レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

メロスよ、走れ! レイキャビク・マラソン

2019-08-25 00:00:00 | 日記
嗚呼(「ああ」と読みます)、ついに晩夏となってしまいました。次回のブログの更新はすでに九月になってしまいます。小中学校は (こちらでは十年制で、義務教育はひとつの学校が基本なですが、実際には日本のように「小」「中」で分かれているところもあります)先週の木曜日あたりに始業式があったようですし、大学も明日から正式に授業開始のようです。

つまり「夏」は終わりということです。悲しや。

好天が続いているとはいえ、朝晩はめっきり寒くなってきましたし、周囲にも風邪をひいてしまったしまった人がちらほらと散在するようです。

昨日、土曜日はレイキャビクのMenningarnottメンニンガー・ノホト「文化の夕べ」というお祭りの一日でした。夕方以降だけではなく、朝から多種多様なプログラムが「同時多発」的に組まれているイベントです。




どこからこれだけ出てきたのやら?スタート直後のレイキャビク・マラソン
Myndin er ur Whatson.is


当然、全部を見て回ることは始めからかないません。自分で面白そうなものを見つけて出向いていくことになります。はっきり言って、いつ、何が、どこであるのか、を把握するだけでも一仕事な気がします。

近年は「夏の締めくくりイベント」的なシンボリックな地位さえ手中にしたお祭りですが、引きこもり老人のワタシは当然参加しませんでした。五、六年前までは、「ヒロシマ・ナガサキの伝承のための紙芝居」「日本の文化紹介」だとか趣味の「詩の朗読会」だとかに参加していたのですが、だんだんと参加は尻つぼみになってきてしまいました。

もともと私は自分で何かをするのは好きなのですが、人がやっているものを見にいくことにはあまり関心がなく、つまりは自己中心的なのですが(^-^;、その結果は「引きこもり」となり、「孤独死」へ向かって真っしぐらの感があります。




「同時多発的」プログラムのほんの一部
Myndin er ur Menningarnott.is



さて、メンニンガー・ノホトのお祭りですが毎回朝8時40分スタートのレイキャビク・マラソンで開会します。このマラソンには外国から参加をする選手もありますし、参加者はかなりの数を数えます。

フルマラソンだけではなく、ハーフマラソンや10キロ、5キロなどというコースを選ぶこともできます。乳母車を手押ししながら、なんていう若いお母さんランナーも、毎年必ずのように見受けられるようです。

マラソンのようなチョー自虐趣味的な営みには、ワタシはもちろん参加しませんが(「キロ」で測る距離を走れない、と言った方が正解ですが)、私の息子は参加してきました。ハーフマラソン。

息子は現在スウェーデンの学校で学んでいるのですが、夏休みで八月中は私のところに滞在しています。別に本格的なランナーではないのですが、スウェーデンでもハーフマラソンを走ったことがあるようで、これで四回目くらいのエントリーだったと思います。

前に一度書いたことがありますが、このレイキャビクマラソンには多少の公共的?性格もあり、各参加者は「これこれの大義、目的のために走る」ということを宣言でき、それに賛同した人は、そのランナーに1000クローネ、5000クローネのようにお金を積むことができます。

「陸上賭博か!?」と思われる方があるかもしれませんが、そうではありませんよ。いわば「ランナーを通しての寄付・援助金集め」です。

マラソンのイベントにはちゃんとホームページが用意されていて、そこに参加者の一覧リストがあります。その参加者の紹介プロフィールに「何のために走るか」「何を目的とするか」も記されています。

そしてそれを見た人が「よし、その趣旨に賛同し、私も寄付を出そう」と思えば、パソコンからの銀行振込や、あるいは手軽に携帯のSMSを使って寄付の約束をすることができます。

SMSというのは日本ではあまり使われていないようですが、相手の電話番号宛にメッセージを送る仕組みです。この寄付に限っていうと、あらかじめ用意された番号、例えば9XX -1000、9XX-2000, 9XX-5000という番号宛にメッセージを送ることになります。

