レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

ジュネーブ中街ワイワイ日誌(19-1)– 久々のグループ旅行珍道中

2019-09-28 20:35:44 | 日記
ユニクロのウルトラライトのダウンコートが必着となったレイキャビクを抜け出し、ジュネーブに来ています。ここはかなり南欧に近い位置にありますので、やはり暖かく、ジャケット不要くらいの気温にまで達してくれます。

事前に気温をチェックした時は「ジュネーブ日中気温は23〜4度」とかなっていましたので、ジャケットはユニクロで買った夏用のものにしました。自宅を出る時はもちろんダウンジャケットを着ていましたが。

日本に来る時もそうなのですが、たとえ日本ではコート不要の時期でも、出発、及び帰国時の「自宅―ケフラビク空港」間は寒いことが普通ですので、余計な一枚を携える必要があります。

今回は久―しぶりの「集団旅行」です。とはいっても七人だけですが。バカンスではなく仕事です。一週間ほどの短い旅程ですが、逆にスケジュールはかなり詰まっていて、ほとんど自由になる時間がありません。

ちょうど週末を含んでいるので「今回は定期時のブログ更新は無理かも」と思っていました。ですが(今これを書いている)土曜日の朝は、日程開始時間が9時半とゆっくり目なので、頑張って早起きして(ウソです。老人性の早起きなだけです)、更新を目指しているわけです。




宿舎の救世軍ホテルの前の通り いかにもヨーロッパ的


旅の目的とかは、また説明するとして、先に書きましたように今回の旅は仕事でのグループ旅行です。私の仕事は教会の牧師さんですので、旅のお供連も皆さん牧師さんたちです。

総勢七人(ひとりは現地集合)なのですが、男性四人、女性三人、高齢者四人、若い世代三人と、良いバランスのグループです。なぜそういう組み合わせなのか?ということも次回あたりに書かせていただきます。

さて、一人で旅行する場合と、グループ旅行―しかも会社(教会)の公用での旅行―の場合では異なる点があります。それは「自分で手配する部分が少ない」ということです。

フライトの会社や時間、滞在する宿等々、すべてあてがわれたものをいただくしかありません。逆に言うと「自分では何もしなくてよい」。

私は現地でマゴマゴするのが嫌なたちなので、ひとりで出かける時は必ず周到にガイドブックを見たり、地図を調べたりして事前情報の入手に余念がありません。

ですが、今回はまったくの「グループ旅行」モードが入ってしまっていて、要するに「誰かが知ってるだろ」という「おまかせモード」だったのです。それはそれでいいのですが、問題は御一行様の皆がそういう「おまかせモード」だったことです。(^-^;




ホテルの真ん前から 正面のアパートでお婆さんがひとり通りを眺めているのが素敵な画に


往路のスケジュールを見ると、ケフラビク発がアイスランド航空の朝7:30の便。フランクフルトでルフトハンザのジュネーブ行きに乗り換えるのですが、待ち時間が三時間ちょっと。「長いなあ」と思い、かなりだれた旅路になることを予測していました。

ところが順調にフランクフルトに着いてみると、乗り換え便は別のターミナルにあるということ。一同「そのターミナルはどこにあるの?」

ご承知の方も多いと思いますが、フランクフルト空港は世界各地とヨーロッパを結ぶハブ空港のひとつで、要するにヒースロー並みに「でかい」空港なのです。私は知識としてはそのことを知っていましたが、恥ずかしながらここに来るのは初めてで、どのくらい大きいのかまったく予備知識がありませんでした。

で、しばらく皆でウロウロ。「乗り換えるには一度、空港外に出るのか?」「そうらしい」「ホント?そんなことある?」

そういえばヒースローや成田でさえ、ターミナル変更時には一度空港外へ出るじゃないか。(成田で直接乗り換えたことはないのですが、そうですよね?第一、第二は直結してませんよね?)

