レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

凍てつくか否か? 氷島に届く移民社会の波

2019-01-27 03:00:00 | 日記
もうまもなく、新年の最初の月が過ぎ去ってしまいます。ハヤッ! 雪がない冬を楽しんできたレイキャビクですが、先週一週間はまるまる雪漬けの日々となりました。

私のカッコイーマツダCX-3(しかもAWD !)は屋根のない駐車区域に止めてありますので、朝出かける前にせかせかと雪を振りのけるのが嫌な私は、前の夜に車に積もった雪を始末したりします。

すると夜のうちにまた雪が降って結局朝の余計な労働を強いられたりします。前夜分と合わせてダブルか?という悔しい思いもありますが、それでも一度除雪してあるのとないのとでは大違い。

日本の雪深い地方の皆さんと違い、家の屋根の雪下ろしとかはほとんどすることはありませんので、それを考えれば車の除雪くらいで文句を言ったらバチが当たりますね。

さて、前回、前々回と趣味的に教会の話しが続きましたので、今回は社会面に目を移して移民と労働に関してです。




移民の増加と文化の多様化は表裏一体 母国語の維持を図るカフェリンガルという活動
Myndin er ur Borgarbokasafn.is



2008年の経済恐慌で、国がマジで財政破綻した国アイスランド、はその後奇跡的に経済復興を果たしています。経済破綻で失われた様々な資金のプール -老齢年金等々- などは、依然として破綻の傷を背負っていますし、必ずしもすべての面で復興したというわけではありません。

しかしながら、一般の民間の経済状態が良好な状態にも戻っていたことは肌で感じますし、多くの人たちが -特に邦人の方々は- 「ミニバブルよね」とかここしばらく口にしてきました。

「バブルよね」という言葉の裏には常に「いつ破裂するのか?」という危機感あるいは不安感があるのですが、昨年末くらいから、多少「やばいんじゃねえの?」みたいな兆候が出てきているようです。

いくつかの名の知れた企業でまとまった数の授業員が解雇されたりしているのです。格安路線で業績を伸ばしてきた、かに見えたアイスランドの航空会社WOWは、昨年のクリスマス前にアメリカの投資会社INDIGOに身売り。それを受けて111人がバッサリ。

今年に入っても、自動車部品関連のセールス会社Bilanaustが倒産宣言。従業員数はなぜか不明です。また外資系のノヴァマティックというソフト関連の会社もアイスランドからの事業撤退を発表。アイスランド国内では11人が四月付で解雇とのこと。そんなニュースがあちこちに散見するのです。

経済回復の立役者だった観光業ですが、ここにきて観光客数も減少に転じたとか。Icelandic Excursions という会社は、アメリカのGray Lineという大きな会社に経営を奪われてしまい、やはりドライなスタッフの入れ替えが行われたようです。日本人の方で仕事を失ってしまった方もあるとか...

そのように「バブル」に?がつき始めているアイスランドですが、全般的にそれでもまだバブルってるようです。

景気が良くなると必ず現れる現象が「外国人労働者の増加」です。これは十年前の2006〜7年バブルの時も同じでした。

先日1月23日のモルグンブラウジィズ紙に統計局の資料を基にしての記事が載りました。アイスランドの労働市場における移民の数と割合についてです。ここでの「移民」とは「アイスランドの市民権を持たない外国籍の人」のことを指しますので念のため。

それによると、2018年9月の時点で、国内で労働をしている移民の数は40.500人。これは2014年の数から比べて二倍、2016年の1月と比しても50%の増加だそうです。

さらに言うと、その半年ほど前の2018年4月と比べると4.600人の増加となっています。これは人口約35万人の国の労働マーケットにおいてはかなり急速な増加と言っていいでしょう。




急速な移民労働人口を伝えるモルグンブラウジィズ紙の図


確かこの間「アイスランドに住む人々」として人口数などを書いた時にチェックした時は、2018年の始めの時点での外国籍者数は3万人くらいでしたから、それから九ヶ月で1万人も増加していることになります。

アイスランドに住む人々


あっ、違うか。3万人はすべての外国籍者数。今回の40.500人は「労働市場にいる外国籍者」だから、「外国籍の人すべて」だったらその上を行くはずです。すごいな。

で、この働いている40.500人のうち、男性は23.115人、女性が17.379人で、全体の57%が男性とのこと。

同時点で、アイスランドの労働市場には164.000人の「アイスランド人」労働者がいるということですので、移民労働者数の割合はなんと全体の20%に達し、つまり働いている五人に一人は外国人、ということになります。

