県文化財保護センターは10日、「荒尾南遺跡」(同市荒尾町と桧町)が弥生-古墳時代前期の遺跡としては県内屈指の規模であると発表した。今年9月末現在で、弥生中期の方形周溝墓144基や、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての竪穴住居跡211カ所が発見されており、当時の集落の広がりや変遷、さらに住居群や方形周溝墓群の分布位置などを裏付けた。
今年度の調査では、9月末時点で方形周溝墓20基、竪穴式住居跡52カ所を発見した。
方形周溝墓は、ほとんどが弥生時代中期で、遺跡の北西部から南に流れていた当時の川を挟んで東側にまとまっていた。川の南西側でも一部、弥生時代後期から古墳時代のものが確認された。遺跡東部の方形周溝墓の周溝底から、弥生時代中期の土器もまとまって出土した。
遺跡北部から中央部に広がる住居群を確認。重なり合った状態で見つかった竪穴式住居もあり、同じ場所を居住域として何世代にもわたって利用していたと考えられるという。
遺跡東部に広がる弥生時代後期から古墳時代前期の水田域を確認した。
竪穴住居跡の床面と河川跡からは、土器の彩色などに使われる赤色顔料のベンガラがまとまって出土した。
荒尾南遺跡は弥生時代から古墳時代にかけての濃尾平野北部に位置する遺跡。東西200~300m、南北約650m、面積17万㎡と推定される。
現地説明会が14日午後1時半から開かれる。
[参考:中日新聞、毎日新聞、岐阜県文化財保護センターHP]
過去のニュース
2008.11.11 荒尾南遺跡 現地説明会 11/15
今年度の調査では、9月末時点で方形周溝墓20基、竪穴式住居跡52カ所を発見した。
方形周溝墓は、ほとんどが弥生時代中期で、遺跡の北西部から南に流れていた当時の川を挟んで東側にまとまっていた。川の南西側でも一部、弥生時代後期から古墳時代のものが確認された。遺跡東部の方形周溝墓の周溝底から、弥生時代中期の土器もまとまって出土した。
遺跡北部から中央部に広がる住居群を確認。重なり合った状態で見つかった竪穴式住居もあり、同じ場所を居住域として何世代にもわたって利用していたと考えられるという。
遺跡東部に広がる弥生時代後期から古墳時代前期の水田域を確認した。
竪穴住居跡の床面と河川跡からは、土器の彩色などに使われる赤色顔料のベンガラがまとまって出土した。
荒尾南遺跡は弥生時代から古墳時代にかけての濃尾平野北部に位置する遺跡。東西200~300m、南北約650m、面積17万㎡と推定される。
現地説明会が14日午後1時半から開かれる。
[参考:中日新聞、毎日新聞、岐阜県文化財保護センターHP]
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2008.11.11 荒尾南遺跡 現地説明会 11/15