「解放」ではなく「光復」を公式用語とした理屈、いや屁理屈・・・
韓国では、8月15日を「光復節」と言います。
ですが、この「光復」という字そのものが嘘です。
「光」を取り戻した、という意味での「光復節」という言葉は前からありましたが、その意味は抽象的であり、公式用語でもありませんでした。
普通、「解放」が適切だと言われていました。
政府側(公)も民間側も、「8.15解放」という言葉を普通に使っていました。
しかし、1995年2月9日のハンギョレ新聞の記事によると、1994年3月の大統領令14185号で、1995年を光復50周年としたことで、政府や傘下団体の公式イベントにも「光復」が公式用語となりました。
言わば、この言葉が公式用語になったのは1994年。
韓国という国ができて(1948年)から46年後で、今から27年前です。
1970年代から「解放は左翼がよく使う単語だ」という理由で光復という言葉が増えたという話もありますが、当時のほとんどの韓国史関連書籍では「8.15解放」が主流で、「8.15光復」という言葉はほとんど見つかりません。
歴史学者たちも「解放という表現が正しい」と認識していました。
政府は「光復」を公式用語にしながら、学界には何の諮問も求めていなかったとのことです。
どうして急に「光復」を公式用語にしたのでしょうか?
結論から言うと、「解放」は「された」または「してもらった」もので、「光復」は「した」「自分でやった」ものだから、「解放」ではなく「光復」が正しい、という理屈です。