やっと乗り換えターミナルに向かう電車に乗り込みました。案内通りに下車したのですが、今度は「どこでボーディングカードをもらうのだろうか?」私たち一行は、ケフラビクでは通しのボーディングカードを受け取ることができず、フランクフルトで発券してもらうことになっていたのです。

あっちで尋ね、こっちで尋ねた末にようやくボーディングを入手。ついでに言っておきますと、今回はひとつのブッキングナンバーに五人が連なっており、これは皆にとって初めての体験。

自動発券機でボーディングカードを発券させるためには、誰かの名前や必要な情報を入力する必要があったのですが、そのことの説明がまったくなくマゴマゴするばかり。

そんなこともあり、私の印象では「ドイツの空港は近代的で、とても良くデザインされているー 様に見えるが、実は場所についてもシステムについても説明不十分で、それほど良くデザインされているわけではない」となりました。ドイツびいきの方、スミマセン。m(_ _)m

そのあと、これも丸一時間はかかった様なセキュリティを、ケフラビクに次いで再度通過しなければならず、十分だったはずの「待ち時間」三時間は、結果的にピッタリの待ち時間と化してしまいました。

まあ、これもドイツのシステムよりは己の準備不足を反省する方が先でしょうね。




ホテルの屋上のテラスから 綺麗なお城がライトアップされてます


最後に着いた宿屋は救世軍の経営するホステル。ダウンタウンの真ん中にあり、場所は最高。「もしかしたら大部屋で雑魚寝か?」と不安があったのですが、普通に綺麗なホテル(三つ星)で、冷蔵庫がない点を除けばパーフェクトでした。

おまけに屋上には夜間も利用できるテラスまであり、さすがにフランス人は人生を楽しむなあ、と感じ入りました。ジュネーブは文化的にはフランスの街の様です。よーく世界地図で見ますとね、ジュネーブはスイスの左の端っこで、フランスに食い込んでいる様なロケーションにありますよ。

と、ここまで書いて時間切れです。次回にはもう少しまとまりのある内容にしたいと思います。内容が濃くなるとは思いませんが… (*^^*)


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is|

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「レイキャビクでは書けない」ある女流作家の挫折と告白

2019-09-22 00:00:00 | 日記
先週の一週間は、毎日「雨―」の連続でした。風が強い日もありましたが、それよりもザーザーと上から下へ降る、まるで日本の梅雨時期のような日まであったのです。それでいて気温は13, 4度と、この時期としては高いのです。

やれやれ、嬉しいのか、つまらないのか決めかねる気分です。毎年、夏から短い秋、そして冬へと移り変わる時期は、精神的にも肉体的にも調子を崩しやすいですね。久々の「闇」の到来に気が重くなりそうですし、「寒気」には身体がまだ慣れていないので、実際よりも寒く感じてしまいます。

冬に入りきってしまえば、それはそれで平気なのですけどね。

さて、今回は夏の間に読んだ新聞記事についてご紹介します。面白いと言うか、気になるものだったので「そのうちブログに書こう」と思ってとっておいたものです。

その記事は、アイスランドの新聞のネット版で「その記事について扱った記事」を見つけたものです。元の記事はイギリスのGuradianのネット版でした。

タイトルは「レイキャビクでは私は書けない、と分かった。それから小さなことに気が付き始めた」というものです。書いたのはイギリスの女流作家のサラ・モスさんという方。

「アイスランドで物語を書こう」と思い、家族連れで2009年から10年にかけて、レイキャビクに越してきたのだそうです。もう十年も前のことですね。その時の体験を基にした記事なのですが、先へ行く前に、このサラ・モスさんがどのくらいの?作家なのかについて一言しておきましょう。

1975年グラスゴー生まれ、ということですから、今年四十四歳ですね。レイキャビクへ来た当時は三十四歳。Wikiによりますと、六篇の小説と、いくつかのノンフィクションものを書いているようです。

自身のホームページを見ますと、オックスフォードで英語文学のPhDを取り、現在はワーウィック大学というところの教授で「Creative writing」なるものを講義しているそうです。それほど「売れっ子作家」というわけではないようです。

さて、このGurdianに現れた記事、まずはタイトルのように「レイキャビクでは書けなかった」と打ち上げておいてから、どうしてそうなったのかを説明しています。

「アイスランドの(自然の)風景は、物語りを携えているのでしょうが、それらは私の物語りではありませんでした。




物語りを携えているアイスランドの風景


(アイスランドでは)ドイツやフランスでの長期滞在では感じなかった『外国』を感じました。アイスランド人の感情を読み取ることができなかったのです。(...)

