7年ごとに行なわれる長野の諏訪大社の「御柱祭」
長野に行き初めて20年ぐらい経つけど、見たのは初めて。
TVや地元のポスターなどでは目にしていたけど、今までチャンスがなく。
今回も、途中に立ち寄ったドライブインでこのお祭りの情報をキャッチしなければスルーしてしまっていたと思う。
この「御柱祭」は7年ごとに宝殿を新築する事に合わせて、社殿の四隅にあるモミの大木(御柱)を建て替えるらしいのですが、
このもみの巨木を山から切り出すことから始まって、それを人力のみで各神社までの道中を曳いて、最後に社殿を囲むように四隅に建てるまでの一連の作業とのこと。
結構長い期間に渡って、執り行われることにびっくり。
そして、神社への忠誠心?信仰心の気持ちと地元の人たちの強い結びつきに、新鮮な感動。
この御柱はそれぞれ自治会ごとに担当が決まっています。
2006年にこの辺りを大きな水害が襲ったことがありましたが、その時に一人暮らしのお年よりをたくさん救えたのはこの地域の結束のおかげだとの報道を見たことがあります。
その強い結束を作っているのがこのお祭での協力だとの話しでした。
こんな大きなお祭を執り行なうには、地域の協力なくしてはムリだろうなぁと実感です。
さて、諏訪大社は諏訪湖をはさんで、上社と下社があり、私たちが訪れたのは上社の前宮。
神社まで運ばれてきた御柱を建てる段階でした。(里曳きというらしい)

ちょうど着いた時に一の柱が立ったところですごい歓声。
境内は身動きもとれないくらいの人たちで熱気びんびん。
その後、二の柱が建ち始めました。
その模様がこれ。
かなりの時間をかけて、ゆっくり建ち上がって行きます。


長野に行き初めて20年ぐらい経つけど、見たのは初めて。
TVや地元のポスターなどでは目にしていたけど、今までチャンスがなく。
今回も、途中に立ち寄ったドライブインでこのお祭りの情報をキャッチしなければスルーしてしまっていたと思う。
この「御柱祭」は7年ごとに宝殿を新築する事に合わせて、社殿の四隅にあるモミの大木(御柱)を建て替えるらしいのですが、
このもみの巨木を山から切り出すことから始まって、それを人力のみで各神社までの道中を曳いて、最後に社殿を囲むように四隅に建てるまでの一連の作業とのこと。
結構長い期間に渡って、執り行われることにびっくり。
そして、神社への忠誠心?信仰心の気持ちと地元の人たちの強い結びつきに、新鮮な感動。
この御柱はそれぞれ自治会ごとに担当が決まっています。
2006年にこの辺りを大きな水害が襲ったことがありましたが、その時に一人暮らしのお年よりをたくさん救えたのはこの地域の結束のおかげだとの報道を見たことがあります。
その強い結束を作っているのがこのお祭での協力だとの話しでした。
こんな大きなお祭を執り行なうには、地域の協力なくしてはムリだろうなぁと実感です。
さて、諏訪大社は諏訪湖をはさんで、上社と下社があり、私たちが訪れたのは上社の前宮。
神社まで運ばれてきた御柱を建てる段階でした。(里曳きというらしい)


ちょうど着いた時に一の柱が立ったところですごい歓声。
境内は身動きもとれないくらいの人たちで熱気びんびん。

その後、二の柱が建ち始めました。
その模様がこれ。
かなりの時間をかけて、ゆっくり建ち上がって行きます。



しかしまぁ、こんなにたくさん柱にしがみついて...この人たちは氏子さんたちなんでしょうか。
でもこれだけ荒々しい神事を無事終えたら、身の穢れを祓えたような気分になれるのかもしれませんね。
私も一連のこうした種類のお祭もあるのを初めて知りました。
勇壮で男っぽいお祭です。
しかし、あの柱の上に立つのは勇気いるでしょうね。
とっても危険ですから。
下社では今年も亡くなった方が。
お~!この熱気ムンムンのお祭りのラストを飾る立て御柱、こういう風にやっていたのですね!
立てる場所は前日に見ていたんですけど、この日は前日の疲れを引きずって行けなかったので(と、弁解気味に)ここで見れて良かったです!
勇壮な男の祭りですねぇ。
山出し、里引きは地元の方に交じってやったのですが最後を見届けていなかったので~^^
7年後には法被を早めに調達しておくつもりです♪
元気に、楽しく暮らしていることに安心しました。
地元へなじんでいるのも嬉しくなりました。
この勇壮なお祭にも参加できるなんて貴重な体験ですね。