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レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

野外挙式も素晴らしいものです! 天気が良ければ

2017-07-30 05:00:00 | 日記
レイキャビクではやっと夏らしい日々を迎えています。先の木曜日には気温が21,6度にまで上がり、これは2008年以来の記録だそうです。日本の皆さんには「?!」ではないかと思いますが、これがこちらの盛夏なのです。

天気が良くなると、外へ出て行きたがるのはアイスランド人の習性です。たぶん、日本でも同じでしょうが、日本の場合は気温が「天気がよい」の限度を超えて上がって行きますので、その場合には屋外へ出ようとする足も止まりますよね。

実は私は明後日の火曜日、レイキャビク郊外のHvaleyravatnクヴァールエイラヴァトンという小さな湖のほとりで結婚式を担当することになっています。チャペルがあるわけではなく、周囲を木で囲まれた小さな草はらでの野外結婚式です。

天気が良ければ、それはそれで気持ちの良いものなので、どうか今の好天が持続して欲しいものです。




今週の野外挙式の舞台 クヴァールエイラヴァトン
Myndin er ur Pjatt.is


このような野外での結婚式は、アイスランドでは決して珍しいものではありません。「頻繁に」というところまではいかないでしょうが、「野外で挙式したいです」と言われても、驚くようなことはありません。

こちらでは婚姻は、公式に挙式を司ることができるVigslumadurヴィグスルマーズルと呼ばれる人の前で、新郎新婦が婚姻の約束を交わすことによって成立します。ヴィグスルマーズルというのは主に教会の牧師さんや、他の宗教団体の指導者や地方法務官等々の皆さんです。

挙式後に書類も提出することになりますが、挙式をした後で「やっぱりやーめた」と言って、書類を提出しなかったとしても、婚姻はすでに法的に有効になってしまっています。

ちなみに「新郎新婦」とは言ったものの、実際には「新郎新郎」「新婦新婦」でも構いません。ここでは同性結婚が認められています。

で、結婚式のメインは「約束の交換であって、場所ではない」という基本があることになります。それで、自由に自分たち向きの式を持ちたい向きは「自然の中で」とか他のユニークな場所を希望することもあるわけです。

私自身が担当したわけではないのですが、覚えているのは冬にスキー場の山の上での雪上結婚式がありました。知り合いの牧師さんが担当したのですが「ご苦労なこった」と思ったのを思い出します。

ブルーラグーンの野外スパで挙式をしたカップルもありましたね。これはテレビのニュースで見たように思います。正直言ってこれは何が楽しいのか理解できません。私なら遠慮させていただくケースですね。

「乗馬の旅を数日して、その途上で式を挙げたい」という外国のカップルの相談を受けたこともあります。乗馬について何も知らない私は手伝いようがなく、「まずは乗馬ツアー」を提供しているオフィスに連絡して、そこから近隣の牧師さんを紹介してもらうよう勧めました。

私自身が担当した結婚式の中ではまったくの野外での式は二回、住居の庭での式が二回くらいのものです。もっとも「庭先」の一回は、サマーハウスの庭だったので、ほとんど原野の真ん中でしたが。

もともと私は邦人の方が関係していない挙式はあまり担当する機会がなく、年間を通してもせいぜい三、四回くらいしか結婚式に関わることがないのです。そして日本からのカップルの皆さんは、大抵ハットゥルグリムス教会での式を望まれるのです。

私が関わった「まったくの野外」挙式のひとつは、レイキャビクから車で三十分くらいのところにあるBlafjallブラウヒャットゥル「青い山」というスキー場ででした。夏だったので、もちろん雪はなくスキー場ロッジはクローズド。挙式後の披露宴用に開けてもらっていたようです。




Blafjallからの式当日の景色
Pic by me


式そのものはスキー場から歩いて十分くらいのところにある洞窟。洞窟といっても、トンネルのようではなく、むしろ地下に空いた空間、という感じでした。かなり広くて、総勢六十人くらいいたゲストが皆入れましたから。声はエコーしてくれるし、結構いい環境でした。

ただ、自然を舐めてはいかんぜよ。新婦のお父さんが式前に頭を天井にぶつけてしまいました。振り向くと、頭から血を流しているのでびっくりしましたが、幸い大したことなく、式が始まる前に止血できました。




