『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【937】「神」を見い出すか否かは、自分の問題、自分の責任

2007-03-12 21:32:37 | 「白光」の教え
「すべてに、神を見い出せるか否か」は、自分の責任、自分の問題だと思うのです。

【935】で紹介した、昌美氏の法話の前半は、ほぼ下記のようなものです。

★「過去」を摑んで苦しむのか、「よい経験」として活かすのかは、自分自身の問題です。
「祈り続けること」によって、「過去」を摑まなくなるのです。

「過去を摑まない」ことによって、輝かしい自分の未来を造れるのです。
今までのように、過去の延長線上の未来を描く必要はないのです。

どんな不幸も苦しみも悲しみも、他から及ぼされるものではなく、
「過去を摑む自分の思い」が作り出しているのです。

この真理を、聞きたくないと思い、拒否し続けてきた人は、
過去の輪廻転生を引きずり、執着し、把われ、相変わらずの闘争、貧乏、飢餓、病気、破壊、崩壊の道を辿るのです。
究極的には、人類一人一人が、自分の選択の責任を、取らなければならないのです。(「白光」2007年3月号より)