誰も腹を立てたり、心配したり、興奮したりしないように思えました。(...)

アイスランドの映画も観たのだけど、サブタイトルがあったにも関わらず、ストーリーに付いていけませんでした。そこで語られていること(僅か)と、起こっていること(ほとんどが暴力か手仕事)の間にどんな関係があるのか、理解できませんでした。

私はいつも謝り回っていたように思います– その場にいること、アイスランド語を話せないこと、それが何であれ何かを尋ねていることを。だがあらかじめの謝罪(断り)はアイスランドでは通用しておらず、(そのような行為は)ますます私を奇妙な人物に見せてしまい、私がただ弁解しまくっているように感じさせたようです。

Sorry, sorry for saying sorry.

私はジョークも言わなかったし、笑いもしませんでした。だって、私の場所じゃなかったんです。私は自分を小さく、静かにして、観察し学ぶようにしました。古典的な新参者の移民の反応ですね。

良く知られたことですが、アイスランド語にはPleaseという言葉がありません。そしてTakk (ありがとう)は、英国人のThank youよりも、はるかに稀にしか使われないのです。(...)

同僚の(アイスランド人の)ピエトゥルが私に言ってくれました。(...)『礼儀というものはここでは(アイスランドの)植物のようなものさ。陽の光が少なく、シーズンも短いから、皆、地面に近いし、育つのも遅い。でもすべてそこにあるし、機能するんだ。君もわかるようになる』」

こんな調子で続くので、ここまで読んだアイスランド人は早々にギブアップして「なんだ、こいつは?」となってしまったことでしょう。私自身も「なんだ、ひどくjudgingだな」と思いました。当然ですよねえ? 実際、この記事について扱ったアイスランドの新聞のネット版は、この辺で終わっているのですから。

ところが、ここに落とし穴がありました。実際にGurdiannの記事を当たってみると、本当はまだ先があったのです!

サラさんは続けます。

「風がない時は、私は夏期の習慣である就寝前の散歩をするように努めました。雪の上に月明かりが届いていることもあるし、オーロラを見ることもある。本当に『闇』というわけではなかったのです。私は遥か南の方のかすかな、光の動き(Modulation)を学びました。

同じようにして、ひかえめな作法やある種の礼儀の中に紛れ込まされている、気が付くかどうかくらいの自己表現のモドュレーションを、私は学びました。

もちろん、アイスランドにも感謝や悔恨、さらに自己批判までも存在するのです。アイスランド人にも興奮や怒りを表現する方法はあるのです。問題は、私が、それらに気が付くことができなかった、ということなのでした」


元の記事を読みたい方はこちら





闇の中にも明かりはある... その光の波長をつかめるかがカギ?


考えてみると、私自身、アイスランドへ来てからの数年間は、このサラさんが書いていることと同じような「ネガティブ!!」感情を持ちましたね、この国に対して。私の場合に一番強く感じたのは「なんて『気配り』のない連中なんだ!」ということでした。

それどころか、こちらが謙遜にひかえめに出てやると、かさにかかってきたりして。ザケんじゃねえよ。

あの時からこのブログをしていたとすれば、きっとサラさんの記事の前半と同じようなことを書いていたことでしょう。人間、始めは自分の既に持っている表現法や、周りを測る基準を使わないわけにはいかないですからね。

そして、ある程度のところから、見えなかったものが見え始めたり、気がつかなかったものに気が付き始めたりして、アジャストしていけるのだと思います。

そこまでいって、まだ気に食わなかったら、それは本当に「相性が悪い」ということになるのではないでしょうか?

記事の全体を見る限り、サラさんもアイスランドと本当に「相性が悪い」というわけではなかったのでしょう。めでたし、めでたし。




サラさんの記事を紹介するフリェッタブラーズィズ紙ネット版 見出しは「アイスランド人 感情なし」



しかしです、ここで私は言いたい。

このガーディアンの記事をアイスランドで紹介した、フリェッタブラーズィズ紙のネット版。明らかに意図的に記事の後半部分を無視して、前半の「ネガティブ」部分だけを取り上げていました。

これではサラさんが、アイスランドに本当に幻滅して、徹底的に攻撃している「てい」になってしまいます。実際、ネット版に寄せられたコメントは、その線に乗っかったものがほとんどでした。

三流の大衆紙ならともかく、アイスランドでは一応モルグンブラウズィズ紙と並んで「二大紙」に数えられている新聞がそういうことをするかなあ?という呆れた気分にさせられました。

記事のテーマがテーマだけに、逆に複雑な思いがします。一周グルっと回って、結局、サラさんが始めに感じたことが正しかったんじゃないのかい?とか...