「挙式会場」の洞窟入り口
Pic by me


「まったくの野外」その二は、レイキャビク沖の海の上です。普段はホエールウォッチング用の大型のボート(船)をチャーターしての挙式でした。「沖」というのは言い過ぎかもしれません。港からに十分くらいのところで、外海ではないので波も静かで、天気も良かったのでとても気持ち良かったです。




海上挙式の船の上から
Pic by me


他の「庭先」での二回の式を含め、いずれも好天に恵まれたのですが「ラッキー!」なのか、あるいは神の恵みなのか。せっかくですから神の恵みと理解しておきましょう。

自然の中での結婚式は、天気がいい時には本当に素晴らしいものになります。良い思い出になることも間違いありません。ですが、ふたつの留意点があります。

まず天候はコントロールできない、ということ。雨天や強風の可能性は必ずありますから、屋内プランBを用意しておくか、「雨でも風でもめげない」と覚悟を決めておくかです。まあ、お客さんのこともありますからね。ついでに牧師さんも。

もうひとつの留意点は、これは特に牧師さん用、というか私の個人的注文事項なのですが、トイレがないということをお忘れなく。できればそれほど遠距離でないところにトイレがあるような場所を選んで欲しいものです。

今現在はこの火曜日が良い天気、いや謙虚に言って雨天ではないことを祈ります。今回の新郎新婦はもうウキウキして舞い上がっていますので、雨でも雪でもものともしないでしょうが、私は濡れ鼠になるのは嫌ですし、ゲストの皆さんからの「お前の徳が足りんからこうなるんじゃ」という視線もお断りですからね。

日本から挙式をされるために来られるカップルの皆さんには... 私はやはりハットゥルグリムス教会の方をお勧めしたいと思います。


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アイスランド直産の「癒し」

2017-07-23 05:00:00 | 日記
前回は「夏休みの癒し」から始まって「テレビドラマを通しての自然」「アイスランドの生の自然」と追う流れで、結論的に「アイスランドの自然は癒しになる」ということに触れました。

それは嘘ではなくて本当のことだと思うのですが、「アイスランドの癒し」に関してはもう少し思うところがあるので、今回はこの点をもう少し深掘りしてみたいと思います。




癒しの風景1 シンクヴェットゥリ国定公園


始めにお断りしておきますが、「癒される〜?癒されない〜?」という問題は、基本的に個人の感性の問題だと思いますので、私が書きますことが万民に同じように通用するものとは考えていません。ただ、私だけの独りよがりとも思いません。ある程度同じように感じてくださる人はあるはずです。

春先にヨーロッパの教会のカンファレンスがレイキャビクで持たれました。現代ヨーロッパの問題に教会はどう取り組むか?というようなテーマでした。それほど大きなカンファレンスではなく、国外からの参加者が三十人くらい、国内からが十五人程度でほっこり感がありましたね。

私はカンファレンスの参加者ではなかったのですが、アイスランドの教会の働きを紹介するセクションがあり、そこで難民問題への活動を紹介するように依頼されたわけです。紹介といっても持ち時間は二十分程度なので、簡潔にポイントを示さないといけません。

で、ヨーロッパや北アメリカの人を相手にして、アイスランドでの移民問題や難民問題を説明する機会というものは、まあ、ある程度定期的にあります。そういった際に基本的に困ることがあります。

それはアイスランドは圧倒的な小国なので、例えば難民の問題を説明する際にも、実数値的な説明では、アイスランドの難民問題は大陸と比較になるものではないことが明らかになってしまうのです。ドイツでの難民受け入れ数が百万人とかいっている時に、アイスランドでの難民申請数が千五百とか、二千とか。

結果として、どんなに誠実に、かつ熱心にアイスランドの、例えば教会の難民問題での活動の様子を説明しようしても、すべては「大陸の教会がすでにやっている活動の超ミニチュア版だね」としてしか見てもらえなくなってしまうのです。

それは、事実ではあるのですが、なんとなく子供が大人に話しを聞いてもらっている「てい」になってくると、プレゼンターションする側としては面白くないものがあります。

そこで、今回は「アイスランドだからこそ」というような「独自性を入れよう」と思い立ちました。それで私が行き着いた「独自性」というのが「癒し」であったわけです。

説明しましょう。

まず、難民問題ですが、教会は(というか、私は)この問題を「人間性の喪失」「間化」の問題として考えます。「人間性の喪失」とは、人間らしさがなんらかの理由によって失われてしまっていることに他なりません。

