レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

難民申請者だった「ホントは天使」

2022-03-26 23:52:50 | 日記
こんにちは/こんばんは。

しつこくへばりついていた残雪もようやく消え始めてくれています。久々に道路というか地面が見えてくれるのはありがたいのですが、道路のそこここに大きな穴が空いてしまっていて、これは困りものです。

氷、低温、凍結防止用の塩とかが相互作用を起こして、路面を破壊してしまうのだそうです。さらにいうと「安価なアスファルトを使っているから」という意見も専門家から聞かれていました。

毎日通る道ですと、どこに穴があるか承知しているのですが、たまにしか通らない道だと、突然目前に穴が現れたりして、これは危険。早急になんとかしてもらいたいものです。




美しいキーウ(キエフ)の夜景
Myndin er eftir Masym_Tymchyk@unsplash.com


さて、前回はウクライナからの難民の人たちのことについて書きましたが、今回もその関連です。正直言って、このところこの問題/課題にかかりきりで他に話題がありません。

まあ、でも今日ご紹介したいエピソードは、直接にはウクライナ難民のことではありません。

二週間ほど前に、ウクライナ難民の救済活動のベースのようになっている場所を訪問しました。広告会社の社員用カフェテリアが開放されているものであることは前回ご紹介した通りです。

私が訪問した時は、七、八十人が集まりかなりごった返していました。その時は難民の人たちが半分、ボランティアの人たちが半分くらいの感じでした。そして、そのボランティアの人たちの中には、戦争に反対するロシア人の人たちもかなりいたわけです。

私が立って、周囲を眺めていると、ひとりの若くて結構きれいで、髪の毛の黒い女性が「Toshiki...?」と尋ねてきました。そうですよ、と答えると「ああ、やっぱり」とにっこり。

若くてきれいな女性に話しかけられ、にっこりされて悪い気がするわけもないのですが、なんで?という気持ちが顔に現れたのだと思います。

「何年も前に、ケフラビク(空港のある町)で会ったことがあるんです。私はロシア人で、難民申請者でした。あなたは私たちを訪問してくれ、サポートしてくれたんですよ」




キーウのAndrew’s Descent
Myndin er eftir Ilya_Cher@unsplash.com


なんと!?

そう言われても、正直言ってまったく思い当たる節がありません。率直にそう伝えたのですが、その女性 – 仮にナターシャさんとしておきます– は気分を害した風もなく、滞在許可を得た後、大学へ行ったこと、現在は魚関係の会社で働いていること、母親も一緒に暮らしていること等を話してくれました。

難民だった人が、今では元気に普通の生活をしている。しかも、こうして他の難民を助けるために来てくれている。これは、私としてもとても嬉しいことでした。

その後、いろいろ考えたのですが、どうしても思い出せません。歳を取るというのはこういうことか?まいったな...

ですが、ケフラビク、ロシア、母親、というような言葉がひっかかって、よくよく考えているうちに、おぼろげな記憶が浮かび上がってきました。

私がケフラビクの難民申請者のところへ、定期的な訪問をしていたのは赤十字のボランティアとしてでした。それは2005年から2014年ぐらいまでのことです。それ以降は、難民申請者の人たちの宿舎がレイキャビク近郊へ移ったのです。

そして、このケフラビク訪問の最後の一、二年には、訪問先がいくつかに分かれるようになりました。最初の頃は、訪問先はFitというホステルだけだったのですが、女性の申請者や家族での申請者が増えるにつれ、宿舎も複数になっていったのです。

そして、その頃に女性だけが滞在している宿舎がありました。ケフラビクの病院のすぐ前の一軒家。そこにも何度か訪問に行ったことがあります。

ちなみにこの訪問は私がひとりで行くものではなく、四人一チームで行くものでした。時にふたりだったり三人だったことはありますが、「ひとり」は避けるようなルールとなっていました。まあ、理由はわかりますよね、トラブル回避です。

