歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

さくら市・小鍋内Ⅱ遺跡 平安時代の集落跡から地鎮祭で使用したとみられる宋銭「紹聖元寶」が出土

2009年11月28日 | Weblog
 県埋蔵文化財センターが発掘調査を進める小鍋内Ⅱ遺跡(同市鹿子畑)で、平安時代とみられる集落内の大型の掘立柱建物跡があることが分かった。
 発掘調査は約6400㎡で実施。古墳時代後期から平安時代の竪穴住居跡28軒、掘立柱建物跡10数棟を確認したほか、旧石器・縄文時代の土器・石器、中・近世の陶磁器・銭貨などを発見した。
 掘立柱建物跡のうち、大型の3棟は丘陵地の上部に南北に並んでいる。大型の掘立柱建物跡が集落で見つかるのは珍しく、力のある有力者が建てたと考えられている。
 別の掘立柱建物跡の隅柱底から宋銭「紹聖元寶」が1枚見つかった。水はけの良い火山灰層にあったため、腐食を免れたらしい。宋銭は地鎮の儀式が行われていた証拠とされ、全国的にもまれな発掘例とみられる。
 29日午後1時半から現地説明会が開かれる。
[参考:下野新聞]

備考:紹聖元寶の初鋳は紹聖元年(1094年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥取市・本高14号墳 山陰最古(4世紀前半)の前方後円墳を発見

2009年11月28日 | Weblog
 県教育文化財団が27日、これまで山陰最古とされていた4世紀後半の「馬ノ山2、4号墳」(湯梨浜町、国史跡)を半世紀さかのぼる古墳時代前期中葉(4世紀前半)の前方後円墳が、鳥取市本高(もとだか)の本高古墳群のうち本高14号墳で見つかったと発表した。
 前方後円墳は3世紀半ばから大和王権で作られ始めたとされ、わずか数十年後には、因幡地方にも畿内と深いかかわりを持つ人物が存在した可能性が高いとしている。
 国道9号(鳥取西道路)改築事業に伴う調査で、6月から本高古墳群の古墳21基のうち8基の発掘調査を行った。平野部に突き出た尾根筋に沿い、直径30mの円墳と見られていた墳丘(後円部)の東側で、長辺33mの方墳部分(前方部)が出土した。前方部は細長く柄鏡のような形で、後円部は直径30~33mの楕円形で、2段に造られ、古い前方後円墳の特徴を示していた。墳丘は、地山を削って築造しているほか、張り石がないなど山陰の独自性も見られる。また、埴輪や葺石はなく、日本海沿岸地域の初期段階の前方後円墳の特徴と共通していた。
全長63mの大きさや、鳥取平野を見渡す位置にあることから、この地方に権勢を誇っていた豪族が築いたとみられる。
 石室はないが、埋葬施設が後円部の墳頂部に2基、前方部に2基、くびれ部など周辺部に2基を確認した。
くびれ部の埋葬施設から出土した、小型丸底壺(高さ9cm、幅8cm)が築造期の判断材料となった。
 前方後円墳は、箸墓古墳(奈良県桜井市)などが最も古く、3世紀半ばに登場して周囲に広がっていったとされる。一方、山陰の墳墓は、3世紀前半まで四隅突出型など方墳が長く使われていた。
 日本海側の前方後円墳は、関野1号墳(富山県小矢部市)、安保山2号墳(福井市)があり、本高14号墳の発見は、北陸と同時期に前方後円墳が導入されていたことを示した。 発掘調査は12月中旬までの予定。
 28日午後1時から、現地説明会が開かれる。
[参考:山陰中央新報、日本海新聞、読売新聞、朝日新聞、鳥取県教育文化財団HP]



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする