釜山、40階段
実はこの階段、もともとは1910年前後に日本人が山を削り作った階段だといわれています。
現在の階段は1953年に起きた火災の際に少し南へ移動したものです。
階段を登っていくと40階段の歴史をよく説明している文化館もあるので、こちらとセットで観光するのもオススメです。
階段の途中にはアコーディオンをひく銅像もあります。
大きな建物に挟まれている階段の存在感はあまりありません。
ここに来て朝鮮戦争当時の難民で溢れた釜山の街角を想像することも良いかもしれません。
40階段は、1950年の朝鮮戦争の避難当時に交通・行政の中心であった釜山市中区に、多くの避難民が仮の住まいを建て密集生活を行い、目の前に位置する港から入ってくる救護物資を売っていた場所。
また避難中に離れ離れになった家族と出会う場所として、避難生活の哀歓を象徴した場所であり、1951年に歌手パク・ジェホンが歌った「慶尚道お嬢さん」という歌のモチーフにもなりました。
当時の栄州洞裏山、東光洞、寶水洞一帯で散り散りになって暮らしていた10万人を越える避難民たちにとって一番親しみのある場所です。
40階段の前・・・・
米を熱で破裂させて作るポン菓子の製造風景も当時の釜山でよく見られたのでしょう。
耳を押さえながらも興味いっぱいの子供が見とれている姿が像になっています。
裸足であることも当時をうかがうことができます。
40階段前には、懐かしそうな映画のポスターが貼られています。