アイスランドはEUには加盟していませんが、EEAヨーロッパ経済共同体には参加しているため、EU内の市民はアイスランドに自由にやってきて仕事に就くことができます。その逆も然り。

そのために「仕事がある」という時期になると、仕事を求める労働者たちが容易く移動してこれるわけです。「容易く」というのは法律上のことで、実際には例えばアパート探し等の難題はあるのですが。

さらに言うと、そのために国内の苦しい住宅事情がさらに苦しくなっていくわけです。あちらが出っ張ればこちらがへこむ、というやつですね。




移民労働者の多くがこうして働いています
Myndin er ur Eirikurjonsson.is


年齢的な観点から見ると、当然でしょうが働き盛りの二十代から三十代末までで、25.115人と全体の62%を占めています。ちなみに六十歳代で働いている移民数は1.311人。ワタシはここに入ります。七十代以上でなお働いている方も86人いるということで、お元気で何より、です。

多くの移民の人たちは建設現場等で働いていますので、私は日常的に接する機会はそう多くはありません。「外国人の多さ」を実感するのは、たまにレストランなどで外食する時です。

注文を取りに来るウェイター・ウェイトレスはほとんど外国人のような気がします。もう十年以上前ですが、ダウンタウンのカフェパリスへ行った時、ウェイターのお兄さんが、こちらがアイスランド語で答えているのに、しつこく英語で話してきて「なんだこのヤロウ」と思ったら、そのお兄さんが外国人だった、という経験をしました。

今では、こちらの方が始めから「外国人だろう」と当たりをつけていきます。ちなみに、そういう際には自分が外国人であることはコロリと忘れています。(^-^;

ですから、もし皆さんがアイスランドへ来られる/来られたとして、「せっかくだからアイスランド語を話そう」と、飛行機の中でガイドブックのアイスランド語会話帳を一生懸命勉強し、レストランで試してみたのに通じなかった、としてもがっかりしないでください。きっと、外国人だったんです、その係りの人。

私は仕事上、移民とは関係が深いので、情報には意を払っているつもりですが、それでもこの移民数の増加には驚かされました。それ自体は悪いことではないのですが、早すぎる変化というのは往々にしてのちにトラブルを引き起こしますので、多少心配の種である気もします。どうなりますやら...

これらは大陸の方ではもう二十年も前から顕著になってきていることです。「移民社会」の波は、遅まきながら氷の島にも届いてきているようです。問題はこの波が、どこかで凍てつくか、凍らずに流れ続けるか、ということかもしれません。

***

追加  28日月曜日のニュースによると、昨年末の時点でのアイスランドに居住する外国籍者総数は44.310人で、割合としては12,4%になるということです。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「馬子にも衣装」 じゃ、駄目だろー!

2019-01-20 03:00:00 | 日記
さて、今回のトピックは前回の続きで、もう少し教会の牧師さんの「制服」というか、衣装についてです。前回は自分の気の向くままに、牧師シャツについて制服として紹介したわけですが、実際には他にも色々と「衣装」はあります。

日本の皆さんにはなかなか馴染みのあるものではないと思うので、雑学のひとつぐらいの気持ちで読んでいただければ幸いです。

教会で行われる礼拝式などは、堅苦しく言うと「(宗教)祭儀」と呼ばれますので、「祭服」いうのが正式な呼び方になります。

この祭服ですが、例えば私が属しているルーテル教会(宗教改革を起こしたドイツのマルチン・ルターの教派)は、世界中に広がっているのですが、それでも同じ教派ですので、祭服の様式等も一応は共通性があります。

しかしながら、やはりそれぞれの国の文化や教会がどのように発展したか等の歴史的な経緯もありますから、まったく同じでというわけでもなく多様性があります。

アイスランドの教会は、国が長らくデンマーク国王の統治の下にあったこともあり、デンマーク国教会の影響を多く受けています。祭服もまた然り。

ちなみに私はアイスランドの教会を「国民教会」と呼ぶようにしています。一応国の権力からは独立した教会だからです。ですが、デンマークの教会のことは「国教会」と伝統的な呼び方を使います。なぜならそこでは「国の教会」という性格がいまだ強いからです。

さて、日曜日の礼拝式や、結婚式、葬儀等の祭式においての、牧師さんの基本の服装は前回お話ししました牧師シャツにパンツ(ズボンの意味で)です。下着のパンツとシャツなんかももちろんですよ。(^-^;

スーツの上着は着ずに、シャツの上からヘンパHempaというローブのようなドレスを着ます。これはとても厚い生地でできていて、色は黒のみ。相当重い衣装です。そして、このヘンパを着た上で、首の周りにピープクラーギという首輪のようなものを付けます。




