韓国において客は日本のように「神さま」「王様」ではなく、ただの「ナム(他人)」、つまり外部集団の「よそ者」に過ぎない。いわゆるサービス意識なるものは韓国には存在しない。
「ウリ」同士だけで生きてゆくのだから。ウリ・チプ(家)、ウリ・マウル(村)、ウリ・チンチョク(親戚)、ウリ・チング(親友)、ウリ・トンリョ(親戚)、ウリ・トンリョ(同僚)など、「ウリ」とだけうまくやればいいのであって、ウリではないナムたちにどのように接しようと「かまわない」のである。
だからホテルのコーヒーショップでコーヒーがこぼれようと、食堂でサンチュに虫が入っていようが「かまわない」となってしまう。
そのような徹底したウリ意識が、ウリではないナムに対するサービスを妨げる張本人である。
客が店に入ってそれを快く思わなければ、客は金を稼ぐためのナム(他人)、つまり売り上げをあげるための手段に過ぎない。結局あらゆる客はただの「財布」なのだ。
しかし韓国で一つとても興味深いのは、そのようなブスッとした不親切な態度も、瞬間的にとてつもなく親切で、愛嬌と熱意ある態度に急変することがあるということである。
食堂に入ってきた人がナムではない、少しでも知っている人ならば、たとえ親戚はもちろんのこと、同じ故郷の友人、昔同じアパートに住んでいた人などであっても、その親切さは、日本のサービスをはるかに凌駕するほどのレベルに達する。
料理を注文以上にどんどん持ってきて、さらにキムチも一皿サービスしたり、あるいは金を受取ろうとしなかったり、ものすごく負けてくれたりもする。
韓国のサービス業が、知っている人、つまり「ウリ」と接するような親切なサービスがつねに提供できれば、どれほど素晴らしいことだろうと思います。