江戸の当時、公家の暮らしはそれほど裕福ではなく、中には「内職」に走る家もあったそうだ▼司馬遼太郎さんによると三条実美の家の内職はカルタの絵付け。もっとびっくりするのが「王政復古の大号令」の岩倉具視である。博徒に賭場を貸すことで稼いでいたらしい▼当時、博打(ばくち)は固く禁じられていたが、公家の屋敷には町奉行の権限も及びにくい。いい隠れみのになると目をつけた博徒と手を組み、秘密の賭場を開かせていたそうだ▼公家の立場を利用した岩倉卿の「古傷」はそっとしておくとしても、許し難いカジノ誘致をめぐる現職国会議員の逮捕である。自民出身の秋元司衆院議員。カジノを含む統合型リゾート(IR)事業への参入を狙っていた中国企業から現金数百万円を不正に受け取ったとして収賄容疑で逮捕された▼昨年までIR担当の内閣府副大臣。経歴だけ見ればカジノ政策の専門家だろう。中国企業を博徒呼ばわりする気はないが、賭場の開帳を狙い、秋元議員の立場に目をつけて金を渡していたとみられる。秋元議員は金銭授受を否定するが、「ばれっこないだろう」とうかつに張った賽(さい)の目は「逮捕」へと転がったか▼治安悪化のおそれ、ギャンブル依存症、子どもへの悪影響、人の不幸で金もうけ。カジノ誘致への心配は数々あれど、もう一つ不安の種が加わった。「政治汚職の温床」。情けない。
作家、劇作家の井上ひさしさんは電車に乗ると「女の人のように足を揃(そろ)えて座っていた」と娘さんの井上麻矢さんが『夜中の電話』に書いていた▼「どうしてそんなに小さくなって電車に乗るの」。子どもには不思議だったのだろう。人の迷惑にならないようにするためだと答えたそうだ。「自分ができることは何かを考える。それが社会性だと教えられた」▼日本民営鉄道協会のアンケートによると、二〇一九年度の「駅と電車内の迷惑行為ランキング」の一位は座席の座り方だそうだ。座席で詰めて座らない。足を広げる。足を組む。井上さんとは違い「大きくなって電車に乗る」人が当然ながら、迷惑がられている▼二位は扉付近で動かぬ乗降時のマナー、三位は背負ったリュックサックなどの荷物の持ち方だそうだ。そうした行為をする人が特に社会性がないとは思えぬ。ちょっとした疲れや気の緩みが普通の人を変身させ、迷惑行為を顧みなくさせているのだろう▼変身を止めるおまじないを知っている。「すみませんね」「ごめんなさいね」。無論こちらに謝る理由はないが、できれば笑顔で唱える。通用しない強敵もいるので気をつけてほしいのだが、これで広がった足が穏便に閉じられ、席を詰めてもらえることがままある▼穏やかな声と丁寧な言葉が相手の社会性を回復させ、身を小さくさせる効果がある気がする。
ワルツの基本レッスン| ウィング、オープンテレマーク、クロスヘジテーション、アウトサイドスピン
「上を向いて歩こう」「夢であいましょう」などの作詞・永六輔、作曲・中村八大の「六・八」コンビに水原弘さんの「黄昏のビギン」(一九五九年)という歌がある。<雨に濡(ぬ)れてた たそがれの街>。ちあきなおみさんの艶っぽいバージョンが人気か▼作詞者に永六輔とあるが、実は作詞も中村さんだそうだ。永さんが語っている。「僕じゃないんです。でも八大さんが『君にしておくね』って。八大さんとは大学の先輩後輩の関係でしょ。だから反対できないんです。全部はいって」▼後輩に花を持たせる先輩の心配りの「指示」なら、まだほほ笑ましいが、世間を騒がせる総務省の先輩後輩の関係にはため息しかない。かんぽ不正をめぐる処分情報を日本郵政の幹部に対し、総務省の次官が漏らしていた不祥事である▼情報を聞いていた日本郵政幹部も同じ総務省の元次官。日本郵政を叱るべき総務省の最高幹部が大臣室で聞いた話を先輩に「耳打ち」とは紛れもない癒着であり、国民への裏切りである▼その動機は先輩への義理立てや情ばかりではないだろう。自分もいずれはどこかへ天下って後輩からの情報が必要になるかもしれぬ。次官が守りたかったのは天下りを背景にした先輩後輩のあしき伝統と仕組みそのものではなかったか▼根は深い。<天(下り)に濡れてた たそがれの…>。戯(ざ)れ歌までが怒りで震える。
Andrey Gusev - Vera Bondareva RUS, Rumba | WDSF GrandSlam Latin
Gusev Andrey - Bondareva Vera, Final, Cha-Cha-Cha
印刷物の歴史に残る有名な誤植がある。十七世紀に印刷された聖書の英訳本。モーセの十戒のうち「汝姦淫(なんじかんいん)するなかれ」の英文から、どういうわけか「not」の一語が抜け落ちていた。長谷川鉱平著『本と校正』に教わった▼戒めが反転してしまい、「すべし」の意味になってしまったのだから、ことは重大である。印刷者は罰せられ、刷られた多くが焼かれたという▼こちらは企業の心得にある「するなかれ」から「not」が抜け落ちていたらしい。かんぽ生命保険である。不正販売をめぐり、日本郵政グループの調査で、営業現場の実態が明らかになった▼顧客が損をするのを承知のうえで、だまして契約を結ぶ。社内の規則でも禁じられていたような手口が、受け継がれ、横行していた。不正な契約は、実に一万件を超え、被害者の多くは高齢層だという▼営業目標を達成できない職員に、激しく詰め寄る上司がいた。厳しい締め付けの一方で、不正を黙認する風潮もあったそうだ。「すべし」といっているようなものではないか▼民間の厳しい競争と元国営ゆえに課される制約に、こうなった企業風土の原因をみる声がある。「民間になれば創意工夫、知恵が出てくる。サービスは向上する」と、かつて聞かされた話はなんだったのだろう。出てきたのは大切な「するなかれ」が抜け落ちた工夫や知恵であったのだろうか。
『転々』などの小説家、藤田宜永さんは母親との折り合いが悪かった。学校の試験でよい点を取ってもほめられたことはない。間違ったところばかり、しつこく責められる。自分は母親から愛されてない。やがて家を飛び出し、亡くなるまでぎくしゃくした関係が続いたそうだ▼母親が八十一歳で亡くなった。葬儀の時、その顔に驚いたと書いている。自分を叱っていたヒステリックな顔ではなく「小さな小さな可愛(かわい)い顔」だったそうだ。心の中で母親に語りかけたという言葉が切ない。「どうして、その顔で僕を育てなかったんだい」▼懲役六年。その裁判にお互いの本当の顔を見失った哀れな父親と息子がいるような気がしてならぬ。元農水次官が暴力を振るう長男を刺し殺した事件である▼「殺すぞ」と暴れる息子には父親を尊敬し、自慢さえする一面があったと聞く。父親を思う顔。それがどこかにはあったはずである▼包丁で三十カ所以上を刺した父親は長男の行く末を心配していた。長男の作品をコミックマーケットで売る手伝いまでしていた。そこには「強固な殺意」とは無縁の穏やかな顔があったと信じたい▼本当の顔。それがいつの間にか消え、お互いに見忘れ、ついに父親は長男に怪物の顔を見てしまったか。ただ幸せに暮らしたかった家族の崩壊が悲しい。父親が長男の本当の顔を思い出す日の来ることを願う。