レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

涙から咲く暖かさとクリスマス

2017-12-24 05:00:00 | 日記
Gledileg jol!

英語のMerry Christmas!に相当するアイスランドのクリスマスの挨拶言葉がこのGledileg jol「喜ばしいクリスマスを」です。文字をそのまま音に表すと「グレーズィレーグヨウル」となりますが、この挨拶言葉は「崩された発音」で定着しており、私たちの耳には「グレリヨ(ル)」としか聞こえません。言う側のこちらも「グレリヨル」と言います。

脱線しますがエプソンのプリンター「Colorio」のCMの最後にナレーションされる「カラリオ」というのを聞くと、いつも「グレリオ」を連想してしまいます。(^-^;

何しろ使うのがクリスマス前の二週間ほどに限られた言葉ですからね。しかも、原則同一人には二度使わない。慣れるのがなかなか難しいシチュエーションではあります。

個人的には英語のMerry Christmas!という挨拶はあまり気に入っていません。 末席を汚すだけとはいえ一応牧師ですので、クリスマスはそれなりに厳粛に受け取ります。Merryというのは「楽しく騒げや!」的なニュアンスに受け取れてしまい「ちょっと違うだろう」という思いがしてしまうのです。 Happy Christmas! ならいいのでしょうが。




Gledileg jol!


四、五日前に知り合いの邦人青年Fさんからメッセージをいただきました。良い会社に就職内定がもらえたとのこと。嬉しいメッセージです。

といってもFさんと顔を合わせたのは二年ほど前に一度だけですし、その時も二時間くらいのものでした。クリスマスの直後の日曜日、ハットゥルグリムス教会での英語礼拝でお話しを担当した時に、来てくれていて、礼拝後のお茶の時に挨拶してくれたのです。

なんでもフランスに留学中で、思い立ってクリスマスを過ごしにアイスランドまできたとのこと。せっかくの機会だったので、少し車で近所を案内して回りました。落ち着いた礼儀正しい青年だったので、こちらも楽しく案内できました。

その夕のことはよく覚えています。Fさんを宿泊中のホステルまで送ったのが5時半くらいだったでしょう。自宅へ戻ろうと車をスタートしたところで携帯がなり、車を止めて通話を受けました。

病院からでした。事故でお父さんを亡くした日本人の家族がいる。大変な状況で支えが必要だからきてくれないか、というのでした。ピーンときました。前日のニュースで、外国からの旅行者が事故で亡くなった、と聞いていたからです。

そのようなニュースを聞くたびに「ああ、日本人ではないように」と思ってしまうのは正直なところです。こちらのニュースでは、関係者への連絡が落ち着くまでは、名前はもちろん国籍も明らかにはしないのが原則です。ですから、「外国人」以上のことは、始めはわからないのです。

告げられた病院は、たまたまFさんのホステルから車で3分の距離にあります。すぐに向かいました。

亡くなられたのは壮年期のお父さんで、奥様とまだ小さいお嬢さん二人を残して逝かれてしまいました。クリスマス休暇で遊びに来ていたのですが、交通事故に巻き込まれてしまったのです。

それから二週間ほどは、このご家族の方々と頻繁にお会いして過ごしましたが、上のお嬢さんの怪我がほぼ回復した頃、アイスランドを離れられました。

とても悲しい出来事でしたし、「クリスマス休暇がなんで...?」という気持ちも抑えられませんでした。

ただそういう状況の中で、ありがたいこともありました。「有難い」と漢字で書くべきところです。「有易い=当たり前のこと」ではなかったからです。病院のスタッフと、日本大使館の若いスタッフとその奥様が本当に、この悲しみの中にあるご家族に親身になって接してくださったのです。

それは見ていて本当に心暖かくさせてくれる出来事でした。この方達の献身のおかげで、幸い怪我をしなかった下のお嬢さんは無邪気に遊びまわっていましたし、本当に辛い思いをしていた上のお嬢さんも、最後には時々ではあっても笑顔を取り戻してくれました。

アイスランド語でGefandiゲーヴァンディという言葉があります。英語ではGiverとでも言うのでしょうが、アイスランド語の場合は、ものではなくて、自分の中にあるもの、自身の体験談や、連帯感、愛情等を惜しまないで他者のために「与えてくれる」人のことを指します。