そして、その「女性の館」にロシア人の親娘がいたような記憶があります。娘さんは、女性というよりは子供でした。髪の毛が黒かったことはなぜか覚えています。




これはアイスランド 清涼感アップ用
Myndin er eftir Kenneth_Kuan@unsplash.com


もう八年か九年は前のことになりますから、その時その女の子が十四歳としても、現在は二十二、三にはなっているはずです。多分、その時の女の子が、ナターシャさんではないか?と思い当たりました。

そうだとしたら、突然目の前に現れたきれいな女性と、当時の女の子を結びつけることができなかったのは無理もないと思います。自己弁護ですが。

ところで、ナターシャさんは私が「サポートをした」と言ってくれたのですが、もしその女の子がナターシャさんだったとすると、実際は私はたいしたサポートはしていません。訪問し、その親娘に不足していた物品等を、赤十字に伝えただけのことと思います。

で、これが面白いというか、大切なことなのですが、にもかかわらず、女の子だったナターシャさんは、私のことを何年も覚えていてくれていました。名前も忘れていなかったし、偶然出会った場所で、私の顔も識別してくれたわけです。

どういうことかというと、当時女の子だったナターシャさんにとっては、見知らぬ人が訪問に来てくれて、気にかけてくれて、親切にしてくれた、ということが大きな感謝の思い出となって残っていた、ということなのでしょう。




レイキャビクはフェットゥラ オグ ホーラ教会のチャリティコンサート
Myndin er ur Visir.is


私たちが「たいしたことはしていない」と考えても、そして実際にたいしたことはしていないとしても、「来てくれる」「気にかけてくれる」「一緒にいてくれる」ということだけで、大きな意味を持つこともあるということです。

これは、誰にでも一般に当てはまることでしょうが、難民の人たちのように、母国を離れて、見知らぬ土地で見知らぬ環境にあり、強制的な孤立状態に置かれている人たちにとっては、より一層当てはまるものです。

ウクライナ難民の人たちについての、教会からの支援活動のオルガナイズを始めた矢先に、私がこの女性との再会を通して、このような気づきをすることができたことは不思議なことで、私は「神の計らい」と感じています。

「気にかける」「一緒にいる」という単純なことが、私たちがする難民の人たちに対する支援活動の基礎となっていなければなりません。募金も必要ですし、食物の供給や住居環境の整備も大切です。

ですが。それらの支援を、とてつもない困難な状況にある人たちの本当の「支え」とするものは、「気にかけること」であり「共にいる」ことなのです。

そして、この単純なサポートは、お金がない人にも、言葉が通じない人にも、支援するような物資がない人にも、誰にでもできることです。その気持ちがあるならば。

今の私に、このことを知らしめてくれた、ナターシャさんは「ホントは天使」だったに違いありません。感謝。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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Ukraina ウクライナ Ukraine

2022-03-19 19:11:01 | 日記
こんにちは/こんばんは。

気がつけばすでに三月中旬を通り越して下旬に入りつつあります。ということは、日本では春休み?っていうか、卒業式とかの季節ですか?毎年、春にはいささかの季節感の「ズレ」を感じます。

このところ仕事が忙しくなり、あまり周囲を見回している時間がなくなっています。忙しくなっている理由は非常に単純で、「ウクライナ難民」です。




キーウ(キエフ)のペチェールスク大修道院
Myndin er eftir Ganna_Aibetova@unsplash.com


私はアイスランド国民教会の牧師ですが、教区牧師ではない特別職の移民担当牧師です。最近十年くらいは、実際上の「難民担当牧師」になっています。「担当」というのは、あまり良い言葉ではないですね。「難民ケア牧師」と言った方が良いでしょうか?