そのような問題は世界中に多々あります。シリアの内戦を軸とした中近東での残虐な活動、アフリカの飢餓問題もそうですし、人身売買やその他行きすぎた商業主義や過酷労働もその範疇に入ることでしょう。高齢者の問題、障害者の生活条件等が加えられる状況もあるかもしれません。

原則的に、教会はそのような事態に対して憂慮を持ちますし、また実際に限られた範囲ではあろうとも事態を改善すべく取り組みます(取り組むべきです)。なぜなら教会の信条の基本は「人はすべて神の子としての価値を持つ」ということで、その価値が失われているなら取り戻すのは当然の務めだからです。

難民の問題はそのような問題のひとつなのです。それが唯一の問題なわけでは決してありません。そしてそのような問題に教会が取り組む時、それは単に憐れみや同情心の問題ではなく、教会としての原則的な視点があるわけです。

で、アイスランドにおける難民問題、という大陸に比して非常に小さな舞台に限ってみても、人間性が剥奪された状況というものは見て取れるわけで、その中でいろいろな救済を試みるわけです。

ところが、これは教会だけではなく、難民問題に携わる方すべてに共通する問題だと思うのですが、その取り組み自体が人間性疎外の入り口になってしまう危険と隣り合わせになっていることが普通なのです。

どれだけ努力しても、滞在を拒否され送還される人は必ずいます。しかも、相当数。貧困の中から這い出てきてのが、また貧困の中へ送り戻されます。(経済難民は「難民」としての保護は受けられません) たとえある人たちが許可を得て、新しい機会を得たとしても、すぐに次の難民申請者がやってきます。

こういう現実の中で、多くの関係者が「大海に小石を投げ続けている」かの喪失感を抱き始めます。それに飲み込まれてしまう人もあります。

この点で「難民の人たちの失われた人間性を取り戻そう」という試みは、試みる者自身の人間性の疎外/回復の問題とも化していくことになるのです。これはどこの国においても、多かれ少なかれ同じことが言えることでしょう。




癒しの風景2 スナイフェットゥルネス氷河の夕焼け


さて、そういう状況の中で、アイスランドではひとつの利点があることに気付かされました。それは、社会が小さいため、いろいろな意味で難民の人たちと「距離」が小さいのです。

長くなりすぎるので、詳しくは書けませんが、例えばある難民の人が当初は捨てばちで攻撃的であったのが、だんだんと落ち着きを取り戻し、希望を回復していく、というようなプロセスを、実際に目にすることができます。

私の身近なひとつの例を挙げますと、数年に渡る難民生活の後にここで絶望し、自殺未遂を二回繰り返して、精神病棟に何度も出入りした青年がありました。やって来た当初から頼ってきてくれていたので、その間ずいぶん心配しながら過ごしたのですが、二年を経て滞在許可を得、さらに一年後良い相手を見つけ、この夏にはパパになる予定でいます。

このような事実はまず第一にその本人にとっての人間性の回復の証しと言えるでしょう。そして、第二には救済を手伝っていた者 -上記の青年の例で言えば私自身ですが- にとっても 「人間性の回復」の確認となります。

そしてそのことは「自分でも何かを変えられるんだ」というある種の達成感、安堵感をもたらしてくれます。「小石を投げ続けることは無駄ではないんだ。少なくとも稀には結果をもたらすんだ」ということを知ることができること。これは癒しに他なりません。

いつも思うことですが、私たち人間の間での「助ける」「助けられる」というのはとても表面的なもので、実際は私たちはすべて「助け助けられている」のだと思います。そのことを感じられることは癒しです。

これらのことはアイスランドだけで起こっているわけでは、もちろんありません。どこにおいても起こっていることです。

ですが、小国であるが故に、ここではこの癒しの出来事に気がつきやすいのです。人の間の距離が近いために感じやすいのです。ベルリンや他の大都市では、規模が大きいが故に、そのようなデリケートな出来事に気が付くチャンスは、残念ながら少なっていることでしょう。

先の教会のカンファレンスでは、このようなことを述べた後でPRさせてもらいました。

「ですから、皆さんの中で燃え尽きそうな人、疲れが取れない人がいらっしゃるなら、是非ここの自然と小さな社会の中で数週間を過ごしてくだい。癒しを得られることは間違いありません。アイスランド産の癒し、他所ではなかなか手に入りませんよ」