この際、9XX-1000なら1000クローネ、9XX-5000なら5000クローネの寄付となり、これは後日電話料金の請求に加算されてきます。そして、メッセージ欄に、その支援したいランナーの登録番号(背番号)を記入します。

これで、「誰に」「いくら」積んだかが登録されるわけです。

今、これを書いているのは、実は金曜日の午後なのですが、ホームページを覗いてみると、例えばOlgaさんという女性のランナーが1.320.000クローネもの約束を取り付けています。

「何のために?」と趣旨を読んでみると「一年前に悪性の脳腫瘍を診断された小さな妹のために走ります」とのこと。

難病の故に、治療費やその関係で大きな費用になるのでしょう。それでマラソンに参加し、病気のことを訴えると同時に財政的な支援も受けることを目的としていることがわかります。

次いで830.000クローネ余り(23日午後2時現在)の約束を得ているAglaさんという、これも女性ランナーの趣旨を見てみると、やはり「十歳で急性白血病と診断された弟のために走ります」とのこと。




様々なストーリーがある参加者の動機
Myndin er ur Rmi.is


もちろん、寄付はマラソンに結びつけずとも可能でしょうが、より大衆に語りかけ、大衆から支援を受ける可能性が増しますし、またマラソンそのものも個人の勝手な趣味の域から、社会性のあるイベントとしての性格を帯びてきますから、これは「ウィンウィン」の関係なのでしょうね。

私の息子はというと、これまで17.000クローネの約束。額はそうたいしたことはありませんが、趣旨は「『ワーブルク・ミクロ症候群』という稀な病気にかかってしまっている少年を支援するため」だそうで、多少なりとも力になれるなら、それに越したことはないという気がしています。

このマラソンを通じての寄付、同じく金曜日午後の時点で、総額はすでに一億クローネを超えています。結構集まるものですねえ... おそらく個人からだけではなく、法人や企業からの寄付も入っているのだとは思いますが。

そうか、もしかしたらこれは一考に値しますね。今、難民の人たちの支援のための基金が底をつきかけていて、困っているのです。来年はワタシも走るかも。10キロ走るとして(あるいは歩くか)、どのくらいかかる?一時間?一時間半?

その自虐タイムで支援金が十万クローネ集まるとしたら、これは断然我慢しがいがあるかも、ですね。どうやら来年の夏の目標が与えられたようです。ただ、あくまでこれは「今、そういう気がする」という段階ですので、悪しからず。

いずれにしても「夏」は終わりました。いつまでも惜しんでいてもあと九ヶ月は待たないと、また「夏」は来ませんので、これにて「夏」のコメントはお終い。

日本の皆様におかれましては、まだまだ残暑が厳しいでしょから、くれぐれもお身体に気をつけてお過ごしください。熱中症も、まだ要注意でお願いします。


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Gay Pride プライドとは人の在りようを映すもの?

2019-08-18 00:00:00 | 日記


レインボーの旗はGay Pride/ゲイの人々(と)の連帯のシンボル
Myndin er ur Visitreykjavik.is


ここしばらくの間、冒頭には天気の話しをするのが決まりのようになっています。八月中旬のレイキャビクは、天候やや不安定。風が吹き始めており、その際はかなり寒く感じます。太陽が出れば、かなり暖かさは増します。

日本では残暑どころではないみたいですね。木曜日には三条市では四十度とか。神学校時代の同級生が三条で牧師さんをしていて、彼のFacebookで見たのですが、アフリカとかでならともかく、日本で四十度というのは想像を超えています。




三条市で40度! 友人のFBから失敬


アイスランドの「良い夏」を無邪気に喜んで転げ回っていたワタシですが、先日ラジオで環境学関係の男性がしゃべっていて、彼が言うには「これは『良い夏』なんかじゃなくて、地球温暖化の脅威がここまで来ていることの証左。『恐ろしい夏』なんですよ」あちゃ。

ところで、先週の火曜だか水曜日だかにふと気が付きました。「ああ、お盆休みの時期なんだ」ゴールデンウィークの感覚が、二十年以上のアイスランド滞在の故に失われてしまっていることは、以前書いたことがあります。

