勝山市は、戦後から
「繊維王国として織物」をして風靡した時代が続き、
市民の半数くらいの人たちがこの職種にたずさわって居た
といわれています。
維新後の日本復興として
「日本の輸出品の43%が生糸輸出」として、時代があった。
この生糸輸出の一翼を被いた町が、「勝山のご先祖」であった。
先にも報告しましたが、維新後の国つくりには
殖産産業を興すことが必要となり、勝山市は小藩でありながら、
「タバコ産業と製糸業」を起こした。
明治期の初まりに有力商人と武士の知恵者が幾人も輩出された。
此れは、維新前の藩家老が早くから「成器堂」と云う学校を作ったことに
始まったといわれています。
当地には、繊維業の中での生糸つくりに、高度な技術があり、
明治14年には福井県内で75%もの生糸生産量を得て
米・仏への輸出産業に寄与した。
今、繊維業は不況産業の代表にされていますが、当地には当時から残る、
大きな工場と、織布産業は健在。生糸生産は殆どなくなっています。
維新時からつつく大商人の子孫は、今でも健在。
往時ほどの賑わいはありませんが、こうした歴史を踏まえた人たちが、
居たことは、市民として誇りに思うことでもあります。
会場の勝山城博物館
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます