桜井市教育委員会は10日、調査中の纒向遺跡の中心部で3世紀前半の大型建物跡を見つけたと発表した。
直径約32cmの柱跡が南北19.2mに5点、東西6.2mに3点、それぞれ4.8mと3.1mの間隔で整然と並んでいる。南北方向の柱の間には床を支える細い束柱の穴があり、高床式の建物だったらしい。過去の周辺の調査で見つかった複数の建物跡や柵列と共に、東西方向の同一直線上で南北対称となるよう計画的に配置されている。同一直線上で南北対称となる建物配置は、同時期までには例がない。飛鳥時代(7世紀)の宮殿と共通する特徴で、当時の王権中枢の一角であった可能性が高く、卑弥呼の「宮室」(宮殿)跡の想像が浮かぶ。一緒に出土した土器などから時期を判断した。
78年に柵と建物跡が確認された調査地点を、今年2月から区域を広げて再度調査。東西に計画的に並ぶ三つの建物群や柵を確認。大型建物跡は、その東側の区域で新たに見つかった。後世に柱穴が削られた西側も含め、東西幅は倍の12.4m、推定床面積は約238㎡あったとみられ、弥生時代最大規模の環濠集落とされる吉野ケ里遺跡(佐賀県)で最も大きい「主祭殿」(2~3世紀)の約1.5倍になる。現場は小高い台地を大規模に造成しており、南北約100m、東西約150mの区画があったとみられる。
現地説明会は14、15日の午前10時~午後3時に開かれる。(雨天中止)
[参考:時事通信、共同通信、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞]
参考
卑弥呼の宮殿か、奈良・纒向遺跡 3世紀前半で最大の建物跡(共同通信) - goo ニュース
3世紀前半、最大規模の建物跡=邪馬台国畿内説に弾み-卑弥呼の居館?-奈良(時事通信) - goo ニュース
過去のニュース
2009.8.23 纒向遺跡 新たな柱穴発見、棟持ち柱の可能性
2009.3.20 纒向遺跡 卑弥呼時代の建物群と柵が出土
2009.1.31「邪馬台国」解明へ 纒向遺跡を本格調査へ
直径約32cmの柱跡が南北19.2mに5点、東西6.2mに3点、それぞれ4.8mと3.1mの間隔で整然と並んでいる。南北方向の柱の間には床を支える細い束柱の穴があり、高床式の建物だったらしい。過去の周辺の調査で見つかった複数の建物跡や柵列と共に、東西方向の同一直線上で南北対称となるよう計画的に配置されている。同一直線上で南北対称となる建物配置は、同時期までには例がない。飛鳥時代(7世紀)の宮殿と共通する特徴で、当時の王権中枢の一角であった可能性が高く、卑弥呼の「宮室」(宮殿)跡の想像が浮かぶ。一緒に出土した土器などから時期を判断した。
78年に柵と建物跡が確認された調査地点を、今年2月から区域を広げて再度調査。東西に計画的に並ぶ三つの建物群や柵を確認。大型建物跡は、その東側の区域で新たに見つかった。後世に柱穴が削られた西側も含め、東西幅は倍の12.4m、推定床面積は約238㎡あったとみられ、弥生時代最大規模の環濠集落とされる吉野ケ里遺跡(佐賀県)で最も大きい「主祭殿」(2~3世紀)の約1.5倍になる。現場は小高い台地を大規模に造成しており、南北約100m、東西約150mの区画があったとみられる。
現地説明会は14、15日の午前10時~午後3時に開かれる。(雨天中止)
[参考:時事通信、共同通信、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞]
参考
卑弥呼の宮殿か、奈良・纒向遺跡 3世紀前半で最大の建物跡(共同通信) - goo ニュース
3世紀前半、最大規模の建物跡=邪馬台国畿内説に弾み-卑弥呼の居館?-奈良(時事通信) - goo ニュース
過去のニュース
2009.8.23 纒向遺跡 新たな柱穴発見、棟持ち柱の可能性
2009.3.20 纒向遺跡 卑弥呼時代の建物群と柵が出土
2009.1.31「邪馬台国」解明へ 纒向遺跡を本格調査へ