加えてお盆休みまで... 長期のアイスランド滞在のせいではなく、ボケの始まりかという気がしなくもありません。(^-^; それでも終戦記念日はまだ失念しないですね。しかけていますが、815という日付を見るとか耳にすると、そのまま過ぎてしまうことは「まだ」ありません。

実は先週は月曜日と土曜日に、それぞれアイスランド人男性と邦人(日本人)女性の結婚式を担当しました。「結婚式ってまとまって入ることが多いなあ...」とか思っていましたが「お盆休みだからだよ! ボケッ!」っていう感じですね。 両組とも日本からの参列者がお見えになっていましたから。

ああ、それで思い当たりました。以前アイスランド大学に留学していたTさんという方があります。男性です。優秀な方で、なんとアイスランド語できちんと文章が書けるほどなのです。そしてさらにすごいことは -これは秘密ではないことを願いますが- ビル・ロビンソンの弟子かつ飲み仲間だった人です。

ビル・ロビンソンを知らない方もありましょうが、私が小学生の頃のテレビのヒーローです。詳しくはグーグルなさってみてください。

そのTさんも先週の頭からアイスランドへ遊びに来られています。Tさんもお盆休みを利用しながら来ているんだ、と、たった今、これを書きながら気が付きました。なんと、自分の周囲で何が起きているのかを把握できなくなってきている。ちょっとヤバいですね。

さて、先週を通してレイキャヴィクではReykjavik Prideというイベント⁄お祭りが行われていました。以前はGay Prideと呼ばれていましたが、いつのまにか名前が変わっています。またしても周囲を把握していないことを暴露。

アイスランド語では別の表現をしHinsegin dagar ヒンセイイン・ダーガーと呼びますが、ダーガーはえいごのdaysで「日々」のことですが、hinsegin/nというのは「変わった」とか「普通とは違う」を意味する形容詞ですので、「ちょっと変な連中のデー」というくらいの意味になるでしょう。

1999年に始まり、今回が二十周年ということになります。もともとは土曜日と次の日曜日くらいの規模だったのですが、評判と人気が高まるに連れ日程も長くなり始め、今年は先々週の8日から昨日の土曜日17日までの十日間となりました。

一番の呼び物は最終日土曜日のパレードです。Glediganganグレージィガンガン「喜びの行進」で、これには十万近い見物客がやってきます。間違いなくアイスランドでの最大級のイベントでしょう。




昨年の「喜びの行進」
Myndin er ur Hinsegindagar.is


もともとは同性愛者の人たちの権利拡張を訴える集まりだったのですが、一大人気イベントと化した現在では、観光収入面での「金のなる木」でもあるようで、イベント期間延長にも、きっとそのような下心があるのでしょう。

アイスランドではゲイの人たちの権利、そしてその人たちへの理解は、この二十年間、つまりゲイプライドの誕生とともに年毎に良い方向へ発展してきました。現在ではゲイの人たちの権利は世界でも「ベストいくつか」に入るくらいの水準を保っています。

同性結婚も2010年に法律の中に組み入れられました。世界では九番目とか。もちろん今でもいろいろと不備や偏見はありましょうが、これまでの状況や、日本を含む世界各地での状況を比較に取るならば、良く健闘していると言って過言ではないでしょう。

もちろん、二十年の間、順風満帆で権利が拡張してきたわけではありません。大変な人権無視の体験、ひどい差別の経験をした人も多いですし、ゲイの権利に賛成の側と反対の側で非常に「熱い」議論もありました。

国民教会はそのような議論の中で、かなり重要なポジションにありました。教会がどちらに回るかで、議論の流れは大きく変わり得ましたから。教会内部も賛否が完全に半々に割れた時期があります。

私自身もかなり積極的にその議論に参加しました。私は2002年の時点で同性結婚を推す意見を新聞に投稿していましたが、これは牧師連の中でもかなり「過激」な立場だったと思います。当時としては。

社会の中で、そしてことさら教会の中で議論が沸騰したのは、2009年から2010年にかけてだったでしょう。ここではあまり深いところまでは入れませんが、相当な誹謗中傷、個人的非難、脅迫のようなものが議論の中で乱れ飛んだと記憶しています。

