垣内遺跡 鍜治工房跡、保存を決定
同遺跡は本来なら調査終了後に取り壊す計画だったが、歴史的価値が高いことから、埋め戻した上で保存することが決まった。
市教委が県や地元の理解を得て計画変更をまとめた。
早ければ今月末頃から作業を始め、将来の史跡指定を目指す。
[参考:2009.4.4読売新聞]
1月26日掲載分 現地説明会
1月25日、雪化粧された丘陵地の現地説明会に900人が集まったようです。
[参考:読売新聞]
1月22日掲載分
淡路市教育委員会が22日、標高約200mの丘陵地にある垣内(かいと)遺跡で弥生時代後期(100-220年ごろ)の鉄器工房とみられる建物跡8棟が見つかったと発表した。過去の発見と合わせると計10棟になり、同時期の鉄器工房跡としては全国で最大規模という。これまでは、松江市の上野2遺跡で弥生時代後期後半とみられる工房跡が6棟見つかっており、最大とされてきた。
弥生時代の鉄器製造は九州北部で始まったとされるが、弥生後期には瀬戸内海東部まで拡大していたことになる。日本列島で政治の中心が九州北部から近畿へ移る時期とも重なっており、今後、遺跡の性格が大きな注目を集めそうだ。
市教委によると、昨年5月から始まった調査で弥生時代後期の竪穴建物跡11棟が見つかり、うち8棟の床面に強い熱を受けて赤く焼けている炉跡があった。最も大きい建物跡は円形で直径が10.5m。床面には10カ所の炉跡があった。
建物跡やその周辺からは、鉄鏃、鉄板の裁断片など鉄製品45点をはじめ、石鎚31点、鉄床(かなとこ)石などの工具が多数出土した。また、同遺跡東端の竪穴建物跡(直径9・7m)からは、朝鮮半島か中国から輸入されたとみられる大型の鉄製品(長さ約20cm、幅約5cm、厚さ約3cm、重さ564g)も見つかった。弥生時代後期(西暦50~220年ごろ)の鉄器とみられる。当時、国内で鉄素材を調達することはできなかったという。
昨年、2月には同遺跡から弥生時代後期前半(50-120年ごろ)の竪穴住居跡一棟が発見され、鉄器の工房跡の可能性が高いことが発表された。弥生時代後期後半(120-210年ごろ)の本位田権現谷A遺跡(佐用町)で確認済みの工房跡を遡る、県内最古の発見例とみられるとされていた。
現地説明会は25日午前10時半と午後1時半に行われる。
[参考:共同通信、毎日新聞、産経新聞、読売新聞、2008.2.28神戸新聞]
淡路島に最大規模の鉄器工房 弥生後期の垣内遺跡(共同通信) - goo ニュース
弥生時代最大級の鍛冶工房跡、淡路島で出土…砥石や鉄板も(読売新聞) - goo ニュース
キーワード: 五斗長垣内遺跡