ヘンパとピープクラーギの牧師さん デンマークの映画より


ピープはパイプ、クラーギはカラーを意味し、その名の通り、この首輪(カラー)は小さなパイプ状に生地を丸めたものがつながってできているのです。

子供が小さい時に、お風呂で頭を洗うのに丸いスポンジ製のものを被せてあげて、目にお湯が入るのを防ぐことがありますよね。あの丸いスポンジを首の周りに付けると思っていただければ、だいたい正解です。

このヘンパにピープクラーギというのが、アイスランドの牧師さんの第二の平均的いでたちです。この上に、さらに儀式の種類や季節によって、トッピング?の衣装が重なっていきます。

... なのですが、私はこのヘンパを持っていません。昔はひとりの新牧師が誕生すると、必ずヘンパ一着がもらえたようなのですが、今ではこの衣装を縫う人が少なくなり、品不足に加えて高価格なのです。一着十万クローナ、と二十年くらい前に聞いた覚えがあります。

こちらの教会で正式に奉職するようになって二十二年になりますが、私がこのヘンパ+ピープクラーギの格好をしたのは、僅かに三回だけです。1997年のカルトゥ監督の就任式、2012年のアグネス監督の就任式、そして昨年のある新人牧師の按手式(牧師となる時の式です)の三回。

この三回ともヘンパの着用が義務付けられているので、複数持っている同僚から借りて出かけました。

でも「制服」たるヘンパがなければ困るだろう?と思われるかもしれません。が、大丈夫です。私が使うのは「アルバ」と呼ばれる白い色のローブです。これは生地がヘンパよりもずっと薄く軽く、普通皆さんが思い浮かべるであろうような代物です。

実は、ルーテル教会を世界規模で眺めるならば、このアルバの方がずっと「普通」な制服なのです。ヘンパはアイスランドとその親分のデンマーク、そして北ドイツの一部だけで使われる「ローカルな衣装」なのでした。

二十年ほど前、礼拝にアルバで参加したのですが、礼拝の後でひとりのおじいさんが「なんでそのような変な衣装を着けているのか?」から言われたことがありました。「あのですねえ、こちらの方がフツーなんですけど... 」

個人的には、ヘンパを使いたいとは思いません。なにしろ生地が厚いから、夏は暑いです。汗が染み込んだって、気軽に自宅で洗濯できる代物ではないし。みんな、汗臭いのを我慢して使っているに違いありません。不衛生。不健康。

歴史的な意味がありますから、保存の意味を込めてたまに使うのはいいでしょうが、いずれ日用からは消え去ることでしょう。「絶滅危惧種」ですね。

さて、礼拝式での伝統的装束は、このヘンパの上に薄い白い上っ張りのようなものを着ます。リッキリーンといいます。そしてこの上にストーラーという、帯状のものを肩に掛けます。首を中心にして、前の左右にその帯が垂れてきます。前回のブログの写真を見ていただければ明瞭。

ストーラーの起源は定かではないようですが、その意味するところはキリストの背負った十字架です。




聖餐式を行なうためのハーカットゥルを着けた牧師さん フル衣装です


そして、さらに聖餐式というパンと葡萄酒を皆で分かち合う儀式 -これは教会の中では大変に重要な儀式です- を行う際には、さらにこの上にハーカットゥルHokullという袖のないチョッキのようなものを被ります。

これは元をたどると「小さな家」を意味するのだそうですが、何のために用いるのか、正直私は知らなかったのですが、先輩ん牧師さんに訊いたところ「キリストの代行」をしていることを表すのだそうです。それはそれは。そのような大切なことを知らずにゴメンナサイ。(本心から言っていませんが)

ストーラーとハーカットゥルは、白、赤、緑、紫と四色あり、教会暦の季節によって用いる色が決まっています。ハーカットゥルには金色もあることがあります。色は白、赤、緑、紫の順番で、それぞれに「純潔」、「血」もしくは「聖霊」、「信仰の成長」もしくは「生命」、「悔い改め」を表します。

私は、自分の自由裁量が許される限りにおいては、ハーカットゥルの使用は拒否しています。暑いし、重いし。なくたっていいじゃん、そんなもの...