ですが、「難民」といっても、実際には個々人で難民申請をする「庇護申請者」Asylum seekersのケアがメインで、国連関係を通して集団でやってくる「クオータ難民」にはあまり関知していません。

クオータ難民は、政府が受け入れを決定して迎えるのですが、国際条約上の取り決めがあり、住居、仕事、ヘルスケア、教育等において一定の水準を満たした状況で受け入れることになっています。

そういう関係で、別にとりわけ教会がしゃしゃりでなくとも?新しい生活を始めることができることが多いのです。

ところが、今回のロシアによるウクライナ侵略では、非常に短期のうちに三百万人の難民を生み出しました。これらの難民となったウクライナ人の人たちは、ヨーロッパ各国はもとより、日本等にまで逃れていっています。

これらの難民の多くは、国連を経由するところまでいかないで、そのまま国境に押しかけています。なんというか、火事から飛び出してきた住民のような状態なわけです。




Myndin er ur Island.is


ヨーロッパとはいえ、地続きではないアイスランドにもそのようなウクライナ難民の人たちが到着し始めました。三月上旬のこちらへきた難民の人たちは百人弱でしたが、これらの人たちのほとんどは、家族や親戚がこちらで暮らしており、そういう「つて」があってやってきた人たちでした。

しかしその後、特にアイスランドには繋がりがない人たちもやってくるようになり、今現在は170人ほどの人たちがレイキャビク市内のホテルに滞在しています。ちなみにこのホテルは、政府が難民の人たちのために借り上げているものです。

政府関係の担当者の筋によると、四月には300人程度の難民の到着が予想され、さらに夏までには1500ー2000人に到達するだろう、とのこと。

そういう状況の中で、アイスランド国内ではウクライナ難民受け入れの機運が高まっています。これは官民を問わず、というか、ウクライナ人の家族を持つ人たちとかの、プライベートなモチベーションを持つ人たちが先に立ち、政府が後から付いていくような感があります。

加えて、もちろん赤十字やその他の民間の団体やグループ、個人も救済・支援活動に参集しています。

教会も早い段階から救済・支援活動を始めることを決めており、どのように行うかを検討していました。というか、支援することは決まっていたのですが、その後の具体案となると顔を見合わせてしまうようなところがありました。

で、私と同僚のアニー牧師は、移民ケア牧師ですので、立場上からも声を上げる義務を感じ、いくつかの提案を教会上部にしたわけです。そして案の定、私らが教会としての救済・支援活動の責任者とされてしまいました。

いや、別に嫌ではないですし、喜んで受けさせてもらいます。ただ単純に仕事量は「ダブル」になったと言っても過言ではないです。通常の職務はそのままあるわけですから。ついでに、なんの手当も付きません。




美しいキーウの夜景
Myndin er eftir Eugene@unsplash.com


仕事始めに、すでに積極的な活動を展開しているIceland for Ukraineという、民間団体の集まりに参加してみました。とある広告代理店が、社員食堂とホールを、平日の午後六時以降、グループの集まりのために開放してくれていて、そこに難民の人たちと支援者が集まってきます。

私が行った時には、80人くらいがすし詰めに近い状態で群れていました。そこでは、食事もできるし、冬用のアノラックとかの不足している衣類の配布を受けたり、子供たちはゲームをしたりすることもできます。

ですが、一番大切な要は、互いに会い、情報交換をしたり、相談事をしたりすることのようでした。とにかく、言葉がわからないと難しいことが多いですからね。実際に「会う」というのは大切なことです。

このグループの中心にいるのは、スヴェインさんという男性ですが、職業的にはお医者さんだそうです。奥さんがウクライナの人ということで、スヴェインさん自身、ロシア語ができます。

ちなみにウクライナ人の多くがロシア語も話せますが、皆ではないそうです。ロシア語とウクライナ語は親戚言語ですが、ノルウェー語とスウェーデン語のように勝手に互いが話しても通じる、というところまでは近くないようです。

このスヴェインさんは、ある意味で天才的な能力を持っているように見受けました。この団体、単にアイスランドのウクライナ難民の救済だけではなく、今、まだウクライナにいる人たちと連絡を取り、フライトチケット代をサポートしたり、必要なヴィザを取得を助けたりすらしてるとのこと。