やれやれ、アイスランド。私だって、私だって、ツカれるわ...


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Facebook – だけでのフレンドとの夏の思い出

2019-09-15 00:00:00 | 日記
秋めいたレイキャビクですが、最低気温は4-5度、最高気温は10度前後という日々になっています。時折、風が強くなることもありますが、まだまだ「良い夏」の後遺症を引きずってくれているようです。

さて今回は、前々回書きましたFacebook関連についての続きに移りたいと思います。

前々回書きましたように、私は「ガツガツ系」でFacebookを始めましたので、政治家でも社交家でもない一般人にしては多めの「フレンド」を持っています。アカウントがふたつあるのですが、始めのアカウントは4900人くらい、もうひとつは1800人くらいのフレンドがいます。

ちなみにどちらのアカウントもちゃんと本名で開いていますよ。Toshikiが先に来るか、後に来るかの違いですから。(*^^*) 私はJames Bondと同じく、偽名は使わない主義なのです。

横道ですが、最近、政府は「日本人は日本人らしく『姓』『名』の順で名乗るべきだ」とか言って、明治以来の伝統?「名前+姓」方式を改めるようにアピールしたみたいですね。もっとも文部科学省はもうしばらく前から、そのようにアピールしていたと記憶していますが。




ネット上だけでの人間関係とは?
Myndin er eftir ID 132738774 © Thodonal | Dreamstime.com


Facebookは、一応5000人というフレンドの上限を定めています。それで始めのアカウントが上限に近づいた折に、ふたつ目を開いたわけです。双方に重なっている人が100人強出てしまっています。

「ガツガツ」フレンド集めをしたわけですから、当然「Facebook上だけの知り合い」という方が相当数に昇ります。過半数と言った方が正解か?いや「ほとんど」が正しい表現でしょう。

それでもせっかく「フレンド」になったのだから、と思い実行していることがあります。「誕生日登録」をしていて、自動的に誕生日が表示されてくる皆さんには、必ず「ハッピーバースデー・メッセージ」を送るようにしていることです。

登録をしていない人についてはどうしようもないですが、している方々とは、少なくとも年に一回は直接の「触れ合い」をすることができるわけです。もっとも、これはこちらからの一方的な思い入れですが。

これまでの経験から言うと、だいたい毎日12―15人くらいの人が誕生日を迎えているようです。仮に5000人の集合を365日で割ると、平均13,7人となりますから、理屈に合っていますよね。

ですが、このバースーデー・メッセージでひとつのトラブルに見舞われました。「ハッピーバースデー!」を送った相手について「トシキ、この人はもう亡くなっているよ」という忠告を共通の「フレンド」からいただくことが何度かあったのです。

なにしろ自動的にアップされてくる誕生日
情報をもとに送っているわけで、本人方を直接には存じ上げないのですから、こういうことは起こり得ます。わざわざ忠告してくださった方には「これこれで... 」と説明をし、謝り、また教えてくれてありがとう、ということになります。




天上とは繋がるのか?Facebook
Myndin er ur Billygraham.org


別にそれだけのことなのですが、やはり決まり悪く感じてしまいますし、亡くなっているフレンドの方の「本当の友だち」の方々から見れば「なんだこのヤロー」と思われるんじゃないか、と気落ちしたりしてしまいます。

メッセージを送る時に、ひとりひとりのページをきちんと開けて確認すれば、こういう間違いはしなくてすむのでしょうが、毎日そのために14、5人のページを開くというのは、実際には難しいものがあります。

そこで昨今、妥協案的に実践しているのが「年齢の高い方の場合はページを開けて確認する」と言う仕方。「縁起でもないことをするヤツだ」と思われるかもしれませんが、これはかなり実際的に役立ちます。これまで三回くらい、亡くなっている方を発見し、メッセージを送らずに済みました。