てなこというと、「ふざけるな。ひとつひとつに意味が込められているのだ」という人が必ず現れましょう。それは確かにそうです。

しかしながら、多少真面目に言わせていただくと、大層な衣装や舞台装置の故に、一番根本にあるべき霊性、精神性がしぼんでしまうのも確かです。私の実体験的に言って、それこそ深刻に考えるべき点のあることです。




スカンジナヴィアの監督が一堂に会した昨夏よりの一枚 それなりのいでたち
Myndin er ur Frettabladid


「平民」の姿をして牧師としての威信を勝ち取りたければ、それにふさわしいことを語らなければなりません。衣装で威信を振りまきたがるならば、結局衣装負けしてしまうのです。

総論として言いますと、私はアイスランド国民教会の祭服、祭具には「過剰」なところがあると思います。不必要な飾りは捨て、もう少し胸元を開いて人と相対する方がはるかに宗教的な霊性を健全に保てるであろう、と常日頃考えています。

「制服」がダメ、というのではありませんよ。前回書きましたように、牧師シャツは大好きですから。ただ、「行き過ぎ」てはいませんか?ということです。

これを書いていて、なぜか「裸の王様」の話しを思い出しました。相通じるものここにあるような、ないような。寓話というのは、やはりものを語るか... ?


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「制服フェチ」なワタシ

2019-01-13 03:00:00 | 日記
一月中旬になっても、まだ気温は3度から9度、もちろん雪はまったく積もっていない2019年のレイキャビクです。もっともストームは定期的にやってきているようで、これと雪が重ならないでくれることを願います。

個人的なことを言うと -このブログは始めから終わりまで個人的なものではありますが- 一月からかなり忙しくさせてもらっています。それは大歓迎なのですが、ひとつだけままならないのは、約束の時間に大幅に遅れてくる人がいることです。

難民の人の場合は、バスと徒歩でやってきますので、車族ほど時間は安定しません。だから三十分くらいの遅れはいつも計算しているのですが、さすがに一時間以上となると「なぜそうと事前に言わんかい?」という気持ちにさせられます。

いけませんねえ、年頭からこれでは。でもここで、それを一言書くと、それでかなりスッキリします。(そういうわけでブログやってんのか?(^-^; )

さて世の中には「制服フェチ」なる言葉がありますね。制服を着ている人が特に素敵に、魅力的に見えるので、制服そのものや制服姿の人に魅入られる人のことのようです。

まあ、この言葉はそれなりにアダルトな方面へ繋がることも多いようですから、それ以上は深追いしません。




ルーテル教会の通常の礼拝式用の「制服」アルバとストーラー
Myndin er ur Vera


そういう方面ではなくても、「制服」というものに特別な愛着と敬意を抱くことはかなり一般的なのではないかと思います。さらに言えば、自分自身の職業で制服を使う職種にいらっしゃる方は、おそらく自分自身の制服というもに関しては、それなりの自負とプライドを持っているものでしょう。

聞いただけなので、実際はどうなのかよく知らないのですが看護婦さん(看護士さん、ですね今は)になる方が「戴帽式」への期待を語っていたのを覚えています。

自衛官とか、警察官の方々もおそらく人一倍制服に対する誇りは高いのではないだろうかと想像します。これは一般のメディア等で得たイメージなので、あくまで想像です。プロ野球の選手だって、憧れのチームのユニフォームに袖を通すのは嬉しいことに違いありません。

私はルーテル教会というプロテスタントの一派の教会の牧師です。カトリック教会とか、オーソドックス教会のように、非常に多彩な祭服(教会儀式を行う時に使用する一種の礼服)や祭具を使用する教会ではないのですが、それでもルーテル教会の牧師さんたちにも、制服というか牧師用の服装というものがあります。

非常に大雑把な話しになりますが、英国国教会(聖公会)やルーテルのように、カトリック教会から分離した当時の伝統や習慣を、割り合い多く保持している教会は、祭服祭具なども多くあります。

対して、宗教改革以降にも変化を続けた教会(改革派教会)や、むしろ宗教改革後に生まれてきた教会(バプテスト教会)等では、特定の祭服等を使わないようです。例えば牧師さんは普通のスーツや、その上に黒のガウン(裁判官みたいな)を羽織って礼拝などの宗教行事に向かいます。

話しがつまらなくなるでしょうから、元へ戻ります。で、私にも一応「制服」的な衣装があります。普段から着ることの多い牧師のシャツ、それに結婚式や礼拝の時だけ使うガウンのような祭服が日常的な「制服」です。

今回書きたいのは、この「牧師シャツ」のことです。これは、皆さんがテレビや映画で見る時によく見かけるあのシャツ、黒くて高校生の詰襟のような形態で、喉元だけ白いカラーがのぞいているヤツです。このシャツはカトリック教会の神父さんと「共通」のものと言えます。




十八世紀アメリカの牧師ジョナサン・エドワード これがラバ


ですが、ずーーーっつと昔から、このような形態のシャツが使われていたわけではありません。実際は長らく教会の司祭や牧師は、「ラバ」と呼ばれる、結んでいない蝶ネクタイというか、小さな襟ナフキンというか、そのような形態のものを垂らしていたようです。