みんな、拍手してくれましたよ、義理でないヤツ。
疲れた人、アイスランドへようこそ。


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Twin Peaks とアイスランド

2017-07-16 05:00:00 | 日記
レイキャビクでは夏休みの期間の真最中となっています。気のせいではなく、街中の車の交通量も普段より少なくなっているようです。

そう言えば昨年の今頃は、サッカー男子のアイスランドチームがフランスで行われたヨーロッパ選手権で、世界があっと驚く目覚ましい活躍を見せていました。そのため、国民の人口の一割以上がフランスに移っていたとか。

今年はそういうフィーバーはなく、静かな夏です。少なくとも私の周りは。それでもここ二、三年は夏場にしなければならない課題が発生し、結果夏休みを取れるタイミングななかなか来ない、という問題に直面しています。

去年はいろいろあって、「夏休み」は壊滅状態になりましたが、今年はそこまでひどくはなくとも、やはりまとまった日数の休みは取れない状態できています。こちらではまる一ヶ月「休みで不在」になるのが普通なのですが、私のところでは「この日、あの日」とポツポツと日を選んでの「夏休み」となっています。

まとまった休みを取るのは難しくとも、夜通しで仕事をしなくてはならない、というほどのことはなく、幸い夜時間になれば自由時間を満喫することができます。

心のどこかでは、のんびりとした休みを求める気持ちがあったようで、のんびり気分を与えてくれるテレビシリーズをここのところ「夜の楽しみ」としていました。

ちょっと古いシリーズで、ご存知ない方も多いと思うのですが、90年から91年にかけて放映されたアメリカの番組で「Twin Peaks」というシリーズです。

その二年間で放映されたのはシーズン1と2だったのですが、実は今年2017年の夏、今現在、アメリカでは25年ぶりにシーズン3が制作され放映されています。




Twin Peaksへようこそ
Myndin er ur Wikipedia.com

「Twin Peaks」はかなり高い評価を得た番組で、いわゆる「通(ツウ)」を生んでいます。物語りの随所にいろいろな哲学や知恵が散りばめられているとかで、分かる人にはたまらない作品のようです。

私なんぞは、まったくそのレベルには達していないのですが、そういう凡夫が見ても面白い物語りです。

蛇足ですが、この物語りの脇役としてデビッド·ドカブニーが麻薬捜査官役で登場し、また物語りの展開からも一種のスピンオフ的な仕方で生まれて行ったのが、あの人気シリーズの「X-Files」です。

Twin Peaksの物語りの舞台となるのは、カナダ国境に近いワシントン州の小さな架空の町Twin Peaksで、周囲を高いDaglas-fir(ベイ松)の深い森林で囲まれており、人口は五千人強。町には皆が集まるパブが一軒、食事も取れるカフェのダイナーが一軒と、テレビ上ではさらに小さな町に見えます。

その小さな町で、十七歳の女子高生ローラ·パーマーの他殺体がある日発見されます。ローラは町のコンテストのクイーンでもある、人気のある女の子でした。

この事件が町全体にいろいろな影響と騒動を起こしていきます。FBIから捜査官のクーパーが派遣され町のトルーマン保安官と事件解決へ向けて働き始めるのですが、捜査の過程で、町の人々の様々な秘密や繋がりが明らかにされていきます。

というわけで、始まりは思いっきり悲しい雰囲気で包まれているのですが、徐々にシニカルな皮肉やギャグが連発されていきます。実際「あり得ない」ような不思議なハプニングも多数あり、下手をすればつまらない喜劇になってしまったでしょうが、それが全体としてはシリアスなストーリーの緊張感を保ったまま展開していくのです。

ローラの殺人事件はシーズン2の半ばで解決しますが、その後もいろいろなエピソードが展開します。そしてその最中に、殺されたローラが不思議な世界の中でクーパー捜査官に「私は二十五年後に、あなたとまた会うわ」と言う場面があり、そのセリフを受けて、今年のシーズン3の放映となったわけです。

まだ見てはいませんが、クーパー捜査官を始め、多くのキャストがそのままの役で再登場しているようです。

で、なぜかこの番組は私には「癒し」を与えてくれます。のんびりとした美しいテーマ曲、深い森林と滝のある風景、誰もが知り合いであるような小さなコミュニティ、「近所にあったらいいなあ」と思わせられるダイナー(とそこの綺麗なママ)、シリアスな中にも笑わせるエピソード等々が「癒し」の理由だと思います。