ユーザーが亡くなった後、そのアカウントを閉じることができない、というのはFacebookに関してはずいぶん話題になったことがありますよね。

現在ではそのような際にきちんと対応できるように、事前に、つまり「生前に」アカウントの世話役を選んでおくことができるようになったと思います。私も娘を「世話役」に指名してあります。

そういうシステムの改良の効果もあるのでしょうが、最近はこのバースデーメッセージのミスは起きていません。

ところで、やはり「Facebookだけでのお付き合い」の方について、多少関連はありますが、異なる種類の経験を八月にしました。

このフレンドの方は、私よりひとつかふたつ歳が下の女性なのですが、直接の知り合いではありません。Facebookに限って言っても、別にメッセージのやり取りをするような仲でもなく、ただ私のアップする配信に、よくライクを付けてくれる、という程度のお付き合いでした。

八月のある日、オフィスで新聞を開いていると、「死亡欄」の中にどこかで見覚えのある顔がありました。「あれっ?この人、Facebookの友だちじゃない?」と思い、確かめてみると、やはりそうでした。

「事故か?病気か?」と思い、その女性の方のページを開いてみると、亡くなったとされる日の前日まで、普通に取り立ててのことでもないようなことが配信されていました。

たとえ直の面識がなかったとはいえ、ついこの間までやり取りがあった人が急に亡くなったとなると、やはりびっくりするのと悲しくなるような複雑な思いがします。

その女性が家族として挙げていた人 –娘さんだったのですが– のページを覗いてみると、お母さんが亡くなったことを告げ、追悼していらっしゃいました。ただ死因とかは何も触れられていませんでした。

気になったのは「母は病気ではなかった。病気が母を造っていた」と書かれていたことです。どのような病気かはまったくわかりません。ですが、相当、病に苦しめられていたようです。

仕方なく、その亡くなった女性のページに、今度は間違いではなく、亡くなったことを承知の上で、それまでのお付き合いを感謝し、平安を祈るメッセージを送りました。




Facebookフレンドへの追悼
Myndin er ur Dreamstime.com


その女性の葬儀の案内も出ていたのですが、特に予定のない日時だったのと、場所がレイキャビクだったこともあり、参列してみようか?としばらく本気で考えました。どんな人だったのか?何があったのか?知りたい気持ちがあったからです。

結局、参列はしませんでした。興味本位で参列するのではないか、という自己批判めいたことがあったからです。それに、それまでそのようなお付き合いだったのだから、そのままにしておくのが良いのではないか?という気もしました。

若い世代の皆さんは、このような「ネット上での人間関係」も始めより人間関係の一部になっているのかもしれませんが、私にとってはまだまだ底の浅い、未知の分野であるようです。

「危険」という話しもよく耳にしますし、本当にそうなのでしょうが、そういうネガティブなもの「だけ」ではないですよね、ネット上での関係。私自身はFacebookを楽しんでいますし、どちらかというとプラスで、有益な関係の方を多くいただいてきたと感じていますから。

皆さんはいかがでしょうか?


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペンス副大統領、29歳大臣、WOWの再生とお金持ち

2019-09-08 00:00:00 | 日記
初秋のレイキャビクです。日中の気温はまだまだ温かいこともありますが、朝晩は寒くなってもおかしくはないので、ジャケットの上にユニクロのウルトラライト・ダウンジャケットを羽織る毎日になりました。(「ユニクロ、ユニクロ」と言うことが多いのですが別に回し者ではありませんので... )

さて、先週はいくつかニュースネタがありました。まずは水曜日にアメリカの副大統領マイク・ペンス氏が来アしたことです。「副大統領はマイク・ペンスという人なんだ」くらいの認識しかなったのですが、これはワタシのズレだけではなく、トランプ政権の「トランプ氏しか見えない」性格にもあるのではないか?と。(^-^;

それでも副大統領は副大統領。ものすごい警戒体制が取られる、と前々日から警告が出されていました。外務大臣らと予定されている会談の場はHofudaホブザと呼ばれるレイキャビクの中心にある建物で、ここはあの歴史に残る1986年の「レーガン・ゴルバチョフ会談」の行われた場所です。