あの時、このご家族の周囲にいたのはまさしくGefandiだったと思います。

私は、クリスマスの時期に起こってしまった、この悲しい出来事を思い出す度に、この周囲の人々、Gefandiの暖かさも思い出します。どちらかひとつだけではなくて、両方なのです。

変な話しに聞こえるかもしれませんが、このふたつが結び付いていることに、深い意味があると思います。この事故がなければこの暖かさを知ることもなかったでしょう。

ですが、誤解しないで欲しいのですが、「この暖かさが現れるために、悲しい事故も必要だったんだ」などということを言っているのではありません。この事故は、この上なく悲しいものであって、可能であるならば時間を遡って起こらなかったことにして欲しいと願います。

私が大切だと思うことは、悲しい事故が起きてしまったことは事実だし、またその事故を巡って、人の暖かさが現れたことも事実だということです。そしてこのふたつは結びついていること。

私がお世話をしている、「難民の人と共にする祈りの会」では、いつも「その前の一週間に起こった嬉しいこと」を簡単にシェアする時間があります。希望するならば「悲しかったこと」「難しかったこと」でもOKです。

それをしていて何度も発見したことは、「嬉しいこと」が「悲しいこと」に結びついて現れることがいかに度々あるか、ということです。「その出来事は悲しかった。でもその中でこういうことがあったのは嬉しかった」あるいは「とても難しい状況で困ってしまったが、これこれのことをその中で体験できたことはいいことだった」という風に。

私は牧師ですし、これを神の恵みと勝手に解釈しています。神は悲しい出来事をこの世から一掃する形では人を助けません。これは事実から確かめられることです。悲しいことに会わないことが、人生の核ではないからでしょう。

ですが、人を悲しいことだけと共にを捨て置くようなこともせず、必ず人が救いを見い出せるものも残しておいてくれます。だから悲しいことの周辺に嬉しいことが花咲いてくるのです。

これは私の牧師としての解釈ですが、もちろん宗教の如何によらず、また、宗教的な観点ではなくとも、この「悲しいこと− 嬉しいこと」間の繋がりは見出されるでしょうし、理解もされることでしょう。





レイキャビクのダウンタウン カセドラルとオスロツリー


私としては、そこから、私たちの人生で起きる諸々の出来事は、そのようにして繋がっている、あるいは繋がることができる。それが人生の有り様だし、人生体験はすべからずプラスに転ずるきっかけを持ちうる、という風に解釈しています。

もちろん、悲しい体験そのものが楽しい思い出に変わるわけでは決してありません。悲しさは永遠に残るかもしれません。ただ、その体験に関わるものから、プラスのベクトルが生まれてくる余地があるということです。

それでも、それはそう簡単なことではないでしょうから、相応の決意と努力が必要になるのでしょうが。

クリスマスの喜びも、実は喜びだけで単独に存在しているわけではなく、やがてやってくるキリストの十字架の受難という重く悲しい出来事と結びついています。そしてその悲しい受難から、さらに復活の喜びが生まれていくわけです。

いつも言うことなのですが、Gledileg jol「楽しいクリスマスを!」と言う挨拶は、「クリスマスは楽しいですねえ」とか通り一遍の意味での「良いクリスマスを」と言う意味ではありません。

そう言う楽しい環境でクリスマスを迎えられるのは、それはそれでありがたいことでしょうが、Gledileg jolの真の意味からは外れています。

Gledileg jolとは、まず第一に、今、クリスマスを楽しむことができないような状況にいる人に向かって「クリスマスの喜びがあなたにも届きますように」と言う意味です。

そして、教会でこの「XXしますように」と言う時、それは、そのことが実際に「そうなる」と言う断定の意味を持っているのです。「できれば」ではなく、「必ずなる」のです。

そういう信じる想いを込めて、Gledileg jol。


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闇のフォースよりコワイ...?