さらに、二百人に達するボランティアを、きちんと仕事別にグループ分けしたり、ローテーションを組んだりしていて、まあ驚く限りです。冗談ではなく、教会の若者たちをここに一ヶ月ほど参加させたら、非常に多くの知識、ノウハウや体験を得ることができるだろうと考えましたし、それを後で提案しました。

このようなグループの集会を訪問してみることは、私たちにとっても意味があります。一番感じるのは「熱気」です。ここには「やるんだ」という気概を持った人たちが集まっています。当然のことですが、やる気とエネルギーに満ち満ちているわけです。

正直言って、あまり教会では感じることのない雰囲気です。残念ながら。




Myndin er ur Unicef.or.jp


この訪問では、他にもいくつか稀有な体験をしたり、気がつかされたことがありました。それは、また追々ご紹介していきたいと思います。

この後しばらくは、ブログの更新が不定期になったり、あるいは短い内容のものを細かく更新することになるかもしれません。このような事情でかなり手一杯になっていますので、ご理解をいただきたく思います。

日本でも、ウクライナ難民の人たちが支障なく受け入れられることを願っています。

そしてなにより、戦火が一刻も早く鎮まりますよう。


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震災十一年、ウクライナ危機、Baenastund

2022-03-12 00:00:00 | 日記
こんにちは/こんばんは。

今回は多少真面目な話しになります。このブログは、門前の小坊主的な牧師であるワタシの、アイスランドはレイキャビク在住生活からのしょうもない小話しの綴れ織りです。

キリスト教の宣伝用にしているものではありませんので、あまりそっちの方面に深入りしないように気をつけています。

ですが、私自身がキリスト教徒ですので、話しが発展する中でどうしてもそれっぽい部分が出てくることは避けられません。それでも、それは考えていることをお伝えしたいからであって、キリスト教の宣伝が目的ではありません。その点、ご了解いただけますようお願いいたします。




清涼感アップ用ピック その1
Myndin er eftir Thomas_Fatin@unsplash.com


今これを書いているのは3月11日金曜日です。十一年前のこの日も金曜日でしたね。もう十一年経ったのですか。

十一年経っても、家族を亡くされた悲しみや、故郷の町を失った思い、人生設計が一夜で変わってしまった方々の無念は癒やされるものではないと想像し、お悔やみを申し上げます。

東日本大震災が起こった当時は、私はまだブログを始めていませんでした。ブログで大震災に触れたのは、二年が過ぎた時でした。震災の起こった直後は、こちらの邦人社会もパニックになり、しばらくその状態が続きました。

二年経った頃には、落ち着きも戻り、遠方在住者である、私たちにとっての震災を考えることができた気がします。

アイスランド発 ガンバレNippon!


さて、アイスランドの社会・文化の中にBaenastundバイナシュトゥンドというものがあります。Baen(祈り)とStund(時間)というふたつの言葉がつながったもので「祈りの時」という意味になります。

ただbaenastundという時には、通常は個々人でではなく、複数の人が集まって祈りの時を持つことを意味します。大方の場合は教会に集まります。

こういう祈りの時は、日頃から定期的に行われているものもありますが、加えて、なにか大きな災害や事故等が起こった時に、特にそのことの故に持たれることもあります。

東日本大震災の折にも、四、五日のうちにbaenastundが市内のハウテイグス教会で持たれました。邦人の方々に加えて、日本に繋がりのあるアイスランド人の人たちや、特に繋がりはないが心を痛めた方々が参集してくれ、百人程度の会になったと記憶しています。




2012年に交換留学中の日本の学生さんたちが催した追悼会より


Baenastundは礼拝式ではありませんので、特に定まった「式次第」というものはありません。ケース・バイ・ケースです。このハウテイグス教会での集まりの時は、オルガン奏と私ともうひとりの邦人の牧師さん、それにふたりのアイスランド人の牧師の方々が、自分で編んだ祈りを、それぞれ日本語とアイスランド語で祈りました。

「Baenastundに定まったフォームはない」と書きましたが、必要不可欠な要素はあります。それは集まる各人がそれぞれの祈りを心に携えてくる、ということです。集まる人たちが、それぞれ自分の祈りを持っていると、それが繋がってくるのです。