そのホブザの一角は水曜日朝から車の通行は完全閉鎖。周囲にオフィスも多いのですが、通勤の皆さんは苦労されたことでしょう。




エアフォース1ほど見栄えがしないエアフォース2
Myndin er ur Wikipedia.com


私は幸いにその周囲に出かける用事はなく、その点では心配はありませんでした。ところがペンス副大統領の日程を新聞で見ると、ケフラビク空港到着が午後12時45分とあるではありませんか。

水曜日には私はケフラビク教会で難民の人たちとの祈りの会があるのです。万が一、途中で検問とかやっていて渋滞が起こるといけないので、用意周到な私は正午には教会に着いてしまっている算段で出かけました。

ところが渋滞どころか、交通量が普段より少ないくらいで、11時半には着いてしまいました。おかげで九十分の時間潰しをするはめに。

することがないので、iPhoneで公営放送の臨時ニュース番組を開け、エアフォース2の到着生中継を見てしまいました。見たってしょうがないんだけど。

日本でならニュース価値はほとんどないでしょうが、ここはアイスランド。教会へ行く道は、着く直前まで実は空港に行く道でもあります。車の左手には空港が広がっているくらいの「隣り」なのです。

さすがにその距離でエアフォース2が来るとなると、多少の好奇心はくすぐられます。実際にやって来たエアフォース2というのは、1のようなジャンボ機ではなく、一回り小さい機種でした。やっぱり「格差」か?

あとで調べたらボーイングの757という機を元にしているのだそうです。ちなみに1のジャンボ共々、大幅な改良がされているので、あくまで「原型」はジャンボや757だということに過ぎない、とのことです。

空港では派手な出迎えは一切なく、副大統領夫妻はさっさかと車でレイキャビクへ向かったようです。




会談場ホブザと周囲に掲げられたレインボー旗
Myndin er ur Visir.is/Vilhelm


このペンス氏、アイスランドではまったく人気がなく「来ア反対」の声がかなり聞かれていました。まあ、トランプの副大統領ですからね。なんでもゲイの権利に超絶反対なお方のようで、ホブザの建物の周囲にはこれ見よがしにゲイのシンボル旗のレインボー旗がたくさん掲げられていました。

カトリーン首相も最後の方まで「会わない」とぐずっていたとか。実際には会談しましたが。

翌日の木曜日。新しい法務大臣にアウスロイグ・アルトナ・シグルビョルンスドティールという女性が就任することが明らかにされました。1990年生まれで現在29歳。私の息子と同年生まれ。アイスランドの共和制の歴史で最ヤング大臣だそうです。

若いのはいいのですが、ちゃんと仕事ができるのかなあ?という心配はどうしても出てきてしまいます。法務大臣というのは、大臣連の中でも重要かつ難しいポジションなんですけどね。議員になったのは2016年ということですから、政治家歴も三年。まあ、どうなるかはいずれ明らかになるでしょう。




最年少大臣となったアウスロイグさん
Myndin er ur Ruv.is


そしてその翌日の金曜日。これはちょっとびっくりのニュース。

アメリカの「アエロスペース・アソシエーションLLC」という会社の会長で、資産家としても知られるミシェル・バラリンという女性が緊急記者会見を開くとのこと。現在アイスランドに滞在中で、会見の内容は「WOWエアを買い取ったから」とのこと。

ご承知かと思いますが、WOWエアは春先に倒産し、すべてのフライトと営業サービスが一夜にしてストップしてしまいました。おかげで千人単位の失業者。レイオフは関連業にも飛び火し、アイスランドの春の悪夢と化していました。

アイスランド でかすぎる春の嵐


このバラリンさんによる買取話しは夏にも話題になってたのですが、何かの支障により「ご破算になった」とされていたのです。

ところが記者会見はきちんと開かれ、バラリンさんは「十月にはまた飛び始めるから」とのこと。もともとWOWで働いていたパイロットを始め、多くの人たちの再雇用を考えている、とも明らかにされました。もっとも「失業者全員が戻る」といいことはさすがにあり得ないようですが。