2017-12-17 05:00:00 | 日記
クリスマスまで一週間となりました。個人的には -と言っても九割方仕事で、プライベートは一割ほどですが- かなり忙しい時期になっています。そのプライベートの一割の忙しさは、クリスマスの準備の故です。

忙しさの九割を占める仕事の方ですが、これは前回も書いたように難民の人たちへのサポートも結構の部分を占めますが、教会での集会がもちろん圧倒的に大きいですね。

ただ、普段ならそれらの集会も「クリスマスバージョン」というか、クリスマスにちなんだものが附加されるのですが、そこまで手が回らずに、普通のバージョンのマンマできてしまっています。




拙宅のアドヴェントの飾り


なぜ、こんなことをくどくど書くのかというと、そんな状況なので「手抜き」のブログになります、ということの言い訳です。スミマセン。m(_ _)m (^-^;

実際、ここのところテレビのニュースさえきちんと見ていません。新聞もざっと読んでいる(見ている)だけなので、いま、アイスランドで何が起こっているのか、よくわかっていません。

その反面では日本のニュースはそれなりに頭に入ってきています。なぜかというと「バイキング」とか「ヒルナンデス」とかをネットでまめに見ているからです。

「そんなものを見ている時間があるのなら、忙しくなんかないではないか!?」というお叱りを受けるとは思いますが、これは食事を作る時、食事中とか、あるいは「なんかしながら」でもできるデスクワークをする時に見ているわけです。

これらの日本の番組と、アメリカの刑事物ドラマとかの違いは、日本の番組は一生懸命見なくてもわかる点と、「ヒルナンデス」とかにはある種のリラックス効果がある点です。アイスランドのニュースとかですと、しっかり見なければ理解できません。

さて、このブログの主眼は、日本人としての私の、こちらでのいろいろな生活体験や社会の有様を、日本の方々にお分けしよう、ということなのですが、今回は逆手を行って、日本の出来事がこちらにいる私にはどのように映っているか、ということを書いてみたいと思います。

今、これを書いている最中にも「バイキング」を見ているのですが(注釈: ブログを書く時がいつも「ながら」なわけではありません。集中しないと書けない内容の時もあります)、ニュースは藤吉久美子さんの「不倫疑惑」です。ホントに不倫ってよくありますね。

「妻子ある男性とホテルの同じ部屋で一晩過ごした。疲れ切っていたのでマッサージもしてもらった。でもそれ以上のことは何もない」ということですね。まあ、ご主人の太川陽介さん以外誰が信じるんだろうか?という感じです。不倫疑惑でいつも指摘されるのが「疑われてもしかたないような状況に入らないこと」とか。確かに。でも、ハッと思いつきました。

実はこの夏でしたが、肩こりがひどかった時に、まだ四十前の美人シングルマザーの邦人の方が、私のアパートまで来てマッサージしてくれたのです。
かつ、その二週間後くらいには、彼女のアパートでもマッサージしてもらったのです。もちろん仲の良い友人です。もちろん二人だけ。

レレッ! 別に二人とも結婚してるわけでも、相手がいる最中でもないので、何かあったとしても悪いことは何もないのです。それはそれとしても「なんかあったろ!?」と問い詰められる可能性のあるシチュエーションではあったですね。

ヤベッ。まあ、誰も気にもしてくれないか? 逆に寂しいですね、そういうのも。「シェズ オグ ヘイルト」というゴシップフォト週刊誌がこちらにもあるのですが、「一度ぐらいスクープしてくれないかなあ?」と願ってきたのですが、実現しないですねえ。出たことはあるんですよ、何回か。非常に真っ当なイベント関係で。事件性ゼロ。

「バイキング」のニュースが松居一代さんの離婚成立記者会見になっていますが、バカバカしいのでこれはパス。うかつに触って変な霊に憑かれたくないし。

あと、日馬富士の事件はこちらのニュースでも報道されました。「相撲界でスキャンダル」みたいな見出しでしたね。残念なことですね、せっかくの相撲ブームに水を差したというよりは、横綱にまで到達しながら、それをこのような形で失ってしまうとは。だから暴力はペイしない、ということでしょうね。

その反面、座間での九人の殺人死体遺棄事件はこちらでは報道されなかった、と思います。少なくとも私は気がつかなかったです。先に書きましたように、ろくに新聞も読んでいなかったので、どこかにあったかもしれません。