そういう過程を経なければ、人権は拡張されないのです、残念ながら。静かに座っていただけでは、権利は歩いてきてはくれません。

ひとつ面白い経験をしました。賛否の両側からなんですが、私がゲイの権利に肩入れしていると「なぜそんなにサポートするのか?」と訊いてくるのです。言わんとしていることは「お前もゲイなんだろう?」ということ。

要するに「ゲイの肩を持つのはゲイだけ」というような無理解が常識のように蔓延していたのです。

ですが、実はこれは答えるのがなかなかデリケートな質問。答え:「私はゲイではない」 ですが、それを「とんでもない!私はゲイなんかじゃありませんよ!」とか答えたら、もろに自分の心の中にゲイへの偏見があることを示すことになってしまいます。

ですが、ゲイと勘違いされたくもないのです。なぜならバツイチで独り者のワタシは、できれば素敵な女性との良縁を再度手に入れたいのです。ゲイだと思われて女性に素通りされたら泣くに泣けないですからね。




私自身が担当させてもらった同性結婚 海上の船の上での式


社会が進歩したな、と思うのは、そのような質問をする態度というものが、自分自身に対しても、周りの誰かに対しても見受けられなくなったと感じるからです。ああいう経験は、あの時代のあの環境の中でのものだったんだろうと考えます。

その延長でひとつ考えることがあるんですよ。人って、いつ生まれるかによって確かに相当な運の良い悪いがあるなということです。

ゲイの人があるとして、その人が同じアイスランドでも1980年代に生まれたのと、2010年に生まれたのでは、相当に大きな違いがあることでしょう。単にある権利、例えば同性結婚が法的に認められているか否か、というようなことだけではありあません。

周囲が、社会が自分をどう見ているのか?自分の存在は根本的に間違っている、あるいは病的なものなのか?というような、人の存在の根本に関わるところで重荷を背負わされてきた人は相当数あったことでしょう。

Gay Pride の「プライド」というのは、そのような重荷を背負わされた人々の執着した言葉かもしれませんね。今ではそのプライドを高く掲げてパレードに参加できる。

Gayでない人だってプライドはありますからね。プライドとはもしかして、その人の在りようを映す鏡のようなものかもしれませんね。思っていたより奥が深い言葉なのかな?

「ゲイの人たち、今ではすべてOK」とは言えないでしょう。トランス・ジェンダーの人たちのこととか、ここでもまだまだ、私を含めて一般の理解は貧弱なようです。先があります。

が、全体としては良い方へ変わってきた、と考えたいです。完璧はそう簡単には達成できないでしょうが、「社会は進歩する」「人間はより良い理解に達することができる」ということは達成可能なものとしてキープしておくつもりです。


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レイキャビク飲食業 生き残りの確率は...?

2019-08-11 00:00:00 | 日記
八月も三分の一が過ぎてしまい、素晴らしい夏だったレイキャビクも、さすがに朝晩は空気が冷たくなってきました。それでも太陽が出ると、体感気温はぐんぐんと増し、まだ夏は完全には終わっていない感じです。

その反面で人々がバカンスから戻りつつあり、私自身もかなり仕事が入り込んできており、「夏休み的ムード」はすでに消えてしまいました。

八月はいろいろイベントが多い月なのですが、先週の金曜日、9日は毎年行われる「ヒロシマ・ナガサキを偲び、核兵器に反対し平和を願うキャンドル流し」が行われました。

レイキャビクでは今年で34回目を迎えたのですが、レイキャビク以外でも、アクレイリや北西部フィヨルドのパトリークスフョルズルでも行われたと聞いています。

レイキャビク式灯籠流し


私も参加してきましたよ。風がかなり強く、結構寒かったです。せっかく池に流したキャンドルがみな、岸に押し返された形になりましたし、消えてしまったものも数多く見られました。

寒いのと金曜日の夜ということもあり、集まった人の数が例年より少なかったのも残念でしたね。日本大使の北川さんはちゃんとお見えになっていました。




風に押されて岸辺に固まってしまったキャンドル流し


毎回その年に選ばれたスペシャルゲストさんが短いスピーチをします。今年はダヴィ・ソウルさんという牧師さんでした。もとはコメディアンをしていた人でマスコミに繋がりが強い人です。