白くて丸いカラーの外側に黒シャツの襟が囲んでいる、お馴染みの「ローマンカラー」と呼ばれるものがこれに取って代わったのは、割と最近で1930年代のことだそうです。

現在、最も出回っているのは、このローマンカラーを簡略化した「ミニカラー」と呼ばれるもので、カラー部分が喉元の15-20センチのみの「はめ込み」になっているものです。

私もこの簡素版を愛用しています。制服とか祭服にはそれぞれの謂れがあるのが普通ですが、この現代の神父・牧師シャツにもそれなりの理由があるようです。

その「理由」ですが、これは首の「喉仏」をリンゴ -アダムとイブが食べてしまい最初の「罪」となったあのリンゴ- にみたて、それを黒い死が囲んでいるのを、白いカラー、つまり復活と生命が救う、というようなことのようです。




ローマンカラーのシャツ カラー部分は取り外しできます


牧師さんにも色々なタイプがあり、私はそれほど伝統儀式とか、なにか儀式中にもちいるものの謂れとかに執着するタイプではないので、正直言ってこの方面は勉強不足です。スミマセン。m(_ _)m

にも関わらず、私はこの牧師シャツを着ることを気に入っています。

実際的なことを言うと、このシャツを着ないとすると、礼拝式の時にどのようなスーツ、シャツ、タイを選ぶか?というのはかなり面倒くさい問題なのです。地味過ぎたらカッコ悪い、派手過ぎたら文句言われる等々。制服、ユニフォームの隠れた利点のひとつは「考えなくていい」ということですね。

加えて、このミニカラーシャツは、カラーを外しておくとオープンシャツ化しカジュアル、カラーをすればオフィシャルにもなりますから、広範な職務状況に対応できます。さらに自信が足りない時に「牧師様だ」と衣装で権威を借りるにも便利。




マイシャーツ 色は黒だけではありません


ですが、このシャツを気に入っている本当の理由は、それを着ることで自分がこの牧師職にあることを実感できるからだろうと思います。

牧師になる前、神学校にいた最終学年、学校の礼拝でこのシャツをフライングで身につけ「まだ、牧師じゃないだろ」の文句を受けたことがありましたが、「いいじゃないか」とかばってくれた先生もいました。ありがたや。

アイスランドに移り、周囲の牧師さんたちがやたらに権威主義的に見えた時期がありました。その時期は反抗して牧師シャツではなく、なるべくスーツで通しました。別にスーツも嫌いではありません。

ですが、牧師シャツとスーツでは根本的に違いがあります。牧師シャツは私の制服であり、制服はそれを着用している人の存在証明のようなところがあります。実際にはそれだけで、その人がどういう人かの証明にはなるものではありませんが、その人が「あるべき姿」を思い起こさせてくれる効果はあります。

時々、色々な面倒くさいことが重なったりして、疲れるし、嫌になることもあるんですけどね。そういう時にはシャツをただ取り出して眺めたりします。すると、単純な作りのワタシは、それだけで気分が良くなったりするんです。

「まだこの仕事に就いているんだ」「まだこのシャツを公に着ることができるんだ」という喜びを再確認することができるんです。そうすると、たいがいの難しい状況でも、辛抱し抜け出す術を考える意欲が湧いてきます。

自分が生きがいを感じることのできる仕事に就いているとしたら、それは相当にありがたいことでしょう。実際はそうはいかない現実があることと思います。それでも、なんとかより多くの方が、「これをしたかった」という仕事に就けますことを願います。

「この制服を着たい」「あのユニフォームに袖を通したい」ということでも、非常に具体的な夢、目標になり得るでしょう。特に若い皆さん、あきらめないで!!


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アウラモウタヘイティ 新年の誓い

2019-01-06 03:00:00 | 日記
昨年のクリスマスは -というか、「この」クリスマスは(教会では新年は十二月から始まっていますので)- 雪なし、で終わったレイキャビクでした。ロイズ・クリスマス、つまり「赤いクリスマス」となりました。

その後も暖かい天気が続き、大晦日だけは零下に冷え込みましたが、あとはかなり暖かい気温を保っています。正月など8度、9度とかいう日もありましたから。今週の途中からまた冷えるようです。

今日、1月6日は教会では「顕現日」Epiphanyと呼ばれる日です。聖書の中にある、東方の国からの三人の博士が、贈り物を携えて幼子イエスを拝しに来た、という物語を記念する日です。