特にTwin Peaksの自然は癒し感の大きな要素でしょう。この自然はある意味北欧の自然にとても似ています。アイスランドには高い木の森林はありませんので、多少ずれますが、それでも自然と住民の近さと言う点では、非常に親近感を覚えるものがあります。

実際、物語りの中でも自然は大きな役割を果たしており、(私が理解した限りでは)直接的な仕方では描かれてはいないものの、自然と対峙する人間の生き様を通して「自然は人間にとっての何であると理解するか?」と言うメッセージが根底に流れていたと思います。




物語りの重要な舞台のホテルとその前の滝 実際に高級ホテルだそうです
Myndin er ur Salishlodge.com


その自然の中に暮らす人々、自然の中に潜む邪霊、自然の中に門を開ける異次元の世界、自然の中に戻る人間等々がTwin Peaksの物語りの基盤になっているのです。

まあ、これはあくまで「私の」解釈ですよ。ツーの人から罵倒されたくありませんから。(^-^;

アイスランドも自然はすぐそこに豊かにあるのですけどね。なかなかその自然の中へ自然を堪能するためにだけゆっくり出かけていく機会というものはありません。

これは言い訳で、自分で機会を作ろうとしないから、機会がないままで過ぎて行ってしまっているだけのことです。もったいないことですね、確かに。テレビを通して自然を眺めるよりは、実際に出かけって言った方が、よほど「生で」「フレッシュ」なんですけどね。

というわけで、この夏が過ぎる前にもう少し休みの日を取れるようであれば、自然に触れ合いに行ってこようかな、という気分になってきました。いつまで持続するかわかりませんけどね。

皆さんも、もし機会がありましたら「Twin Peaks」見てみてください。好きな人は、きっとものすごく好きになることでしょう。面白いと思わない方は...
別の作品を試してください。(*^^*)


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高齢者から学ぶ 隠れているアイスランドの「良さ」

2017-07-09 05:00:00 | 日記
七月上旬、日本では梅雨明けを迎えている地域も増えていることと思います。これからが猛暑の夏本番ですね。

レイキャビクではイマイチ気温が上がらず、当初期待したほどの夏らしい夏にはなっていません。まったくの冷夏ではないんですけどねぇ、ちょっとフラストレーションが溜まってきてしまいます。

さて、日本と同じくアイスランドはかなりの長寿国です。毎年、世界の長寿国ランキングに顔を出しているのですが、2015年のランキングによりますと、アイスランド男性は平均寿命が81,2歳で世界第二位。一位はスイスの81,3歳。女性は84,1歳で、これは世界第10位だそうです。一位は我が日本で86,8歳。

男女を総合しますと、アイスランドは82,7歳で第六位。一位はまた日本で83,7歳だそうです。

で、長寿国であるということは、そのまま老人が多い国だ、ということにもなります。日本と比べて、それがことさらに社会問題化はしていないように見受けられますが、それは第一に人口の絶対数が少ないことや、高齢の人たちが基本的には家族とそれほど離れていない距離で生活できることが関係しているのではないかと思います。

数を調べたわけではないのですが、レイキャビク近郊を見回してみると、それ相応の数の高齢者向け集合住宅施設があります。いわゆる「老人ホーム」です。日本で「老人ホーム」というと、私が若かった頃には、「親を施設に押し付けている」的な、割と否定的なニュアンスがあったのですが、今はどうなのでしょうか?

私の親もそういう施設のお世話になっていますが、かなり良い生活環境で不満はない、というよりは遠距離在住の私は安心できています。

こちら、アイスランドでも「老人ホーム」はそれなりのステータスを持っていて、否定的なイメージはありません。ただ日本と同じく、お金がある人がより良い施設に入れる、ということはあるようですので、安易な総括はできないでしょう。




国連発表の統計 2009年から2012年までの平均値とのこと


アイスランドは割と最近までキリスト教ほぼ100%の国でしたので、各地域の教会の牧師さんやディアコニー(教会にあって、社会福祉系の要素が高い奉仕をするポジション)の人が、定期的に自分の教区にある老人施設を訪ねて、礼拝や祈りの会をすることが習わしになっています。

で、つい最近、レイキャビクのある教会の牧師ヘルギさんから大変興味深い話しを聞きました。ちょっとご紹介してみたいと思います。

ヘルギさんの教会の教区にある老人施設には、アルツハイマー病を患っている高齢者の方々が入居しているフロアがあるそうです。十人から十五人くらいの方がいるとのこと。

そのフロアは「介護付き」になっているということで、身の回りの手伝いをする介護士のスタッフが普段より常在しています。

ところがある晩、介護士の中の一人の方が急に亡くなってしまいました。特に病気持ちであったとかではないそうで、まったくの突然死であったようです。

毎日顔を合わせていたスタッフが急に亡くなってしまったのですから、同僚のスタッフはもとより、入居している高齢者の方々にもショックであると思われます。そこで、ヘルギさんが牧師としてその訃報を伝え、ショックを和らげる仲介者として呼ばれました。

アイスランドでは、牧師が事故などによる訃報を家族に伝える、という役目を伝統的に請け負っており、事故などの際にも警察などからも呼び出され、訃報をもたらす役目を頼まれることが普通になっています。

ヘルギさんが、その施設に出向いてみると、所長が「スタッフが亡くなったことは、既に入居者へは一応伝えてはあります」とのこと。「じゃあ、私は何をしに来たのか?」と思いつつヘルギさんは一同が集まったホールへ出向いたそうです。

ヘルギ牧師は改めて一同の世話を昨日までしていたスタッフが、急に亡くなったことを伝えました。老人の方々の中には、既にその報を忘れてしまったのか、初めて聞くかのように驚いた人もあったそうです。

そのあとしばらく祈りを捧げ、讃美歌を歌って偲ぶ時を過ごしました。ヘルギさんが言うには「同僚だったスタッフは皆、涙を流して悲しんでいました。それをね、老人の人たちが肩を抱いたり、手を握ったりして慰めていたのですよ」

そして「高齢者の人たちの中には、記憶が混乱したりして物事をきちんと把握できなくなっている人もあるんですけどね、『涙を流している人、悲しんでいる人をみたら、慰める』ということは身にしみていて、そう簡単にはどこかへ行っちゃわないんだな、と感じましたよ」

なるほど、と思いました。

その年代の人たちというのは、アイスランドがまだ本当の漁業酪農業の田舎だった時代を生活の場として来た世代です。優雅さは欠けていようとも、上辺ではない優しさとか助け合いというものを教えられ、教えてきた人たちです。「悲しんでいる人たちと悲しみを分かち合う」ということが身にしみついていても当然なのかもしれません。

「慰められた介護スタッフの人たちも、これは嬉しかっただろうと思いますよ。ある意味では、これは本当の意味で『仕事が報われる』ということかもしれないと思いました」

改めて、なるほど、ですねぇ。

「人間らしい振る舞い」「隣人のことを思うこと」がアルツハイマーを患う人たちを含めて高齢者の方々身にしみついているのなら、それは素晴らしいことですし、そのことの持つ意味を深く考えてみるべきだと思います。

なぜなら、今現在、様々な権力の側に立ち「その気があれば色々と良いことをできる」はずの立場にある人たちは、「人間らしい振る舞い」も「隣人のことを思うこと」も、すっかり忘れているように思われるからです。

どうやらアイスランドでは「高齢者から学べ」は安っぽいスローガンなどではなく、実際に実のあることのようです。


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「春」?たけなわのアイスランド? アブナイ!

2017-07-02 05:00:00 | 日記
アイスランドがいかに小国であろうとも、あるいは滞在期間が十年、二十年を越えようとも、ある国の「すべてをわかる」などということはあり得ないことだろうと思います。

東京にお住いの方などにもよくあることではないかと思うのですが、それほど地元の観光スポットなどには行かず、観光客の人の方が良く知っていたりしますよね。

アイスランドの観光スポットに関して言えば、私などもこの類に入ります。まあ、観光客の方はそのために来ているのですから当然かもしれませんが、交換留学生の皆さんなどが、精力的にあちらちら踏破しているのを見ると感心させられます。

流氷が流れ着くような北の海岸とか。寒そうだし、良くそこまで行く気になるなぁ、と。

さて、今日はそういう「地元にいるだけではわからない」トピックのひとつです。それは売春です。買春と言った方が適切かもしれませんが。ここでまず私の両手を綺麗にしておきますが、この問題に関しては自己知識は皆無ですので、当然ご紹介する内容はみな、メディアから得たものです。

先週水曜日のモルグンブラウジズ紙によると、ここ一年半の間にアイスランドでの売買春が「爆発的に」「ものすごく」増えてきているとのこと。ニュースソースは首都警察の捜査課のスノリ·ビルギスソン捜査官です。

「売春はアイスランドでは決して新しい出来事ではありません。ですが、売春を巡るこの一年半の動きは『爆発的』と言えるものがあります」とスノリさん。

その「爆発的」な勢いを窺い知れるのが、いわゆるエスコート·サービスの広告の数の増加なのだそうです。「ただしこの広告は、外国でのことなのです。外国での広告数が爆発的に増加しています」むむ?どういうこと?