さてワタシ的に、目を注がざるを得なかったニュースは、やはりあの富岡八幡宮の事件でした。「えっ? 富岡八幡宮って、あの有名なお宮でしょ?」っていう感じでした。




富岡八幡宮
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三人の人が亡くなり、一人が重症、ということなので茶化すつもりはありませんが、著名なお宮、世襲の神官の家族、家族内での骨肉の争い、そして日本刀を使ってのその凄惨な結末、という諸々の理由から、まるで横溝正史の小説か?と思わされたのは私だけではないだろうと想像します。

神社の神官や宮司はどんな生活をしているものなのか?というような野次馬的興味もあったので、このニュースに関しては「グッディ」や「ミヤネ屋」も見てみました。

富岡八幡宮の場合は、やはり名所に数えられるお宮さんなので、お札や賽銭収入だけで年間一億円になるそうです。テレビでは「非課税」と言っていました。賽銭はともかく、お札の販売は課税されるのでは?という気もしますが。

とはいえ、宮司は所得税も固定資産税も非課税だそうで、やはり「役得」が多い地位ではあるようですね。亡くなった富岡長子さんの自宅というのをニュースで見ても、相当大きな家屋ですよね。もっとも、これが個人の家か、お宮の宮司のために用意している住居(宮司邸)であるのかは知りません。

実姉を殺した犯人とされる富岡茂永容疑者(まだ容疑者なのですか?)は、自分が宮司であった時には、高級クラブで豪遊していたというのもすごいですね。そんなにお金が入ってくるもんなんだ。

キリスト教会でも、アメリカのテレビ牧師と呼ばれる人たちの中には、ガッポガッポお金を設けている方もあるようですが、彼らの場合はショービジネスマンという感じがします。茂永容疑者の場合は、それとはちょっと違うような。

さらにびっくりしたのは、茂永容疑者がしたためて、事件後に関係者2800人に届いたとかいう手紙の内容でした。自分が宮司を追われたことに関する恨みつらみは、まあ、同情はできなくとも愚痴ること自体はわかる気がします。

ですが「死んでも怨霊となってここにとどまってやる」だの「祟ってやる」だのとは、「あなた、本当に神官だったのか?」と尋ねたくなります。神道的には人の魂は、清い霊にも、祟る霊にもなり得るのでしょうが、神官たるものが自分の利益の故にこういうことを考えているということは、さすがに悲しくなる気がします。

ただ、念のために付け加えておきますが、神道はダメな宗教だとか、キリスト教は良いとか、そういうことを言っているわけではありませんので。墜ちた牧師はキリスト教会にもたくさんの例を見ます。

そして、最後に最大のビックリですが、これらの諸々の事情の末とはいえ、日本刀で実姉の長子さんを殺害し、さらに運転手の方を茂永容疑者の夫人が追いかけ回して切ったということです。

家族内でのいざこざとかはありましょう。偶発的に暴力沙汰に発展してしまうこともあるかもしれません。しかし、プランを立てて、わざわざ見張り用のマンションを賃貸し、こういう血なまぐさい仕方で殺人を実行する、というのはそうそうあり得るものではないでしょう。

この点に関しては「すげえなあ...」というのが素直な感情。「ダークサイドのフォース」よりもさらにダークですよね。日本の「怨念」の方がコワイ気がします。

それにしても、これからどうなるのでしょうか、富岡八幡宮。皆さんは、仮に前を通る機会があったとして、お参りしますか?...にもかかわらず?


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ある意味、アドヴェントらしい日々?

2017-12-10 05:00:00 | 日記
寒い日が続いています。先週の中頃からまたぐっと冷え込んできていて、気温がプラスに転じることなく零下に沈潜したままで一週間が過ぎてしまう「真冬週」?にはまってしまっています。

そういうクリスマス前にはふさわしいとも言える冷え込みの中で、アドヴェント(待降節)に入ってから一週間が経ちました。

先々週書きましたように、今年は数年に一度まわってくる、12月24日が日曜日になるカレンダーです。そのためアドヴェントの期間が三週間と一日という、一番短いアドヴェントとなっています。

で、実際一週間経った今の時点での感想は「やっぱ、短か!」です。もう二週間後にはクリスマスイブではないですか! まだ全然なんのアドヴェント気分も楽しんでいないのに...

