終了し、新婦手作りのウェディングケーキも完食され(実際おいしかった)、超簡単なパーティーも終了。それぞれ家路に着きました。ゲストのひとりで、教会のメンバーでもある青年が、私を家まで車で送ってくれました。めでたし、めでたし。

こういう小規模な式は、華やかさはありませんが、なんというか心が通じ合うと生じる「ホコホコ感」があります。個人的には、大きな式よりもこういうこじんまりとしたものの方が好みです。大きな式はエンターテイメント的になってきて、良い悪いではなくてワタシには苦手の式になってきます。小さな式は、あえていうならば「寅さん」とか「おみやさん」(古!)的なものがあるような...

帰宅すると、やっぱ、疲れたな。送ってもらったのには感謝。雪に関しては、雪だけなら耐えられますが、「雪と仕事」とかがからまってくると面倒くさいですね。今回は、式に関してではなく「教会へいかに行き着いて、いかに自宅に戻るか」がメインな事柄のようになってしまいました。

というわけで、今回は「雪降り、風吹く週末の物語り」となりました。降雪地帯の皆さん、交通にはくれぐれも気をつけて「いってらっしゃい!」


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

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「バイキング」と「我が家」考

2024-01-20 20:19:32 | 日記
こんにちは/こんばんは。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Thomas_Fatin@unsplash_com


前回、触れましたように南西部のレイキャネス半島にある火山地帯から、またマグマが噴出し、人口三千七百人ほどの港町Grindavikグリンダビクに被害が出てしまいました。

溶岩が流れ込んだ町の端っこの家屋三件が焼失したのですが、それ以上に町のあちこちで地割れや隆起が生じ、道路や土地そのものが寸断されています。私がネットの報道で見る輪島や珠洲の町の様子と同じような感じです。

幸いグリンダビクでは人的な被害は、噴出以前の事故で亡くなられた(行方不明)男性ひとりを除いてはありませんでしたが、住民は全員町から退避を余儀なくされています。

事故で亡くなられた方は、町の復旧作業中に突然現れた地割れの中に落ち込んでしまったのですが、事故後の検証により、グリンダビクの町の足元の地盤そのものの中に、相当な地割れを起こしかねない空洞というか、不安定な部分があるのではないか?と疑われています。

そういうわけで、今、アイスランドでもグリンダビクの住民の人たちのこれからの生活について盛んに議論がなされています。

前回の派手だったマグマ噴出に続いて、今回も日本のニュースでも扱われたようで、何人もの方から「大丈夫ですか?」というようなご心配をいただきました。ありがとうございます。大丈夫です。レイキャビクでは、ほとんど影響はありませんでした。

それから、今回の噴火というかマグマ噴出に関しては、一昨日正式に「終わった」という報告がなされています。

終わっても家に帰れるものでもなし。私の頭の中では、この辺は能登の震災のニュースと重なってしまいます。国会議員の中には「国がグリンダビクのすべての住宅を買い上げるべきだ」と主張する人もいます。




寸断されたグリンダビクの町中の道路 町のあちこちでこんなことに
Myndin er ur ReykjavikGrapevine.is


さて、グリンダビクの住民の方々への支援を巡る議論の中で、Grindvikingurグリンビーキングという言葉を頻繁に目にしたり耳にしたりします。Grindavikの人を指す言葉で「大阪人」とか言ったりするのといっしょです。

Grindavikiはgrindとvikのふたつの言葉がつながったもので、ちょっと確信がないのですがgrindは「格子状」を表し、vikは(これは確かですが)「小さな湾」を意味します。だから「格子のように見える?湾」なのでしょうか?Grindは別の意味かもしれません。悪しからず。m(_ _)m

Reykavikレイキャビクもreyk(煙)とvikの組み合わせで、これは「煙が立つ湾」であることはよく知られています。Vikという言葉がつく地名はアイスランドには無数にあります。そして例えばレイキャビクについてもReykvikingur「レイキャビクの人」という言葉が存在します。

で、ふと思ったのですが、GrindvikingurとかReykvikingurという場合、これってvikingur「バイキング」と関係があるのだろうか?バイキングって、なんでバイキングというのだろうか?とアイスランド学初歩のような疑問を持ちました。