私はだいたい毎年参加しているのですが、ここ数年不思議に思うことがひとつあります。私は今まで一度もスピーカーを頼まれたことがないのです。へへ すごい思い上がった奴! と思われるでしょうが、私は長い間この社会での公の議論に参加してきましたし、それなりに知られた人なのです。

政治にも少し関係したことがありましたし、宗教も。しかも日本人。なんで呼ばれないかなー?多分、準備をするグループの中に、誰かものすごくワタシを嫌っている人がいるのだろう、と勝手に想像しています。それはあり得ます。(^-^;

さて、今回は木曜日のモルグンブラウズィズ紙で読んだ、レイキャビクの飲食店事情について少しご紹介します。

私自身はあまり外食をしません。「高いから」というのが主な理由です。思い出す限り外食店の値はずーーーーっと高かったようです。外食を避ける第二の理由は「その値段に比してそれほど美味しくはない」ということ。こりゃ残念。

結果、レストラン等々は外から眺める景色の一部でしかないのですが、それでもダウンタウンエリアの飲食店が年中様変わりしていることには気がつきます。飲食業はリスクが大きい、というのはあちこちで聞く話しですね。

モルグンブラウジィズ紙の記者ソウラさんとバルドゥルさんによると、2018年の八月から今年の七月までの一年間に、レイキャビクでは30の新しい飲食店がオープンしました。ほとんどが市の中心部に集中しています。

その反面、その一年間で14のお店がクローズしてしまいました。(アイスランド語では「開いた」はOpnadi、「閉まった」はLokadiといいます。挿入写真を理解していただけるよう念のため)




レイキャビクのダウンタウンに集中する飲食店 緑は開店 赤は閉店
Myndin er ur Morgunbladid


単純計算で生き残り率は50%くらいのものですね。いかにリスクの高い飲食業とはいえ、これは相当シビアな数字に思えるのですが... もちろん咋夏以降オープンした30のお店の中の14が店をたたんだ、というわけではないですが、それでも統計的に見て、成功する、というか生き残る可能性が半分しかないんですよ。

実は私の知り合いのアフガニスタンからの元難民の夫婦が、つい先日「Afghan Style」というアフガン=ペルシャ料理のファストフード店を開いたばかり。彼らには生き残って欲しいものです。

「観光業協会」のディレクター、ヨハネス・ソウル・スクーラソンさんの話しによると、飲食業を圧迫しているふたつの要因があるとのこと。

「第一の理由は、今年の七月ですが、外国からのツーリストが昨年の七月に比べて14%も少なくなっているのです。レイキャビク中心部の飲食店は、その需要の35%が外国からのツーリストからのものとされています。

言うまでもなく、この観光客の減少は春のWOWエアの倒産が大きな理由ですし、それと前後してアイスランド航空が、所有するボーイング787Maxを『凍結』せざるを得なかったこともあります」

ボーイング787Maxというのは、去年の十月にインドネシアで、また今年の三月にエチオピアで、どちらも就航まもないのに墜落したことから「欠陥機」疑惑が世界中で湧き上がった機種で、世界の各航空会社が調査が終了するまで「お蔵入り」にしているものです。

いずれにしても、アイスランドまで運んでくれるハードウェアが激減してしまったのですから、これはアイスランドの観光業界にとっては悪夢であることは確かです。

「もう一つの理由は」とヨハネス・ソウルさん、「人件費、つまり従業員の給与がアップしたことですね」この冬に書きましたが、今年は組合が高い要求を突きつけ、しかも勝ち取っていました。

春闘!? 怒れる人々の挑戦


立場を変えて、実際の飲食店の営業者はどう思っているのでしょうか?記事は続きます。

レイキャビクのダウンタウン、あるレストランのオーナー。「経営がむずかしいのは、第一に人件費の高騰。第二に食材の値段の高騰」とのコメント。

別のオーナーも同じようなコメントをしています。「店の売り上げなんですが、そのうちの30%が食材費、30%が人件費、さらに30%が建物の家賃という感じでやってきました。もうけは残りの10%だけです。

ところがここにきて、さらに人件費がアップし、他のお店の例ですが、給与費が売り上げの50パーを越すところも珍しくはないですよ、今は」

まあ、これはオーナー側の言い分ですから、そのつもりで聞いてください。それでももし給与のアップがもとでお店がつぶれているのなら、これは労使間の古典的な課題に戻る気がします。




元難民の知人がオープンした「Afgahn Style」うまく軌道に乗りますよう
Myndin er ur Visir.is


私の個人的な感想ですが、そもそも「観光業ブーム」に安易に当て込んで始めるビジネスが多すぎるのでは?市内のいたるところで新しいホテルを建築してきましたが、あれだってもし観光客が「減少の一途」となったらどうするのでしょうか?

レストラン、ホテルだけじゃない。国内ツアー会社、レンタカー会社、お土産屋さん等々。こいつら一蓮托生という奴ですよ。

まあ、でもそれを言ったらビジネスで「ひと山当てる」というのは、みなそのようなものかもしれないですね。ワタシはビジネスセンスはゼロなのでこれ以上口を出すのは止めておきましょう。

最後にかすかに明るい話題。WOW倒産のあおりで一挙に失業者が増えた春でしたが、六月の失業率は3,3%となり、五月の4,8%からだいぶ持ち直しました。

それでも6.800人の人がいまだ失業中。明るさ満点とはいきませんが、Betterではあるようです。


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夏休みの最後の砦 の週末

2019-08-04 00:00:00 | 日記
八月になってしまいました。というと何か悲観的に響くかもしれませんが、これまでも書いてきましたように、アイスランドでは皆が顔を合わせれば挨拶がわりに口にするほどの良い夏に恵まれています。

ですからその「夏」をキープしたい気持ちになってしまい、ずっと七月でいて欲しくなっていたのです。

もっとも八月になったものの好天は持続してくれています。この週末、つまり八月の第一の週末なのですが、Verslumannahelgiヴェルスルマンナヘルギと呼ばれお祭りの週末となっています。週明けの月曜日も祝日でお休み。

このヴェルスルマンナヘルギは、現在では「野外どんちゃん騒ぎ」の機会として定着しています。ヴェストゥマンナ島を始め、国内の多くの場所で「野外どんちゃん騒ぎ」の会場が設営されています。

ヴェストマンナ島のお祭りは特に有名で、昨今は外国からの観光客もいるので、何万に届く群衆が集まるようです。何が面白いやら... 言わずもがな、でしょうがワタシにはほとんど関わりのないお祭りです。




昨年のヴェストゥマンナ諸島での野外パーティーの様子
Myndin er ur Visir.is


たとえ雨天でも相当数の人が参加していますので、この夏のように好天が保証されている暁にはどんだけー?という感じがします。

この週末の関してはこちらも
八月のアイスランド「準備中」


ところで、このVerslumannahelgiですが、Verslunヴェルスルンは「商店」 mannaマンナは「人々の」helgiヘルギは「週末」を意味しますので、日本語にすると「お店で働く人たちの週末」という感じになるでしょう。

一昔前というか、二昔前くらいには商店関係の人たちは、あまり休みが取れなかった、とかで、骨休めをしてもらおう、ということでできた祝日と聞いています。

ですがその二昔前には、商店は日曜祝日はお休み、かつ夏休みもガッツリ取っているように見ましたので、本当はただ祝日を持ちたいだけだったのではないか、と私は疑っています。(^-^;

で、少し最近になって一昔前ですが、この週末は本当にすべてのお店が閉まって、皆がお休みを取っていました。当然ですよね、そのために作った祝日なんですから。

当然、それを見こしてこの週末に必要になるものは、事前に買い物を済ませておくことが必要でした。クリスマスや復活祭(パスカー)の前と同じような感じです。




21度という信じ難い数値が観られた先日の天気予報
Ur Vedur.is


今年もその感じで買い物を済ませておかないといけないなと思い、ネットであちこちのお店がいつから閉まるかチェックしようとしました。そしたらですねえ、週末を通してずーっと営業しているお店(ここではスーパーマーケットですが)が多いのです。

私が良く行くお店、Hagkaupハグコイープではお休みの通告はまったく見当たりません。同じくわりと良く行くお店Krinanクローナンは「週末を通して営業します」と宣言しています。

もう一軒良くお買い物するNettoネットウというスーパーは「5日の月曜日は以下の店舗が営業」というように、月曜日だけお休みになる店舗があることを知らせています。

めったに行かないBonusボーナスというブタのマークのスーパーは「(全店舗で)月曜日はお休みです」とアナウンス。同じくめったに行かないIcelandというスーパーも「月曜日はお休み」宣言。

そのほか、スーパーというよりは日本のコンビニに近い10/11ティーユエトゥレブというお店のHPにも何のお休み通告もありません。

こうしてみると、全般的に「休みにしない」という方向に向かっているような気がします。休むとしても月曜日のみ、とか。

もちろんアイスランドでもお店の商戦は激しいですし、一日の売り上げがなくなるというのは大変ことでしょう。ただ、お休み返上という気風を加速させている要因がふたつあるように思われます。

ひとつは外国人観光客の存在です。十年余り前の経済破綻から、アイスランドがこれほど急速に復興できた理由のいの一番が、観光業の成功にあったことは誰もが認めています。

現在、観光客を抜きにしてのこの国の経済は考えられなくなっています。当然のことですが、観光客の皆さんは毎日のようにお買い物ができないと困る人たちなのです。

私がこの国に移ってきた前世紀末(!)の1990年代では、例えば復活祭前の「受苦日」の金曜日(キリストが十字架刑になったことを偲ぶ休日)などには、文字通りすべてのお店、カフェなどがお休みになっていました。

すると、たまたまその時期にアイスランドに滞在していた外国人の人たちが非常に困ったハメになることがありました。当人たちもびっくりしたでしょうね。産業が発達している国、例えば日本やイギリス等々から来ていた人だったら、「すべてのお店が閉まる」というような事態はまったく頭になかったろうと想像します。

観光立国となっている現在、そのような事態は由々しいことになるわけです。




「お休みにはならない」宣言をしたKronanというスーパー
'Ur Kronan.is


もうひとつの要因は、これも外国人がらみなのですが、移民労働者の増加です。経済の盛り返しに連れて、移民労働者も帰ってきました。端的に言って、移民労働者は景気の良いところへ集まるのです。

今現在のアイスランド在住外国人は三万五千人くらいを数えます。ワタシもその中のひとり。移民労働者は経済の底を支える力なのですが、同時にホスト国の、この場合はアイスランドの文化伝統に縛られていない、という特性があります。

ですから、国の祝祭日に働くことにそれほど抵抗がなかったりするのです。ちなみにこの同じ特性は「アイスランドの文化社会に適応しようとしない」とかいう批判の的にもなったりします。はっきりいって、言う側の勝手ですが。

しっかりとデータを取って考察しているわけではないので、あくまで私の勝手な推測ですが、移民労働者の存在は、お店が「休みにしない」宣言をさせている原動力の一部になっているに違いありません。

そういえば、六月に東京のコンビニで思ったのですが、本当に外国人の店員さんが多いですね。大体はアジア諸国からの方々とお見受けしました。しかも皆さん、日本語が上手。

これもデータを取ったわけではないのですが、「新橋界隈のコンビニの店員さんは『みんな』外国人」と感じてしまうほどの数でした。これらの人たちが日本で気持ち良く仕事ができていることを願います。

アイスランドへ戻りますが、この週末、私はもちろん「野外どんちゃん騒ぎ」には参加しません。自宅で静かに本を読んだり、料理をしたり(息子が夏休みで帰宅しているから)、Avengers EndgameやJosh Gatesを観たり、 そしてしょうもないブログを書いたりして過ごしています。

Verslumannhelgiは、またの名を「夏休みの最後の砦の週末」と言います。ワタシが言ってるだけですが。この週末が開けちゃうと、いやでも「夏休みは終わった」ムードが押し寄せてきます。「夏」、まだ名残惜しいぞ!!


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