前に立って祈りを口にする牧師さんやある種の代表の方が祈る祈りが、参集者から切り離されたものではなく、すべてがひとつにまとまってくるのです。まとまりと繋がりが生まれてくると、わたしたちの各人が、お互いから慰めを受け、また慰めを送るようになります。

新約聖書のキリストの言葉に: 「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:19-20) というものがあります。

Baenastundで私がいつも感じることは、この祈りの時はセレモニーではなく「人との繋がりの時」ということです。それは身体の中の血管のようなもので、ひとつの身体を行き巡り、それを生かすエネルギーを分配するものです。

そしてその中心にあるのが心臓。Baenastundで言えばキリストということになります。

私たちは、震災から一年後の3月11日にも追悼と祈りの集まりを持ちました。相前後して、アイスランド大学へ交換留学に来ていた学生の皆さんも、独自の追悼の集いを持ってくれていました。




これは「繋がった」平和を願う音楽会
Myndin er ur Visir.is/EGILL


私は、大抵の場合はこのbaenastundに参加した後には、慰めと元気をいただきます。ですが、時にはそうはいかない時もあります。

ここのところ、アイスランドはウクライナ問題が時事のトップにあります。小国アイスランドですが、ウクライナからの難民の人たちを1000〜1500人程度迎える準備が大急ぎで進んでいます。

これは、教会にも関係する問題なので、私もかなり時間を費やしていますし、それなりの緊張感の中にあります。

一週間前の日曜日には、また震災時と同じハウテイグス教会でウクライナ問題のためのbaenastundが持たれました。主催者がいまいちハッキリしていませんでしたね。

そして、こちらのロシア正教会の司祭(ロシア人)、カトリック教会のビショップ、アイスランド国民教会の副ビショップ、さらにスウェーデンにある正教会の高位聖職者の司祭らが列席しました。

このbaenastund、私はガッカリを通り越して、怒りさえ感じました。ほとんどウクライナの人たちへの祈りがなく、さらにロシアの善良な人たちへの支援の祈りもありませんでした。

あったのは高位聖職者である司祭さんの「肩書き」とほとんど意味のないメッセージのみ。感じるたことは、単に「我々、偉い司祭たちがこのことを考えているのだよ」といういやらしい上から目線の思い上がりでした。

私が思うには、参集した人たちはそれぞれの祈りを心に携えてきていたはずです。それが、見事に空振りになってしまいました。なんの繋がりも生まれませんでしたね。稀ではありますが、そういうこともあります。




清涼感アップ用ピック その2
Myndin er eftir Jene_Yeo@unsplash.com


その一方で、翌日だか翌々日には、ランドマーク的な大きなハットゥルグリムス教会で、平和を願う音楽会が持たれ、ウクライナ出身の音楽家の人たちも参加していました。

こちらは入りきれないほどの多くの参加者が集まり、ニュースで見た限りでは涙を流している人も多くあったりして、心の繋がった集いになったのだろうと感じましたね。

大きな自然災害や、戦争などは、個々人では受け止めることができない重い出来事です。どう対処するにも、ひとりではなく、他の人々と繋がって立ち向かうことが大切だと考えます。

Baenastundとはそのような試み、アクションのひとつの形でしょう。「危機」というものには、できれば直面したくはないです。心が重くなります。その反面で、危機の中にあるからこそ、確かめられること、発見できることもあります。

東日本大震災に直面した際に、多くの日本人の方々がそのことを実体験として持たれたのではないかと想像します。

望むことではありませんが、危機に直面してしまった時には、より一層他の人たちとの繋がりを大切したいものです。


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「相方」?「相棒」? いや「パートナー」

2022-03-06 00:00:00 | 日記
こんにちは/ こんばんは。




清涼感アップ用ピック その1
Myndin er eftir Jose_Llamas@unsplash.com


今回は、あえて周囲に満ち満ちている暗いニュースをスルーし、ワタシの内部に巣食っている疑問にフォーカスして、現実逃避を試みたいと思います。

最近、結婚している夫婦を含めて、自分のお相手を「相方」と呼ぶ人が増えているのだそうです。結婚しているカップルの場合は、例えば「主人」「旦那」あるいは「ヨメ」「家内」とか呼ぶのになにか抵抗を感じる人が増えているようですね。