アイスランド大学のサイトに「アイスランド広辞苑」のようなものがあるのですが、さっそくそこで調べてみました。

驚いたことに「バイキング」という言葉の起源については学者さんたちの間でも一致した見解はなく、長い間議論が続いているのだそうです。これは歴史学の教授だった故グンナル・カトゥルスソンさんの解説。




オスロフョルズル
Myndin er ur Visindavefur.is


バイキングという言葉は8〜10世紀の文献に出始めていたそうですが、さらに早く西暦800年以前にもアングロサクソン系の言葉に現れているとのこと。そんなに早くから英語圏に入っていることから、学者の中には「アングロサクソン語のwic (ノルマン人の兵営)に由来する」と結論づけた人もあるそうな。

その後より一般的になってきた説は、vik(湾)に由来する、とするもので、特にノルウェー東部のOslofjordurオスロフョルズルに関係したということです。バイキングは海賊でもあったわけですが、彼らは小さな湾にボートを隠して獲物を待つ、という常套手段を用いたことからvikingと呼ばれるようになったとか。

さらに別の説明もあります。バイキングは人殺しもしました。そこで、「殺す」を意味するvigヴィーグに由来し、gがkに変化した、とのこと。

さらにさらに別の説明。vikingはvikjaヴィーキャ「動く」「退く」という言葉から来ている。これはバイキングは一度出航すると何週間も自宅から「動き」「退いた」から、そう呼ばれるようになった、というものです。

まあ、説は色々あり、今でも「これで決まり」というものはないようです。「湾」に由来する説を取れば、GrindvikingurやReykvikingurにも関係していることになりますね。

いやいや、毎日のように使っている言葉にして、このような知識の欠如か。不学は一生ついて回ります。

日本にもバイキングの歴史やスカンジナビア語の専門の方が多くいらっしゃいますので、ここにご紹介したことの誤りやより正確なお教えをいただければ幸いです。ただ、叱らないで。(^-^;




グリンダビクに近い観光スポット、ブルーラグーンは営業を再開
Myndin er ur GuideToIceland.is


アイスランドの人はGrindvikingurやReykvikingurの他にも、Hafnafirdingur「ハフナフョルズルの人」とかAkureyngur「アクレイリ人」とかの「X X人」という呼び方を好んで使います。

大きな市や町ばかりでなく、例えば私のいる西街の住民はVesturbaeingurヴェストゥルバイイングルと呼ばれますし、もっと小さな通りなどにちなんで「X X人」が登場することもあります。住む場所、あるいは出身地についてのこだわりみたいなものを感じます。

知り合いのアイスランド人の女性は「生まれ育った通りの界隈に戻りたいという気持ちがあるわ」と言ってましね。今いるところから車で10分くらいと思うんだけど。そこまで固執するか?オラなんか、もうズーッと離れてますけどねぇ...

能登で輪島や珠洲を離れるか?というようなインタビューも目にしています。生まれ育った土地に対する愛情というものは確かにあるのだろうと思いますし、なんというか簡単に線引きできないものを感じますね。

ああ、そうだ。考えてみれば、ウクライナやパレスチナでも故郷を離れなくてはならない状況に人はそれこそ多数いるわけですよね。私が日頃会っている難民の人たちにしても同じだ。

安全な我が家に住む、ということがどれだけ難しくなってきているのでしょうか?私も含めて、今現在、安全な住処に居られる人はそのことを当たり前としてしまわないで、感謝した方が良いでしょうね。

とにかく、能登皆さんにしても、Grindvikingurの皆さんにしても、早く安全な「我が家」に戻れることを願い祈ります。



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私にもできること

2024-01-15 05:18:21 | 日記
こんにちは/こんばんは。

今年はお正月から続く年頭の日々をすっかり日本に持っていかれてしまいました。能登震災のニュースは毎日見ていますが、救援活動や復旧作業がなかなか進展しないことに心が重くなりました。

