レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「到来」と「備え」と「待ち時間」の巻

2021-11-28 00:00:00 | 日記
こんにちは/こんばんは。

9月の25日におこなわれたアルシンキ(国会)議員選挙から、なんと八週間と三日後の先週の火曜日に、ようやく「新規」国会が招集されました。北西選挙区での投票の勘定間違いと投票用紙の管理不行き届きの発覚が、国会招集遅延を招いたのです。

その翌々日の木曜日に、国会審議でその問題に関し一応の決着がつけられました。巷では「国会議員の選出に関するプロブレムに、国会議員が決着をつけるのは茶番ではないのか?」という声も聞かれますが、「たしかにー」ですね。




ホコホコ感アップ用ピック 氷島ではなくハワイ!
Myndin er eftir Xavier_Coiffic@unsplash.com


さて、アドベントに入りました。教会暦の新年です。英語のAdvent、アイスランド語ではAdventa(Dは「ヒゲ」付きのアイスランド語の特有文字)アズベンタといいますが、これらはラテン語のAdventusからきています(と習いました)。

アドベントは普通「待降節」とか「降臨節」とも呼ばれますが、もともとはAdventusは「到来」を意味する言葉です。この時期がアドベントと呼ばれるのは「キリストの到来」を念頭においたからで、そこからその時を「待つ時期」という意味が派生してきたのです。

この時期、教会ではもうひとつ「備える」という言葉がよく聞かれます。もちろん「キリストの到来に備える」という関連でです。

Aduventusという言葉はローマ帝国が栄華を極めた頃、皇帝の「お出まし」にも使われた言葉なのだそうです。ローマ皇帝がどこかの都市を訪問するとなると、まずそのことを触れ廻る伝令が遣わされます。

そして迎える側では、道路の不具合を整備したり、町を掃除したり、それなりの「備え」をして皇帝の「お出まし」を待った、ということです。これはわかりますよね。

現在の日本でも、どこかの地方都市に例えば外国からの国賓や、皇族関係の方が訪問されるとなったら、町をあげて化粧を施し、歓迎のための「備え」をするものでしょう。





西街の古アパートより 朝8時


では、「キリストの到来」クリスマスに関して、教会がお勧めする「備え」とは何か?というと、もちろんきれいなイルミネーションのついたツリーでも、窓際に置く赤い長靴でもありません。

聖書の中では、イエスに洗礼を施したバプテスマのヨハネという人物が「悔い改めよ。天の国は近づいた」と人々に教えています。「キリストの到来」と「天国の到来」は無関係ではありませんので、クリスマスへの備えとしてふさわしいことは、まずもって「悔い改める」「身を振り返って正す」ということだと教会では教えます。

カトリック教会や、聖公会(英国国教会)、ルーテル教会のように典礼(祭儀の行い方)での伝統を残す教会では、教会の暦に「色」が付随しています。アドベントの色は紫で、これは「悔い改め」を象徴する色なのです。

この紫が使われるのは、キリストの十字架の受難を偲ぶ春先のレントと呼ばれる時期と、このアドベントの時期だけです。そして、昔から悔悛を表すための日常行為は「断食」とされてきました。

アイスランドでは「ヨーラ・ファスタ」という言葉が今でも残っており、これは「クリスマス前の断食」を意味します。正確には断食ではないのでしょうが、「この時期、肉食はしない」という人は今でもいることはいます。

もっとも昨今ではヴェーガンがその上を行っているようですから、それほど珍しくはないかもしれませんが。




朝9時


このように、アドベントは「キリストの到来」の第一段階?であるクリスマスから遡って、その日を「備え」をしながら「待ち望む」時期というのが教会的な考え方になります。

ちなみにキリスト教会の中でも昔から「東方教会」と呼ばれてきたオーソドックス教会は、復活祭を暦の中心として考えるので、アドベントという時期は公式には暦の中には存在しません(と、習いました)。ですが、まったくない、というわけでもないようです。不学でスミマセン。機会があれば有識者に訊いておきます。

さて、ここまでなんかお堅い内容になってしまいましたが、まあ、これらのことトリビア的に知っておいても損はないと思います。機会があれば披露してみてください。(*^^*)

個人的に思うことですが、教会の暦がキリストの生誕であるクリスマスではなく、その日を「備えをしながら待ち望む」アドベントから始まっていることは興味深いですね。

特に「待ち望む」という点に、私の個人的な力点があるのですが、アドベントという時期の設定によって、「待ち望む」ということが公式に教会の暦の中に定められていることになります。

現代の私たちの生活の中では、「待つ」必要がない方が良い、「待ち時間」は無駄時間だ、というのが常識になりつつある気がします。すべて、その方向へ向けて努力していますよね。




午前10時 ようやく陽の光が


先日、イタリアから「無駄に」牧師シャツを買うという小悪を犯しましたことは前回懺悔いたしました。でも、驚くべきことはですね、日曜日の夜にネット注文したものが、なんと火曜日の夜には届いたのですよ! ワオ!

Amazon.co.ukはよく使いますし、そこからも同じような感じで届きます。ですが、Amazonはそういう体制ができているし、イギリスはアイスランドの隣りの駅です。

私がシャツを注文したお店はイタリアのモデナという中部北辺りにあります。Googleで見たのですが、片田舎。町中ではないのです。あそこから、よく二日間で届くものだ、と感心します。

もちろんDHLとかFEDEXとか、配達サービスが高度に発展しているから、というのもありますが、ポイントはそこまで努力して「待ち時間」をなくしているんだ、ということです。

待ち時間がなくて重宝することが多いのは確かですが、それが万能かどうかということは吟味してみたほうがいいかもしれません。

「待ち時間」がただただ否定的に思えてしまうのは、それが自分自身のペースを乱すものであり、ひいては活動効率を下げるものだから、ということでありましょう。

ですが、すべてが自分のペースで進んでしまい、活動効率が上がりっぱなしになったとして、それがどこに行き着きますか?私はちょい疑問に思います。




私の牧師シャツの発送点はこちら モデナ、イタリア
Myndin er ur Google.com


そういう効率良い時があるのは歓迎しますが、ずーっとそうなるのはちょっと怖いな。自分のペースが崩されるから考える間ができるし、効率が下がるから振り返ることをするわけでしょ?

フリーウェイを高速で走り続けるばかりになったら、むしろ抑制が効かなくなって、どこかで大コケしそうな気がしてしまいます。「待ち時間」というのは、私たちが自覚する以上に、生活にポジティブな影響を持っているのではないでしょうか?

キリストの到来を「待ち望む」というように「待つ」に「望む」が加わると、また別の意味が加算されるように思われます。ですが、長くなり過ぎましたので、今回はここでおしまい、としておきます。

間もなく師走でもありますね。慌ただしくなり過ぎないように、気をつけてお過ごしください。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

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ハルマゲドン < アドベントの巻

2021-11-21 00:00:00 | 日記
こんにちは/こんばんは。

十一月も下旬に入っています。この先一週間のレイキャビクの天気予報を見てみると、気温はマイナス3℃からプラスの8℃と、振れ幅がちょっと大きいようです。先週の火曜日は雪も降りやけに寒かったのですが、週の後半はそうでもありませんでした。

それでもその火曜日に、思い切って半袖シャツをすべて引っ込め、長袖に替えました。こちらは、屋内は暖房がしっかりしていて暖かい環境ですので、コート類をガッツリしっかりとしたものを着て、下は半袖とか軽目のもので過ごせる期間が長く、そのまま通す人もあるのですが、私はどこかの時点で長袖に替えています。

さて、コロナの状況とか、ブースター接種とか、いろいろニュースはあるのですがいっさい触れません。もう飽きたし、日本の報道バラエティ並みに「コロナづくし」なっていましたので、しばらく無視します。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Benjamin_Rascoe@unsplash.com


十一月も下旬ということで、翌々の日曜日から教会暦の待降節(アドベント)に入ります。教会歴というのは、教会が年中(ねんちゅう)の行事等の基本にするため、キリストの生涯をもとにして作っている暦です。

このアドベント(アイスランド語ではadventaアズベンタと言います)が、教会にとっては新しい年の始まりとなります。

ということは、今週が教会歴にとっての最後の一週間、大晦日の週となるわけです。これまでも何度かアドベントについては書いたことがありますが、教会「大晦日」については書いたことがないのではないかと思います。

で、今回は教会歴の「大晦日」の週について書いてみることにします。教会の暦全体については、以前に書いたものをご参照くださると幸いです。

教会の暦とはいったい何ぞや?


キリストの降誕を待つアドベントからクリスマスへと続き、三月始めくらいからはキリストの受難を覚える受難節(レント)が始まり、四月に復活祭(イースター)を祝うのが教会のスケジュールです。

クリスマス後、わずか三ヶ月あまりで復活祭になるわけです。つまりイエスの誕生から十字架刑、復活までが四ヶ月弱の間に押し込まれていることになります。私の持論は「ちょっと、忙しすぎるんじゃね?」ということなのですが、もちろん、そのような戯言に付き合ってくれる人はおりませぬ。

そして、五月の聖霊降臨祭(ペンテコステ)を過ぎると、六月から十一月末まで、ほぼ半年の間メジャーな祭日がない、教会歴にとっては静かな期間となります。年の前半の過密スケジュールに比べて、いかにも間が開いてアンバランスだ、と思うのはまたしてもワタシです。




教会暦の締めくくりはハルマゲドン?
Myndin er ur Slashfilm.com


そして迎えた十一月。この月にはワタシの誕生日という大祝日があるのですが、教会はそれを無視して年末のスケジュールへ入っていきます。年末のスケジュールというのは、特に行事ではなく「この時期の教会のテーマ」みたいなものです。

冒頭に書きましたように、教会歴はキリストの誕生を待つ時期から始まるのですが、最後には「キリストの再臨」というトピックで締めくくられます。どういうことかというと、世に来られたキリストが、十字架上で罪の赦しのために自身を犠牲とし、復活し、天に昇られた後、再び世に降りてきて神の国を完成する、という流れになっているのです。これは公式的な教会の教えです。

で、この再臨の際に起こることが「この世の終わり」であり、いわゆる「ハルマゲドン」という善と悪の最後の決戦みたいなものに結びついているわけです。

それはそれでわかるのですが、「この世の終わり」「ハルマゲドン」については、相当小説、映画受けする材料なので、これまでにも無数の映画とかが作られているわけですよ。ということは、それなりにできあがったイメージが世に蔓延していることになります。

この時期の聖書日課(日曜日ごとの礼拝で読むように割り振りされている聖書の箇所のことです)は、この「世の滅亡」に関連しているものになり、あまりウキウキさせてくれるものではありません。

ちなみに「世界の終わり」はアイスランド語ではHeimsendir と言います。Heims「世界の」endir「終わり」。ピザとかの出前のことはHeimsending と言います。Heim「自宅」sending「送ること」。以前このふたつを勘違いして混乱したという笑い話しがあります。(^-^;

そして、一年の最後の日曜日は再臨するキリストを称える意味を込めて「王なるキリストの日」とか「キリストの統治の主日」とか呼ばれます。

「世の滅亡」「ハルマゲドン」「キリストの再臨」「神の国の到来」というようなことが、教会暦の最後の数週のテーマになるわけですが、あまり来会者の皆さんにピンとくるものではないようです。

というようなことをワタシが言うということは、教会のスタッフにとってもピンときてはいないのが真実だと思われます。この時期、教会スタッフの頭の中は、王なるキリストの君臨よりは、次週から始まるアドベントのイベントの準備で占められてしまっているものです。良い悪いは別にして。




ハルマゲドンよりはアドベントの飾り付けの時期? 拙宅


なぜそうなのか?と少し考えてみたのですが、やはりクリスマスやイースターに比べても、具体性に乏しいというか、生活に馴染まないというか。いや、映画になっているくらいだから具体性はあるかもしれないけど、世の破滅とか、そんなに具体的にならなくてもいいよ、という方向に行っちゃうんですよね。

加えて、クリスマスやイースターは、キリスト教の信徒にとっては「歴史の中で起こったこと」なので、イメージしやすいのですが、キリストの再臨とかはこれからのことなので、その点でもイメージしにくいのでしょう。

教会としては、まだ起こっていないことをどのように受け止めるかについても、教えがあるのですが、このブログはキリスト教講座ではないので、まあ、それはまた別の機会に。(*^^*)

さて、そういうハルマゲドンの時期を通り抜けると、アドベントが待っています。アドベントにはいろいろとデコレーションも現れ、一挙にクリスマスに向かってのテンションが上がっていきます。

最近、街中を歩く機会が少ないのですが、市中の飾り付けは着々と進んでいるようです。

ワタシも負けてはいません。我が西街の古アパートのアドベントの飾り付けは、すでに一週間前に終わっています。(小さいアパートなので、飾り付けも簡単に終わるのでした。(^-^; ) アドベントに入ってから徐々に飾り付けをする人が多いのですが、ワタシは例年キチッと始めます。やってしまっておくと、ストレスがひとつ減ります。




二十五年以上愛用のツリー (*^^*)


オーッ、そうそう。アドベントに入る前に教会暦の末の私の最後の?罪の懺悔をしておきましょう。クリスマスのプレゼント用に、同僚牧師さんふたり(もちろん女性)の牧師用シャツをロンドンからネット購入しました。それは罪ではありません。しかし、ついでに自分のも買ってしまった...

