三月という時期になると、当地の午前5時30分の空は、白けてきています、
座に着く6時にはすっかり明け、禅堂のすりガラスを越える明かりもスッキリ。
ろうそく1本だけの禅堂の静寂。
前月のような、暗闇から灯明が見えてくる神秘さはなくなるのは少し残念。
写真は、義宣寺禅堂前の梵鐘。
坐禅という仏事に参加するようになり早7年、
今日も座中に老師のお話は・・・
今日のため、お堂正面に掛けられた
「梅経寒苦発清薫」のお軸。
「梅の花は、寒さの苦を経て、美しくいい香りを放つ」
禅語のひとつとか、
大壷に活けられた、梅の花がひときわ匂ったように思いました。
今日は「春分の日」、俗に「彼岸」といわれる日です。
彼岸とは、あちらの国を言うのだとすると、
現世は「此岸」というのでしょうか。
今日はお彼岸でもあり、家族で、お墓参りに行く予定です。
春分の日は、夜と昼の長さがほぼ同じになり、
太陽は真西に沈むといわれています。
仏教では西の国に極楽があるといわれ、この日にお墓参りをする
という仏事が習慣化されたものといわれています。
面白いのは、なぜか我家では「ぼた餅(牡丹餅)」
を仏前にお供えしますが、
秋分の日には、この牡丹餅を「おはぎ」といいます。
(同じおもちを、改めて春はボタン、秋は萩といっているのです、
おはぎと牡丹餅は違うものだと思っている人多いのではありませんか・・・)
座に着く6時にはすっかり明け、禅堂のすりガラスを越える明かりもスッキリ。
ろうそく1本だけの禅堂の静寂。
前月のような、暗闇から灯明が見えてくる神秘さはなくなるのは少し残念。
写真は、義宣寺禅堂前の梵鐘。
坐禅という仏事に参加するようになり早7年、
今日も座中に老師のお話は・・・
今日のため、お堂正面に掛けられた
「梅経寒苦発清薫」のお軸。
「梅の花は、寒さの苦を経て、美しくいい香りを放つ」
禅語のひとつとか、
大壷に活けられた、梅の花がひときわ匂ったように思いました。
今日は「春分の日」、俗に「彼岸」といわれる日です。
彼岸とは、あちらの国を言うのだとすると、
現世は「此岸」というのでしょうか。
今日はお彼岸でもあり、家族で、お墓参りに行く予定です。
春分の日は、夜と昼の長さがほぼ同じになり、
太陽は真西に沈むといわれています。
仏教では西の国に極楽があるといわれ、この日にお墓参りをする
という仏事が習慣化されたものといわれています。
面白いのは、なぜか我家では「ぼた餅(牡丹餅)」
を仏前にお供えしますが、
秋分の日には、この牡丹餅を「おはぎ」といいます。
(同じおもちを、改めて春はボタン、秋は萩といっているのです、
おはぎと牡丹餅は違うものだと思っている人多いのではありませんか・・・)