今回、皆さんが一生懸命活動にあたっていることはわかるのですが、とにかく状況が難しいですよね。ここ数日、ようやく救援や復旧活動が進展し始めたように見受けられるので、多少ホッとした気持ちはあります。

それでもまだ水も電気もない地域が広範囲にあるとか。どのような苦労か、想像するのも難しいです。被災者の皆さんには、あらためて心よりのお見舞いを申し上げます。




グリンダビクの町に流れ込むマグマ
Myndin er ur Ruv.is


これを書いている間に、アイスランドでも自然災害が生じました。ここ数ヶ月間、波のように活動を強めたり弱めたりしてきた火山活動とマグマの噴出が、日曜日の朝にまたぶり返しました。

残念なことに、今回はマグマがグリンダビクの町へ流れ込み、何軒かの家屋が焼け落ちています。市民は事前に町を脱出していたため、人的な被害は出ていません。ただ、この噴出の以前に防御壁を作るために働いていた一人の男性が、突然現れた地面の裂け目に落ち込んでしまい、そのまま不明になっています。これは犠牲者として数えられるべきでしょうね。

実はこの事故をきっかけに、グリンダビクの町の下の地面というものが、当局が理解していたよりもはるかに危険な状態であることが明らかになりました。そのために当局は、今日(日曜日)を境にして、再び町全体を立ち入り禁止にすることをアナウンスしていたのでした。それを直前としての噴出でした。

今の時点では、焼失した家屋は三軒ということですが、住民全体がこの町にしばらくは住めないことは明らかです。「しばらく」というのは数年、数十年の単位となる可能性があります。

まあ、地震のような不意打ちではなく、避難が可能であったことは救いです。本当にかけがいのないものは失われずに済んだ、ということもできるでしょう。もちろん、亡くなった男性のご遺族には当てはまりませんが。

小国のアイスランドは、このような災害を自分たちの問題として受け止めます。おそらく国民が総出で被災者たちを支援することになるでしょう。




焼け落ちる家屋 無人なのが幸い
Myndin er ur Visir.is


日本へ戻りますが、東日本大震災の時にも、同じような気持ちでニュースを見ていたことを思い出します。あの時はニュースもJ N NとかA N Nではなくて、二十四時間震災関係のことだけを流していたものがあった記憶があります。

あの時は、在アイスランドの邦人の人たちが集まり、できるだけの範囲で支援活動をしよう、ということになり、その年を通じていろいろなチャリティーを続けました。限られた人数ですので、些細なことしかできませんでしたが。

そこで学んだことは、「何かすることがある」「できることがある」ということが私たち自身にとって救いになるということでした。

実はクリスマス前に、このことを思い出させてくれる出来事がありました。

十一月の半ば過ぎくらいの時期に、私の英語での教会の日曜礼拝にウクライナからの若い女性がやってきました。私は二年前にはずいぶんウクライナの人たちと関わりがあったのですが、教会の英語での礼拝にはウクライナの人はほとんどいません。

ですから、この女性(ナタリアさんとしておきます)も、たまたま今日来ただけだろう、と思っていました。話しを聞いてみると、やはり戦争を逃れてきた難民の人で、キーウ出身で、まだアイスランドに来て間もないとのこと。

大変な体験をしたらしく、しばらく話しをすると、涙ぐむというようなことを繰り返していました。




通用門脇の窓のイラスト


通用口ドアのデコレーション
上記二枚ともピック By Me


その何日か後で、ナタリアさんがひょっこり教会に顔を出しました。そして「自分は、キーウで子供達を相手にしたアート活動をしてきました」と言って、スマホに収めてある何枚かの写真を見せてくれました。子供達に何かを教えているような様子が見て取れました。

「もうすぐ、クリスマスでしょ。窓のガラスとかにマーカーでイラストを描いて、クリスマスの雰囲気を盛り上げるのはどうですか?描いていいのなら、喜んでやりますけど?」

もちろんこれは「ボランティアでやる」という意味です。そういう申し出は大歓迎だったので、教会の正規のボスの許可をもらった上でO Kを出しました。それで十二月の始めの水曜日にナタリアさんは、窓にイラストを描くためにやってきました。

