このブログの記事の掲載元がメールで一年前の記事を告知するサービスをしています。
それは個人的に行われるもので不特定多数へ知らせるわけではありません。ブログは大抵
の場合まとまった記事に表題をつけて投稿され、私の場合1~2週間に一回くらいの割合
で投稿されます。忙しい時の更新は月に一回なので、一年前の告知がメールで来てもこれ
と言って気に留めることはありません。
私は携帯電話やスマートフォンは持っていないしモバイル環境もまだありません。SNS
がどんな物かわかりませんし、Twitterに登録してはいますがつぶやいたりしていません。
理由は様々ありますが、まず文章としての体裁をなしていないので著作権の主張が難し
いという部分があります。ああいうショートメッセージは断片的な情報をリアルタイムで
流すことに意義があり、密接なコミュニケーションツールとして有用なことはよく知られ
ています。
しかしそれ故の危険性も様々あって、不用意なメッセージが炎上に発展して発信した人
の生活を破壊するという事件にまでなっています。
もし、これらの情報ネットワークで1年前の情報が再掲載されたらどうなるかというの
が今回の疑問です。すでにそういうことは行われているかもしれませんが、それは場合に
よっては害をなすという結論になるかも知れません。
2019年6月現在、当ブログの1年前の記事を見ると、自転車の修理で後ディレイラーを
付け換えたとあります。私生活ではアパートの隣人との間に2年にわたる騒音問題があり、
度重なる警告が聞き入れられなかったので管理会社から保証人(ご両親のケースが多い)
に直接苦情を言ってもらって多少の改善を得ています。
同人誌においては戦車サスペンションの本Ⅲが5月5日に発売された後、重版分の為に
誤字脱字の修正とイラスト仕上げの追加をしていたはずです。急いで作成したため、出来
が良くなかったのですが、このころから総集編の製作を念頭に入れていました。
こうした出来事は普通なら大まかな情報を残して記憶から消えてゆきます。細かい事、
例えばその日何時に起きて何を食べたとか、どのような経路を移動したとかは全くと言っ
ていいほどおぼえていません。
これがショートメッセージを携帯で書き込めば子細な事までネット上に残ることになり
ます。重度に携帯に依存している人はどこにいるとか何をしているとか、そういった情報
を打ち込むそうですが、それは他の人達との距離を隔てた繋がりを維持するためであって
何日か過ぎると当人の記憶にも残っていないはずです。
したがって1年後にその情報が再掲載されても、大抵の人は気が付かないと思います。
名前やタイムスタンプや個人を特定できるような情報を削除されていれば、なおさら分か
らないはずです。残っているのはどういう行動をとったとか、どういうことを考えたとか
どこに何時頃いたのかといった情報になります。
プロファイルに詳しい人にとって、それは情報の宝庫であり個人を特定することも可能
となります。また、その情報の本人にとってもおぼろげな記憶から「これは自分のことで
はないのか?」と思い当ったりします。しかし多くの人にとって一般的に禁止されている
個人情報がなければ個人を特定するのは簡単ではありません。それでネット上でこれらの
情報は規制を受けたりするのは犯罪に関わった等のケースに限定されます。
そこで世間的にはこれらの情報を自分の人生に生かすという事も行われます。つまり他
人のこういった過去の情報を参考にして自分の行動に反映させてゆくわけです。成功者の
情報はこれから成功を手に入れようとする人たちにとって千金の価値があるはずです。
それは普通に行われていることです。偉人の情報等は多少美化されて書籍に掲載され、
啓蒙に使われたりもしています。
そして何かのきっかけでその人物の実物に出会った時、大抵の人はショートメッセージ
を残すはずです。その情報は蓄積され他の人が自分の人生に生かすわけです。
これが長期間に及び多数の人間が加わってエスカレートすればボランティアストーカー
による監視網となりますが、普通の社会人ならこれが倫理的に許されない事と気が付くは
ずです。また、主催者か管理者が警告を出せば自粛する人もいるはずです。それが持続す
る期間は長くても数カ月ほどではないかと思えます。一般人が特定のものごとに関心を寄