いや、正直に言いましょう。私のもネット注文なのですが、それはイタリアから。HDLやFEDEXの料金に加えて、関税もかかるし、結局かなり散財してしまいました。プレゼント用のものはとにかくとして、自分用のものは正直不要というか、必要に迫られたものではありませんでした。牧師シャツはすでに多く持っているのです。今回は単なる所有欲の産物...

すみません。アドベントには精進し、この不徳の埋め合わせをいたします。

皆様も、コロナの影響もあり、ネット購買の機会が増えたことと思いますが、不要買いにはくれぐれもお気をつけください。くせになるし。

教会暦の2021年最後のブログは懺悔でおしまいでした。それでは、また。


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「ひょうたんから駒」的なバースデー

2021-11-14 00:00:00 | 日記
こんにちは/こんばんは。

十一月も半ばとなりました。こちらでは、イギリスやドイツと同様にコロナの逆襲が続いています。ここのところ、新規感染者数が毎日のように200人前後。十万人あたりの感染者指数は過去ダントツの469,3にまで達しています。




清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Tom_Vining@unsplash.com


一千万人に換算すると46900人ということになりますね。病院入院中の人 –つまりは容態が相当悪い方– も増えてしまい20人。うち4人の方がICUに収容されています。

「クリスマス前になんとかしないと」というわけで、一般の集会規制がまた50人まで強化されました。つい三週間前に2000人にまで緩和されたばかりで、本来なら今から一週間後には「制限の完全撤廃」の青写真だったのですが...

日本でも「Goトラ」復活を求める声が強いと聞いていますが、緩和すれば、まず間違いなく次の波がやってくるようです。よーく備えをされますよう。

さて、今回は一週間ほど前に経験した出来事についてです。まあ、笑い話し的なものなのですが、その中にちょっと「??」と感じざるを得ないものがありましたので、その辺を皆さんにシェアしてみたいと思います。

先週の月曜日は私の誕生日でした。なんと63回目。中途半端な?数なので特になにもしませんでした。っていうか、ワタシ的にはアイスランド人のおっさんのような「バースデーはしゃぎ」はどうも恥ずかしく思われてしまいます。

ところが、その前日の日曜日、教会の礼拝の後のお茶の時間に、参加者の皆さんがサプライズ的にケーキを用意してくれたり、歌を歌ってくれたりしました。全然気が付かなかったので、それはそれなりに嬉しかったです。

相方の若い女性牧師さんが音頭を取ったらしいのですが、参加者一同から、ということでプレゼントまで用意してくれました。

開けてみると、私とメッシ(あのサッカーのスーパースターのMessiです)が二人並んだショットが、ちゃんと枠に入って。もちろん合成写真です。結構うまくできていて、本当にふたり並んでいるみたいにみえます。




「メッシ、オレの友だちだから!」


これには前史があり、最近のオープンハウスでの雑談の際に、私が「メッシは控えめで感じのいい青年みたいだね、ロナウドと違って」みたいなことを言ったのです。

するとその場にはロナウドファンもいて、この合成写真を作ってくれたのは、その中のロナウド崇拝者の青年だったのでした。「私はメッシではなくて、ロナウドとのツーショットを提案したんだけど...」と相方の女性牧師。やれやれ、ブラックなユーモアの持ち主。

とにかく面白かったので、後でこの写真をFacebookに載せてみたのです。「オレ、メッシと友だちだぜ!」みたいなノリのジョークです – ジョークのつもりでした。

ところがです。世間にはメッシを知らない人もいるのです。とりわけ、彼がサッカーのユニフォームを着ていない時には、メッシと気がつかない人もいるのです。

そこで私は説明書きに付け足しました。「気がつかない人もありましょうが、私のこの友人は、あの『メッシ』ですよー」

ところがそれでも話しが通じない人もいます。ある年配の女性の方なのですが、この方はFacebookだけでの知り合いで、実際には面識のない人なのですが、コメントに「(あなたは)棚から出てきたということなの?」

はー!?? 

