歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

東村山市・正福寺地蔵堂 地蔵まつり

2009年11月03日 | Weblog
 10月31日付け産経新聞ニュースの“国宝「正福寺(注1)地蔵堂」3日に開帳”を見て、今日行ってきました。
 東京都唯一の国宝建造物に指定されている地蔵堂は「国寶千軆地蔵堂」と書かれた額が掲げられています。今日は開帳の日にあたり堂内への立ち入りが許され、これに合わせて「地蔵まつり」が開催されました。晴天のおかげで、たくさんの人が集まりました。隣の八坂神社仮社(注2)では、雅楽「浦安の舞」(昭和四十四年三月に東村山市指定文化財)が演じられ奉納されました。

(注1)金剛山正福寺。臨済宗建長寺派の末寺である。正福寺に伝わる縁起では、弘安元年(1278)、南宋の径山興聖万寿禅寺(きんざんこうしょうまんじゅぜんじ)の石渓心月(しっけいしんがつ、仏海禅師)を開山とし、当時の鎌倉幕府執権・北条時宗により開創されたとする。しかし、文献により開基を時宗あるいは時頼、時政にあてたりしている。地蔵堂の建立者は不明であるが、尾垂木尻持送(おだるきじりもちおくり)から応永14年(1407)の墨書銘が発見され、考察の結果建立時のものと結論付けられた。(「正福寺展―国宝・地蔵堂建立600周年記念―」 2008東村山ふるさと歴史館編集・発行参考)
(注2)八坂神社本社は同市栄町3-35-1にあり、江戸期以前は「牛頭天王社」といわれていた。江戸期には正福寺が別当寺として管理していた。(「東村山文化財案内」2005東村山ふるさと歴史館編集・発行参考)



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奈良県斑鳩町・法隆寺 百万塔 奈良時代767年製作を示す文字を確認

2009年11月03日 | Weblog
 称徳天皇が国家安泰を願って作らせ、法隆寺に安置していた木製の小塔「法隆寺百万塔」(高さ約21cm、底の直径約10cm)が、奈良時代のものと確認され、所有する奈良女子大が2日、発表した。
 明治時代に、同大学の前身・奈良女子高等師範学校が購入したもので、底から767年の製作を示す「三年三月廿七日 珎池守」の文字が見つかった。
 7日まで同大学記念館で公開される。
[参考:読売新聞、奈良新聞]
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