そういえば、去年もこんな感じだったなあ。でも去年はアドヴェントが一番長いパターンで、ほぼ四週間まるまるあったのに...?? 去年はクリスマス一週間前になって、やっとクリスマスっぽい気分になれたことを思い出します。

去年はこのシーズン、教会の「祈りの会」に積極的に参加していたイラン人難民の青年が、「ダブリン規則」に基づくフランスへの強制送還を通達されており、その送還をなんとか止めようと四苦八苦して奔走していたのでした。


Gledileg jol 2016 暗きに座す人への光

それが功を奏してか、送還の一時中止が決められたのがクリスマスの一週間前くらいだったろうと記憶しています。去年はそこから楽しい意味でのアドヴェントが始まったのでした。

そのイラン人青年の場合は、年を越した二月になって送還の決定そのものが破棄され、彼のケースはアイスランドで扱われることになりました。そして非常に長い時間がかかったのですが、十月中旬になって彼は難民認定を受け、滞在を許されたのでした。

実際は今年も同じような状況にあります。話しが少し複雑なのは、対象が個人ではなく家族なのです。お父さんのラジャさんは二十代後半のイラク国籍のクルド人。お母さんのハステさんは二十代前半のイラン国籍のクルド人。息子のレネ君は一歳半の超かわいい男の子。そしてハステさんは第二子を身籠っています。

複雑な事情の故にイラクを脱してドイツで難民申請をしました。詳しいことは書けませんがドイツでの難民申請は難航し、一次回答では拒否されてしまいました。

さらに、宗教的な問題(イランはイスラム教のシーア派で、イラクはスンニ派で、仲は良くない)から、ハステさんの家族がラジャさんとの結婚に強弁に反対しており、なんと、避難先のドイツでもそこに居住している親戚から(かなり控えめに表現して)嫌がらせを受けるようになってしまったのです。

そこで一家はドイツを抜け出し、アイスランドへ渡りました。今年の春のことです。夏から私がお世話をしている教会での「祈りの会」や礼拝に出席するようになり、同時にキリスト教の基礎コースにも参加するようになりました。

ちょっと難しかったのは、夫婦共英語が全くダメなので、会話のためには誰か通訳役を勤めてくれる人が必要だったことです。

もっとも教会内ではほとんど問題はなく、難しかったのはドイツへの送還が決定され、教会外での話し合いが必要になってからでしたが。




カンフーの先生ラジャさん 故国での道場案内の表紙


さて、ラジャさん、ハステさん夫婦は八月末に洗礼を受け、正式に教会のメンバーとなりました。ですが、その後二ヶ月くらいして十月の終わり頃に、「ダブリン規則」に基づくドイツへの送還が決定されてしまいました。

その時点で、ハステさんの第二子の妊娠がはっきりしてきましたので、色々な健康上の検査等があり、そう迅速には送還は実施されそうにはありません。その間を利用して、改めて教会からの嘆願書、一般の人たちからの署名集め、「子供の権利」の観点からの抗議等がオルガナイズされていきました。

「ダブリン規則」に関しては、もうご存知であろうとは思いますが、日本は圏外ですのでもう一度念のため。これはヨーロッパ圏での合意事項が発展して規則になったもので、圏内で最初に難民申請を受け付けた国が、最後までその案件の責任を負うことにする規則です。

よって、申請者がその国を出て、別の国で再度申請をしても、第一の国へ送還することになっています。ただ、大事なことなのですが、第二国が自らの判断でその再申請を受理してもいいのです。

ラジャさん一家のようなケースは、ダブリンケースに相当します。ドイツにあってハステさんの親戚からの不安があったことなど、いくつかの再考を主張し得る点もありましたが、全体としては「規則によるならば、送還は致し方ない」ということになるでしょう。それでも、なんとか支援するのが我々の立場ですので、法の理屈とは別個に嘆願や、人道的観点からの情状を求めていくわけです。

その一環で企画されたのが、ラジャさんにカンフーのレッスンのデモンストレーションをしてもらうことでした。実はラジャさんは故国でカンフーの先生の資格を持ち、実際に道場で教えていたのです。現在のところ、ここではアラビア語やクルド語でレッスンをできる教師はいないので、生徒が多く集まれば「希少価値」をアピールできると考えたわけです。

こちらのテコンドーの道場主の好意で、このデモンストレーションはトントン拍子で実現し、第一回のレッスンには五十人ほどの生徒が集まりました。大半は同じクルド地区か隣接の地域からの外国人のようでした。