アイスランドではこの日を持って十三日間のクリスマスの祭りが終了します。 アイスランド語ではなぜか「顕現」と言う言葉を使わずThrettandiスレッタンディと呼びます。「十三日目」という単純な意味です。(*^^*)

明日の1月7日が東方オーソドックス教会のクリスマスなので、アイスランドでもセルビアからの人たち等が多く住む町では、「クリスマスを一日延長して、1月7日までにする」と宣言したりしたこともありました。今ではどうなのでしょうか?去年はそのニュースを再び聞いた覚えがありますが。

一月七日のクリスマス




これも大晦日の名物ブレンヌル 大きな焚き火
Myndin er ur Visir.is


さて、皆さんの新年の誓いはどんなものでしょうか?アイスランドにも日本と同じように新年の誓いがあることは以前書いたことがあります。Aramotaheitiアウラモウタヘイティといい「年越しの約束」が直の意味になります。

アイスランドでのお正月アレコレ


昨年もいくつか、アイスランド人の新年の誓いをネットから拾ってご紹介しましたが、今年も懲りずにそのような特集がネット新聞にありますので、いくつか集めてみました。

まずはインディアナさん女性:「新年の誓いでルックスに触れる必要はないのよ」
これは誓いというよりは「誓いへの諭し」ですが、あまりに「痩せる」だの「美容」だのの誓いが多いことにご立腹の様子。


マグヌスさん男性: 「娘と過ごす時間を絶対に守る」
大切なことです。うまくいきますよう。

ティンナさん女性:「スレイクルに頻繁に行くようにする。両方、Exとも『今の』とも」これはちょっと要説明。スレイクルというのは「舐めまわすようなキス」のことで、挨拶でのスレイクルの故に告発された牧師さんがおり、昨年の話題になったのです。ティンナさん、ちょっとアブナイかも...

エイイットゥルさん男性:「片割れをなくした靴下を集める。古くなってきたタッパウェアーで、蓋がしっかり閉まらないものがあるのだが、これをしっかり抑えるのに靴下が役立つのを発見した。片方しかない靴下の生命の復活だ」なるほど。でも自分用のタッパに限ってほしいと思います。

あといくつかあるのですが、こちらでの世相を皮肉ったりしているのが多く、説明に時間がかかるのでこれにて紹介終了。

私自身ですが、無理やり何かをひねり出していたここ数年と違い、今年はすんなりと心に浮かんでいいたことがありました。

きっかけは十二月の始め、アドヴェントの集いが私のホーム教会であった時のこと。その集いでは、牧師さんではなく日曜学校の先生をしている女性の方がお話しを担当しました。

その女性、ステイナさんは、本職は体育の先生だそうですが、もう何年も日曜学校の面倒を見ています。個人的にはそれほど親しい方ではありません。

お話しの中で彼女は、自分が子供の頃も日曜学校に来ていたこと、それから学生時代を通じてキリスト教学生連盟のようなグループで活動してきたこと等を冒頭に語りました。

ついで成人してからは日曜学校を担当し、子供たちにお話ししたり、歌を指導したりすることはもう何百回としてきたことも。

「そういう自分を振り返って見て、そろそろ新しい一歩を踏み出す時期が来ている気がします。だから今夜、こうしてあなた方大人の皆さんにお話しすることをお受けしたのです」

それからステイナさんは、本題である教会の教える「光」について話し始めました。良い話しで、私はあとで彼女に原稿をもらい、それを自分の祈りの会で紹介したくらいです。




ハットゥルグリムス教会の塔の上から見た新年の花火
Myndin er ur Visir.is


ですが私の「新年の誓い」に関わるのは、本題の方ではなくて「新しい一歩を踏み出す時だと思う」という点の方です。

教会のレギュラーの方が、このようにして自発的に「次の一歩」を踏み出してくれるのは、牧師としては相当嬉しいことなのです。別の私はその教会の「本牧師」ではないのですが、それでも嬉しく感じました。

私自身、十一月に四十歳の二十周年を迎えてから、先のことをよく考えるようになり、「何をしたいか?」ということを頻繁に自問しています。当然のことながら、それは私自身の「新しい一歩」「次の一歩」とも関連してきます。「最後の一歩」かもしれませんが。(^-^;

牧師の仕事には、いくつかのトラップが付きまとうのですが、その中の一つは「同じ状況で同じことをすることにドップリはまり込んでしまう」ということです。

同じ行事を毎年こなし、同じ人々と会い、同じ話しをする。変化がなくても、そこに慣れてしまうのです。これはかなり恐ろしいもので、なにしろ気がつかないうちにそうなってしまっている、ということが結構多いのです。

