社会に出るころには世の中は不況で、「就職氷河期」まで始まってしまう。格差や貧困といった問題にも直面した。「失われた世代」を意味する「ロスジェネ」と言われる人たちだ。生きづらい青年期を生き、今は三十代後半から四十代。逆襲に転じた人もできない人もいるだろう。一九八〇年生まれだから、プロ野球中日の松坂大輔投手も、世代としてはここに属する▼十九日の阪神戦で、久しぶりの勝利は逃した。しかし、123球を投げ抜いて、7回を2失点。右肩のけがなどを乗り越えて、復活を目指す三十七歳の投球に、予想以上の力と気迫を感じた人は多いのではないか▼「松坂世代」という言葉がある。松坂投手を筆頭とする同学年に現れた逸材たちを言う。だが、その多くが引退し、意味合いは変わってきた。今ではけがや体力的な衰えと闘いながら、踏ん張る同世代のベテランたちのことだろう▼松坂投手も怪物といわれた時代の剛速球はない。現実を受け入れつつ、持っているスピードときれと配球で勝負を挑む▼ネット上には、ひいきの球団を超えた同世代の言葉が、並んでいた。「私たちの誇り」「感動が止まらない」「若いやつに譲れるか」。生きづらい時代を乗り越えてきた人たちの歩みを思った▼勝利はかつてほど簡単でないのは確かだ。その分、同世代ならずとも、感情移入できる復活劇ではないか。
友人を自宅にかくまっていると玄関に殺人者が現れた。何と答えるか。ただし、うそをつかずに。ベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』で、著者のマイケル・サンデル教授が取り上げている問いだ▼うそをつくという行為に極めて厳しい哲学者カントの道徳を語る際のこの問いに、教授は巧みな解答を示している▼<一時間前、ここからちょっと行ったところにあるスーパーで見かけました>などと真実を言うこと。へ理屈にも思える。だが、うそは避けられ、友人を危機から救えるかもしれない▼福田淳一財務事務次官が一昨日の会見で語った言葉もまた実に巧みだ。セクハラの事実を問われ「報道が出ること自体が不徳のいたすところ」。公開された音声については「福田の声に聞こえるという方が多数おられるのは事実だ」。言葉を重ねながら、後で明確にうそだと追及されそうなところはない。さすがエリートというべきか▼ただ、こちらは道徳を貫くための発言とは違う。身内か自身を守るためにみえる。週刊誌の記事について「事実と異なる」としながら、潔白を思わせる言葉がない。逆に不信感が募る▼舞台はほかでもない財務省である。こうして国民の信用を失って増税など痛みを伴うような政策は実行できるのか。真実を語りつつ、危機にさらされた信用も守る。そんなうまい言葉はなさそうにみえる。
作家の永井荷風が軍国主義に染まっていく世の中の変化について書いている。「際立って世の中の変わりだした」のはいつか。それは「霞が関三年坂のお屋敷で白昼に人が殺された」あたりからだろうという▼三年坂の殺人とは一九三二(昭和七)年、犬養毅首相が首相官邸で青年将校に暗殺された五・一五事件である。そこからの大きな変化を「誰一人予想できなかった」。時代の変わり目はその時点では気がつかぬものか▼この話に五・一五を大げさに持ち出すのをためらう。なれど、いつか振り返ったとき、その罵声が時代の変わり目だったということにならぬかを心配する。幹部自衛官が十六日夜、国会近くの路上で民進党国会議員に向かい「おまえは国民の敵だ」などと罵声を浴びせかけた問題である▼意に沿わぬ政治家への脅し、圧力と言わざるを得ない。イラク日報問題などでの自衛隊批判への不満だろうか。しかし、国民が選んだ国会議員への罵声はそのまま国民への罵声である。その行為によって、どちらが、「国民の敵」になってしまうかにどうして気がつかなかったか▼厳正な処分と対策が必要である。今回は一人だった。これが二人、三人にならぬとは限らぬ。今回は声だった。これが拳やナイフに変わらぬとは限らぬ▼「四・一六事件」。後になってあれが時代の変わり目だったと考え込んでみても遅い。
GOC Stuttgart - WDSF, Grand Slam Latin 2011 - final - Solo Cha Cha
