倉敷ホーリネスチャーチ

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【聖書】マルコによる福音書9章30~37節 【説教】「私たちを弟子として招かれる主イエス」 2024/6/9 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年06月09日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書9章30~37節
【説教】「私たちを弟子として招かれる主イエス」

中心聖句
37:「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第9 章30~37 節
「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに 受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」(9:37)

  「だれが一ばん偉いか」(9:34)ということを議論していた弟子 たちに対してイエスさまは2つのことを教えておられます。

①「・・・一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならな い。」(9:35) なぜ、一ばんあとなのでしょうか、一ばんあとにいると、前が 見えるからです。先頭に立っていたのでは、後ろは見えませ ん。先頭ではなく一ばんあとになって、人に仕えなさいとイエ スさまは教えられたのです。

②「・・・このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受け いれる者は、わたしを受けいれるのである・・・。」(9:37) 幼な子は一人では生きていけません、様々な面で誰かの助 けが必要です。他者の助けを必要としなければならない人を 受け入れなさいとイエスさまは教えられたのです。

①と②の何れも、弟子たちにとっては全く気付いていなかっ たことでしょう。弟子たちは、世の中の価値基準にとらわれて、 本当に必要なことを考える余裕がなかったのです。 私たちもまたイエスさまの弟子として招かれていることを覚 え、人に仕え、助けを必要としておられる方に寄り添っていく ことを大切にいたしましょう。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