金秀姫(キムスヒ) ゴールデンベストCD 01と02です。
それぞれ2枚組CDですが、風物市場のアジョシは2セットで10,000ウォンにしてくれました。
金秀姫・김희수
生年月日 1953年3月13日
出身地 釜山広域市
金秀姫は独特のハスキーな歌声が魅力で暗く哀切な歌が持ち味の歌手です。
演歌の大御所でありながらも、今までに様々なジャンルの歌を歌いこなしており、ポップスや民謡風の味付けがなされた歌も多いのが特徴です。
彼女のことを韓国の八代亜紀と言う人もいます。
金秀姫は朝鮮戦争が休戦した1953年に釜山市で生まれました。
本が好きな少女でしたが、小学生の時に父を亡くし、以降母の手一つで育ちました。
戦争後の避難民で溢れる釜山の街や父を亡くした体験から、暗く悲しい歌をよく耳にしていたそうです。
高校卒業後、ソウルへ移った彼女は家計を助けるため、米8軍キャンプ回りのオーディションを受け見事スカウトされました。
1972年に女性ポップスグループ「ブラックキャッツ」のボーカルとして歌手デビューし、ナイトクラブなどで活躍しました。
1978年にソラボルレコードより「ノムハムニダ(あんまりです)」を発売し、正式にデビューしました。
この歌は大ヒットし、後に彼女は同名の小説を執筆しました。
これ以降、「南浦洞ブルース」(1981年)、「乗降場」(1981年)、「軛(くびき)」(1982年)、「最後の抱擁」(1983年)、「失くした情」(1984年)、「孤独な女」(1985年)等ヒット曲を連発しました。
一時、大麻所持疑惑で芸能活動が出来ない時期もありましたが、1989年に「南行列車」が大ヒットし、今でも韓国人の愛唱歌の1位になるほど人気があります。
なお、1984年から90年頃までは日本でも活躍し、日本語で歌った数枚のシングルとアルバムをソニーレコードとテイチクレコードから発売しています。
今となっては結構貴重なお宝です。
さらに1990年代になってからは自身のレコード会社「姫(ヒ)レコード」を設立しました。
1993年にはバラード調の「愛慕」(1990年)が3年越しで大ヒットを記録しました。
また映画「哀愁のハーモニカ」を監督・脚本・製作を手掛けたりもしました。
この時期からはほとんどの歌を自身が作詞するようになり、彼女独特の世界観が発揮された作品を多く送り出しています。
「運命」(1993年)、「二度と泣かないわ」(1993年)、「AMOR」(1997)、「情熱の花」(2000年)などが有名です。
中でも2000年のアルバムに収録された「情熱の花」は演歌初のプロモーションビデオを撮影して話題になりました。
2003年に最愛の母を亡くしてからはテレビ出演以外の歌手活動を控えるようになり、音楽旅行をしたり化粧品会社事業を手掛けていましたが、2007年に久々の新曲アルバム「花燈」を発売しました。