レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

Be nice! 先手の笑顔

2018-09-30 03:00:00 | 日記
秋の向こうに冬が見えてきています。今これを書いているのは九月二十八日の金曜日の夜なのですが、今日のレイキャビクは「嵐もよう」で、風が強く、かつ時折雨脚も激しくなり、心地良い天気ではありませんでした。

そんな天気の中、私は午前中に行きつけのスーパーへ、少々の買い物をしに出かけました。もちろん、カッコいいマツダCX-3に乗って。

金曜とはいえ平日のこの日、私は自宅で勤務をしていたのでした。オフィスの引っ越しが終わり、一応の片付けも済んで落ち着いたので、実はオフィスに出向く気は満々だったのですが、自宅勤務に切り替えたのです。

新マイオフィスは、前にも書きましたように、教会の小ホールの一部 -正確にはキッチンに隣接する一角- を利用して作られました。で、この小ホールなのですが、実は大きなイベント等の際は、可動式の折りたたみ式壁を収納して、隣りの大ホール部分との境をなくし、「特大ホール」とすることができます。

今日(金曜日)は、実は午後に上階の教会でお葬式があり(私が担当するわけではないのですが)、その後、こちらの習慣である「お茶の会」が階下のホールで行われることになっていたのです。そのため、ホールは「特大ホール」となっており、百五十人くらい?分のお茶席が、木曜の夕方にはセットされていました。

そういうことは何度も経験してきていますが、お葬式の参加者に周りを囲まれてオフィスでひとりで仕事をする、というのはなかなか難しいことなのです。なんせ多勢に無勢、なんというか「お門違いが一人混じっている」感が拭えないのです。

というわけで、今日の金曜日は自宅勤務日となりました。実際には、娘と久しぶりにランチに出かけたりしたので、限りなく「自宅サボり」に近い一日となりましたが...




嵐模様のレイキャビクの港 娘とランチのお店より展望


話しが逸れてしまいました。なぜ平日なのに自宅にいたかの言い訳をしたかったのです。さて、スーパーでお買い物目的のバナナ、ブロッコリーその他二、三点をカゴに入れた私はレジに向かいました。

レジ係はタイ系と思しき女性で、これまでも何度もレジをしてもらってきた人です。

しかしです。私はこのヒト、あまり好きではありません。なぜなら、挨拶もしないし、愛想がまったくないからです。

他にもレジが空いている時には、この女性を避けることのあるのですが、今日は平日の昼前で、空いているレジはひとつだけ。仕方ない。案の定、今日も笑顔も挨拶も抜きで接してきたので、こちらも同様の作法で買い物を済ませました。

この女性のレジで会計を済ませると、必ず「リチュアル」のように頭に浮かぶ「思考プロセス」があります。

まず、この人は私のことを個人的に嫌って、ああいう態度を取っているのか?そういうことではないとは思うのですが、ここは小さな社会ですし、私は新聞や雑誌に登場することも時々ありますので、私のことを知っている人も大勢います。

さらに正直に言うと、私のことを嫌っている人も多くいます。更に言えば、「蛇蝎のように嫌っている」人も何人かはいるでしょう。そのこと自体は気になりません。ある意味では自分に対する賞賛のようなものと受け取っていますので。

だから、もしかしたら、このレジのお姉さん(おばさんかな?ウーン、年齢は察し難い... アジアの女性は... )もその口かも。でも、他のお客さんに対しても、それほどにこやかに振舞っている気はしないので、おそらく個人的なことではないのだろうと察します。

この想いに続いて必ず出て来るもうひとつの思いがあります。それは「お前の方から、先手を打ってにこやかに挨拶をすれば、向こうも挨拶を返すかもしれないだろうに」ということです。

「お前の意識の中に『お客様』意識があって、『そっちから挨拶しろ』みたいなオーラが出ちゃってんじゃないの?」

そうなんです。これがいつも自分でも考え込んでしまう点なのです。

先へ進む前に一言説明しておきますが、アイスランドのスーパーのレジは、日本のように礼儀正しい規律が行き渡っているわけではありません。挨拶しないどころか、買った品物をヒョイと横へ放り投げるような輩さえいます。最近は以前よりはマシになった感はありますけど。

それでもドイツに滞在していた日本の友人が訪ねて来た際に、この話題になり、彼が言うには「ドイツはもっとひどい。『買わせていただく』感さえあるよ」ギョギョ! ですね。世界のスーパーのレジの文化をまとめてみたら面白いかも。




ようやく納まった新マイオフィス


元へ戻ります。私は極めて普通の振る舞いをする人で(でも世の中の大半は自分自身のことをそう思っているのかも)、特別に難しい人間ではありません。挨拶されれば挨拶を返しますし、「すみません」とか「ありがとう」とか、心を込めて言われたりすると、「いいんですよ」とか「どういたしまして」とか、心を込めて返します。普通は。

