東京新聞寄居専売所

読んで納得!価格で満足!
家計の負担を減らしましょう!
1ヶ月月極2950円です!
アルバイト大募集中です!

今日の筆洗

2023年11月10日 | Weblog
南米ペルーの日系移民は苦労した。日系商工業者らが富を奪っているなどとして排日機運が高まり1940年、首都リマで暴動が発生。日系の商店などが襲われた▼ペルーは第2次大戦で連合国側に。日米開戦後はペルーの日系人も米国の収容所に送られたが、「空中都市」と呼ばれるマチュピチュ遺跡近くの集落で難を逃れた人がいた▼今の福島県大玉村出身の野内(のうち)与吉。現地で家庭を持ち、密林を開いて道や水路を造り、ダムを築いて発電し、ホテルも建設した。地元の言葉に通じ、器用に何でも造ったと伝わる。住民は信頼を寄せ、訪れた憲兵には「日本人はいない」と言い、かくまったという▼秋篠宮家の次女佳子さまがペルー公式訪問でマチュピチュ遺跡を見学された。近くの役場で村長から与吉の功績を説明されたという▼与吉の時代、今ほど観光客は多くなかったが、遺跡の研究者らが訪れ、与吉が現場を案内したという。戦後に村長も務め、ペルーで没した。マチュピチュ遺跡は今や世界遺産だが、村が最初の友好都市の相手に選んだのは大玉村。礎を築いた人は忘れないということらしい▼ペルーの日系人といえばフジモリ元大統領が有名。強権的手法で功罪相半ばするが、90年の初当選時のスローガンは「勤勉、正直、技術」だった。長きにわたる営みがあったからこそ現地に根付いた日系への評価。労苦を思う。
 
 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