それでも、実際にそのようになるならば、失業してしまった人たちはもちろんですが、アイスランド経済というか社会にとっては朗報だろうと考えます。

この夏は「経済」の関して言えば「良い夏」ではなくかなり「冷え込んだ夏」になっていましたし、先行きを案じる雰囲気になっていましたから、WOWがまた飛び始め、外国からのツーリスストを再び運んでくれるようになれば、これはターニングポイントになるかもしれません。




WOWのみならずアイスランド経済の救世主となるか?バラリンさん
Myndin er ur Visir.is


ビジネスにはなんのセンスも知識もないワタシですので、このエアロスペース云々がどういう企業なのか、良い企業か悪い企業かも存じません。それでもペンス副大統領なんかよりは、バラリンさんの歓迎式典を開けばよかったのではないか、という気がしてしまいます。

このお婆... いやいや老婦人、その世界ではかなり知られた人のようで、いわゆる「投資家」であるようです。胡散臭い世界ですよね。それでも会見の様子を流したニュースでの受け答えとかを見ていると、「とにかく私たちは慎重に一歩一歩足場を固めながらの経営を考えています」とか、結構まともなことをおっしゃっていらっしゃいました。

願わくば、この新オーナー率いる一団が食わせ物ではなく、WOWをまとまな営業へと牽引してくれますように。

それにしても、時々考えるのですが、すごいお金持ちになるとどんな気分なんでしょうかね?多分、世界は違って見えるだろうな。職業柄、「お金は大切だが、お金に仕えてはいけない」というようなことをよく言いますが、実際はそれほどの大金を目にしたことなどありませんからね。

Lottoでも買ってみようかな... いやいや、そういうところから転落は始まるのだ。ここまで来てしまったからには「お金のない人生」でオチをつけないと...

今回はFacebookの続きを書くつもりだったのですが、ちょっと「臨時ニュース」的に、先週のホットな話題の提供に変更しました。Facebookの続きはまた次回に。(*^^*)


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワタシ的Facebookの「ガツガツ」使用法

2019-09-01 00:00:00 | 日記
深夜から朝にかけては、気温が4−6度にまで落ちるようになったレイキャビクです。公式にはアイスランドには「春」「秋」は存在しません。「夏」「冬」の二シ―ズン製です。

フォーマルな「冬入りの第一日」はまだ先で、今年は10月の26日になりますが、もっと大まかな意味で、九月に始まる新年度から来春の四月までを通して「冬」と呼ぶのが習わしになっています。

文化というか生活習慣的には「冬は活動期」「夏は休暇の時期」という図式ができあがっており、「冬」という言葉が「(仕事の)オン・シーズン」という意味を持っているといってよいでしょう。

やれやれ、仕事か... なんて、始めから言ってたらバチが当たりますね。張り切って仕事に向き合いましょう。




Facebook
Myndin er Facebook.com


今回はそれでも仕事ではなく、Facebookについて少し書いてみようと思います。皆さんの中にもFacebookにたしなんでいらっしゃる方は多いだろうと思います。ネット新聞で、日本では若い世代はすでにFacebookから離れている、という記事を読んだ覚えがあります。それも二、三年前に。本当なんでしょうか?

この夏に発表されたリサーチの結果によると、アイスランドではFacebookに限りませんが、16歳から24歳までの年齢層でのSNSの利用者が、国民の98%になりこれはEU諸国の中でトップだそうです(アイスランドはそれでもEUの加盟国ではありません、念のため)。

デンマーク、チェコ、バルカン諸国が97%でこれに続くのだそうです。

65歳から74歳までの高齢者グループを見ても65%という高さ。ちなみにEUでのこの年齢層の平均は19%だそうですから、アイスランドではかなりの割合のご老体がSNSを使っていることになるようです。

Facebookでは、基本的な利用方法として「実際の知り合い同士が、ネットでも繋がる」という方針を持っていたようです。今ではどうか知りませんが。いずれにしても、実際に「本当の友達だけしかFacebookフレンドとして受け入れない」という方もあるようです。

その逆で、知らない人とでガツガツ積極的にフレンドになる! という方もかなりいるのではないかと想像します。アイスランドのFBをざっと見ても、やはり多くのコネクションを求める政治関係の人などは、このガツガツ系が多いように思います。