せるのは大体そんなものだからです。
しかし少数のグループとか個人の活動は、犯罪行為にならなければ規制を受けずさらに
長期間に及ぶこともあります。強硬に違法行為を続ける個人は、停止を命じる強制力が働
かない境遇にあるか、何らかのパーソナリティー障害をかかえていて自制が聞かないため、
自ら能動的に継続する方策を駆使し活動を継続します。
こうした人たちのよりどころは、自分の匿名性が守られていることです。法的には犯罪
者の個人情報は法的手続きの後、当事者に開示されますが、一般的に知られるわけではあ
りません。それは犯罪者といえど人権があるからです。
ネット上ではこうした法制度に逆らって特定という行為が横行しています。個人情報を
暴いてさらにその人物の生活圏に干渉する行為を突撃と呼んでいますが、これも結局の所
は犯罪行為にすぎません。おたがいが犯罪行為の応酬となれば普通のネットユーザー達も
関わりを断って身を引かざるを得なくなりますが、そうなる前までに被害者のプライバシ
ーは破壊しつくされてしまうのです。
「特定」や「突撃」が行われる前段階に、その人物を標的として認定する何かの切っ掛
けがあり、常識のある人や知能の高い人はそのような危険を避けようとします。しばしば、
ネット上で違法行為を継続しつつ巧妙に認定を避ける人物を見かけますが、そうした高い
知能を持った人間は、ネット上で認定されない事が特定や突撃を避け、匿名性を保つ唯一
の道だという事を良く周知しているのです。
ある種の才能を持ったこうした人物を特定して排除することは非常に困難です。
さて、そこで主題の『1年後に個人的情報が再掲載されたらどうなるか』に戻ります。
「ある人物」の周囲にボランティアストーカーの監視網が形成され、その人物が抵抗も
ままならないと知ると突撃はエスカレートして行きます。彼らは面白がってその人物の反
応をネットにショートメッセージとして残し、ある者は数か月で飽きて離れて行き、ある
者はそのまま1年以上継続します。そして、自分の残したショートメッセージが再掲載さ
れる事に気が付くわけです。
この時点で自分の過ちを悟り、「ある人物」から離れようとするのが普通の人間です。
接点となった場所から逃避して二度と立ち寄らないようにしたり、場合によっては仕事や
住居を換え、ネット上では匿名性を維持しようとします。(アカウントを削除する場合も
あるかも知れません。)メッセージの再掲載は1年続くわけですから、そうしないと今度
は自分が特定され突撃される危険に晒されるのです。
逃避した時点で半分は匿名性が暴かれたようなものですが、ほかの理由を上手く作って
危うい逃避をするのが最も安全で妥当な方法だというのは理解できます。
しかし何らかの事情でそれができない場合、または自分の意志で逃避を拒んだ場合、別
の方法をとる時があります。
それは「ある人物」に成りきる事によって自分が被害者になるという方法です。私にと
ってはそれは驚くべき選択と思えました。いくら自分の生活を守るためとは言え、自分の
アイデンティティーを捨てきって今までストーキングしていた「ある人物」の真似を1年
も続けられるものなのだろうか?
確かにネット上の情報の上では、自分が「ある人物」であり、何者か(1年前の自分)
にプライバシーを暴かれているかのような演技を続ければ、周囲を納得させる事ができて
自分の生活の破綻を防ぐことはできるかもしれません。しかし傍から見てもそれは苦しい
弁明にしか見えないし矛盾がいくつも起きてくるはずです。
最終的にはその試みから離脱して逃避せざるを得ないのは自明です。しかしやっている
本人にしてみれば匿名性を維持する唯一の方法であり、それこそがその人のアイデンティ
ティと言えない事もないのです。
前者にしても後者にしても事前にこうなることが分かっていれば馬鹿な真似はしなかっ
たはずです。また自分が間違ったことをした動機を「仕掛けた人物」がいる事を告白して
謝罪することだってできるはずですが、そうする人がいないのはもっと小さな損失で自分
の罪を白紙に戻せる方法があるからでしょう。
いずれにせよ「ある人物」に多大な損害と迷惑を及ぼした事に変わりはないわけですが。
これらの記事は私の経験則によって導き出した推測です。特定の個人・グループとは関
係ありませんのでご注意ください。