早朝、「月例座禅会」
今日は、久々の「月光の曲」からスタート。
今朝から新しい方(男性)が参加、老師さまも、一からとの思いか、
格別丁寧で、その説法にも力が入った感じ。
老師様から、突然の話しが始まる。
大きく息を吸ってください、鼻から太く短く息を吸う、下腹に力を入れて細く長く息を吐き出す。
目はあけたまま、これは自分を見詰める目、目を閉じると眠くなり自分を見失う
「道元禅師様の坐禅は、目を閉じないこと」。
足は「結跏趺坐」または片足のみ組む「半跏不坐」、
何れも正しいが最終には「結跏趺坐」への努力する。
(8年目の私は、足が短く太いせいか絶対ムリ)
体を左右に降り、両膝頭と尾骶骨の3点で重心を整え、
大地に根をおろしたように、ずっしりと体重をかけ、身を調える。
その上に背骨がまっすぐに乗せられる。
「耳と肩と対し、鼻と臍と対せしめんことを要す」
「舌上の腭(あぎと)に掛けて、唇歯相著け、目は須らく常に開くべし、
鼻息微かに通じ、心相すでに整えて欠気一息、左右揺振して、
丌丌として坐定して、この不思量底を思量せよ、
非思量、此れ乃ち、坐禅の要術なり」 (普勧坐禅儀ばっすい)
自分の姿を見詰める、そして調息を続けよ、
ここで、老師様の各自への身の調えにチェックが入る、
警策を持たれて後ろに立たれると一瞬緊張が走る。
静寂の中の禅堂に、ピーンと張り詰めた一瞬。
道元禅師様の坐禅は3つの要素。
- 整身2.調息、この2つはセット、
そして3.は、調心(致心、ちしん)
これら3つ以外に心を奪われない「三昧」
簡単ではないですよ、お釈迦様で6年、達磨大師様で9年間、
端坐されたのです、
われわれ凡人は、あわてないことです。
静かな世界に入る「入定」とそこに何があるのでしょう、
坐禅をしても何が有るのでしょう。
坐禅をしていると、今の自分の生き様に対する課題が、見えてくるはず、
誰もが望む、創造的な自分の未来の姿が見えてくるかも。
仏陀論は、運命論ではなく、創造するおしえ。
禅師様は「正伝の仏法」と位置づけられた。
禅師さまのすすめは
「今座っている姿は、同じものを目指している、大きな幸せの中で座りつつけなさい」
今日はカスタートから、しっかりの「一炷、40分余」、
小鐘一つまでは、長かった。
その分、いつもの一汁一菜「塩粥」は格別の味、
清清しい朝でした。
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