「棚から出てくる」とは「隠れるのをやめて表に出てくる」ことで、カミング・アウトの意味なのですが、こちらでは「棚から出てくる」とは十中八九「私はゲイです」ということを公にすることに使われます。

いやいや、そういうわけじゃないから。




ユニフォーム姿なら誰でも知っていよう、メッシ
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私はその婦人の方に「これはメッシというスーパースターです」とわざわざ彼のオフィシャルHPのリンクまで付けて返事してあげました。

それでもこの婦人はお構いなし。「それで、この人はあなたの『恋人』なの?」

まいったな... メッシが恋人なら一生お金には困らないだろうけど、そういうことじゃないから。

結局、私は「こりゃだめだ」とこの写真の投稿を削除しました。

実は、もう二十年以上もゲイの人たちの権利の拡充と偏見打破の運動に加担してきましたし、その過程で「オマエもゲイだろう?」みたいなことを言われたことは何度もあります。

ですが、ゲイであることが良いとか悪いとかいうことの議論とはまったく別なこととして、私はゲイではありません。そう思われたくもありません。そう思われたくない、というのは、ゲイの人に対してネガティブな考えがあるからではないですよ。

独り身のワタシとしては、寄り添ってくれる麗しき女性がいてくれた方が嬉しいのです。ですから「ゲイ誤解」の故にそういうチャンスを失いたくはない、という実利的というか、身勝手というか、打算というか、そういう理由のためです。

Gay Pride プライドとは人の在りようを映すもの?




このような式もわりとよくあるアイスランド
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まあ、そういう小話しで、それ以上のものではないのですが、ちょっと考えさせられました。

アイスランドは「性差別」に対して厳しい国ですし、いわゆるLGBTの問題に関してもかなりな先進国です。ですから、もちろん個人個人によって感情的なしがらみはありましょうが、自分のセクシャルオリエンテーションを公にできる環境は整備されつつあります。

そして、ゲイの人たちのカミングアップを、周囲が受け入れられるということも、基本的には良いことだと考えます。

ですが、その反面で、すべてをその視点から見る?というのもちょっと「オブセッション」ではないかいな?という気もします。

男子のツーショット写真や、女子のグループ写真を見て、それをストレートにその人たちのセックスオリエンテーションと結び付けるかー?「あなたたち、ゲイなの?」ってか? フツー、そういうことは頭に浮かばないだろう、とオイラは思うのだけど...

今回の小話しは、なにか「とんでもないことに出くわし」「まったく話しにならなん!」ということではなくて、むしろ「基本的には、そういう方向でいいんではないですか」という流れの中で、なんか足元をすくわれたというか、冷や水を引っかけられたような感じでした。

まあ、そうやって右に行きすぎてぶつかり、左に行きすぎて躓き、という風に前に進んでいくものかもしれないですね、世の中は。後戻りしないことが大切なのかも。

というわけで、今回は「ひょうたんから駒」ならぬ「サプライズのバースデーギフトから、これもサプライズの『思索の種』」の巻きでした。コロナ、油断されませんように。


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コロナとオーロラの週 でした...

2021-11-07 00:00:00 | 日記
こんにちは/こんばんは。

アルシンキ(国会)議員選挙が行われてから六週間が経ちましたが、いまだに新しい政権の組閣はなされていません。別に組閣が難しいのではなく、これまでの政権の維持が確定しているために、それほど急ぐ必要が感じられないことが、このチョーのんびりムードを生んでいます。

加えて、ブログにも書きました一部の開票場で投票用紙の管理不行き届きの問題が、まだ最終決着を見ていないため、その結果を待っているという面もあります。

ですが、そののんびりムードに合わせてくれない問題もあります。またしてもコロナです。




西街の古アパートからも見えたオーロラ


先週はとりわけ新規感染が加速しました。水曜日には144人が感染判明。翌木曜日には167人が感染。実はこの167人というのは、一日での感染者数としてはコロナが到来して以来の新記録なのです。

直近二週間での、人口十万人あたりの感染者指数はなんと345,5にまでアップ。東京に置き換えて換算したら、34550人以上ということになります。

「ワクチン接種が進んでいるから重篤者は少ない」という意見が聞かれましたが、実際には重篤になる方もいます。割合としては少ないのでしょうが。入院中の人は木曜日の時点で16人。うち5人の方がICUに収容されエクモの助けを借りています。