「他の北欧の国々におけるのと同じように、女性が売春に従事するようにアイスランドへ送り込まれているのです。もちろん組織的犯罪組織が背後にいてのことです。ですからトラフィッキング(人身売買)とも関連しています」




さすがに適当な写真がなかったので、当の新聞でご容赦!


まだ良く全体像が飲み込めないのですが、新聞の記事に沿って、スノリ捜査官の捜査官 の説明順序通りに追って行きたいと思います。

「この売春活動に従事している、あるいはさせられている女性の多くは、長期あるいは短期にアイスランドに滞在している外国人女性です。中にはトランスジェンダー女性も含まれています。アイスランド人女性も皆無ではありませんし、男性もいます」

スノリ捜査官によると、ここで買い手(買春)として重要な役割を担っているのが、ここ数年来増加の一途である外国人ツーリストの中の男性であるということです。

「つまり、海外でエスコート·サービスの名によって、アイスランドでの売春の宣伝されるわけです。Facebookでのクローズドグループもこの宣伝(勧誘)目的に使われています」

ようやく全体像が見えてきた気がしますが、要するに「外国人によってオルガナイズと宣伝をされた、外国人による、外国人をターゲットとした組織売春」というものが、アイスランドを舞台として行われているようなのです。

へー、これはビックリですねー。全然知らなかった。もっとも、アイスランドに外国の犯罪組織の人身売買活動が入り込んで来ている、ということは割と頻繁に耳にするところでした。こういう繋がりがあるのですね。

ただ、この流れだとアイスランドはただ「場所」というか「寝床」として使われているだけの感じがしますね。「『通りでの売春婦』というものは、この国ではあまり知られていません。ホテルが使われた時期の後に、ある特定の家屋が定宿のように使われたりしました。それが現在では賃貸アパートになり、さらにAirBnbの家屋までが使われ始めています」とスノリ捜査官。

さてここで注釈ですが、アイスランドでは「売春」は処罰の対象になる犯罪ではありません。しかし、「買春」は処罰の対象になる犯罪です。これは2007年に法制化されたのです。

その過程の論議で「多くの事例を見た場合、売春婦はむしろ犠牲者でもあり、処罰されるべき行為をしているのは買春している側だ」というようなものがあったと記憶しています。アイスランドはフェミニズムが強いですし、ここでもその一端が見て取れます。

でも、このような事態が起きているのなら警察も相当気を入れて捜査しているのだろう、と思ったのですが、意外や意外、スノリ捜査官によると「大掛かりな組織的な捜査はされていない」とか。なんで?

「売買春の摘発はそう簡単ではないのです。例えば、売春をさせらている女性を保護したとしても、その女性が警察に協力して証言してくれることはまずありません。組織から脅迫されていることも多いですから。そうなると、そこでもう『証明』できなくなってしまいます」

また、どうしても「事後」に状況捜査などが入ることになるのが多いとかで、「時間の浪費」「人的パワーの浪費」が半端ではないとか。

まあ、何事もテレビドラマのようには解決しないでしょうが、近い将来には警察の捜査の基本というか、売買春を含む「人身売買組織」の犯罪への取り組みがしかっりしたものになることを願います。

日本からいらっしゃるツーリストの方、特に殿方もよーく気をつけてくださいますよう。ここでは「買春」が犯罪ですからね。

そういえば、かつてアメリカで有名なテレビ牧師が高級コールガールとホテルにいるのをフライデーされたスキャンダルがありました。その牧師さん、自分の番組で奥さんに涙で陳謝し、それを奥さんが涙で許す、という展開になり、オエッという猿芝居でした。

私は牧師だからといって高潔なフリをするわけではありませんが、この「買春」というのは「まったく」理解できないです。まあ、理解できなことはたくさんあるから、そう不思議なことでもないか。

アイスランドもしっかりしないといけませんね。ただ「寝床」として使われてなんて、ハジッ!!と思わんと。


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