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善光寺の阿弥陀如来立像 快慶作か 東京芸大が本格調査 

2008年11月26日 | Weblog
 善光寺が所蔵する阿弥陀如来立像が快慶の作品である可能性が高いとして、東京芸大で詳しい調査を実施することになり、26日、立像の搬出作業が行われたという。大きめできれいな写真が貼付されています。
善光寺の仏像、快慶作か=東京芸大で調査へ-長野(時事通信) - goo ニュース

[11/21掲載分]
 長野市の善光寺は21日、寺の史料館で所蔵する阿弥陀如来立像が、鎌倉時代の仏師、快慶の作品である可能性が高まったと発表した。26日に東京芸術大に運び、立像の内部などを本格的に調査する。
 立像は木製で高さ高さ98・5cm。台座と光背を含めると194.4cmになる。鎌倉期の仏像の特徴である玉眼(ぎょくがん)が施され、漆箔と金泥が塗られている。
 立像は廃寺などから持ち込まれた「客仏」との見方もあるが、安置された年代とも経緯は不明。明治時代の廃仏毀釈の際の可能性が高い。現在の同郡中条村で「南無阿弥陀仏」の声が聞こえた土の中を掘った際にこの仏像が出現した、との言い伝えもあるという。
 当初は善光寺本堂一角の部屋に保管されていたが、03年の前回御開帳の際に寺史料館に移された。
 善光寺は、立像のルーツを調べるよう同寺で仏像の保存修復を手掛けている東京芸大の籔内佐斗司(やぶうちさとし)教授に依頼。今年9月に阿弥陀如来立像の立体写真を撮影した。
 1本の木を割り、中をくりぬいた上でつなぎあわせる「割矧(わりはぎ)」と呼ばれる組み方や、肩の曲線などが、快慶の他の作品と極めて似ていることがわかったという。
 外観などから「快慶が13世紀初めに制作した東大寺俊乗堂(しゅんじょうどう)の阿弥陀如来立像(重要文化財)や、浄土寺(兵庫県小野市)の国宝・阿弥陀三尊立像などと形状や大きさが酷似している。仏像の襟周りの衣の造形から、快慶の第2期の作例に分類できる」と指摘。銘文は確認されていないが、腹部や背部に隠されている可能性もあるとして、エックス線撮影を含めた詳細な調査を進める。
 籔内教授は「銘文がなくても、快慶の基準作例に限りなく近い造形的特徴を有していることが証明されれば、貴重なものになる」としている。
 台座裏には、江戸時代の文化12(1815)年に現在の上水内郡信濃町の中村六左右衛門が修復した-との説明書きがあり、修復時に台座や金箔などが加えられた可能性があるという。
 善光寺白蓮(びゃくれん)坊の若麻績(わかおみ)敏隆・営繕局次長が、この仏像は快慶の作品に似ていると考え、今年夏に籔内教授に相談したことが調査のきっかけになった。善光寺事務局は「来春の御開帳までに快慶作と確認し、御開帳期間中に参拝客に公開したい」と話している。
[参考:読売新聞、信濃毎日新聞、毎日新聞、中日新聞、朝日新聞]

快慶作か、善光寺の阿弥陀如来立像…東京芸大が本格調査(読売新聞) - goo ニュース

【快慶】 
 運慶とともに鎌倉時代を代表する仏師。運慶とともに制作したとされる東大寺南大門(奈良市)の金剛力士像は国宝。浄土寺(兵庫県小野市)の阿弥陀三尊立像も国宝になっている。
 端正な顔立ちや繊細な造形が特徴。高さ1m前後の3尺阿弥陀如来立像を多く残している。

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