千人以上が感染故に隔離状態にあり、二千人弱が感染の可能性のための隔離に置かれています。感染が判明して隔離にある人たちは、自宅かあるいはそれようのホテル等の施設に留まるのですが、収容施設に関しては、これ以上はスペースがないところまで追い詰められてきました。

ニュースを拾い読みした範囲でわかるのは、やはりクラスターがメチャ多いことです。レイキャビクから南へ一時間ほどのセルフォスという町や、西へ半時間のアクレネスという町でクラスターが発生したとのこと。

そのクラスターの原因は、やはりパブや社交の集まりであるようです。前回書きましたように、公のコロナ対策チームの中で、ソーロウブルさんという感染症対策のお医者さんだけが、「気を緩めないように」と警告し続けてきました。




このカウンターアタックの速さ!
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で、ソーローブルさんは、早く経済生活や日常生活を元に戻したい人たちからは「うるせー奴」的に白い目で見られてしまい、脅迫のようなことまでする輩があったようです。

政府も各種制限の再設置には及び腰でしたが、ここに至っては無策のままではいられません。

167人の新規感染者新記録が判明した金曜日の朝。ニュースから数時間で閣僚会議が持たれ、いくつかの制限が「復活」することとなりました。

一般の集会は500人を限度とする。パブ等の営業は午後11時まで。1メートルのソーシャルディスタンスを取れないところでは、マスク着用を「義務」とする、等々です。

私などは、もう先々週からマスクは自発的に着用していましたが、こちらの人の多くが、ヨーロッパ一般に見られるように「マスク嫌い」です。この義務の復活に落胆している人も多いことでしょう。

とにかく、これが現在のアイスランドの現実です。「緩和」の後には「感染者増加」が続きます。イギリスを始め他のヨーロッパ諸国でも同じような傾向が見られるようですから、日本の皆さんも気を緩めすぎないで、慎重に進んでくださいますよう。

以上、コロナ関連でした。コロナはここでおしまい。




新規感染者中、ワクチン接種済み者が再び過半数超え
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一週間ちょっと前の土曜日、久々にきれいでダイナミックなオーロラが多くの場所で目撃?観賞?されました。雲がなく晴れ渡っていたことと、数日前の太陽の黒点活動の記録から、気象局が「今夜はオーロラがバツグン」とニュースでわざわざ教えてくれたのです。

最近、私の担当する教会の集いに参加している難民の夫婦が、「できるなら、オーロラを一度は見てみたい」と言っていたのを覚えていたので、優しいワタシはこの夫婦に「今夜、オーロラが見られそうですよ」とメッセージで知らせてあげました。

私自身は、以前にも書いたことがありますが、オーロラに対する思い入れはまったくありません。寒い中をわざわざ郊外まで出かけて行って写真を撮ったり、オーロラツアーに参加する人たちの気持ちが理解できないヒトなのです。

「オーロラよく見えるぞ」予報


ですから、その夜も特別に何かをするつもりはまったくなかったのですが、ふとキッチン横のバルコニーから外を見上げてみると、おお、きれいに出ているではないか!

バルコニーに出ると寒いので、バルコニーへ通じるドアの上にある、小さな換気用の窓を開けて、そこからiPhone11Proで、パチパチと何枚か写真を撮りました。自分用ではなくて、人に見せる用。へへ。




これは夢叶いオーロラを初めて見た難民のSさんのショット


当然、その夜から翌日にかけて、Facebook上には無数のオーロラの写真が溢れ出していました。本当に「撮る気」のある方々の写真にはやはり美しいものがありますね。それを撮りに、街灯りの少ないところまでわざわざ足を運んで撮るのですからね。感服。

ワタシのは横着してのiPhone写真です。ちなみに先日のNスタによると「写メ」というのはすでに死語だとか... そうなんですか?今度日本へ戻った際に、なんか「死語」を連発しそうでコワイんですけど...

それはともかく、先の難民の夫婦の方がちゃんとオーロラを見れたかどうか気になり、翌日に尋ねてみました。すると「よーく見れました。ありがとう」とのこと。いや、別にワタシがオーロラを呼んだわけではないので、お礼は要りませんが。

写真も何枚か見せてくれましたが、けっこうダイナミックに撮れていましたね。とにかく夢がひとつ叶ったわけで、よかった、よかった。

考えてみると、歳がいってくるとだんだん夢が少なくなっているような気もします。ささいなことでも、夢は夢として持っていた方が人生楽しいでしょうね。でも夢って、どうやったら持てるんでしょうね?

ちょっと考えてみないと。(*^^*)


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