ラジャさんは、見事なほどに五十人の生徒を統括し、きちんとしたレッスンをリズム良く九十分ほど続けていきました。そんなに簡単なことではないですよ、五十人の生徒をきちんとコントロースして教えていくのは。この時は、ラジャさんは見違えて凛々しく見えましたね。

良く思わされるのですが、難民申請とかいう特別な状況にある時は、人はなかなか「本当の自分」を表すことができません。なんとなくチイちゃくなって身をかがめていなくてはいけないような。そして、周囲はそういう身を小さくしている人を見て「そういう人なんだ」と勝手に決めつけてしまうのです。

私にとっては、ラジャさんは教会に来始めた新来者ですし、入門講座を受けていた若者なので、そういう風な「こちらが先生」目線で接していました。ですから、このカンフーレッスンを見学して、「おおっ!」と気付かされたものがりました。私がカンフーを習うとしたら、このお方が先生なのだ。




寒く長い道のりを歩むヨセフとマリア
Myndin er ur ugc.org


十一月の下旬になり、ハステさんの妊娠状態に多少の問題があったりして、またウツ的な様子が増していくのが傍目にも萌えましたので、こちらの心配の度合いも強まっていきました。そして月末になって、予告のない送還が実施され、家族はドイツへ送られてしまいました。

たまたまドイツへの同じフライトへ乗り合わせたアイスランド人の一般乗客から「付き添いの警察官が、ひどい高圧的で暴力的な態度で家族を扱っていた」という憤りをマスコミに漏らしたこともあり、この送還もニュースの題材になっています。

現在、ドイツでどうしているのか?という追跡もしているのですが、なかなか正確な情報を集めるのは簡単ではありません。そんなこんなで、今のところまだアドヴェントをゆっくり楽しむことはできない状況です。

なんとなく、変なシチュエーションがアドヴェントの定番になりつつあるようです。いや、でもこの時期、ヨセフと身重のマリアは、ナザレからベツレヘムまでの寒く長い道のりを歩いて旅をしていたんだ。ある意味、ラジャさん、ハステさん家族と同じ状況かも。

そういう意味では、このような状況の人を身近に感じていることの方こそ、アドヴェントらしいのかもしれません。そう考えることにしましょう。



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緑の党から初の首相 カトリーン政権の誕生

2017-12-03 05:00:00 | 日記
十二月に入りました。今日からはアドヴェント(待降節)も始まり、一挙にクリスマスモードに入って行きます。

さて、新政権誕生について。十月末の国政選挙の結果を受けての、連立工作が続いていましたが、この木曜日に新政権が発足しました。昨年同時期の選挙後の連立工作は長々と続いて、越年をしてからの政権発足となりました。

今回も相当長い時期が必要だろう、と私は踏んでいたのですが、予想したよりも早い新政権の産声となりました。

連立するのは緑の党(11議席)、独立党(16議席)、進歩党(という名前の保守党)(8議席)の三党で、締めて35議席。総議席数63のアルシンキ(国会)ですので、32議席が過半数。

一応過半数は超えているものの、緑の党の二人の議員は当初よりこの連立構想には反対しており、「必ずしも与党法案には賛成しないで是々非々で臨む」ことを宣言しています。ですから確実な与党議席数は35マイナス2の33。かなり薄氷を踏む感じの与党政権ですね。

首相には緑の党の党首カトリーン·ヤコブスドティール(41)。緑の党の首相擁立は歴史初のことです。




カトリーン新首相
Myndin er ur Ruv.is


最大の議席を持つのは独立党なのですが、前首相のビャルトニ·ベネディクトスソン党首のリーダーシップでは、連立の話し合いが進みませんでした。前回の政権末期には色々なスキャンダルめいた事件が相次ぎましたし、「あいつが親分になるなら話しには乗らない」的な雰囲気が蔓延していましたから。

そこでカトリーンにお鉢が回ってきたわけですが、選挙前の「誰に首相になって欲しいか?」というアンケートでは、カトリーンは群を抜いてトップでしたし、今回は本人も相当その気になって「首相取り」に向かっていた感がありました。

