『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【939】自分の目の意識を転換する

2007-03-14 21:50:21 | 思索
【938】と同じようなことが、『新年祝賀祭の法話』でも語られています。
それは、『自分の目の意識を転換する』という方法です。

★『私たちの目は、自分の夫、自分の妻、自分の子ども、自分の家族の過去の行為を批判し、意見する目ではなくて、
どんなにマイナスの状況を示していても、その中に光を見い出してあげるのです。
他の人の中に神性を見るために、この目を使う、耳を使う、口を使う、手足を使うのです。

盗みを働こうとする人を見てしまった。でも、その奥にあるのは神なのだ。
今、過去のカルマが消えてゆくプロセスの瞬間なのだ。
そのプロセスの瞬間を、みんなが摑んで悪と見たならば、彼らは真理に目覚めない。
私たちが、その悪を、闇を、光で消すのであります。

どんなテロリストの中にも、どんな殺人者の中にも、どんな悪しき人の中にも、
神性が宿っているのです。光輝いているのです。

輪廻転生を繰り返す中で、人から愛されず、存在を無視され、虫けらのような扱いを受けた人たちが、
今生で、その苦しみを限りなく消そうとしているその瞬間を、せめて神人と呼ばれている我々は、
その現象の面に心や意識を向けるのではなく。その中に光を見出してあげる、神性を見てあげるのです。

そして、その人の天命が完とうされるように、「お名前即神也の印」を組んであげるのです。

それをやり続けると、意識が常に、瞬間的に、他の過去を見ない。
現れている現象に把われないようになるのです。

妻や夫から、つまらない愚痴や罵声が飛ばされた時に、立ち向かわなくなるのです。』

■ 『自分の目』が何を見て、何を意識しているのかに醒めていて、
「思いの自分」を、常に客観的に見ていられることが大切です。