Pavlov Nikita - Palyey Dariia, RUS | 2013 WYL Dance of Honour
「絵に描いた餅」とはいうけれど、やはり、絵の餅でもないよりはましか。落語の「だくだく」はそんな咄(はなし)である▼長屋に引っ越してきた貧乏な独り者、家財道具がないのは寂しいと、絵描きに頼んで、床の間やら箪笥(たんす)、長火鉢、おまけに扉が半分開いて、大金が見えている金庫まで描いてもらう。豪華な家財道具がある「つもり」である▼貧しさを洒落(しゃれ)で紛らわしたい心はよく分かる。問題はこっちの防衛省の「つもり」。まさか、飛び交う銃弾、とどろく爆発音の中でも「非戦闘地域」にいる「つもり」と言い聞かせて活動していたわけではあるまいな。開示されたイラク派遣の陸上自衛隊部隊の日報の中に複数の「戦闘」という記述が見つかった▼陸自のイラクでの活動は法律によって「非戦闘地域」に限定されていたが、日報の記述を素直に読めば、部隊は「戦闘」があった地域にいたことになるだろう▼「英軍に武装勢力が射撃し、戦闘が拡大」。そういう場所は、戦地あるいは戦場と普通は呼ぶ。「非戦闘地域」にいるつもりになれる絵がはがれている▼あの落語では泥棒もなぜか、仮想現実と分かった上で「つもり」に付き合ってくれる。「風呂敷を広げたつもり」「箪笥から着物を風呂敷に入れ包んだつもり」「ドッコイショと逃げるつもり」…。無論、国民の方は危険な防衛省の「つもり」に付き合う気はない。
立川志の輔 だくだく
トートバッグとは厚い布製などの手提げかばんのこと。丈夫で、口の広いバッグは使いやすく、買い物や、通学などに愛用している方もいるだろう▼「トート」とはもともと英語の俗語で「運ぶ」という意味らしい。このバッグで何を運んだか。氷だそうだ。一九四四年、米国のL・L・ビーンが「アイスバッグ」として発売。それで丈夫にできているのだが、まさか、あのバッグに氷を入れて、運んでいたとは▼十四歳の子どもの部屋のクローゼットで見つけたトートバッグ。その中身を見た母親の驚きはどれほどだったか。入っていたのは十四歳にも、かわいらしいバッグにも似つかわしくない一万円札の束。東京都江東区の中三の少女が友人宅から現金一千万円を盗んだとして窃盗容疑で逮捕された▼子どもと大人のはざまで揺れ動く難しい年ごろとはいえ、どうしてそんなことをとため息が出る。少女が友人宅で大金を見つけなければと詮ないことを想像する▼とったお金は同級生に校舎内や通学路で配っていたという。「仲間外れにされているような気がして」。お金で仲間外れを解消したかったのだろうか。少女の供述が悲しい。お金をもらっていた同級生がいたことが悲しい▼お金で友は買えぬ。小さな出来心が取り返しのつかぬことになる。教えてあげなければならないことがバッグに入りきらぬほどたくさんある。
ジョン・デリンジャーといえば、一九三〇年代の米国の有名な銀行強盗だが、このお尋ね者のせいでひどい目に遭った人がいる▼理由は顔。デリンジャーとうり二つだった上にどういうわけか顔のほくろが同じところにあったそうで、何もしていないのに逮捕されること十七回。十一回も銃で撃たれたというからお気の毒という他ない▼そういう間違いも起こり得るのである。シリアのアサド政権が化学兵器を使用した疑いは確かに濃い。しかし確実な証拠を示さぬままシリア空爆に踏み切った米英仏のやり方にも、いささかの荒っぽさを感じる。昨日、ダマスカスなどの軍関連施設を巡航ミサイルで攻撃した▼化学兵器の使用は許されぬ。東グータ地区ドゥーマでの七日の攻撃によって、子どもが苦しんでいる姿を見れば、だれもが憤りを覚えよう。トランプ米大統領がアサド大統領を「怪物」呼ばわりするのも理解はできる。が、化学兵器が使用されたという証拠がなければ、この攻撃をもろ手を挙げて歓迎するのはやはり難しいだろう▼正義を行いたいのであれば、一分の隙もない慎重さと冷静さが必要だったはずである▼米国もシリアの背後にいるロシアもお互い、戦争など望んでいないだろうが、こうなると偶発的な軍事衝突の危険も無視できない。不幸なことに米ロともその指導者は強気という点ではうり二つなのである。