ところが連立のパートナーとなった独立党、進歩党(という名前の保守党)は、二年半前の「パナマ文書」にまつわる特定利権と脱税スキャンダルでヒンシュクを買った際の政権与党。その後もビャルトゥニ前首相には「利権」がらみの疑惑報道が尽きなかったりしています。「そいつらと連立を組むなど、緑の党の清廉さを裏切るもの」と言った批判が出てきていました。先述の緑の党の二議員の党内「造反」もその流れの上にあります。

ですが、今現在ではカトリーン首相の誕生に国民の多数が好意を持っていますし、その追い風を受けて、今回の連立協議が成功したと言っていいでしょう。どこぞやの都知事も同じような感じで、調子に乗っていて足元を救われましたからね、カトリーンには気をつけてもらいたいところです。

で、大臣は独立党から5人、緑の党からは3人、進歩党(という名前の保守党)からも3人で計11人。ほとんどが大臣経験者で、その点では安定した感はあります。

面白いのは環境大臣に抜擢されたグビューズムンドゥル·インギ氏で、彼は国会議員ではなくLandverndランドヴェルンドという環境保護団体の長を勤めてきた人で、政治家ではありません。つい数日前になってから大臣職を打診されたとのことです。

その他の要職は、ビャルトニ前首相が財務大臣、アンデルセン前法務大臣が再び法務大臣等ですが、これは前を引きずっていて(前政権のセックスオフェンダーの名誉回復スキャンダルの主人公)心配です。

という以上に、アンデルセン法務大臣の再任は、私にとっては「どんだけ悪ムー!?」っていう感じです。難民問題になんの理解も持っていない輩なのです。

あとは福祉大臣になったのが、大臣初経験のアウスムンドゥル·エイナル氏。これもワタシ的にはいけ好かない若造と思っている男です。




新政権の大臣のお歴々
Myndin er ur Visir.is


それでも、ついでにもう一つワタシ的な感想を言っておきますと、今回の政権は全体としては「まあまあいいんじゃないの〜?」っていう感じです。

政治とかの難しいいところは、大切な問題はひとつではなく複数あることでしょう。例えば私が仕事で関わることが大きい難民や福祉の分野に関しては、レフト系の政党の政策の方がずっと好ましいのですが、そのレフト系の皆さんは、こと教会関係の問題になると、すこぶる無知無理解であって、公正さを欠いた施策を提案したりします。

その点を考えると、今回の新政権は、中心は緑の党(ちなみに私も緑の党に入っています)でありながら、全体としては保守。

ということは、私の個人的な利権には結構都合良くマッチしてくれそうな期待感を持てます。その反面で、私が主張したい「大義」的なものについては、かなりフラストレーションが溜まりそうです。

アレレ、結局人は「自分の利益か、社会の大義か?」のジレンマの前で「自分可愛さ」を選ぶのか?というのは、正直ありますねえ...

ところで、最後にアイスランド的なお話し。「この国は小さいので、カフェで隣りの席に総理大臣が座っていてもおかしくはない」的なことは、以前にも何回か書いたことがあります。庶民が有名人の知り合いを持っていても、これも特別なことではありません。

私でさえ、人気歌手のパットゥル·オスカーさんとは顔を合わせれば必ず挨拶はしますし、前市長だったヨウン·グナウルさんも同じ。仕事が縁で、多少の知り合いになるきっかけがあったのです。


それでも独立党や進歩党(という名前の保守党)の政治家連中は、住んでいる世界がまったく違うのと、思想に共通するものがまったくないことから、さらに具体的に言うと、銀行預金総額がまったく次元が違うこともあって、ほとんど袖が擦り合うこともないのが現実です。

ですから、「首相」と言うものを取り出してみますと、誰も個人的な知り合いだった人はいません。

で、この点で、カトリーンは、私が個人的に知っていて、会えば必ず挨拶もする範囲にいる人が首相になった、という初めてのケースになります。別にメチャメチャ近しいわけではないですし、祝福の電話を入れたりするほどではないですが。パットゥル·オスカーさんやヨウン·グナウルさんとは違うのは、「すでにその地位というかステイタスにいた」人と知り合うのではなくて、知っていた人が「その地位を得た」ということです。

なんと言うか、面白い気分がしますね、こういうのは。「This is Iceland」と言いたくなるような...
カトリーン、頑張れ!!


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