まずは三時間くらいかけて、オフィス用の通用口のドアと窓に、クリスマス的な雪とか、ツリーとか、可愛いクマさんとかを描いてくれました。これだけでも、ずいんぶんと雰囲気がアップします。

なかなかいい、と思ったので、ホールの端のガラス戸四枚にも描いてもらいなえか?と尋ねたところ快諾してもらえました。ちなみに、ブレイズホルトゥス教会のホールは、ぐるりとガラス戸に囲まれています。

ナタリアさんは金曜日の午後に再びやってきました。ガラスが予想以上に汚かったので、今回、私はモップとお湯を溜めたバケツを持って外へ。ジャブジャブと窓洗い。これは予定になかったけれど、成り行き上しょうがない。寒いけど、しょうがない。これも成り行きだったので、すべての窓を洗いました。

金曜日では描き終えることができなかったため、翌日土曜日も作業することに。私もお休み返上でお付き合い。これもしょうがない。




作業するナタリアさん


ナタリアさんのイラストを西陽が照らし、第二のアートを壁面に
上記二枚ピック By Me


で、ナタリアさんとは、休憩時間とかランチタイムにおしゃべりしたりしてたのですが、話しをしているうちに、「ああ、こういうおしゃべりも、彼女には大切なんだ」ということがわかってきました。

別にカウンセリングではないのですが、それでもそういう風にして話しができる、ということ、そのものが彼女には大切なことだったのです。

「家でひとりでいると、どうしても嫌な思い出と悲しいことを考えてしまいます。ここに来て、画を描いていると心がね、平和になるんです」なるほど。それもわかる。やはり、何かすることができる、というのは大切なことなんだな、と気付きました。

戦争を逃れてきたナタリアさんが、まだ精神的にも深い悲しみと闘っているような状況の中で、教会に救いを求めてきただけではなく、そこで「自分ができること」を見出し、それをすることによって、多少なりとも心に平和を見出すことができたのであれば、それこそ私にとっても神の恵みです。

2023年のクリスマスで一番嬉しいプレゼントだったかな?時々あるんですよ、牧師やってて良かった、って思える時が。こういう出逢いとか、経験をした時なんかですね、多くの場合は。

「自分できること」「私にもできること」は誰にとっても必要なことです。自分でそういうものを求め探すことも大切ですが、周りの人に「その人のためのもの」を見つけてもらうことも同じように大切なはずです。

周囲に困難と直面する人がいる時こそ、覚えておきたいことではないでしょうか?


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年頭の祈り

2024-01-06 22:00:38 | 日記
こんにちは/こんばんは。

あまりお正月気分に浸れない年明けになってしまいました。アイスランドにいても日本のニュースはほぼリアルタイムで入ってくる時代になり、日本のニュースは毎日見ています。

能登半島を中心とした大地震で亡くなられた方、または被災され非常に困難な状況を強いられている方々に心よりお見舞い申し上げます。また、被災地で懸命な救出活動、復旧作業にあたっている皆さんの安全と労いのあることをお祈りいたします。

その被災地支援に関連して、海上保安庁の飛行機が羽田空港で事故となり五名の方が亡くなり、機長が重傷となったことも心に痛いですね。亡くなられた方々の年齢を見ると、二十代、三十代の方もいらっしゃり、おそらくはまだ幼年期の子供さんたちをお持ちではなかったかと想像します。重いです。

ご遺族の上に癒しと慰めがありますようお祈りいたします。




心落ち着かせ用ピック1
Myndin er eftir Joe_yates@unsplash_com


日航機に乗られていた方々は、人に関しては全員脱出できたのは不幸中の幸いなのでしょう。それでもあれだけの恐怖を体験させられたことにお見舞いを申し上げます。怖かったろうと思いますよ。私だったらトラウマになることでしょう。

この羽田での事故なんですが、結構私にも感じるものがあります。というのは新千歳から羽田のJ A L便は、私が日本へ帰省した際に必ず使う路線だからです。この間、十一月に戻った際も私のフライトはJAL520便。事故機の516便の一時間くらい後の時間設定です。

新千歳ー羽田間は、時間帯によってはかなり密に飛んでいて、夕方には三十分おきに飛んでいるような感じになります。だから、今回の事故が起きたときは、すでに後続の便が飛んでいたはずなのですが、着陸できなくなった飛行機はどうなったんでしょうね?

成田とかに目的地変更で着いたのでしょうか?それともUターンしたのでしょうか?その点はニュースでもあまり伝えられていなかった気がします。出発できないで待っている人たちの様子はよく伝えられていましたが。

とにかく、あのような状況で370人余りの人が全員大きな怪我もなく脱出できたことは、本当に不幸中の幸いというか、大惨事と紙一重の幸いだったと思います。海外のメディアでも多く取り上げられ「奇跡」という言葉が散見したそうです。

ですが、元日航のC Aさんでスーパーバイザーのような立場に就かれていた方が報道で言っていましたが、「あれは訓練の賜物で、奇跡ではありません」まあ「奇跡」という言葉を用いるのは、おそらくもう少し広い意味で、機体が損壊しなかったこととかも含むのでしょうが、与えられた状況の中で乗客を安全に脱出させる、ということに関しては、本当に訓練されたC Aさんたちの優れた働きだったのでしょう。




心落ち着かせようピック2
Myndin er eftir Daiwei_lu@unsplash_com


で、思い出すのは1982年の同じく日航機の羽田沖墜落事故/事件です。私が大学生の頃のことです。これは福岡発のJ A L便が羽田空港へ着陸する直前に失速して羽田沖の浅い海中へ墜落したものです。墜落といっても不時着のような形になり、機体のコックピットを含む頭部分と、それより後方部部分のふたつに分離。機体後方はそれ以上損壊せず海に浮いた状態となりました。亡くなった方は24人。

この事故の原因は、なんと操縦桿を握っていた機長が、実は精神的な病いを持っていて、飛行中に逆噴射の操作を行ったことによることが、事故後に明らかになりました。ニュースで大騒ぎになりました。

当時のコックピットには操縦士、副操縦士、機関士が入るという三人体制だったのですが、機長のこの自殺的行為に気がついた副操縦士、機関士が必死に機体の立て直しを図り、不時着のような形にまで持って行った、ようです。

結果として、機体の大半は海上にあったのですが、浅瀬で大人なら立てる深さ。この時C Aの皆さんが「機体は沈みません」「海はとても冷たく危険です」「このまま落ち着いて救助を待ってください」と乗客たちを落ち着かせ、その後も救助に駆けつけたボートに乗客を誘導するなどしました。

事故の原因が原因でしたので、この時のコックピット内の三人は「ニュースダネ」になってしまいました。実際には副操縦士の方は最悪の形での墜落を避けさせたことに加え、墜落後は窓から海へ出て浅瀬であるとこを確認しC Aさんにそれを伝えるなど、活躍したようなのですが...

その一方でC Aさんたちの落ち着きと働きは非常に高く評価され、賞賛されたのでした。

ですから、日本航空のC Aさんの教育訓練は昔から定評あるものであるわけです。まあ、私は全日空も同様だと信じますけどね。

その当時はJ A Lがダントツで「ザ・日本の航空会社」で、全日空は国内路線をメインとするNo.2でした。ですが私は、「今回の事故はスタッフの管理とか仕事のシステムとかに問題があることの証しだろう」と思い、それ以降A N Aの利用者に転じました。会社の体質を変えるには長い時間がかかるだろう、と。

その後、また長ーい年月が過ぎました。その間色々あり、日本航空は一度破産したりして全日空に業界一の座を明け渡しています。そして「業界No.2なら驕りなくきちんとした会社運営になっているだろう」と思った私は、再びJ A L派になったのです。




心落着かせ用ピック3
Myndin er eftir Davide_cantelli@unsplash_com


というわけで、今回のC Aさんたちの働きを、私は両手を挙げて賞賛したいのですが、この状況の中で不謹慎と受け取られるようなことは避けたいので、慎ましい仕方で賞賛したいと思います。

ああ、それにあの炎に包まれた状態で滑走路を大きく逸脱しないで停止させた機長も大したものなのだそうです。元機長の評論家の方が言っていました。

とにかくC Aの皆さん、お疲れ様でした。皆さんのようなプロが搭乗してくれていると私たち利用者も心強くなります。ただ、このような形で皆さんがプロのスキルを発揮する機会に立ち会うのは、絶対遠慮します。

さて、三日には北九州での大火災もあり、なんとなく重い年明けとなってしまいました。ですが、良いこと悪いことというのは、公平に考えていつも起こっているものです。悪いこと、辛いことだけをピックアップして「全部ダメだ」というような悲観論に陥らないように気をつけたいものです。

自然災害には逆らえない部分もありますが、日々を良いものにしていくか悲惨なものにしていくかについては、私たち自身による部分も多くあります。その意味で、まだまだ今年が良い年に転じますようお祈りいたします。

ちなみに...「祈る」とは実際に頑張ることも含みますよ。


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新年 明けましておめでとうございます

2024-01-01 00:00:00 | 日記
明けましておめでとうございます。昨年中のご厚情を感謝いたします。今年もまたよろしくお願いいたします。m(_ _)m




2023年の一番のお気に入りの一枚
Pic By Me


例年の如く、今年もまた日本–アイスランド間の九時間という時間差を楽しむ「ゾーン」に入っています。

つまりは日本の皆様が2024年を迎える頃、アイスランドではまだ大晦日の午後3時ということで、私は精神的には日本の皆様との連帯感で新年を祝いつつも、物理的にはまだこれからなわけで、なんというか過去と未来の間を漂うような気分を味わうのでした。

2023年はブログ的には、前期の三ヶ月、後期の二ヶ月とトータルで約五ヶ月の「お休み」期間を作ってしまいました。2012年の夏にブログを始めて以来、更新に一週間以上の「間(ま)」を空けたことはほぼなかったのですが、まさに「蟻の一穴」になってしまった感があります。

あらためて「継続」するということは容易いものではないと感じましたが、逆にわりと良く継続できたこともあります。「筋トレ」です。筋トレはYoutubeの影響とかもあって、2018年頃からしていたのですが、なんというか「半年続けたら一年お休み」みたいなことにいつもなってしまい、「筋トレしてます」とははっきり言えないのが常でした。

それが2023年には、一月からぼちぼち再開して、二月以降は今に至るまでずっと週三、四回のペースで続けてきています。夏の前期にはそれこそ週五、六のペースにさえなったのですが、「筋トレあるある」で、やり過ぎで肩を痛めてしまいペースダウンしました。

六十代半ばの年寄りが筋トレ、とか言うと「健康維持のための運動」と思われるでしょうが、私の場合はもっと積極的にBody makeしたい、という願望があります。ですから、結構テストステロンを増やすためのサプリを摂ったりして、食事にも気を遣っています。




毎年クリスマスには「青く」なる木 この時期の街の飾り付けの中でのお気に入り
Pic By Me


で、四月半ばから十週間のケトジェニックダイエットをし、また九月から六週間のケトを繰り返しました。ダイエットというよりは食事管理と考えたいのですが、これもうまくいきましたよ。冬には72キロくらいあったと思いますが、ケトの過程で最低65,9キロまで落ちましたし、フツーに食べている今でも68キロ前後です。

なんと言うか「余計なものを食べない」という習慣ができるようで、これは良いことだと思います。いつ崩れるかわからないですけどね。

というような感じで、「継続する」ということに関してうまくいったものもあるし、うまくいかなかったものもある2023年でした。まあ、普通生きていればそういうもんか?(^-^;

さて日本では明けてしまったけど、こちらではまだ待っている2024年。新年は、月並みな言い方になりますが、やはり今ある状況を楽しみながら大切にしていきたいと考えています。

先のことを考えて準備に心を奪われたり、完璧に何かをしようとしすぎて細部に捕われてしまったりすることがあるんですよね、ワタシ。なんせ昭和ですから。だから、そういうのを戒め、ちゃんと楽しむようにしたいと思います。これが私の新年の誓い、というのは大袈裟ですが、新年の心がけ?かな。

皆様にとりましても、新しい年が幸多きものとなることをお祈りさせていただきます。今年もよろしく。


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