私自身、ある時期はこのガツガツ系でした。FBを始めたのが正確に何年のことだったのか覚えていませんが、始めはどのように使うのか、何が面白いのかさっぱり理解できず、アカウントを作ったものの、そのまま放置しておいた時期があります。

十年ちょっと前くらいから、やっと利用法がわかり始め、それと同時に自分の考えていることで、新聞とかに投稿するほどの価値もないことをツラツラ並べるには良い場だ、と気がついたようです。




文中紹介とは別のリサーチ結果 それでも高いユーザー割合
Myndin er ur Naporeoncat.com


その延長で思いついたことが「アイスランドで生活するアジアからの移民として、毎日何を考え、何をして生活しているのかを知ってもらおう」ということでした。

その当時 -2007年前後だと思うのですが- 移民に関する議論はかなりあったものの、「じゃあ、移民の生活を知ってる?」と問われたら「なんも知らない」という人の方が普通だったのではないだろうかと思います。

で、自分自身を出汁にして、かなりプライバシーの公開になる部分もあったのですが、生活事情をせっせとFBにアップするようになりました。例えば「今日、スーパーの店員が見下したような態度を見せてアタマにきた」「子供がピアノの発表会でうまく弾けて嬉しかった」「今夜のオムレツはうまく焼けた」とかそんなようなことです。

なんでもないことですが、そういうのを読んでいくうちに「なんだ、移民も私らと同じように感じ,同じように生きているんだ」ということが伝わるのではないかと考えたわけです。

そういう動機があったので、ワタシ的にはこれは半分くらいは公的目的、というか移民牧師としての仕事の延長線上にあるものでした。

で、当然「多くの人に伝えたい」と思い、ガツガツ系になったわけです。

もっともガツガツする中にも基準があり、まずはアイスランド人の友達を作ること、でした。動機からしてもアイスランド人の人とコミュニケートしたかったからです。

ついでFBは原則としてアイスランド語ですることとしました。これは「移民=アイスランド語はダメ」という偏見を壊すためと、アジアからの移民でも社会に適応できるのだ、ということを示すためにも大切なことでした。

ですから、たまに混じっているアイスランド人ではないフレンドから「なぜ、英語で書いてくれないのか?」というクレームをもらったことも何度もあります。ですが、これはこちらの動機が優先しました。悪しからず。

後日、日本人のフレンドも多くなってきてからは、アイスランド語と、その要約的な日本語を加えるようになっていきました。

ただ、話題がアイスランド限定のローカルなものである場合は、日本語ははしょってしまいます。そのローカルな話題そのものを説明しないと、通じませんし、そうすると大層な仕事になってしまいますから。

そのようにして、市議会議員候補のようにせっせとFB友達作りに励んだ結果、それなりのフレンド数になりました。もちろん、非常識な申請はしないように努めましたが、それでも一、二度Facebookの管理部?から「あなたのやっていることはAgressiveな行動に相当します」とか警告を受けたこともあります。




すべて監視されているそうですよー
Myndin er ur Facobook.com


「そうかもしれないけど、アジア系移民が白人社会で生き残るには、そのくらい必要なんだよ!」

その頃、私は頻繁に新聞の投稿とかで、社会問題の議論に参加していましたので、結構名前そのものは知っていてくれたアイスランド人も多く、それ故かこの「警告」以上のレッドカードを受けるようなトラブルもなく済みました。

「老境」に入った今は、もはやそのような「ガツガツ」はありません。

これはあくまで、私が選んだFacebookの使用法ですので、それ以上のものではありません。「実際の友達しか受け入れないことにしています」という人も何人も知っていますし、それはそれでその人の楽しみ方でしょうし、というか。そっちの方が健全な楽しみ方なのではないかと思います。

ガツガツと友達数を増やすと、それに伴った弊害というか、問題も起こったりします。それについては次回書いてみたいと思います。

ちなみに日本の方のための私のFBアカウントはToma Toshikiです。ブログを読んでくださっている方の中で、「FB付き合いをしてやろう」とお思いの方がありましたら、リクエストしてください。

その際に「ブログ、読んでます」と一言添えていただければ間違いなく「ヨロコンデー」アクセプトさせていただきます。オッと、またガツガツしてしまった... (^-^;


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする