歴歩

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守山市・下之郷遺跡 正倉院の宝物「椰子実」そっくりのココヤシ製人面付き容器

2009年04月24日 | Weblog
 市教委は24日、環濠集落跡「下之郷遺跡」の出土品で、熱帯原産のココヤシの実の殻を加工して人の顔に見立てた容器が、奈良・正倉院に伝わる宝物「椰子実」と似た造形とわかり発表した。
 弥生時代中期後半(約2200年前)の遺物とみられ、弥生時代のココヤシの出土例としては、長崎県の原ノ辻遺跡(弥生時代中期)の笛、神戸市の玉津田中遺跡(同)の容器があるが、人面を模したココヤシ製の容器としては国内最古。正倉院蔵「椰子実」は、少なくとも平安時代終わり頃からあるというから、それより1000年以上遡ることになる。
 東南アジアやオセアニアには容器を人面の形に装飾する文化があり、ココヤシの容器は南方から伝わったとみる研究者が多い。当時、東南アジアとの交易が内陸部にまで及んでいた可能性を示す貴重な史料という。ただ、東南アジアから海流に乗って日本の沿海部に漂着したものが近江に届けられた可能性もある。
 容器は長さ10・3cm、高さ10cmの楕円形、重さは110gで、1993年11月に出土。直径約4cmの穴を開けて口にし、雌しべの跡(子房痕)を目に見立て、鼻になる小さな穴で鼻の形を作り、大きく口を開けた顔を表現。口の両脇には「ひげ」となる線が彫られ、鼻とひげは水銀朱で赤く着色されていた。
 ココヤシ容器は25日から、守山市服部町の市立埋蔵文化財センターで行われる「様々な木器展-甦る古代の木製品」で公開される。
 その後、安土城考古博物館(安土町)でも展示される予定。
[参考:読売新聞、産経新聞、京都新聞]

正倉院蔵「椰子実」
 直径11.8cm 高10.6cm 口径3cm 重さ170g
 内部は刳り取って黒漆のようなものを内塗りしている。
 宝庫にいつ、どのような経緯で納められたのかは不明であるが、少なくとも平安時代終わり頃から宝庫にあったという。
[参考:奈良国立博物館HP]

正倉院の宝物そっくり、滋賀「下之郷遺跡」出土の人面容器(読売新聞) - goo ニュース
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小田原市久野 北条幻庵の屋敷に連なる大規模な堀が見つかる

2009年04月24日 | Weblog
 小田原市久野の住宅新築に伴う遺跡発掘調査で戦国時代の大規模な堀が見つかった。
 堀は上幅7・2m、下幅3・4m、深さ約3・5mの逆台形の空堀で、南北方向に長さ約6mにわたり発掘された。
 堀底の両側には側溝(深さ、幅ともに約50cm)があり、小田原城の遺跡では初めて。
 1707年の富士山宝永大噴火による火山灰が積もっており、一緒に出土したかわらけや、中国・明時代の染付皿(磁器)の土器片などから、十六世紀の北条氏時代と確認された。市文化財課は「小田原城の堀を思わせるような、かなり大規模な堀」と話している。
 現場の堀は南北に延びており、「屋敷跡」は現場より標高が低い地点にある。屋敷は堀より高い地点に築くのが一般的なことから、屋敷は標高の高い現場の西側にあった可能性があるとしている。
 出土した堀の東約100mには、江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」などにも記されている、北条早雲の末子、幻庵の屋敷跡(別称・久野城)があり、この屋敷に連なる遺構とみられる。
 北条幻庵は重臣として北条氏を支え、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡した8カ月前に亡くなった。上杉謙信の養子になり、家督を巡り上杉景勝と争い自害した三郎景虎の養父でもあり、景虎がこの幻庵屋敷に住んでいた可能性もあるという。
 現場の表土が軟弱で崩落の危険性が高いため、一般公開はせず、27日から埋め戻す。
[参考:神奈川新聞、毎日新聞、朝日新聞]

北条幻庵(1493?-1589)
 伊勢早雲庵宗瑞(北條早雲)の末子として明応2年(1493)駿河の葛山の館(裾野市)に生まれる。
 母は葛山(備中守)維貞の娘。幼名は菊寿丸。通称を三郎、諱は長綱。
 天文10年に兄氏綱が逝去した後は、3代氏康、4代氏政の後見人として、この久野の館に住み、一族の長老的存在となり、
 北條氏が滅びる8ヶ月前、北條氏の盛衰とともに久野の館で97歳で亡くなったとされる。
 『小田原衆所領役帳』(永禄二年1559)には、5,442貫文余と最高の知行高を有する一族の長老的存在であった。
 武田信玄の家臣・志村氏が駿河竹ノ下より移り住んでいた小田原市下堀方形居館のそばには、北条幻庵ならびに同室の所領があった。
  下堀方形居館
 『小田原衆所領役帳』には、小田原市内の幻庵御知行地として、下記が貫高とともに記されている。
  高田郷 269貫285文
  鬼柳  326貫20文
  本寺家 583貫385文
  新寺家 251貫416文
  井細田 100貫文
  早川地 16貫300文



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京都府綾部市 久田山古墳群B支群2号墳 6世紀中頃の未盗掘古墳横穴式石室を調査

2009年04月24日 | Weblog
 京都府綾部市教委は23日、同市里町の久田山古墳群B支群の調査結果を発表した。
 久田山古墳群は弥生時代後期から古墳時代末期までの約90基の古墳で構成される。2007年度から2年間、B支群(約2ヘクタール)の30基を調査したが、うち27基が横穴式石室を備える。
 中でも、2号墳(円墳)の横穴式石室(幅2・3m、奥行き4・5m、高さ3m)は天井の石材もそのままに、多数の石を積み上げて入り口が完全に閉じられ埋葬当時の姿だった。内部から頭の骨(1人分)が見つかった。性別や年齢は不明。副葬品として実物の馬具や貝殻、鏡などがあった。6世紀中頃の築造とみられる。
 B支群全体の出土品は金の耳輪や鉄刀、土器など整理箱約300箱分にのぼる。
 現地説明会は26日午後1時から行われる。
[参考:京都新聞]


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