それはわかりますよね。「主人」とか「家内」っていうのは、もう言葉自体が性差別的なニュアンスを含んでいますし、私がかりに今結婚していたとしても、この呼称は使わないだろうと思います。

その代わりにしばらく使われていたのが「ワイフ」「ハズ」とかなんでしょうが、これもさすがに古いギャグの「欧米か!」の感があります。

もう少し進んでくると「パートナー」になるのでしょうが、この言葉は往々にしてゲイの方が自分の相手を呼ぶときに使いますので、ゲイではない人がこの言葉を使って、いらぬ混乱を引き起こすこともあるとか。

そこで「相方」という言葉が浮上してきたようです。ですが、ここでの「相方」とは、すでにカップルになっている人たちが、自分の配偶者や、彼氏、彼女を呼ぶ時の呼称に過ぎません。そこにある関係そのものは「夫婦」であり、あるいは「恋人同士」であるわけです。




「相方」ありやなしや?
Myndin er ur Cam.Cam.jp


お笑い芸人の皆さんが「相方」という場合には、それは単に相手に対する呼称ではなく、関係そのものを指していますよね。この「相方」という関係はどういうものなのか?というのが、ここのところワタシがはまっている第一の疑問なのです。

私が大学生になったくらいの時に、「漫才ブーム」なるものが到来しました。1980年からの二、三年間です。

その時に活躍した世代が「お笑い第二世代」と呼ばれるのだそうです。B&B、ツービート、紳助竜介さんらがこの世代ですよ。

ちなみに「お笑い第一世代」は1962〜70年にかけての時期で、初代の林家三平師匠、てんぷくトリオ、コント55号、ドリフターズらがこれに属するのだそうです。ずいぶん遡る気がしますよね。

漫才ブームの頃の私は青二歳でしたので、お笑いのコンビというのは、プライベートでもステージと同じように仲が良いのだろう、と決めつけていました。その後、私も成長するにつれて「どうもそうじゃないらしい」ということに気がついたわけです。

わりと最近になって -それでも十年くらい前ですが- たけしさんがしっとりとしたトーク番組で、「あいつ(きよしさん)とは、移動するにしても新幹線の一番前と後ろみたいに距離を取ってたし、日常生活で話しをすることはまずなかった」とか言っているのを聞いて、「そこまでか?」と驚かされました。

その後、松本人志さんなんかでも「オレは浜田の携帯の番号知らないし、家に行ったこともないから」とか言っていたり、ロンブーの亮さんも「オレもアツシを結婚式に招待しなかったし」とか言ってたりするのを聞いて、今度は「お笑いコンビというのは、実はみんな心底嫌い合っているのだ」とさえ思えてきました。

ところがその反面、さまぁ〜ずさんやオードリーさんのように、プライベートでも本当に仲の良いコンビがあることも再確認できました。これらのコンビは学生時代からの同級生だし、そういう背景ももちろん関係するのでしょうね。

私は芸能リポーターでもお笑い界の専門家でもありませんので、私の知識はテレビとかで聞きかじったもの集積に過ぎません。でもそれによると、お笑い界では「コンビ解消」は余程のことがない限り起こるものではないとのこと。




80年代 スピード感のある漫才で魅了したB&B
Myndin er ur Amazon.co.jp


心中は「この野郎」と思いながらも、コンビに徹するのがこの世界の鉄則のようです。プロだからできることなのでしょうが、きついんじゃないかなー?と感じちゃいますよね?