ただ問題なのは、この「挨拶されれば」の「されれば」というところです。相手から、まず挨拶をされれば「挨拶を返す」のです。このレジの女性のように挨拶をしなければ、「挨拶しない」。つまり相手次第。受動的というか、主体性がないのです。

基本的には性格的なものなのでしょうが、スーパーのレジとかで「やあ、マリア、おはよう。今日もきれいだねえ」とか「今日も疲れたけど、あなたのレジで癒される気がします」とか、言えないなあ。

まあ、そこまで「変」にならないとしても、レジの人に「ゴーザン・ダイイン」(こんにちは)は言うにしても、笑顔を振りまくようなことはないですねえ。

でも、それってちょっと「発信力」欠けてますよね?

で、その点を突き詰めることを抜きにして、「レジ係がまずどう出るか?」から自分の態度を決めているワタシとは、あまり賞賛できない、いや牧師さんとしてはまったく評価できない輩なんではないかと思ってしまうわけです。

家の近所には他にもいくつかスーパーがあるのですが、そのうちのひとつ「ボーナス」というスーパーには、何年か前に名物の女性レジ係がいました。ザンビア出身のフランシスカという三十歳くらいの人でしたが、とにかくいつも笑顔で応対してくれるのです。

それでそのお店のお客さんたちの、人気を集め、お店の名物になりました。フランシスカさんのところだけ長―いレジ待ちになることもあったとか。新聞やニュースにも取り上げられるほどでした。

私はそのお店にはめったに行かないので、実際にフランシスカさんにレジをしてもらったことはないのですが、おそらく彼女なんかは「相手の出方待ち」なんていうケチな心ではなく、自分の方から進んで、溢れる笑顔と元気を他人に投げかけることができるタイプなのでしょう。聖人か?

フランシスカさんについてのVisir.isの記事(2009年)


「そういうことに気がついたのなら、それはそれでよし。明日から進んで笑顔で挨拶したらいいよ」と思う方もありましょう。ですが、私がそのことに気がついたのは、もう二年以上も前のこと。

実際、赤十字の雑誌Vertu naes! (Be nice!)に、このことについて寄稿したことすらあるのでした。それから二年。依然としてワタシは相手の出方を待ちながらレジを通過しているようです。

しかも行きつけのスーパーでくだんの女性と遭遇してしまった際には、同じ思考プロセスを何度も何度も繰り返しながら。「進歩がない」というのはこういうのを指すのでしょう。

だから、理屈ではない「何か」が必要なんでしょうね、これを改善するには。天から何か降ってこないとダメかな?もはや他力本願になってきました。

「笑顔ときちんとした挨拶は、伝染するものだ」とかよく言われますよね。私もそう思います。逆に「不機嫌」「ブスッ」も伝染します。人の集まりというものには日常的に接してますので、これは自信を持って言えます。

まあ、だから、どちらかと言えば良いものを伝染させる方になっていたいとは思います。逆になってるかな〜?心配... じゃ。


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ジュラシック・ワールドのマイオフィス

2018-09-23 03:00:00 | 日記
秋分の日となりましたね。日本でも少しは秋っぽくなっているのでしょうか?こちらでは、先週の半ばから急に気温が低くなり、北部では雪も舞ったそうですし、レイキャビクでも朝方は五、六度くらいまで下がっています。

シャツはまだ半袖ですが、ジャケットの上に羽織るのはウィンドブレーカーから、ユニクロで買った薄めのダウンに変えました。冬に向けての第一歩です。

さて、今回は、前回途中で終わりになった、ワタシのオフィスの引っ越しの顛末の続きです。しょうもない話しですみません。それでもアイスランドっぽいところがあると思いますので、ご容赦を。




ブレイズホルトゥス教会 森の中のように見えますが実際は繁華地域の一角


私のオフィスの引っ越し案には、受け入れ先のブレイズホルトゥス教会は諸手を挙げて賛成してくれました。入る部屋がない、という現実をどう打開するかという具体案はないままに。

資産のある教会ならともかく、このブレイズホルトゥス教会は借金こそないものの、運営資金不足が慢性化している「金欠」教会です。オフィスの建て増しなどはもってのほか。

しかも、車椅子の利用者用に、上下の階を結ぶリフトを付ける計画がすでに始まっており、これで必要な二百万クローネをカンパしている最中。

それでも私には多少の案がありました。四月に故郷の八王子へ戻った際、知り合いの素敵なご婦人に「コンテナで作ったカフェレストラン」へ連れて行ってもらいました。コンテナベースとは思えない洒落たカフェで「ホホー」と感心させられました。

それが頭の隅にあったので、「コンテナのオフィスをレンタルしては?」と考えたのです。半分冗談で言ったのですが、意外と受けが良く、詳細を詰めることになりました。コンテナ利用のオフィスや簡易住宅は、こちらでも病院や学校など、ある分野ではかなり普及しているようです。

いい線行っていたのですが、思わぬ横槍が入ったのは、思慮深い長老がいる教会役員会から。「トシキ、ここには他に三人牧師がいて、彼らはちゃんと教会内のオフィスに入っている。

そこへ、『移民のための牧師』だけが、建物に並べて置いたコンテナのオフィスに入ったとしたら、周りからどんなに見えるか、心配になるのですよ」

... シーン... なるほど。確かに。周りからは移民牧師を虐げているように見えるでしょうね... 昨今のマスコミは、とにかく教会のすることをすべて悪意に解釈して(というよりは話を捻じ曲げて)報道する「ポリシー」を持っているので、これはあながち理由のないことでもないのです。

十年前なら、私自身小躍りしてそのようなことを取り上げ、「これぞアイスランド社会の中のオブラートに包んだ移民差別!」とか糾弾していたに違いありません。やっぱり、過去に放った矢は向きを変えて自分に向かって飛んできました。まいったな...

加えて、コンテナのリースは、リース料金はそれほどではないものの、運んでくる運賃が非常に高くつくことが判明。撃沈となりました。




内部はこのように木張りの落ち着いた雰囲気


結局、キッチンに隣接する小ホールの一角を、新たに壁を作って区切り、ドアも付けることでオフィスとすることになりました。それだけでもお金はかかるのですが、国民教会全体のシステムの中での援助金に申請を出すことで、一応収まりました。

で、大工さんが教会へ資材を運んできたのが、九月の七日の金曜日の昼前でした。たまたま行き合わせたので、良く覚えています。そういう大工仕事だから、まあ、早くて一ヶ月はかかるでしょうし、だいたい何だかんだで遅れが生じるものだから、「クリスマス前に引っ越すくらいかな?」と算段を立てました。

ところが、翌々日の日曜日の午後、教会へ来てみると、もう壁の大半は出来上がっている。その翌々日には壁のペンキを塗り始め、水曜の夕方にはドアも付き、天井の電灯をホールとは異なる洒落たものに変えていました。早ッ!! 完成目前。

私は慌てて、自分のヒャットラ教会の現オフィスへ戻り、引っ越しの準備を始めました。ラッキーだったのか、日頃の心がけが良かったからか、ヒャットラ教会に来たばかりの新しいオルガニストの女性は、デンマーク暮らしから戻って来たばかりの人で、そのために使った引っ越し用の空き箱がたくさん。

「使ってよろしいか?」と丁寧に頼むと、厄介払いとばかりに喜んで空き箱を提供してくれました。余談ですが、このオルガニストさん、結構カワユイ女性で、行き違いになってしまうのがチョット残念ではあります。

引っ越しといっても、デスクとか本棚のような大きな家具は、そのオフィスの備品だったので、パッキングは一日で終了。それをカッコいい我がマツダCX-3に積んで、三、四回往復して荷物の搬入を完了。

閑静な住宅街にあるヒャットラ教会から、幹線道路を横切り、バスセンターやスーパー、病院等が入っているモールのある区域のブレイズホルトゥス教会へは、車なら五分の距離です。何度でも行ったり来たりができるので、気楽な引っ越しではあります。

ブレイズホルトゥス教会とは?こちらも


これも余談ですが、この引っ越しの「気楽さ」はアイスランドでは非常に一般的です。レイキャビク界隈の引っ越しなど、すべてその「お隣へ引っ越し」の範疇に入りますから。日本でのような「一回ですべて運ばねば」という緊張感がないのが通常です。引っ越し当日に冷蔵庫の中がそのままだったりすることすら。(経験しました)

荷物の搬入はしたものの、新「マイオフィス」にはデスクも本棚もありません。これらの大きな家具は、監督のオフィスがある教会(本部)事務局から払い下げ品をいただくことになっていました。末端牧師はそんなものです。

ところが、やっと届いたデスクが大き過ぎて、また別のデスクをトライしたりと、いろいろ引っ越しに付き物のすったもんだをするはめになり、ようやく先週の金曜日に、一段落しました。正直言って、疲れた。

ですが、まだ終わってはいません。デスク用の椅子が届いてないし、デスクそのものも不安定で質が悪く、また別のものを探さなくてはなりません。装飾品もまだこれからです。それでも「一応、居場所ができた」という点では、安心できました。

実はこのブレイズホルトゥス教会、写真を見ていただければわかるように、西部劇で見るネイティブアメリカンのテントのような、円錐形の建物なのです。あるいは映画の「ジュラシック・ワールド」で出てきたパビリオンかも?




ジュラシック・ワールドのパビリオン


ですから、内部のオフィスなども、部屋としては当然のように思われている「四角形」のものがありません。なんというか、丸くて芯がないバームクーヘンを八等分して切った時のように、カーブした部分のある部屋が多いのです。

当然、それに合わせてデスクや棚を配置しなくてはいけないので、多少やりにくい点があります。マイ・ニューオフィスもいびつな変な形をしています。それに、荷物を並べて見て実感したのは、やはりヒャットラ教会の前オフィスよりは一回り小さいようです。不必要なものは物置行きにしないと。



一応片付いたニューオフィス


まあ、これから先はのんびりとアレンジしていきます。建物としての教会というのは、デザインがいいとか悪いとか、また管理が行き届いているかどうか等々とは別に、自分にぴったりくるかこないか、なんていう面もあるのです。

その最後の点で、私はこのブレイズホルトゥス教会はお気入りの教会なのでした。ですから、ここにオフィスを持てるのはHappy!ということなのでした。

これが最後のオフィスになる可能性大ですからね。豪華なオフィスではありませんが、お気に入りのところへ来れたのはありがたいことです。これからここをMy Spaceにしていきます。


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女性の城と... 初老の居候牧師

2018-09-16 03:00:00 | 日記
九月も中旬に入りました。今、このブログを書き始めた14日金曜日の午後六時半、窓の外にはまさしく秋晴れの青空が広がっています。今日はレイキャビクでは金色の陽光が注ぎ込む、清々しい秋の一日となりました。

日本では、大方二十度後半の気温のようですが、ところによっては三十度越えのところもまだあるようですね。ハタから見ていると「ニッポンって、暑い国だったんだなぁ」と感じ入ってしまいます。

前々回、前回とチョープライベートなトピックで、ダイエット等について書きました。別にレイキャビクでやろうが、東京でやろうが変わりないダイエットだと思うのですが、いつもいつもアイスランドべったりのトピックがコロがっているわけでもなく、私自身にも「書きたいこと」というものがありますのでご了承ください。

さらに、このブログに目を通してくださる奇特な皆さんの中には「特別な行事とかでなくても、普段のアイスランドでの生活についても知りたい」という方もあるのです。

そういう声を、自分に都合のいいように解釈させていただき、今回も特別なイベントでも、特記すべき印象的なことでもない、平凡なプライベートの一端について書かせていただきます。

最近の過去三年くらいと異なり、そんなに多忙でもない夏(六七月)を過ごした私は、その間「この世の春」とばかりにダイエットや(十八年ぶりの)筋トレを楽しみながら過ごしました。おかげさまで、健康状態は抜群です。

八月になってから、教会へ訪れる新しい難民の人たちが増えてきたこともあり、仕事量はだんだんと普通に戻ってきましたし、八月中旬になって教会でも新年度が始めると、やや忙しめの状態になりました。

九月になりますと「結構忙しいね」的な日々に入り、週の予定の組み替えなどが頻繁に必要になってきました。それはそれで、全然構わないのです。ですが、今週は相当忙しく、かつせわしく過ごさざるを得ませんでしたし、来週も引き続きそうなりそうです。なぜかというと、オフィスの引っ越しがあるからなのです。




ヒャットラ教会
Myndin er ur Hjallakirkja.is


私は、三年前の十一月にから、レイキャビクの隣りの町のコーパヴォーグルというところにあるヒャットラ教会というところにオフィスの居候をしています。閑静な住宅地にあるきれいな教会で、非常に良いオフィス環境です。

ヒャットラ教会への引っ越しについてはこちらも

さらにヒャットラ教会について



ところが、ひとつだけ難点があり、どこにあるのかが非常にわかりにくい教会なのです。教会(堂)というのは、わりと自己主張が強い性向があり「ここあるぞ!」ということを知らしめるような造りのものが多いのものです。

ですが、このヒャットラ教会は控えめというか、奥ゆかしいというか、その真ん前にやってくるまでは「そこに教会がある」ということに気がついてもらえないような造りなのです。

加えて、バスでやってくるにもちょっと不便なところにあります。バス停は教会の真ん前にひとつあるのですが、その反対側の方面からくるバスは、通り二つ分離れたところに止まってしまい、そこから教会までの道筋がわかりづらいのです。

一方で、私がお世話している集会は、難民の人が中心ですから、アイスランドに到着してまだ間もない人が多いわけです。で、その人たちが教会を見つけ、またそこまでやってくるのに相当苦労する様を見ていた私は決断しました。

去年の夏から集会の場所を、隣りにある教会で立地条件が全く違うブレイズホルトゥス教会というところへ移したのです。この教会はバスのハブステーションの隣りにあり、かつユニークな目立つ建物なので、迷う人はまずいません。

そういうわけで、私はオフィスのあるヒャットラ教会から、週一の集会の度に隣りのブレイズホルトゥス教会へ通うことになりました。

ところが、日が経つにつれて、定例の集会に加えて、特別に面談をしたり、打ち合わせをしたりということも多くなっていき、オフィスにいるよりも、ブレイズホルトゥス教会にいることの方が多くなってきました。

それでいろいろ話し合った結果、オフィスそのものを移すのはどうか?という話題になったわけです。




コージーなヒャットラ教会のマイオフィス 文句なしです


さらに、同じ時期ですが、ヒャットラ教会にも新しい状況が生まれました。ヒャットラ教会は、先に書きました様に控えめな教会で、常駐しているフルタイムのスタッフは五人しかいません。教区主任牧師、牧師(副牧師のようなものですが、そういう名称を使いません)、オルガニスト、ハウスキーパー、そして居候牧師の私です。

私が居候を始めた2015年11月以降、ひとりまたひとりと、新しいポジションへと転身が始まりました。まずは牧師、続いて主任牧師。そしてこの夏にハウスキーパーが新しい人になり、さらにこの九月からオルガニストも新しい女性に。

別に、教会にタタリがあって、皆が恐れて逃げ出しているわけではないんです。皆、其々のきちんとした理由により、新しいポジションにチャレンジしていきました。結果、三年経ったら、居候の私が一番の古顔になってしまったわけです。

さらに気がつけば、私以外はすべて女性。しかも平均年齢、ワタシより二十歳くらい若い?先日のスタッフ会議など、フルタイムスタッフの女性軍四人に加えて、パートの子供係の女性が加わってぺチャペチャキャーキャー、まあ楽しそうなこと。

幸か不幸か、私はそのスタッフ会議に出席の義務はないので、楽しさのお裾分けはありませんでした。ホッ...

実は私は「女性ばっか」の職場状況にはかなり慣れていました。アイスランドに来てからなのですが、私自身「清く正しく美しい」心を持っていますので、特に問題もなくやってきました。

ですが、今の状況は、年齢的に二十歳以上離れている女性軍団なので、多少「世界が違う」感は否めません。退散の時期かも。




ヒャットラ教会 別角度から 教会には見えない(*^^*)
Myndin er ur Hjallakirkja.is


というようなことは、直接には関係しなかったものの、私のブレイズホルトゥス教会への引っ越しは、七月の始めには決定的となりました。

ところがそこには、まだ越えるべき大きな障害があったのです。ブレイズホルトゥス教会は、既に他のスタッフがビッチリ詰めており、私のオフィスになり得る部屋がないのです!

ここはヒャットラ教会とは違い、スタッフが多い教会です。地区の地区長である牧師さんとその秘書の方、地区所属の牧師、教区主任牧師、オルガニスト、ハウスキーパー二人、全教会の高齢者のためのケアサービスの責任者であるディアコニッサ(牧師のように特別な教育を受けて任命されるポジションです)と、常駐八人。

教会そのものはそんなに大きくないので、使える部屋はすべて使い切っていますし、地区の牧師さんなんか、物置を改造したオフィスに閉じ込められています。非常に背の高い人なのに。

実はこの牧師さんは神学博士号をふたつも持つ学者さんで、オフィスよりは自宅の書斎にいる方が多い方なのでした。

いずれにしても、そのような満杯の教会に、新たに居候など「話しにならないではないか!?」と思われましょうが、そこがアイスランド。ノー天気でThetta reddast セッタ レッダスト「何とかなるさ」

本当に何とかなるのでしょうか?

というところで、長くなりましたので、続きは次回持ち越しです。他愛もない話しで申し訳ありませんが、実際の生活とはこんなものなのでした。


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還暦 ダイエット ダルビッシュ

2018-09-09 03:00:00 | 日記
非常に大きな勢力を持った台風21号の上陸で、西日本を中心として大きな被害がまた出てしまいました。亡くなった方が十一人、負傷者は五百人以上とか。また、関西空港が浸水のため孤立化してしまったとかで、これも大勢の方が大変な思いをされたようですね。

その直後に、今度は北海道の地震。こちらでも亡くなった方が二十一人、さらに不明の方が十三人もいらっしゃるそうです(8日夜時点)。さらに北海道全域が停電になってしまったとか。

酷暑の夏に加えて、二重三重の自然の猛威という感じがします。亡くなられた方々に弔意を表し、また被害に会われた皆さんにお見舞い申し上げます。救済や諸事の復旧作業のために力を注がれている皆様のこともお祈りさせていただきます。

レイキャビクでは、結局夏らしい夏は来ないまま終わってしまいましたが、まだ秋になりきってはいません。つまらない夏でしたが、反面、被害をもたらすようなストームもありませんでしたし、まあ、これで文句を言ったらバチが当たるでしょう。

さて、前回少しばかり、私が春の終わりあたりからはまり始めていたダイエットのことを書きました。その中でも触れましたが、ダイエットとかは、とにかく皆が皆様々なことを主張しますので、別に「これじゃなきゃダメ」という性格のものではないのだろうと思います。もちろん、糖尿病その他の栄養管理を厳しく行わないといけない条件がある場合は別ですが。




ケトジェニックダイエット
Myndin er ur Quora.com


Workout Youtube「Athelearn-X」で大変人気のあるトレーナーのジェフ・カバレロさんも、ある回で「ケトジェニックダイエット」について述べた時、「自分にあった食事法というのがあるものだから、『これ以外は間違っている』というのだけはやめてくれ」というよう意見を述べられていました。アーメンです。

加えて、ダイエットが、フィットネスやワークアウト(昭和な私は「筋トレ」と言いますが)、ヨガ等と結びついて、これほど普遍なトピックとなっているのは、それが人それぞれのライフスタイルと密接に関連しているからではないか、と考えます。

だから、朝の金色の陽光の中を、毎朝三キロジョギングして、フルーツとヨーグルトの朝食を取る人がいたとして、それはジョギングが身体に持たらす有酸素運動の良い影響と、フルーツとヨーグルの栄養バランスだけが目的なのではなくて、そういう風に一日を始めるライフスタイルをその人が求めているものなのだ、と思うわけです。

いいことですよね。まあ、たまに(あるいはもう少し頻繁に)、きつめのお顔のおばさんが、これもきつめのタイツをまといながら、外から丸見えに仕様したフィットネスジムで汗を流しているのが(嫌でも)目に入ることがありますが、その際の「どう?このワタシを見て!」的オーラは遠慮したいところです。

そういうのを偏見というのでしょう。そういう目で人を見るから、自分もどう見られるのかと恥ずかしくなって、ジムに行けなくなっちゃうんだよな。反省します。気持ちはこもっていませんが。(^-^;

とにかく、私も週四回ペースで筋トレをするようになり、それに合わせて食事も変えてきているわけです。ケトジェニック的な方法を取っているので、パンやご飯、麺類にはサヨナラしています。肉、魚、野菜には食らいつきます。

「六十歳直前にしてなぜそんなにつまらないことを?好きなものを楽しめるうちに楽しんだ方がいいのではないか?」ということも頭に浮かびました。「還暦前に筋トレしたって、さすがにもう手遅れだろうが?」という声も聞こえてきました。




超人気のワークアウト指導Youtube Athlearn-X
Myndin er ur AthlearnX.com


ですけどね、筋肉はちゃんとできてきますよ、還暦前でも。体脂肪も減って行きます。これは誰もがが体験できることではないでしょうから、私自身の「実際体験」でお話ししておきます。

そんなにメチャきついワークではなく、自宅で一時間弱のエクササイズでも、週三、四回ペースで続け、さらに自分用のダイエットに専念してみたところ、三ヶ月で身体の成り立ちは驚くくらい変わりました。

もとより極太ではありませんでしたが、お腹はポッコリの見本で、気を抜いていると「五ヶ月くらいですか?」になってしまっていました。なんせ、身長168,5cmの体重67kgでウェスト85cmのジーンズが苦しく感じられる毎日でしたから。

今現在は、ベルトをきつめにしないと、ズルけて脱げてしまいそうな気がします。寝起きになんの力をいれていなくても、お腹は平らですし、腹筋もそれなりに割れて見えます。ビミョー。シクックスパックバキバキとまではもちろんいきませんが、「夢じゃねえよ」という気になれるくらいです。還暦二ヶ月前のおっさんとしては全然悪くない。

そうなってくると、これはこれで楽しいのです。好きなもの食べて、だらしのないボディを保つよりは、白米ガマンしたってシックスパックの夢をぶら下げている方が楽しいです。

もう少し正確に言うと、「ダイエットが楽しい」「筋トレが楽しい」という個別のことというよりは、「それらをひっくるめて生活を設計する」ことが楽しく感じられるのだと思います。だから、きっと、それが私の求める「ライフスタイル」になったんでしょうね。

なんでもっと早くそうしなかったのか?という大きな疑問は残りますが。それは、またの取り組み。それはそれなりの理由、言い訳、開き直りがあろうかと思います。

ところで、そういった筋トレやダイエットのYoutubeとかを、いろいろ見ているうちに、大リーグはカブスのダルビッシュ選手も「ケトジェニック」実践者であるということを知りました。

私は大リーグのファンでもあるのですが、ダルビッシュ選手の場合は、以前からのマスコミの報道などでなんとなく「ものの言い方を知らない」「気に入らない」感を持っていました。で、特に応援もしなかったのです。




現在はシカゴカブスのダルビッシュ投手
Myndin er ur Chicago.cbslocal.com


ところが、そのダルビッシュがアリゾナの自宅にカメラを招いて、食事法とかを紹介したテレビ番組のビデオを観て驚きました。三年くらい前の番組だったと思うのですが、とても礼儀正しく、かつ誠意を持って取材の人に応じていたからです。

まあ、これこそ私の偏見でしたね。それから、ダルビッシュ選手の他の番組でのインタビューとかも観てみたのですが、やはり率直でかつきちんとした仕方で話をしますね、彼は。「嫌い」一転してファンになりました。今シーズンはまた肘を痛めているようですが、来シーズン前に完治してもらいたいものです。

話し方だけではなく、語っている内容も実のあることが多いです。ダイエットについても「自分の意思の問題だし、(プロ野球人としての)優先順位ということもあるし」 やはりライフスタイルに通じるものがあります。

「自分には絶対責任があると思うんです。... 生まれつき障害があって、野球をやりたくてもできない人だって絶対いるし。そういう人が、もし野球をやれたとしたら、ここまで(徹底的に)賭けてくると思うんですよね。それに気がついてから、僕も変わりました」

と、いうとうようなことを語ってくれていました。他にも、興味深いことを言っていましたが、それはまた別の機会に。

話しの軸がずれてしまったようで、すみません。ですが、それが面白いところなんです。ダイエットに続いて、筋トレが始まって、そのふたつが相乗効果でどんどん深まっていって、生活の中のひとつの軸みたいになります。

それが、またダルビッシュ選手とか外の世界の人たちの生き方と出会ったりして、またまた幅ができたりするわけです。

さて今回の締めは、ダイエット、筋トレに迷っているかもしれないご同輩諸氏へ。やったほうがいいですよ、遅くないから。やればできる、Yes, You Can!


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ダイエットは宗教だ「転び」ケトジェニストのつぶやき

2018-09-02 03:00:00 | 日記
九月になりましたー。

以前にもきっと書いていると思いますが、九月になるたびに頭の中に条件反射的に「September そしてあなたは September 秋に変わあったー」と、宇宙人のような竹内まりあさんの歌声が聞こえてきます。

私の世代の人はきっと身に覚えがあることと思います。と言って無理やり周囲を巻き込むのは良くないか? (^-^;

さて、前々回ちょっと私がこの頃取り組んでいるダイエットについて触れましたので、もう少しその続きです。

始めにお断りしておきますが、私は栄養学とか生理学の専門家でもなんでもありません。ここで私が書きますことは、そういう専門的議論の範疇ではなく、あくまで私個人の私生活内の体験記の一部ですので、ご了承を願います。専門的見解をいろいろコメントでいただいても返答に困りますので。

ダイエットとかに関心を持たれたことのある方なら、誰でも気がつかれると思いますが、素人にとって困ることは「みんな、言ってることが違うじゃないか!」という事実でしょう。

ある専門家は「朝食はきちんとがっつり取ること」と言い、別の人は「朝はバナナ一本のみを食べるべし」と言います。ある別の人は「ある期間の絶食は身体の内部の解毒になり良い」とおっしゃいますが、これまた「絶食状態は身体にアラームを与え、栄養分の確保に走らせるから太るもとになる」と宣います。どれが正しいものやら... ?




実際の私のダイエット食 タラと野菜


そういう諸説混沌の中から「これ」というダイエット法を選び出して、実践するのは、もうほとんど宗教に入るのと同様の感があります。

まあ、多少の共通の傾向というか、皆さんが辿っている道は、第一に、それなりの「理論家」つまりは「教祖様」がついている、ある程度理論がしっかりしている「派」を選ぶ、ということでしょう。

ということは、要するに「フィットネストレーナー」とか「栄養学博士」とかの肩書きが裏付けているかどうか、という「肩書き信仰」でもあります。

あるいは、第二に、そしてこれが最も一般的ではないかと思えるのですが、「あの人がやってるから」という「憧れ」を見つけて、その憧れに基づく情緒的信仰に頼る、というものです。

確かに、夢見るスポーツヒーローやアイドルが「私はこういうダイエットをしています」と言うのを聞いたら、それだけで「その同じ道を歩もう」的なモチベーションになり得ますよね。

そのスポーツヒーローやアイドルが、そのダイエットの「結果」として目に映るわけですから、これは説得力はあります。そのアイドルと自分を直に並べるという論理的飛躍が相当あるとしても。

前置きが長くなりました。こういうことを書いたのは、他ならないワタシ自身その仲間だからです。自分でも「分かっております」と言っておきたかったのでした。(^-^;

さて、そのような群雄割拠のダイエット戦線の中で、私が「これ」と思って、ここのところ実践しているのが「ケトジェニック・ダイエット」という食事法です。




ケトジェニックについての解説書


これは非常にシンプルに言うと、「身体のためのエネルギー源を、糖分から脂質にシフトする」というダイエット法です。糖質制限の代わりに、タンパク質、つまり肉類や魚類を比較的多く摂取し、さらに脂質も多く摂取します。

詳しく書いていると、何ページにもなりますので、詳細は例えばこちらをお願いいたします。

肉を食べて痩せる!?話題のケトジェニックダイエットを分かりやすく説明


ですから、大きなカテゴリーの中では「糖質制限ダイエット」の範疇に入るのでしょう。糖尿病の方のための食事法として、発展してきた歴史を持つのだそうです。

というわけで、糖分を制限しています。これはもう五月くらいからしていたのですが、先の七月からははっきりと「糖分は一日で60グラム以下」を目指しています。(シビアなケトジェニックでは一日10グラム以下にするそうです)

コーヒーや紅茶は甘くして飲むのが好きだったのですが、今はストレート。ケーキ類の甘いお菓子は、もともと「なくても大丈夫」派なのでこれは苦労しません。

問題はやはりごはんや麺類で、これは大好きな部類なのですが、白米のごはん茶碗一杯で55グラムの糖分になります。ちょっと難しいなあ。で、Good bye rice となりました。七、八月の二ヶ月で白米を口にしたのは、友人、家族と寿司パーティーをした二回だけです。

ラーメンやおそばも大好きなのですが、昨夏以来の「塩分制限」のおかげで、だいぶ食べる機会が減っていました。そのおかげで、これもそんなに困難を覚えることなく絶食中です。

野菜は非常に多く取るようにしていますが、野菜にも糖分はあります。レタス100グラムで1,4グラム程度。キューリを50グラム食べれば1グラムの糖分が体内に入ります。糖分一日60グラム制限の半分は、野菜で埋まってしまいます。

食物繊維一日20グラムを目指していますが、生野菜では到底無理です。相当セロリ、レタス、キャベツを食べまくっても食物繊維の量は10グラムがやっと。これはサプリに頼らざるを得ないところです。

ちなみに、食物繊維は炭水化物ではありますが、糖分には勘定されません。糖分は炭水化物から食物繊維分を差し引いて計算されます。

私の感想では、ケトジェニックの最大の難関は、糖分の制限ではなくて、脂質の摂取にあります。欧米でのケトジェニックのガイドでは「総カロリーの5~7割を脂肪で摂る」ように言われています。

例えば、私は一日2000カロリーを摂るのを標準としていますが、その半分は1000カロリー。これを脂肪分に換算すると(脂肪1グラム=9kcal)、ほぼ111グラムとなります。ガイドのお勧めの脂肪摂取最低ラインの5割にして111グラム。

ごはんを食べないのはがまんできます。野菜をたくさん食べるのも大丈夫です。ですが「一日111グラムの脂肪を食べろ」と言われると、これはなかなかコワイものがあります。毎日、のベースですからね。

ここに至ってケトジェニック・ダイエットの「宗教」としての正体が現れてきました。毎日脂肪分111グラムとは、これは信仰心なくして立ち向かえる量ではない気がします。「ケトジェニック回路」–つまり脂肪分をエネルギーとして消費する回路– が機能しているなら、脂肪は貯まらない、と教祖様はおっしゃいますが、それでも... キョーフ...

「総カロリーの5割は脂肪分で摂れ」という点は、日本のケトジェニックの「お勧め」では、ほとんど素通りされている気がします。そうでしょうね、それを正面から堂々と言えば、門を叩く人はいなくなるかも。

ワタシもその恐怖に打ち勝てず、一日脂肪分80グラム以下を密かな目標においています。できればもう少し少なく。 ワタシはケトジェニストとしては「転び」なのでした...




私のダイエットの友 彼らなくしてダイエットはあり得ないなー


しかし、糖質を制限、かつ脂質もそこそこにしてしまうと、基本的なエネルギー源が足りなくなります。

というジレンマに陥っているのがワタシのダイエットの現状なのでした。

もうひとつ加えると、タンパク質を摂るために、肉類、魚類はよく食べています。これも塩分制限という、本来ケトジェニックには含まれていない、個人的な制限がありますので、多少食べるものに制限がかかってしまいます。

さいわいアイスランドにはタラという、脂質ほとんどゼロの美味しいタンパク源がありますので、これを頻繁に食卓に乗せていますし、牛肉などもそれほど高くないものもあるので、これも定期的に食しています。

「いろいろ制限があって、面白くないし、ストレス溜まるんじゃないー?」と思われる方もいらっしゃることでしょう。そうですね、その辺のことも、いくつか頭に浮かぶことがあるので、もう少しこのトピックを次回で続けたいと思います。

「食欲の秋」の始まりを楽しまれますよう。暑くてそれどころじゃないか?


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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