1988年のソウルオリンピックを契機として、日本に勝つという意味で「克日」という言葉が流行りました。
それまでは、軍事政権の独裁政治の影響もあって、国の安保にかかわる「反共思想」のほうが、反日よりずっと強く機能していて、反日思想に対しても異見異論がありました。
米軍との関係もあるし、日本は確かに民族の敵ではあるけど、今はもっと大きな敵(北朝鮮の金日成政権)と戦うためには日本と協力するしかないとする主張でした。
実際、70年代のの反共漫画の中には、北朝鮮のスパイをやっつけるために韓国とアメリカだけでなく、日本も協力するストーリーのものがいくつかありました。
韓国という国はもともと抗日組織だった「臨時政府」を母体にして生まれた国であり、「日帝時代」(日韓併合時代、1910~1945年)に日本は朝鮮半島で残酷な支配を行なったと子供たちに普通に教えていました。
韓国民の間には反日思想が確かに存在していましたし、軍事政権としてはその反日のエネルギーの方向を変える必要がありました。
克日も、反日の代案の一つとして提唱されたもので、全斗煥大統領が演説でこの言葉を使ったこともあります。
「克日」は、日本が憎いとだけ言わず、日本の良いところを見習って、実力で勝てばいいじゃないかとする趣旨のものでした。
当時の韓国でこの考え方が受け入れられた背景は、オリンピックを迎えて、国民に間にある程度「自信」がついたこと。
そして、韓国の安保の要である米軍が日本とも軍事同盟を結んでいる以上、韓国の安保のためには日本と協力するしかないとする現状認識が、やっと国民の間で広がったことなどがあります。
でも、克日するには何をどうすればいいとか、そんな具体的な指示事項があったわけではありません。