映画やテレビでも、主役のヒーローとヒロインが実は嫌い合ってたりすることはあるようです。でも、俳優さんの場合は「役のひとつ」であって、それに生涯縛られているわけではないし... 逃れようのない距離にいつもいるお笑いコンビの方がきついような。

このお笑いにおける「相方」という関係は、正直言って今の私の理解を超えています。で、私には「理解できていないこと」として理解しています。

この「相方」に似ているのでは?と思える関係が「刑事のパートナー」です。この場合の「パートナー」はその通りの意味で、ゲイ云々(うんぬん)は関係ありません。刑事(デカ)の「パートナー」というのにも興味があります。

ただ、これはあくまでテレビや映画で出てくる刑事のことです。私はテレビや映画での刑事物の大ファンですが、本当の刑事さんというのは、ひとりも存じ上げていません。これは架空の世界における考察です。

特にNYPDものが大好きなのですが、その中でも「Blue Bloods」というシリーズは大のお気に入りです。主人公のひとりであるダニー刑事のパートナーはバイエスというヒスパニック系の女性。

Blue Bloods


このふたり、いつも一緒に行動し、べったりとくっつき合っています。バイエスは、ダニーの妻のリンダよりもむしろダニーと共にいる時間が長いのでは?と思えるほど。(念のため、リンダはシリーズ途中で逝去)

そして、ふたりは完全な信頼関係にあります。刑事のパートナーというのは -私の仕入れたテレビからの知識によると- 「自分の背中を完璧にカバーしてくれるという信頼感」の上に成り立っているそうな。




ダニー刑事とパートナーのバイエス刑事
Myndin er ur CBS.com


で、そういうふたりを見ていると、俗なワタシなどは「このふたり、実はデキてるんじゃないか?」とか下衆(げす)のguessをしてしまうのですが、そうではないのです。

このふたりの鉄壁な信頼関係は「刑事のパートナー」の世界に属することで、ロマンチックなものではないのです。完璧に大切にし合っていても家族とか友人とかとも違う、「刑事のパートナー」なのです。こういう関係もあるんだなあ、と。

さて、なぜ故に私がこのような「相方」とか「刑事のパートナー」についての思索を始めたかというと、実は私自身の職務上のパートナーとの関係を考えていたからなのです。

私はここ数年、女性牧師のアニーさんと組んで仕事をしています。アニーさんは二十も年下で、とても可愛く、また人柄も良い女性です。以前は他の仕事と掛け持ちだったのですが、一年前から専属で私のパートナーとなりました。

これは私目線の話しで、アニーさんから見れば、私が彼女にパートナーになった、ということでしょう。

で、早い話しが、私はアニーさんのことを120%信頼できますし、彼女の方もこちらを信頼し必要に応じて頼ってきてくれます。大切に思う、という点ではもうこの上なく大切な人と感じています。

ですが、全然ロマンチックな感情はないのですよ。友人なのかどうかも良くわからないし、むしろ家族に対する気持ちに近いものがあります。こちらにいる邦人女性の中には、私の「姪」が何人かいます。本当の姪ではなく「姪のような存在」の人たちです。

日本人の場合は、ごく自然にそういう関係が成り立つのですが、アイスランド人相手に、そのような関係を感じたことはありません。

そして、アニーさんの場合も、「姪」みたいではあるけど、やはりそれよりは「牧師のパートナー」だなあ、という気がするのです。

会うのは仕事の関係だけ。プライベートでは一緒にお茶したことさえありませんし、自宅を訪問したこともありません。する予定もありません。必要ないからです。




清涼感アップ用ピック その2
Myndin er eftir Joshua_Sortino@unsplash.com


このような関係性にフと気がついて以来、「こういう関係をなんと呼ぶのだろうか?」みたいな思索にふけるようになったわけです。そういうパートナーを持てて、とても嬉しんですけどね、同時に気がつきました。

初めてなのですよ、そういう牧師のパートナーを持つことが。仲の良い同僚というのは、これまでも何人かいましたが、「パートナー」と呼べるほどの近い距離にいてくれる「相方」は初めてなんです。

感謝して、大切にしないと。(*^^*)


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