これを防ぐには、将来のビジョンを持ち、それに沿って具体的な目標とか、プランを持つことが必要になります。それを一回決めればいい、というものではなくて、絶えず調整し、再設定していく必要があります。

何かが進んでいれば、自ずと再調整の必要が生まれます。再調整しなくていい、ということは、実際には何も進行していない、ということの証左と思っていいでしょう。




ホーム教会のニュースレター 中央の女性がステイナさん


具体的に考えていることをひとつだけ挙げておきますが、それはクリスマスイブに教会でオープンハウスをして過ごす、というものです。クリスマスに行き場がなく、ひとりで過ごす人も多いのです。

そういう人たちが、その気になれば寄って来れるような場です。

残念ながら、現在の国民教会はそのような場を設けていません。アイスランドではクリスマスは「家族の祭り」の性格が強く、皆、それぞれの家族の集いへ馳せ参じてしまうことの影響だろうと想像します。でも、これからもそのままでいいのか?という質問をするのはごく自然なことです。

病院関連のスタッフ等、クリスマスでも務める義務がある人々は多くいます。教会は家族の大切さを訴えることもあり、できるなら牧師さんたちも自らの家族とイブを過ごすことを重んじます。それで、なかなか「イブのシフト」は成り難かったのです。

そういう点で、今の私は子供たちも大きくなり、別にクリスマスイブに一緒にいなくても、どうということはなくなってきました。家族と一緒にいる必要度は昔と比べて低くなった、とも言えましょう。だったら、そのチャンスをプラスに生かして、「一歩」進んでみようかと。

これは一例ですが、そんなわけで私の2019年の新年の誓いは「一歩踏み出す」ということです。

願わくは踏み出す先が正しい道にあり、落とし穴ではありませんように。まあ、穴に落ちても、また這い出てきますが... (^-^; でも疲れるな。「転ばぬ先の杖」をしっかり持っていた方がいいかも。

皆さんも、何か良いクリエイティブな新年の誓いを携えていられることを願います。念のため杖もお忘れなく!


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧年と新年の間の狭間から ラヴメッセージ

2019-01-01 00:00:00 | 日記
新年明けましておめでとうございます。旧年中のお付き合いとご厚情を感謝いたします。そして本年もよろしくお願いいたします。

と、言いながら、実はこちらアイスランドではまだ2018年をやっています。大晦日です。毎年のことですが、この日には日本とアイスランドの時差九時間の存在をいやおうなく意識させられます。

「明けましておめでとう」を、一体どのタイミングで言えば良いのやら。ネットでのコミュニケーションが日常化している今現在の中で、ワタシは九時間の「新年のような、旧年のような」という時間のひずみの中を泳いでいるような気にさせられます。

というわけで、今回は2019年を喜びながらも、2018年を振り返る回としたいと思います。

まったく個人的なことになり恐縮なのですが、2018年は非常にポジティブで良い年であった、と満足しています。

仕事の面では、九月にブレイズホルトゥス教会というところの新しいオフィスに移りましたし、そこで今までの仕事を継続しながらも、さらに発展させる「波」に乗りつつあります。

波から落っこちる危険はいつでもありますが、それはどのような仕事でも同じでしょうし、落ちてから考えることにしています。いつか必ず落ちることはわかっていますし、それはそういうものです。

私生活では十一月に四十歳の二十周年を迎えました。これも時間は経ち、年月は巡って来るものですから、それ自体は「そういうものだ」ということなのですが、それに先立ち夏からダイエットと筋力トレーニングを始め、これをうまく継続することができたのは、嬉しいことです。

なんというか、朝起きて鏡に向かった時、おなかがポコンなのと、平らでちゃんと腹筋がみえているのとでは、やはり同じではないと実感しています。念のためにお断りしておきますが、これはワタシ限定のことであって、万人に当てはめることではありませんので... (*^^*)




新年明けましておめでとうございます


他にも、日本に二回帰省でき、特に二十年ぶり以上で名古屋に行き、お世話になった教会でお話しできたことなども、今年の良い思い出となっています。この辺のことはブログでもご紹介した通りです。

そういう諸々の中で2018年一番思い出に残ったことは?と考えて、心に浮かぶものがあります。実際は一番か二番かわかりませんが、とにかく心に強く残っているものです。

五月の上旬、Facebookのフレンドであるラッギさん(仮名です)から「急な話しだが、18日に自宅での結婚式をしてもらえないか?」とメッセージをもらいました。ラッギさんとは実際の面識はなく、Facebook上のみでのお付き合いでした。それも決してパーソナルなものではなく、良くLikeをつけてくれる程度のこと。

奥さんになる人もアイスランド人だし、加えてラッギさんは「自分の意見として、今は国民教会には属していない」とのことだったので、「別に私でなくてもいいではないか...?」と、邦人の方々等三組の挙式を終えたばかりの私は渋りました。

「そうか... 」とラッギさんは理解してくれたのですが、「実はお嫁さんになる女性、アンは末期の癌で、先が長くない。二十年以上一緒に暮らしているのだが、どうしても自分の『妻』と呼んでみたいんだ。

でも、自分はこれまでのいろいろな経緯で国民教会の牧師に式をしてもらう点で、アンと意見が一致しない。『二人ともが納得できる人』というのが、トシキ、あなただ」

病気とか、そういう特別な事情があるのなら話しは変わってきます。それに「あなたしかいない」とか言われて悪い気のするものではありません。「やります」とコロリと態度を変えて引き受けたのでした。

その時点ではなぜ「18日」、と日を指定してきたのかわからなかったのですが「きっと、アンさんは入院加療中で、外出許可とかの関係だろう」と思いました。

日が近くなってからの依頼だったので、準備を急いで進めました。事情を聞いたからには、やはりいつもと同じ祝福だけの勧めのお話しをすることは気が進まず、もう少しシリアスな状況にも通じるように手を加えました。

必要な書類の確認とかもあったので、式前日に一度訪問してリハーサルもしておくことにしました。

そして、式の前々日に書類の確認の関連で連絡を入れたのです。するとラッギさん、「ありがとう。アンは昨晩、ベッドの僕の傍らで息を引き取りました... 」

えっ!? ...... 沈黙 ......ウソ ...


こうして、この挙式は永遠に延期されてしまいました。

結婚式と異なり、お葬式は遺族の多くの人たちとの連絡や手配が必要になります。で、私ではなくラッギさんとアンさんの自宅の近所の牧師さんが担当してくれることになりました。

その翌々日。式を挙げる予定だった18日。ラッギさんは自分のFacebookのページに書きました。

「二十年以上連れ添ったアンと私は、私の五十六歳の誕生日である今日、式を挙げる予定だった。しかし、その直前になってアンの日は尽きてしまった」

18日。誕生日だったんだ。

そこまで待たずに、できる限り早くに式を予定しておけば...

どれだけの後悔がラッギさんの胸中にあったことか、察するに余りありました。

ラッギさんは、その後も何度もアンさんのことを追悼する文や写真をFacebookに掲載してきました。昔の写真と思い出。最近のエピソード。墓前に添えられたお花。

ある時、彼はこのようなことを述べていました。「親愛なる皆さん。今、あなたが希望していることが何かあるでしょう?きっと、『いつか、それをしよう』と思っているかもしれない。

僕もアンも二十年以上共に暮らしてきて、いつか結婚しよう、と決めていた。でも、そうしようとした時、日が足りなかった。

だから、『いつか』ではなくて、今すぐそうすることを僕は勧めたい。遅れてしまったら、取り戻すことのできないものもある。それが人の生だということを忘れないで欲しい」

私は、ラッギさんにもアンさんにも、まったく面識なく過ごしてきたのですが、思いました。「アンさんは、どれだけ愛されていたのだろう。どれだけ幸運な女性だったのだろう。これだけ思ってくれる男性と二十年以上も一緒に暮らせて」と。

亡くなった知らせを受けた直後は、私自身「悔しく残念なことだろう」ということにだけ、思いが走ってしまったのですが、今では「二十年以上も一緒に時を過ごしてきたんだ」という事実の有り難さの方に心が留まります。

もちろん、18日に挙式できていれば... という思いは残りますが、そういうのも含めて人生なのでしょうね。

クリスマスの後、ラッギさんに私がそう思っている旨をメイルで伝えました。幸いなことに、かれも悲嘆に耽溺しているわけではなく、立ち直っています。ただ... 本当にアンさんのことを愛し、大切に思っていたのでしょう。その思いが返信のメイルに溢れていました。

私にとっての2018年のMan of the year のタイトルは、文句なしでラッギさんとアンさんに捧げます。




恒例の大晦日の花火


2018年にしても、2019年にしても、そこに含まれている一日一日は私たちの人生にとって大きな意味を持つものなのだろうと考えます。もちろん、特別な記念日とか、思い出の日とかいうものはあり得るでしょうが、その間に無言で横たわる普通の日がなければ、そういう記念日もないわけですからね。

そのことを忘れないで、2019年に向かいたいと思います。
皆さんにとっても、この新年が幸せに希望に満ちたものになりますように。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする